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日記百景 第5回
夢想が現実になる時 澁澤龍彥『滞欧日記』

日記百景 / 川本 直

6月8日(水)
下から城壁がある。
石はあまり堅くない。積み上げてある。
オレは「丘にのぼれは愁いあり(ママ)」(蕪村)みたいに草を摘んだ。どこへ行っても草を摘む気になれないが、ここでは夢中になって草を摘んだ。束にして龍子へもたせた。
……有意義な一日であった。生涯の思い出になるだろう。

澁澤龍彥著・巖谷國士編『滞欧日記』(河出書房新社/一九九九)

「書斎派」澁澤龍彥が初めてヨーロッパへ旅立ったのは一九七〇年八月三十一日のことだった。マルキ・ド・サド、ジャン・コクトー、J・K・ユイスマンス、ジョルジュ・バタイユを中心としたフランス文学の翻訳と評論で知られた澁澤だったが、それまで海外へ行ったことはなかった。羽田空港で澁澤を見送る人々の中には楯の会の制服を着た三島由紀夫の姿があった。三島は旅慣れていない澁澤に親身になって、入国審査や税関での申告などについて事細かな注意を与えた。これが澁澤と三島の今生の別れとなった。三島はこの年の十一月二十五日に自決する。

『滞欧日記』は四回に渡るヨーロッパ旅行の記録である。刊行を予定されたものではなく、澁澤の死後公表されたものだ。一度目のヨーロッパ滞在はアムステルダムから始まり、ドイツ、オーストリア、チェコを巡った後、パリ、マドリッド、チューリヒを経由してイタリア各地を歴訪し、アテネから帰国している。

以降、澁澤の関心は「南」に向かい、二度目のヨーロッパ旅行からは南イタリア、南フランス、スペインを旅するようになった。特に南イタリアへの旅では海外旅行が現在ほど一般的ではなかった当時では考えられないような場所を訪れている。たとえばアルベロベッロ。とんがり帽子のようなトルッロという屋根で覆われた家々が並ぶ小さな村だ。今でこそ観光地として有名になったが、この村を澁澤はマンディアルグの著作で知り、訪れたらしい。

アマルフィ海岸を見下ろす切り立った崖の上にある天空の街、ラヴェッロにも澁澤は訪れている。これには驚きを禁じ得なかった。私は二〇一一年、一ヶ月かけたイタリア縦断の旅でこのラヴェッロを訪れたが、それには理由があった。尊敬する作家、ゴア・ヴィダルが四十年近くこの街に住んでいたからだ。ラヴェッロは絶景で知られる街だが、交通の便が悪い。澁澤はホテル・ルフォロに泊まった。現在のホテル・ルフォロのオーナー夫人は日本人で、最近は少しずつ日本人観光客も増えているようだが、まだ有名な観光地とは言えない。

このようなマニアックな土地を訪れていることからも、澁澤の『滞欧日記』には一度こだわり始めるととことんこだわる彼の「偏愛」ぶりが現れている。澁澤の没後には『滞欧日記』を元にした『澁澤龍彥のイタリア紀行』(澁澤龍彥・小川煕・澁澤龍子著、新潮社、二〇〇七)という本まで出版されたほどで、本書は優れたヨーロッパ旅行ガイドとして読むことも可能だ。澁澤には「キュレーター」としての優れた資質があるが、旅においても彼は見事な「キュレーター」である。

だが、『滞欧日記』はそれだけで終わらせるのにはもったいない本だ。この旅によって澁澤の作風は変貌を遂げていくからである。ヨーロッパへ旅立つまでの澁澤はブッキッシュな作家であり、一九六〇年代のサド裁判のせいもあって「異端文学の紹介者」として見られることが専らだった。しかし、ヨーロッパを旅するようになってから、盟友・三島由紀夫の死もあり、澁澤は自らの経験というそれ以前ならばありえなかったことを語り始める。澁澤龍子夫人の言葉を借りれば「開かれた」作風になっていく。
澁澤はヨーロッパ旅行の「経験」を活かした著作(『ヨーロッパの乳房』、『旅のモザイク』、『城 夢想と現実のモニュメント』など)を次々と世に問い始める。晩年にはヨーロッパ旅行ばかりではなく、子供の頃の思い出を語った『狐のだんぶくろ――わたしの少年時代』というエッセイ集まで発表した。

『滞欧日記』の文体はシンプルで冷静なものだ。美術館巡りが主で、城や寺院なども見て回り、よく食べ、よく飲む。基本的にはこの繰り返しだ。しかし、時として澁澤らしからぬ熱を帯びた調子になることがある。イゾラ・ベッラという島を訪れた時は「憧れの島なり」で始まり、興奮した筆致で島の様子が描写されている。冒頭に掲げた文章は三度目のヨーロッパ旅行の折、ラコストのサド侯爵の城を訪れた時のものだが、澁澤は感動を陳腐と言ってもいいほど率直に綴っている。
ヨーロッパは澁澤にとって夢想の源泉だった。その夢想が現実として眼前に現れた時、澁澤は今までにない感覚を味わったのだろう。

現在、澁澤の初期の仕事は「中二病」の典型例であるかのように批判されることもある。だが、ヨーロッパへの旅を境にした後期の仕事から澁澤を逆照射すれば、彼はいつでも偏愛したものをひたすら追求することを楽しむ、気取らない健康的な作家であることがわかるはずだ。それを理解していない読者はただ単に浅薄なだけである。

そして、この四度の旅が澁澤の遺作であり、最高傑作『高丘親王航海記』に大きな影響を与えたのは疑うべくもない。『高丘親王航海記』は正しく「旅」の小説であり、主人公たちは「南」に向かうのだ。

澁澤龍彥著・巖谷國士編『滞欧日記』(河出書房新社/一九九九)