2016年から英国で開催されているJAPAN NOWというイベントがあります。日本で活躍する作家(や芸術家)が英国に招待され、ディスカッションやトークイベント、サイン会などを開催するというものです。2016年には中村文則さん、島田荘司さん、平出隆さん、吉田恭子さんが、2017年には多和田洋子さん、川上弘美さん、柴崎友香さん、安藤桃子さん、小野正嗣さん、松田青子さんが招待されています。日本を代表する作家が英国のファンたちと触れ合う画期的なイベントですが、残念ながら日本ではこのイベントのことがほとんど知られていません。
そこでJAPAN NOWに毎回参加し、通訳を努めている和英文芸翻訳者(日本の文芸作品を英語に翻訳する仕事)のモーガン・ジャイルズ(Morgan Giles)さんに、イベントのレポートをしてもらいました。日英の文化交流がどのような形でなされているのか、日本の文芸作品が英国でどのような評価をされているのかを知る絶好の機会です。過去最大の盛り上がりを見せたJAPAN NOWのレポートをどうぞご覧ください。
文=モーガン・ジャイルズ / 翻訳=吉井智津
英国で、現代日本の文学と芸術を紹介するイベントJAPAN NOW(ジャパン・ナウ)が、今年で3年目を迎えた。サウスバンク・センター(注1)の元イベント・プログラマー、マーティン・コルソープ(Martin Colthorpe)の呼びかけで始まったこのイベントは、ロンドンの大英図書館で1日かけておこなわれるトーク・イベントを中心に、シェフィールド、マンチェスター、ノリッジ、ニューカッスルなど、英国各地の都市で1週間にわたって開催され、日本の作家、アーティストと現地参加者らの交流の場となっている。
今年は、日本からのゲストとして、古川日出男、星野智幸、岡田利規、三宅響子、蜷川実花、永井真理子らが招かれたほか、英タイムズ紙のリチャード・ロイドパリー(Richard Lloyd Parry)、東京を拠点にアーティスト活動を続けるスザンナ・ムーニー(Suzannah Mooney)らが参加した。各セッションでは、英国の研究者や作家、評論家らが司会進行を務め、ゲストの作家、アーティストたちに、それぞれの作品と現在の日本の状況について話を聞いた。ステージ上では活発な意見交換がおこなわれ、話題は日本の政治、社会、歴史、そして未来と、広範囲に及んだ。
ゲストの多くは英国でも作品が出版されているため、すべての会場で、本の販売とサイン会も実現した。
「JAPAN NOWが特別なイベントだと思うのは、これがあるからです」とイースト・ロンドンの書店ページズ・オブ・ハックニー(Pages of Hackney)の店主は話す。これまで毎回、イベントの中心となる大英図書館の会場にブースをかまえ、本の出張販売をおこなってきた。「会場では著者の話を直接聞くことができるだけでなく、その場で作品を買い求め、サインをもらうことができます。これほど多種多様な日本の本が翻訳されているのをじかに見ることができるのもまた、じつにエキサイティングな体験です。ここに来なければおそらく出会えなかった本との出会いを、皆さん楽しみにしています。それほどまでに、著者の話を聞くのは興味深いことなのです」
わたしは3年前の第1回目からこのイベントの運営にかかわっているが、日本の作家たちがこれをきっかけに英国にも読者がいることを知り、あらたなつながりを築いていくのを見るのは毎回とてもスリリングだ。日本の作家のなかには、現地の読者と直接会話するには語学力が不十分ではないかと不安を感じるかたもいるようだが、必要に応じて我々スタッフが、いつでも通訳できる態勢を整えているので、その点は心配いらない。一方、英国の読者にとっては、好きな日本の作家やアーティストに実際に会って、言葉を交わすことができる機会はめったになく、まさに特別な体験だ。はるばる遠くからやってきた作家に、その人の作品がどれほど好きかを伝えることができるという興奮は、はた目にも明らかで、それは周囲にも伝染していく。
「これまでのところJAPAN NOWには毎年参加しています。日本の現代作家の話を直接聞き、日本文化のまだ自分がよく知らない部分について、さらに詳しく知る機会を持てるというのが、このイベントのエキサイティングなところです」ロンドンのイベント参加者のひとり、ヘイリー・スキャロンさんはこう話してくれた。
