• Twitter
  • Facebook

1冊目・授業帰りに渋谷の書店でぶらり人文書「超」講義 (MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店)

石岡さんと本屋に行こう! / 石岡良治

(イラスト/コルシカ)

 

視覚文化「超」講義』の著書などでおなじみの石岡良治さんと、月に1回、一緒に本屋に行って買い物をしようというこの企画。
気になっていた目当ての本を探したり、その日に目についた本を見てみたりしながら、石岡さんがその時に欲しい1冊を見つけて購入するまでをドキュメントしてしまおう、という試みです。

石岡さんとは打ち合わせでいろいろ話す機会があるのですが、その打ち合わせは、膨大な情報量のカオスに放り込まれた状態で、縦横無尽に行き来するトピックの軌道に振り落とされないようにするのが精一杯。図らずも脳の筋トレ状態を体感したわけですが、そんなある日、思ったのでした。
「石岡さんと本屋をまわったら、めちゃくちゃ楽しくて勉強になるに違いない」、と。
結構長いこと考えていたこのアイディアが、このたび晴れて実現しました。

この連載では、本屋さんで実際の棚をさまよって本を発見していく過程の、その時の会話をまるごとお届けしていきます。
果たして最後に石岡さんは何を購入するのか?! というところもぜひお楽しみください。(そんなにハラハラしている人はいないでしょうが…笑)

記念すべき第1回目である今回は、とある夏の日の午後に青学の授業終わりの石岡さんと、学校から近い渋谷駅にある大型書店・MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店にお邪魔しました。

売り場に繰り出す前に、まずは手始めに、石岡さんがどんな風に本を探すのかなど、基本姿勢を聞いてみましたよ。

 

本屋の棚は記憶術に近い

──1回目のお買い物企画、今日はよろしくお願いします。ちなみに、今ピンポイントで探している本ってありますか?

うーん、そうですね。これはいつもなんだけど、新刊と古本って探し方が違うでしょ? 古本屋では「古本なら買うかな」という本と、「今絶版だから買えない本」と、最近の新刊、という探し方ですね。それに対して新刊の本屋さんでは、脳内の「この本欲しい」的な、なんとなくあるニーズとか、最近気になる著者とか、気になる著者が推している本とか、よく知らないけど学びたい分野の本とか、そういうものが漠然とあったりして、それをあとは自分が研究している専門について絶対に必要な本もあるし。…でも、本屋に行く時は、そういう研究そのものに関連する本より、もうちょっと広いものを探すことが多い感じですかね。で、そういう本が脳内で大体100冊くらい同時にうごめいてます

──100冊……!

いや、少ないほうだと思いますよ。やっぱり本屋さんで実際に見ると記憶が活性化しますよね。本屋って記憶術っぽいと思うんです。フランセス・A.イエイツの『記憶術』(水声社、1993年)にも通じますが。記憶術って、暗記するときに、脳内に棚を作ったりしますね。棚というか、ストリートというか。「通り」を作って覚える、ということがあるでしょ? でも、本屋さんに行けば、自分でそんなことしなくても、「このへんの棚に行けばこんな本がある」って見つけられる。勝手に本がでてくるんですよ(笑)。そういう発想の人、多いと思いますけどね。
探している本が増えていくのは、古本屋の場合だと、ほとんど目当ての本がない状況で、その中から見つけるのが楽しいわけですが、探しているものが1、2冊だとほとんど無駄足になるからね。つまり、網にかけるための魚の種類が1種類だと網にかからず失望するから、という理由で、そういう経験を経ていくうちに、数がだんだん増えてくるんですよ、自然に。
10代とか20代だと、本当に時間が余ってるから、本屋でブラブラするなんてこともよくあったんですけどね。やっぱり歳をとるとともに、ダラダラ探すということは減ってきますね。

──今回は丸善ジュンク渋谷店ですが、利用されたことはありますか?

あります、あります。丸善ジュンクが便利だなといつも思うのは、hontoで在庫を探すと店舗ごとに、○とか△とかで在庫の有無が出ていて、かなり標準化されているな、と。たとえば、ここで最近買ったのは『石膏デッサンの100年』(荒木慎也著、三重大学出版会、2016年)という本ですね。部数が超少なくて、どこも品切れだから中古でも高くなっていて。で、新刊書店で探したら、僕が探したときは関東ではこの丸善ジュンク渋谷店にしかなかった。それで取り置いてもらって、買いに来て、ついでにそのときに見つけた本も一緒に買う、と。これは丸善ジュンク系列の戦略だと思うけど、ウェブを使いつつ、リアルタイムで在庫が更新されたりするし、それと実店舗での出会いが組み合わさるという感じで。(注:その後、『石膏デッサンの100年』は、改訂版として2018年2月にアートダイバーから刊行されることになりました)

──書店に行って「まずこの売り場に行く」というのはありますか?

