一九二〇年七月九日 ささやかな一冊がある。夜、一日の仕事をすっかり片づけると、わたしはたいてい、優しく静かな共感を求めて、そこに向かう。わたしはそれを「わたしの日記」と呼んでいる。いつしかとても大切なものになり、わたし自身とわたしの人生をいつもたくさん注ぎ込んできたから、何冊も何冊も書きためたいまになっても、書いていて飽きるということがない。あなたも今日、その一冊に仲間入りしました。
アナイス・ニン著 矢口裕子編訳『アナイス・ニンの日記』(水声社/二〇一七年)
アナイス・ニンが嫌いだった。最初に手に取ったニンの著作は『アナイス・ニンの日記 1931〜34―ヘンリー・ミラーとパリで』(ちくま文庫/一九九一年)だったが、主観的で、事実より幻想を重んじているように思えた。あられもなく情緒的な文章のせいで事実関係がほとんど把握できないのだ。ニンという著者にも好感が持てなかった。あまりにも女性性を重んじているように感じられ、恋愛に依存して男性に媚びを売る女性に見えたからだ。
しかし、実はこのちくま文庫版はニンがまだ生存していた登場人物たちを慮ってわざと事実を曖昧にぼやかし、編集したバージョンの翻訳だったことを映画『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』を観て知ることになった。この映画はニンの死後出版された無削除版日記の第一弾『ヘンリー&ジューン』(角川文庫、一九九〇)を原作としたもので、ニンと小説家ヘンリー・ミラー、そしてミラーの妻・ジューンとの同性愛も含めた三角関係を描いていた。ニンを演じたポルトガルの女優マリア・デ・メディロスは信じられないほど可憐で、私がニンに抱いていた悪感情を拭い去ってしまった。原作も入手して読んだ。ちくま文庫版とはまったく違った赤裸々なものだった。こうして私の中でのニンのイメージは変貌していった。
その後、私は生前のニンと関わりのあった二人の人物と出会うことになった。一人はヘンリー・ミラーの妻だったジャズ歌手のホキ徳田さんだ。ホキさんとは新宿のバーで同席した。酔った勢いもあってミラーの愛人だったニンのことを訊いてしまった。ホキさんは「あんな美しい年寄りは見たことがなかった。でも、ヘンリーとそういう関係だったことは知らなかったのね。『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』を観て度肝を抜かれちゃったわよ」と気さくに答えてくれた。
もう一人は、二十歳の頃ニンと恋愛関係にあったと言われていたアメリカの作家、ゴア・ヴィダルだ。ヴィダルにはロサンゼルスの彼の自宅でインタビューしたが、ニンの話はしなかった。というのは、ヴィダルは回想録の中でニンとの関係を強く否定し、いくつかの小説の中でニンを戯画化して諷刺していたからだ。しかし、ヴィダルが亡くなって一年後の二〇一三年、ハフィントンポストはヴィダルがニンに宛てたラブレターが発見されたと報じた。当時二十歳だったヴィダルは手紙で四十二歳のニンにプロポーズしようとしていた。
事実を重んじる書き方をしていないので、ニンには「嘘つき」というイメージがつきまとっている。しかし、ヴィダルとの一件でもわかるように、ニンは細かい事実は自分の都合の良いように改変してしまっているかもしれないが、たいてい本当のことを書いている。ヴィダルの時も真実はニンの側にあった。私の中のニンのイメージは良くなっていった。
アナイス・ニンは十一歳から七十四歳で生涯を終えるまでの六十三年間、約四万ページの日記を書き続けた。文字通り彼女のライフワークだった日記は現在まで十六巻が世に出ている。最初に発表された編集版が全七巻。ちくま文庫版はこの編集版の一巻目にあたる。それ以前の初期の日記が全四巻。このシリーズの一巻目は『リノット―少女時代の日記 1914-1920』(水声社、二〇一四)として翻訳されている。未だ出版が続けられている無削除完全版が現在までに五巻。無削除完全版から邦訳されているのは一巻目の『ヘンリー&ジューン』とその続編『インセスト アナイス・ニンの愛の日記』(水声社、二〇〇八)だ。今回取り上げた水声社版『アナイス・ニンの日記』は初期の日記から『リノット』だけを除き、それに編集版全七巻を加えたものの抄訳。アナイス・ニンという作家は本書の出版によって日本語圏でようやくその全貌を表しつつある。
『アナイス・ニンの日記』は一言で言えば「男性遍歴の記録」だ。父親に棄てられたニンは、父の代わりを探すかのように男性遍歴を続ける。ニンは二十歳の時、ヒュー・ガイラーという銀行家と結婚しているが、その結婚関係を維持したまま、五十二歳の時、ルパート・ポールという遥かに年下の青年とも結婚している。夫だけでも二人いた。
しかし、彼女は二人の夫以外でも数多くの男性を愛した。小説家ヘンリー・ミラー、詩人アントナン・アルトー、批評家エドマンド・ウィルソン、作家ゴア・ヴィダルという世界文学を代表する書き手たちがそのリストには名を連ねる。面白いことに彼らは揃いも揃って見事なまでのダメ男だ。ミラーは天下御免のアル中助平親父。アルトーは狂気に蝕まれており、ニンを脅えさせる。ウィルソンは今で言う「マウンティングおじさん」でニンを支配しようとする。母親に棄てられた過去のあるマザコンでホモセクシュアルのヴィダルは、二十歳以上も年上のニンに母を求める。
彼らダメ男たちとの恋愛の中でニンも成長していく。『アナイス・ニンの日記』は最初、日記帳にしか心を開かない夢見がちな少女の日記として始まるが、ヘンリー・ミラーとその妻、ジューンに出会ったニンは情熱的で奔放な女性へとその姿を変える。ウィルソンやヴィダルと関わる頃には母性的な女性の側面すら見せる。そして、ミラーのように終生変わることなくニンに好意的だった者もいれば、ヴィダルのように批判的だった者もいるが、彼女はウィルソンを除いて、まだ無名だったダメ男たちを導き、励まし、大作家として羽ばたかせる。『アナイス・ニンの日記』はそんな「ダメ男たちのミューズ」だった女性の人生の一大絵巻なのだ。
水声社版『アナイス・ニンの日記』の出版と同じ二〇一七年、ニンのドキュメンタリー映画『アナイス・ニン、自己を語る』もDVD化された。私は本書を読みながら『アナイス・ニン、自己を語る』も観た。この映画は一九七四年、ニンが亡くなる三年前に撮影されたものだが、フィルムに映るニンは七十代にもかかわらず美貌を保っており、彼女が喋るフランス訛りのある英語の発音は蠱惑的で、私はすっかり魅了されてしまった。今ではニンがもし存命なら会ってみたかったと思うほどだ。何故なら、私もアナイス・ニンを愛した男たちと同じくダメ男だからである。
バナー&プロフィールイラスト=岡田成生 http://shigeookada.tumblr.com