近年、現代日本小説の英訳出版の機会を好意的にとらえる英国の出版社が増えてきており、英国ではいま、日本文学がこれまでにない盛り上がりを見せている。川上弘美『センセイの鞄』(英訳版は、アリソン・マーキン・パウエル訳 “Strange Weather in Tokyo”)、中村文則『掏摸』(サトコ・イズモ&スティーヴン・コーツ訳 “The Thief”)、島田荘司『占星術殺人事件』(ロス&シカ・マッケンジー訳 “The Tokyo Zodiac Murders”)、平出隆『猫の客』(エリック・セランド訳 “The Guest Cat”)といった異例のヒット作が生まれたことから、ジャンルを問わず日本文学への関心の新しい波が起きていた。そこに、4人の日本人作家がこのイベントのために訪英するとあって、今年のJAPAN NOWは読者とメディアの両方から関心を持って迎えられた。
毎年、ゲストらはBBCのラジオ・チャンネル〈Radio 3〉のトーク番組に招かれ、作家、アーティスト本人と作品についてさらに広くリスナーに紹介する機会が与えられる。また、これらの作家の作品を出版している英国の出版社が訪英に合わせて、プロモーションのためにインタビューや追加のイベントをアレンジすることも多い。英国には従来から強く根付いた読書や本のイベントの文化があり、出版社も読者も、世界中の作家がそこに参加してくれることを期待している。多くの場合、外国の作家が、英国における自分の出版社と翻訳者に会うのはそれがはじめての機会となるのだ。
週末のメイン・イベントを控えた金曜の夜、ゲストのほか、運営スタッフ、国際交流基金などスポンサーといったイベント関係者がロンドン市内の書店フォイルズ(Foyles)(注2)に集まり、オープニング・パーティーがおこなわれた。それが終わったあとは、各自思い思いに近くのチャイナタウンやパブなどへ出かけていった。
大英図書館でのメイン・イベントは大盛況で、来場者数はJAPAN NOW始まって以来最多となった。当日朝の控室では、集まったゲストとパネルメンバーが各セッションについての打ち合わせがおこなわれ、興奮と緊張の入り混じった空気が流れていた。こうした機会がなければ、たがいに話すことのなかった作家、ジャーナリストやアーティストを引き合わせ、活動の形態やジャンルを超えた対話を生み出すことがJAPAN NOW開催の基本原則のひとつでもあるのだ。
アーティストのスザンヌ・ムーニー、ジャーナリストで作家のリチャード・ロイドパリー、そして映画監督の三宅響子を迎えておこなわれた最初のセッションでは、3.11と、日本に関係する作品を発表しているアウトサイダーとしての彼らの役割について、ディスカッションがおこなわれた。ロイドパリーは、英タイムズ紙の日本特派員で、近著に、震災後の福島で出会った人々に焦点を当てた『津波の霊たち――3・11 死と生の物語』(濱野大道訳、早川書房)がある。またロンドン在住の三宅は、震災後に帰国し、福島県浪江町に住む家族を追ったドキュメンタリー『波のむこう』を撮った。ロイドパリーとムーニーの両氏は、日本で暮らす日本人アーティストやジャーナリストと比較して、外国人として日本にいることで得られる自由について話し、一方の三宅は、それとよく似た感覚として、日本の外に住むことで自身も感じているという、日英両国の社会の期待にしばられないでいられる自由について語った。
2つ目のセッションでは、星野智幸と岡田利規が登壇し、前のセッションで話題にのぼった社会の期待と、アイデンティティにかかわる諸問題を、日本だけでなく世界じゅうの若者に影響を与えているものとして取りあげた。岡田と演劇ユニット〈チェルフィッチュ〉の作品には海外のファンも多く、イラク戦争が始まったとき、ラブホテルの一室にこもって過ごすふたりの若者を描いた、初の小説『わたしたちに許された特別な時間の終わり(サム・マリッサ訳“The End of the Moment We Had”)』は英訳され、新しい読者を獲得している。話題は、ソーシャルメディアとオンライン上のそれがどう日常の延長になっているかや、感情を表に出すことが迷惑とみなされる社会で生きていく方法になどに及んだ。両氏とも、とくに若い人たちにとっては、自分たちは取り替えのきく社会のパーツではなく、ひとりひとりが自己表現の自由を持ってよい個人であることを忘れないでいることが必要だと強調した。