まあ、やっぱり思想系、芸術系の、いつも買いそうな棚の新刊はざーっと眺めますね。あとはやっぱり文庫・新書の新刊は絶えず見ます。都心の大型書店じゃないと入らないものもあるので。地元の本屋さんにもわりとよく行きます。自分の地元が割とショボい地域だから、地元の本屋は逆に「最低限ベストセラー的に並べるならこの辺くらいか」、という情報を知ることができるのと、私がそういうことを知りたがる傾向にあるので。

──なるほど。ここまでしかないんだな、というリサーチになる、と。

そうそう。例えば、地元の本屋に、河出文庫の『知の考古学』(ミシェル・フーコー)がひょこっと紛れていて、「こんなの、この本屋で私しか買わないだろ」と思ってつい買っちゃったりとか(笑)。

──そうすると本屋さんは「あれ? 売れた?」って、またそういう本を仕入れてしまいますね(笑)。

外国文学とかもあまり入らない店なので、ラノベとかベストセラーとかの中にたまにそういうものが紛れ込んでいると、「おお〜」みたいな感動で買ってしまう(笑)。倒錯した感じでね。普通に、品揃えのいい本屋に行けばいいところを、そうではなくて、町の小さい本屋でヘンなものを探したくなる、というか。古本屋も同じですね。神保町とかの品揃えが充実した古本屋とかも行くんだけど、あんまり充実してなさそうなところに掘り出しものっぽいものがあるのを楽しむ、みたいな。10代20代の頃は、それだけが目的みたいな感じでふらふら5時間くらいさまよっていたんですが、そんな時間は今はとれないわけです。そうすると、さっき言った、ウェブでの在庫のリアルタイム検索ができると、やる気が出るというか、手がかりになるので、(本屋さんに)「行くか!」という気持ちになりますね。

 

実際の売り場へ。フェアの冊子は重要

──それでは、実際に売り場に入りましょうか。

ジュンク堂は私は結構好きで、いろいろ見るんですが……まずは、思想系とか芸術系を見たいと思います。普段私はポピュラーカルチャーの人ということになってるけれど、なんだかんだ言って原点は哲学系なので、こういうところをよく見ます。あ、分析美学フェアをやってますね。ネルソン・グッドマンの特集で。

 

 

 

ネルソン・グッドマン『芸術の言語』戸澤義夫、松永伸司訳、慶應義塾大学出版会、2017年

最近、勢いのいいところですね。丸善ジュンクはこういうフェアを同時に2、3種類やってたりするのがいいですよね。

 

 

 

ケンダル・ウォルトン『フィクションとは何か ごっこ遊びと芸術』、田村均、名古屋大学出版会、2016年

こういう冊子をもらっていく、っていうのが私は多いですね。それで冊子を見てから、次に来る時に購入するっていうのが多いですね。

 

 

 

充実のフェア用冊子「『芸術の言語』刊行記念フェア「グッドマン・リターンズ」新しい古典がやってくる!」。好奇心くすぐられるまさに最強のブックフェアリスト!
慶應義塾大学出版会のフェア特設サイト→http://www.keio-up.co.jp/kup/gift/goodman.html

 

哲学書からアイディアを得る

このあたりは分析哲学ですね。分析哲学はそんなにたくさんは読まないので、たとえばどんな感じかな……(しばし棚を吟味)。最近気になっているのは、ソシュール関係の新たな翻訳と研究が明らかになっていて、そのあたりですね。かつての構造主義というよりはもうちょっとドロドロした神話研究とかに関心が集まっている。あとは、言語相対主義が一回批判された後に、もう一回「言語本能」というか、脳科学とか人類の普遍性という点に注目した言語学のほうが分がよくなっていますね。そんな中で、たまにこういう『ピダハン』(ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』屋代通子訳、みすず書房、2012年)とか、相対主義をもう一回捉え直す本も個人的にはちょっと気になってます。
認知言語学でいうと、これはすでに読んでいる本なんだけど、『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(ガイ・ドイッチャー、椋田直子訳、インターシフト)とかなんですが、……この本は置いてないですね……認知言語学の分野は興味を持っていたりします。もともとは、このレイコフの『認知意味論』(ジョージ・レイコフ『認知意味論―言語から見た人間の心』池上嘉彦、河上誓作他訳)から始まったような分野で、これは古典的なものですね。専門家じゃないので、割と趣味的に、何に使うわけでもなく、実はいくつかの分野をあたためている……っていうとヘンだけど(笑)、哲学はアイディアを得ようと思って読んでいる、というのがあるんですよ。だから哲学はなんとなくいろんな分野を読みますね。最初に学んだのが哲学なので。

