フィルムアート社は会社創立の1968年に雑誌『季刊フィルム』を刊行して以降、この50年間で540点を超える書籍(や雑誌)を世に送り出してきました。フィルムアート社の本と読者をつないでくださっている全国の目利きの書店員さんに、オススメのフィルムアート社の本を紹介していただく本連載。今回は尾道の本屋、弐拾dBの藤井基二さんにオススメ本を紹介していただきました。
貧しい古本屋と貧しい出版者
荒木優太=著
四六版・上製|312 頁|ISBN 978-4-8459-1705-1|本体 2,800円+税
本に囲まれて暮らしたい。漠然とそう考えた学生時代の僕(ただ本を読むのが好きな文学部生)は研究者になる「しかない」とどうしてか決めていた。研究者になるには、大学院に進学する「しかない」とも。漠然と自分はまともな勤め人にはなれないと諦め、開き直っていた節もあった。が、それよりも大学を卒業して自分がまともに社会人として生きていけるかどうか、という不安の気持ちが多かった。結果としては無職で大学を卒業することになるのだが、その後、まさか深夜に開店する古本屋を始めるとは自分自身でさえ、想像していなかった。
「どうやったら人は『しかない』と言わないで生きていけるのか」
(本書 第三部 自費出版録 「教師になる「しかない?」」より抜粋)
本著後半で語られる荒木さんの在野研究者としての在り方は、決して研究に携わる者だけの問題ではない。むしろ、現代を生きる全員に当てはまるダイレクトな問題定義となっている。正規雇用か非正規雇用か。就職か無職か。金持ちか貧乏か。社会はその都度、二者択一を僕らに迫る。
「商売をしたいわけではない。しかし完全無給のボランティアでもない。(中略)儲ける『しかない』のでもなく、ボランティア『しかない』のでもなく。その間には無限のグラデーションがある」
(本書 第三部 自費出版録 「電子の本から紙の本へ」より抜粋)
平日昼はゲストハウスでアルバイトとして働き、深夜は古本屋としてオープンする自分は「本業はどちらなのか」とお客さんからよく聞かれる。最近は、どちらも本業であるし、どちらも副業であると答えるようにしている。どちらかが重要なのではなく、どちらも一緒にしていることに意味があるのかもしれない。(あくまで、現時点はそう思っている)。お店をしている以上、お金は発生するし、生活するうえである程度の利益はもちろん必要になってくる。けれども「大事なのはお金」と割り切るのも違う気がしている。高く売れたよりも、その一冊を大事にしてくださるお客さんに本を届けられたこと、その瞬間を一番の歓びだと思いたいし、そうあってほしい。、商売には趣味寄りの商売もあるし。商売寄りの趣味もある。どちらかを選べという選択肢をつきつけられたとき、どちらでもないと答えられるのもひとつの強さではないのか?
文学と聞くと、難しい印象を持たれる方は少なくない。けれど、かつての文学者たちは皆、僕たちと同じように苦悩し、決断し、抗い、時に逃避し、言葉を次の言葉へと繋いでいた。あなたが文学者たちのように文章を書いていなくとも、本を読むという行為は書く行為に繋がっている。知りたいは伝えたいに繋がるように。だから、まずは読んでみてほしい。(まずはお店まで足を運んでほしい)あなたも一人の文学者なのだ。
荒木さんは本著を執筆されながら自分自身を、プロレタリア作家と錯覚したとある。きっとそれは錯覚ではなく真実なのではないだろうか。文学研究とは文学者たちが生きた時代にどっぷりと浸かりながら、その時代の匂いや音を現代に再現するもうひとつの作家的営みだとも僕は思っている。そんな文学研究者にならなかった(なれなかった)僕は、同じ時代を生きる全ての文学者たちに、この本をお勧めしたい。「貧しい古本屋より」と。