2つのセッションが終わり、ここでランチタイム。控室に戻ったゲストらは、用意されたサンドイッチとコーヒーを手に、午前のセッションからの流れで、たがいの作品や見解についてさらなる意見交換を続けていた。才能豊かな人々がこんなふうに集い、たがいの考えに心躍らせている現場に居合わせるのは、見ているだけで素晴らしいものだ。わたしにとっては、これもまたJAPAN NOWへの参加が特別な体験だと実感できる一場面だ――我々は、たんに日本のクリエイティブな才能を英国に連れてきているだけではなく、つなげてもいるのだ、と。作家や芸術家を別の国で引き合わせて、そこからどんな交流やコラボレーションが生まれてくるかはわからない。だが、ほかとは違うエネルギーを生み出していることはたしかだ。
午後のセッション1つ目は、古川日出男と永井真理子によるトークで、まずは、福島に関係するそれぞれの著書、『馬たちよ、それでも光は無垢で』(ダグ・スレイメイカー訳 “Horses, Horses in the End the Light Remains Pure”)、『Irradiated Cities(照射された街)』を朗読した。それから本題に入り、午前の話題で彼らが関心を持ったという“発言権は誰のものか?”をテーマにディスカッションをおこなった。両氏ともに、災害や悲劇を心地よく定義された陳腐な表現に落とし込んでしまうことを拒否している――古川と永井の作品はどちらも、ジャンルミックス(フィクションとノンフィクション、散文と写真)であり、またふたりともこのテクニック(ジャンルミックス)が従来の期待を打ち破り、悲劇の感情的な反応を呼び起こすことを可能にしているという点で意見が一致していた。古川によると、危険なのは悲劇に対して目覚めたあと、また眠ってしまうことだという。そして積極行動主義(アクティビズム)とアートは、目を覚ましているための2つの方法なのだと述べた。
蜷川実花が登壇した最後のセッションでは、テートモダンで写真部門のシニア・キュレーターを務めるサイモン・ベイカー(Simon Baker)が聞き手となって、蜷川の写真、映画におけるキャリアと自身の美的感覚の発展についてトークが繰り広げられた。蜷川は最初に、父、蜷川幸雄に対する尊敬の気持ちに触れ、仕事をするうえで大きな影響を受けたと述べたが、じつは仕事そのものから影響を受けたというよりも、懸命に仕事に打ち込むことの価値を知るうえでのお手本という面が大きかったと話した。これまでのキャリアを振り返るスライドショーでは、蜷川自身が選んだ写真を紹介しながら、90年代半ば、ほかの若い女性写真家たちの作品とは共通点が見つけられないにもかかわらず、ガーリー・フォトと一括りにしてもてはやされた、当時の複雑な気持ちについても語った。
1日のイベントが終わり、ロビーでは、参加者らが興奮さめやらぬ様子でおしゃべりを続け、残りわずかになった本を買い求めていた。ゲストらは、短い休憩をはさんだあと運営スタッフたちと一緒に、打ち上げがおこなわれる近くのインド料理店へ移動した。おいしいカレーと飲み物を楽しみながら、皆口々に、この日のイベントや日常のことを楽しげに話しながら、今度はぜひ東京で会おうと約束を交わしていた。
翌日、ゲストらは、運営スタッフに付き添われ、英国各地で予定されている次のイベント会場にそれぞれ移動した。今年は初の試みとして、イングランド北部の町シェフィールドで、シェフィールド大学の主催によるJAPAN NOW NORTH(ジャパン・ナウ・ノース)と銘打ったイベントが、1週間にわたっておこなわれることになっていた。シェフィールドは独自の文化をもつ躍動感のある街で、また、大学には日本研究の講師を務めるマーク・ペンドルトン(Mark Pendleton)らもいて、一連のイベントに向けて海外からアーティストや作家を呼ぶことに熱心に取り組んでいた。ちょうど英国全土の大学では教職員のストライキの最中ではあったけれど、JAPAN NOW NORTHのチームの尽力により、上映会も展示もすべて成功のうちに幕を閉じた。