──基本がもうそこなんですね。

そんなに哲学的に論文を書くわけではないんですが。あとはなんだろう、ポスト構造主義とかは、このへんか……いや、向こう側の棚ですかね。ちがうな、もう一個別の棚がありそう(迂回して平行に並ぶ裏側の棚に移動)。
今気になっている古典哲学出版社として、知泉書館さんっていうところが、すっごいマイナーな、中世とか近世の人文ハードコア路線を出していて、最近、デカルトの全書簡集を完成させたんですよ(『デカルト全書簡集』全8巻。2016年3月に8巻目が刊行)。ハイデガーの全集や、『神学大全』を出していた創文社さんが出版社をたたむというニュースがあるなかで、この知泉書館はデカルトの全書簡を出すとかやっているので、すごいですよね。「いっぱい出しててすごいなあ」っていう(笑)。だから僕としては「買い支えマインド」が働きますね。あ、ほら、みてくださいよ、『ヘーゲルハンドブック』がある。この本、存在は知っていたけど正直本屋で見たのは初めてですよ。これはいいなあ。

 

 

 

ヴァルター・イェシュケ『ヘーゲルハンドブック』神山伸弘、久保陽一、座小田豊、島崎隆、高山守、山口誠一訳、知泉書館、2016年
書名と異なり724ページもある大型本。お値段も全然「ハンドブック」じゃない1万6000円也。

図書館にあってそこで見ていたんですが、本屋の棚で見れて良かった。知泉書館は面白いなあ。

 

脳内でつながる本を確かめてみる

 

あと、この『ヘーゲルと現代思想』っていう本もネットで情報を見て興味を持っていて。

 

 

 

寄川条路『ヘーゲルと現代思想』、晃洋書房、2017年

プラグマティズムにはずっと興味があります。今、ネオ・プラグマティズムの流れで、ブランダムっていう人がいるんですが、この『ヘーゲルと現代思想』で、ヘーゲルとブランダムとをつないでいる論文(川瀬和也執筆担当の第3章「アメリカのプラグマティズム」)があるのが気になってるんです。ヘーゲルと英語の哲学って、相性が悪いとされていたのに、それをつなぐ人が最近出てるっていうことで興味深く思っているんですね。ブランダムは分析哲学なんで、じつはさっきの棚ですね。ちょっと戻って見に行きましょう。(再び迂回してさっきの分析哲学の棚に移動)。

 

 

ロバート・ブランダム『推論主義序説』丹治信春監修、斎藤浩文訳、春秋社、2016年

 

この『推論主義序説』って本ですね。バートランド・ラッセルのヘーゲル嫌いなどはよく知られていて、歴史的には、分析哲学ではヘーゲルは観念的で不明瞭だから嫌う、という伝統が続いていると思われていたんだけど、プラグマティズムの最近の潮流では、その辺も読むという流れがあって、だからこのへんも興味を持っているっていう感じですね(注:こういう本もある。『現代経済学のヘーゲル的転回』カーステン・ヘルマン-ピラート+イヴァン・ボルディレフ著、NTT出版、2017年)。さてもう一回さっきの棚に戻りましょう。

──(移動しながら)こうやって、石岡さんの頭の中でつながっている本と本の線を、実際に動きながら体感するという体験は、これはよく考えてみるとかなりすごいですね。実際の書店の棚では分類の仕方で離れてしまっていても、見えない線が無数に出ていていろいろなところにつながっていることにあらためて気付きます。

知っている人にとっては常識なんですが、そういうのも結構見てますね。

あとは、個人的な興味としては、フッサールが苦手なんだけど克服したいと思ってたり(笑)。

──哲学に「克服したい」とかあるんですね。

なんか苦手意識を持ってて……僕はあんまり現象学とかが得意ではなくて。でもなんか、ちょこちょこ読み続けたいとは思っていて。要するに、美学芸術哲学だと、メルロ=ポンティが『眼と精神』などでセザンヌについて語る、というのは有名ですけど、どっちかというと私は、ドゥルーズとかみたいな、メルロ=ポンティをちょっと批判的に見るような人の研究に入っちゃったから。でも、そんな批判で終わるわけはないので。誰か新しい人が出れば勝ちとか、思想ってそういうものでもないのですから。
あと、哲学思想系では、月曜社も、さっきの知泉書館と並んでハードコアですね。しかも月曜社は古典ではなく、どっちかというと現代の本をいっぱい出している。これはありがたい。「ウラゲツブログ」もここの出版社の人なんですよね。ジャコブ・ロゴザンスキーの翻訳も出てますね(『我と肉―自我分析への序論』松葉祥一、村瀬鋼、本間義啓訳、月曜社、2017年)。ロゴザンスキーは、院時代に原文で論文は読んだことがある、くらいの感じなので、それが今は日本語訳が出ていいなあ、と(笑)。私が院生だったのは20年くらい前なんですが、そのころには翻訳がなかったものが、割と今は当たり前のように翻訳が出てますよね。
今人文系って、売れなくなったとか、そういう暗い声を聞くことが多いんですが、私の印象では、学術文庫が充実したことと、昔は日本語で読めなかったものがいっぱい翻訳が出てて、そんなに暗い感じはないですよね。新しい本の翻訳という意味ではちょっと遅いんですけど。