数日後、わたしは古川日出男と星野智幸に付き添って、ニューカッスルのイベント会場へ向かった。ちょうど、ものすごい雪嵐が英国全土を襲った時期だった。ホテルから会場のニューカッスル大学までの道を、足を滑らせながら移動したわたしたちは、途中、ニューカッスル・ユナイテッドFCの本拠地セント・ジェームズ・パークをのぞいたり、18世紀の建物の多い趣ある通りが雪に包まれていく様子を眺めたりした。「絵画のなかを歩いているみたいですね」と星野がコメントした。目の前の景色の美しさだけでなく、短期の滞在でしか知らなかった英国のあちこちを旅してまわりながら、自分の居場所が変わっていく感覚にもふれてのことだ。
悪天候にもかかわらず、ニューカッスルのイベント会場にはたくさんの人々が訪れた。大学の講堂でおこなわれたセッションでは、古川と星野が、それぞれ英訳版が出版されたいちばん新しい著書、『中国行きのスロウ・ボートRMX』(デイヴィッド・ボイド訳 “Slow Boat”)と『俺俺』(チャールズ・デ・ウルフ訳 “ME: A Novel” )について話をした。どちらも、著者による原書からの日本語での朗読に続き、通訳を務めたビーサン・ジョーンズ(Bethan Jones)による英訳版からの朗読が披露された。
古川が使う演劇的朗読というスタイルは、日本ではめずらしい手法だが、言葉の壁を越えて英国の参加者たちを魅了する力を持つことが示された。イベントに参加したPMプレスのジェームズ・プロクターは、「文学は、著者の身体を使って演じられたときに最高となる」と言いい、また、作家たちを間近に見て、朗読を聴くことそのものが、イベントのいちばんの楽しみなのだという声は、その日の参加者たちから何度も聞こえてきた。
ディスカッションのなかで、ひじょうに興味深かったのは、翻訳に関する質問への回答だった。星野の著書『俺俺』のタイトルは、完全に英語に翻訳することはできない。なぜなら、英語には、性別などによって1人称代名詞を使い分けることができないからだ。ふたりの登壇者は会場の参加者らに向けて、日本語には1人称代名詞が複数あり、登場人物が自称にどれを使うかの選び方次第で、その人物を特徴づけることが充分にできるという点を説明した。古川は、この1人称代名詞の選択という問題が、日本社会におけるアイデンティティの複雑さにかかわる何かを表していることに、いま気づいたと述べた。星野は笑いながら、自分の著書の前提についてそれ以上うまい説明はないと述べた。
セッションのあと、わたしたちも参加者の輪に加わり、一緒にワインを飲んだ。ここでもやはり、日本から作家を英国に呼んで、彼らの作品を愛する読者との交流の場をつくれるのはなんと素晴らしいことかと、感動が胸にこみあげた。皆、ここを出れば魔法が解けてしまうかのように、なかなか立ち去ろうとせずに残っていた。
外では雪が大降りになり、そのせいで、呼んでいたタクシーが来なかった。そこで、チャイナタウンのビルの6階にあるレストランまで皆でゆっくりと歩いて移動し、北京ダックと水餃子をシェアして食べながら、降りつづける雪を眺めた。ホテルまでの帰り道、わたしたちは古い街壁のそばで立ちどまり、その日1日の出来事や雪の質感について、そしてイングランドの北東部で日本の東北のことを話す奇妙さについて話した。
古川と星野はともにもう1つずつ登壇するイベントが残っていたのだが、それぞれ別の都市での単独イベントであり、したがって、JAPAN NOWのために集まったメンバーと一緒にいられるのはこれが最後となった。ふたりは、ライティングのスタイルという面では大きく違ってはいるけれど、たがいに相手を高く評価していて、この数日間に生まれた絆でしっかりとつながっていることは、はっきりとわかった。
ホテルのロビーで別れの挨拶を交わし、それぞれがぬかるんだ雪の道を駅へ向かって歩きはじめたとき、わたしの胸にまた熱い思いがこみ上げてきた。こうして日本の作家たちを英国に呼ぶこと――現地の読者を喜ばせることだけでなく、作家自身にも、普段いる世界の外側で、たがいに顔を合わせ、ジャンルや表現の形態を超えた対話の場を提供することができるとは、なんと素晴らしいことだろう。魔法はまだ解けていない。
注1:ロンドンにあるヨーロッパ最大のアートセンター
注2:ロンドンでもっとも有名な書店で、翻訳フィクションに好意的