 

周縁と、分野をまたぐ芸術書を探す

次は芸術書のコーナーに行きましょうか。美術系はだいたいどこの本屋さんに行ってもチェックしますね。私は美術は個別分野の専門家というわけではないんですが、最近興味あるのは、先日表象学会でドゥルーズについての発表をしたんですが(2017年7月2日)、スキタイ芸術、つまり遊牧民の芸術ですが、そこにガタリが触れていたのが気になっていて。「スキタイの美術」みたいな本欲しいんですけど、ないかなあ……。

──棚的には、西洋美術とか現代アートが多くて、遊牧民関係というか、民族系の美術はあんまりないですね。

そういう「周縁」とされるものに今関心がありますね。今、情報ソースをネットに頼りがちになってしまうと、ツイッターで発信された情報とか、ブログのまとめみたいなものに、あんまり振り回されたくないと思いつつ、なんだかんだで刺激を受けているんですね。で、「アイルランドのケルトはケルトではない」説というのがあって、それをめぐる応酬というのが最近起きているようで、それも最近気になってます。そもそもケルトというのは、フランスの端っこの方の地方が本来ケルトと言われるべきで、アイルランドのケルトは、アイルランドのナショナリズムというか、イギリスとアイルランドの国民意識から出てきたようで、批判的に捉える人もいるんですね。日本だとケルトは鶴岡真弓さんなどが紹介していたり、あとはエンヤがヒットしたりして人気のある分野ですが、あのイメージが変わる可能性もちょっとあるかもしれませんね。全部ひっくり返るとは思わないですけど、そういうのは気になります。
……スキタイ、ないですね。置いてある棚が違うのかな……ここの美術の棚で言えば、そうですね、最近は思ったより現代アートの分野の翻訳がいっぱい出てるんですね。『アート・パワー』(ボリス・グロイス『アート・パワー』石田圭子、齋木克裕、三本松倫代、角尾宣信訳、現代企画室、2017年)とかもそうですし。渋い研究書みたいなものもこうやって日本で翻訳が出ているとうれしいですね(笑)。

──最近、「これが出たんだ!」とうれしかったものはどんなものでしょう?

翻訳じゃないですが、「あ、この人の研究書が出たのか」と思ったのは、『諷刺画家グランヴィル』ですね(野村正人『諷刺画家グランヴィル―テクストとイメージの19世紀』水声社、2014年)。グランヴィルってすごい好きな人で。それこそベンヤミンとかが紹介するような人で、イマジネーションがフワーッとメタモルフォーズしていく、というような面白い風刺画を描いた人で、とても面白い本です。
あともうひとつ言うと、たとえば「ミュシャ展」(東京・国立新美術館、2017年3月8日〜6月5日)って「何時間待ち」という行列ができたり、一般的にもかなり話題になりましたよね。しかしミュシャって、美術をオーセンティックに捉える人からすると必ずしも評価が高いとは言えないんです。で、私の趣味関心は、ポピュラーカルチャーと現代アートと両極に興味あるんですが、なるべくどっちかを一方的に偏らせたくない、という気持ちがあるわけです。そうするとミュシャみたいな人をちゃんと正しく捉えたいという気持ちが強くあって。ミュシャって、今の日本におけるイラストレーションや、マンガ家のインスピレーション源としてすごく偉大な人なんですが、一方で美術展に行くときの価値観というものもあって、そういう人は必ずしもミュシャを大絶賛はしない、という微妙な問題が生じている。これに究極の解決法はないんですが、可能な限りそこに橋渡ししたり、あるいは橋渡ししたときにむずかしいところを明確にしたり、そういうことをやりたいと思ってます。
たとえば、このテプフェールって人も(ティエリ・グルンステン、ブノワ・ペータース『テプフェール マンガの発明』古永真一、原正人、森田直子訳、2014年)有名な人で。テプフェールはマンガの歴史において極めて重要な人で、言葉とコマが連続してる感じなんです。これは原書はフランス語で書かれているんだけど、この二人の著者は実はどっちも面白い人で、グルンステンはマンガについての本である『マンガのシステム』という本を書いていて(ティエリ・グルンステン『マンガのシステム―コマはなぜ物語になるのか』野田謙介訳、青土社、2009年)、ブノワ・ペータースは、デリダの伝記を書いたり、バンド・デシネ(BD)の『闇の国々』の原作者なんです。そういうユニークな人がいるので、さっき言ったようなオーセンティックなアートとイラストレーションぽいものの橋渡しという意味で、ブノワ・ペータースみたいな人は重要ですね。デリダも研究する一方BDの原作もするし、こういう人の仕事を追うと、分野をまたいだ仕事の見直しがわかっておもしろいなあ、と思うんです。

 

 

 

ブノワ・ペータース『デリダ伝』原宏之、大森晋輔訳、白水社、2014年。800ページもの大著。

 

 

 

ブノワ・ペータース(著)、フランソワ・スクイテン(画)『闇の国々』古永真一、原正人訳、小学館集英社プロダクション。2011年から2013年にかけて、第4集まで刊行されている。

あと、読めてないんですが、マティスの『ジャズ』を再考するとか(大久保恭子『アンリ・マティス『ジャズ』再考―芸術的書物における切り紙絵と文字のインタラクション』三元社、2016年)、最近マティス関係の研究がまた充実しているなあと思っていて、部屋のスペースが圧迫されているので大きな本はなかなか買えないというか躊躇するというか、しかしそう言いつつも結局は躊躇しないんですが(笑)。マティスはやっぱりもう一回、系統的に取り組んでいっぱい読みたいなあと思っていて。あ、三元社も結構いい本出してますよね。『西洋美術研究』っていう雑誌も出してますし。

あとはなんだろう……(美術書の棚を横に順々に見ていく)、すごい大きくて高い本が美術書はたまに出ますが、そういうのが売ってたりするのかなあ、というのは書店で見てますね。高い本って売れにくいので、お店によってあったりなかったり、というのがどんな感じなんだろう、とか。中央公論美術出版から、やたら大きくて高い本が出てますが、ああいうのはなかなか買えないので、本屋さんでちょっと見る、ということはしますね。
あと気になっているのは、水野千依さんというイメージと人類学の分野の方で、最近新しい翻訳書を出しましたね。えーと、なんだっけな……(スマホで検索中)、あ、『キマイラの原理』ですね。芸術棚にはないですね、人類学棚行きましょう。
今人類学がいろいろアツくなってますね。私は美術と哲学と社会科学がつながるところを超面白がっていて、イメージ人類学への関心は重要なところです。

 

人類学は今アツい

……さっきの「スキタイ」とかはこっちの古代史の棚とか文化人類学棚の方にありそうですね。そうそう、こういう『ヒエログリフがわかる絵本』とかの近くにありそう(ニール・スペンサー『ヒエログリフがわかる絵本』大英博物館編、月森左知訳、創元社、2005年)。「ヒエログリフがわかる」っていうのはすごいですね。わかりたいですよね。アニメの『おそ松さん』の1話っていう、封印された話があるんですけど、突然三男かなんかがハーバード大学かどこかの准教授みたいなうさんくさい肩書きになってて、「今ちょっとヒエログリフを学習してるところなんだ」(キリッ)とか言ってて。今、ヒエログリフはたしかに学習可能ですからそういうのも面白いなと。

 

──すごい方向に話が行きましたが(笑)。

いや、昔、図書館でバイトしてた時に、一緒に働いてる人がマヤ文明の研究者で、マヤ文字読めるとか言ってて、「スゲェ!」って、めちゃくちゃ尊敬しましたよ(笑)。マヤ文字読めるなんて、無条件に尊敬ですよ。尊敬するけど覚えるのはツラそうだな、というので、機会があったら学びたいと思いつつそうして歳を取っていくんですが。でもなんか楽しそうですよね。(と、なかなか人類学の棚にたどり着かずに、歴史の棚の間をそぞろ歩きながら)……最近はあと『サピエンス全史』もそうですが、世界史を概観する、みたいな本がビジネスでも売れてる気しますね。あと今年は、宗教改革500年&ロシア革命100年だから、いろいろあるんじゃない。新書の『ロシア革命』(池田嘉郎『ロシア革命―破局の8か月』岩波新書、2017年)も話題になってましたよね。この本は従来と違って、十月革命も批判的に見るという。むしろその前の革命の方の可能性が消えてしまった、という見方をしていて。

──あ、人類学棚この辺ですね。

 

 

 


カルロ・セヴェーリ『キマイラの原理―記憶の人類学』水野千依訳、白水社、2017年

ありましたね、これですね『キマイラの原理』。要するに、ヴァールブルグの流れってやつです。あとは、装丁が似ているので買うのを間違えないようにするのが大変なんですが、水声社の「叢書・人類学の転回」ってシリーズのやつですね。何冊持ってるかな、(エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・)カストロの『インディオの気まぐれな魂』と、『部分的つながり』(マリリン・ストラザーン著)とアネマリー・モル『多としての身体』と、あと何だったかな……トリン・T.ミンハの(『フレイマー・フレイムド』)は持っているような気がするし持っていないような気もする。もう分かんないですよ。うっかりすると2冊買っちゃいそうだから恐いです。ブルーノ・ラトゥールの(『法が作られているとき』)と『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(マイケル・タウシグ著)とミシェル・セールの(『作家、学者、哲学者は世界を旅する』)は持ってないのは確か。このシリーズはすごいいいと思っていて。まさに、哲学と人類学と芸術を全部つなぐという感じで、私が関心を持っている視覚文化の観点からも大変興味深いです。超興味津々って感じですね。

 

 

 

水声社の「叢書・人類学の転回」シリーズ。赤い装丁がすべて一緒なので油断するともう1冊買ってしまうので注意。

あと最近は、本の数が多いので、体系的に読めてはいないんですが、遊戯史も面白いですね。増川公一さんのゲームについての本とか。

 

 

 

増川宏一『遊戯の起源―遊びと遊戯具はどのようにして生まれたか』平凡社、2017年

さっきのね、分析美学のフェアあったでしょ? グッドマン『芸術の言語』の。分析美学も、ビデオゲームとかデジタルゲームの研究と結びついていて。私も片足をつっこみかけていたんだけど、実はここ数年はゲームであんまり遊べてなくて。部屋でゲームマシンが埋もれちゃってまして。ゲームでもっと遊んで、このあたりのこともちゃんと取り組みたいですね。『視覚文化「超」講義』でも書いたように、ゲームから知の世界に入ったとも言えるので。小・中・高の12年間はほとんどゲームしかやってなかったっていうくらいで。原点がそこにあるから、こういう、人類史における「遊戯」というのは重要ですね。西洋文化史とかアナール学派というのかな、社会史・文化史の観点の興味っていうのは常に持ってるんですね。
あと、これなんかも『身体の歴史』っていう書名のとおり社会史・文化史なんですが(A・コルバン、J-J・クルティーヌ、G・ヴィガレロ『身体の歴史Ⅲ』岑村傑訳、藤原書店、2010年)、3巻が変なんですよ。

意外と指摘されてないんですが、「ビデオ・アート」みたいなものの章があるんですよ。この、いかにも歴史書というような表紙からは信じがたいんですけれど、この本の最後のほうは「スクリーン」と「ステージ」と「ヴィジュアライゼーション」となっていて、これはほとんど視覚文化論だったり映像論の話が、『身体の歴史』の中にさりげなく入ってるんです。だから、ひとつの夢としては、棚のリンクを貼り直すと楽しいんじゃないかと。ここからあっちにピューっと飛べると楽しいな、と思うんですよね。

──それはいいですねー! いまわれわれが移動してきた棚から棚への移動、けっこうぐるぐると迂回しましたし、距離にすると結構ありましたしね。

いろんな人が、この本はこの棚にあるけど実はこっちの棚とも関係するんだよ、というのがもっとわかるといいですよね。同じ本を複数用意して別の場所に置いていくというのはすぐやれるけど、そうしなくてもリンクみたいなものを明示するというか。そういうことは、ネットやウェブのほうが得意に見えますけど、でも実空間でそれをやることの面白さと発見というのもあるのではないかと。さっきのわれわれのように、ヘーゲルから分析哲学の棚に飛ぶとか、マンガの歴史からデリダの伝記に飛ぶということですね。隣接してないものがテーマ的には実は一緒であるというケースは割とありますからね。やっぱり、本を見ると刺激を受けますね。正直、今日ここに来るまでは、何を話すのか何も思いつかないと思って来たんですが、実際来てみると思いつきまくりますね(笑)。

 

現代アートの理論書

ちょっとまた美術の棚のほうに戻りましょうか。現代美術の理論書でいうと、近年はハル・フォスターの『第一ポップ時代』(中野勉訳、河出書房新社、2014年)、とか、ラウシェンバーグの研究本とか(池上裕子『越境と覇権―ロバート・ラウシェンバーグと戦後アメリカ美術の世界的台頭』三元社、2015年)とかといった、第二次大戦後のアメリカの美術に対するハードな研究書や批評がたくさん出ているんですが、読み切れてないんですよ。時間が無限に欲しいですよね。こういう本、学びたいなあと。

あ、このあたり。ミシェル・テヴォーの『アール・ブリュット』があった。買ってなかったから欲しかった本ですね。

 

 

 

「あ、このあたり。このへん、いいコーナーですね。おもしろい」

 

 

 

 

「これまだ買ってないんですよ」と石岡さん。
ミシェル・テヴォー『アール・ブリュット―野生芸術の真髄』杉村昌昭訳、人文書院、2017年

ミシェル・テヴォーって、昔出た『不実なる鏡』っていう、ラカンと美術史の本で岡田温司さんなどが訳している本があるんですが(『不実なる鏡―絵画・ラカン・精神病』岡田温司、青山勝訳、人文書院、1999年)、これはアール・ブリュットとかアウトサイダー・アートっていうとどうしても、セラピー的であるという点で、重要であると思いながらも警戒している人がどうも芸術好きには多いような気がするんですが、私は割と普通に好きなんですよね。一昨年くらいに『ちくま』でイメージ論に関してのコラムを書いたことがあるんですが(「イメージ論を経巡る・2 ルイス・ウェインのネコと対象の残存」 、そこでアール・ブリュットの古典として『精神病者はなにを創造したのか』っていうハンス・プリンツホルンの本(上の書棚の写真参照・『精神病者はなにを創造したのか―アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』ティル・ファンゴア、林晶訳、ミネルヴァ書房、2014年)を紹介したこともあるんですが。これはアウトサイダー・アート的な造形の原理を探る本としてとても良い本でしたね。このミシェル・テヴォーの本は買ってなかったから欲しいですね。
あ、あと、これ! これは変わり種ですね! ジャン=ルイ・ボワシエってアーティストの『ルソーの時』って本なんですけど、これはCD-ROMアートなんですよ。90年代〜2000年代に盛んだった試みで、映像とテクストがCD-ROMに入った作品ですね。これは映像の短いのループを使って、ジャン=ジャック・ルソーのテクストを読み解くというものです。日本ではインターコミュニケーション・センター[ICC]とかが追求していたタイプのインタラクティヴィティなんですが、この本、正直、図書館でCD-ROMを閲覧したことはあったんですが、実際に書店で見たのは初めてですね。この試みは結構重要だと思っているんですが、マイナーに終わってしまったものですね。私の『視覚文化「超」講義』でも、マノヴィッチが『ニューメディアの言語』でCD-ROMアートを紹介している、と書いたのですが、ちょっと今となっては時代の徒花っぽく見えますかね。このコーナーはいいなあ、興味津々です。

 

 

 

『ルソーの時―インタラクティヴィティの美学』レイモン・ベルール編著、伊藤俊治、白井雅人、永守基樹訳、日本文教出版、2003年

 

 

 

 

『ニューメディアの言語―デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013年

あとマノヴィッチのこれはやっぱり、訳者の堀(潤之)さんの解説も行き届いていて。たとえば有名なところだとロザリンド・クラウスとかが批判しているんですが、そういう批判を紹介した上で、重要なところは重要であると解説されています。この本、最近もまた再読したんですが、訳者あとがきもすごいなあと感動して。こういう整頓した書き方ができる方は自分がそうじゃないので(笑)本当に尊敬します。
あと、もう一回現代思想の棚に戻っていいですか。ドゥルーズとか実はさっき見てなかったので。

 

ドゥルーズ、ガタリの読み直しと現代思想

私がいま気になっているのは、昔ドゥルーズとかガタリが注目された文脈と、最近注目されている文脈が違う気がするんですね。さっきの「人類学の転回」シリーズのように、そこから読み直すというか。ミシェル・セールもそういう形で読み直されているし。

 

 

 

現代思想の棚に移動

棚的にはここの「ポスト構造主義」の並びになりますね。ただ、そうだな……こうして棚を見ると、新しい本は出ているんだが、ちょい前に比べると、棚の並び自体が刺激的かというと、著者がだいぶ出揃っているというか。

──固定化している感じはありますね。

……やっぱり現代思想棚は、私には既視性が高いというか、大体知ってるもので、今日の購入という感じはない感じですかね……あとは、ガタリへの関心が高まっていることに興味を持ちますね。政治的アクティヴィズムへの関心と、複雑な記号論としての関心と両方があって、私はどちらにも関心があるんですが、複雑な記号学読み解きたいなあという課題があって、そういうのを学びたいなあ、と。あとドゥルーズは最近、数学のハードコア路線で近藤和敬さんが本を出されてますね。(近藤和敬『数学的経験の哲学―エピステモロジーの冒険』青土社、2013年)この、フランス科学思想の「エピステモロジー」は、実はちょっと私もやったんですが、自分の科学知識に限界を感じて掘り下げられなかったところなので、こうしてそういうことを精力的にやっている人は尊敬しますね。そういう方の知恵を借りることができてありがたい限りです。

あと最近気になっていて今やりたい仕事のひとつに、「バシュラールを読み直す」ということがあります。バシュラールって、火・水・空気・土といった四大元素の詩学をやった人で、今それを読み直すとどうなるかな、と、個人的に興味を持ってるところですね。……あと、この最近出た『ラディカル無神論』というのもちょっと面白そう。ジャック・デリダって日本では研究者の層が厚い割には関心が必ずしも高いとは言えないんですよ。院生時代からの友人の宮﨑裕助さんいわく、ドゥルーズは文庫になっているが、デリダは(文庫になっていなくて)高いから学生は高くて本が買えないという悲しい現実があるそうです。でも、デリダはほとんどの主著が日本で翻訳されているし、昔に比べたら翻訳の基本的なレベルはきわめて良いものになっているので、こういうのを手がかりにすれば、デリダの面白いところっていうのはまだまださらに掘り下げられて良いのではないかと思います。

 

 

 

マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論―デリダと生の時間』吉松覚、島田貴史、松田智裕訳、法政大学出版局、2017年

 

 

 

 

〈補足:文庫棚はべつの場所ですが、参考までに河出文庫のドゥルーズのラインナップを〉
「文庫が揃っているという、この違いはやっぱり大きいな。これは河出文庫の強みですね。私の学生の頃なんて『差異と反復』なんてハードカバーですごいゴツいやつでしたけど、これならクイッと、枕元でも読めるっていうね」(石岡)

あとは、このへんの棚で言うと……、ブレーデカンプ『モナドの窓』(ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓』原研二訳、産業図書、2010年)もいいですね。ブレーデカンプはイメージ研究などをやっているドイツの人で、哲学者とイメージの関係を新しい仕方で読み解く、みたいな人ですね。こういう、哲学者のイメージ性みたいなものの厳密性を失わずに読み解くという人の研究は、私のように哲学から始めながら芸術の思考のほうに関心がずれていった者からすると、とても興味がありますね。

なんだこれは。『ストア派の成功哲学』……成功哲学か(笑)。最近、哲学ってビジネス書として人気あるから、ニーチェ棚に自己啓発的なものが多かったりするんですね。ストア派までが自己啓発化しているとはびっくりだったな。そういう感じですかね(笑)。

 

いよいよお買い上げ

──そろそろ今日のお買い上げの本を選びましょうか。

そうですね。やっぱり美術の方に戻りましょう。……お、これは、さっき気づかなかった。プッサンですね。

 

 

 

「お、プッサンか」
望月典子『ニコラ・プッサン―絵画的比喩を読む』慶應義塾大学出版会、2010年

あ、そういえばジョルジョーネもね……ジョルジョーネもすごい気になるんですよ。ジョルジョーネの絵画の《テンペスタ(嵐)》って、気になって気になってしょうがなくて。もう一冊、《嵐》を解読したという本も出ているんですが、ここにはないかな……。ないっぽいですね。(編注:サルヴァトーレ・セッティス『絵画の発明―ジョルジョーネ「嵐」解読』小佐野重利、足達薫、石井元章訳、晶文社、2002年)

 

 

 

「気になる……」
エドガー・ウィント『ジョルジョーネ解読』森田義之、甲斐教行訳、中央公論美術出版、2009年

あと、このへんの「海外コミック」棚、いろいろありますね。さっきの『闇の国々』もそうですが、あと、国書刊行会のシリーズとか、タルディとか。一冊一冊が高額なのですが、お金があればいくらでも買いたい本ですね。この棚が欲しいくらいです。なんでも欲しい感じですね。

 

 

 

石岡さんが「棚ごとほしい」海外コミック棚。BDが充実した品揃え。

 

 

 

フランスの巨匠・タルディの代表作。『塹壕の戦争: 1914-1918』藤原貞朗訳、共和国、2016年

 

さて、たっぷり2時間くらいお店の棚を徘徊しながら行ったり来たりしていましたが、最後になっていろいろ石岡さんの欲しい本が出てきました。
今回石岡さんが購入した本は──?

 

 

 

 

 

 

「やっぱり今回はこれでした」
購入したのは、ミシェル・テヴォー『アール・ブリュット』。

 

──おお〜なるほど。これは前から買おうと思っていた本でしたか?

そうですね、さっきも言ったけど、この人の前の著書の『不実なる鏡』を読んでいて。院生時代に、哲学とイメージと精神分析がつながって面白いなあと思った本だったので、その人の書いた本だったので、期待を持って読みたい本である、と。そんなところでしょうか。

 

今回は、時間の都合で文学コーナーや、文庫コーナーを割愛してしまいましたが、次回以降にまた棚のジャンルを変えてお買い物に行きたいと思います。
石岡さんに訪ねてほしい売り場や棚ジャンルのリクエストもお待ちしています。

 

(2017年7月取材)

取材協力:MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店
お店DATA
東京都渋谷区道玄坂2-24-1 東急百貨店本店7階
営業時間/10:00~21:00
https://honto.jp/store/detail_1570061_14HB320.html

視覚文化「超」講義

石岡良治=著

発売日:2014年06月26日

四六判|336頁|本体:2,100円+税|ISBN 978-4-8459-1430-2