フィルムアート社は会社創立の1968年に雑誌『季刊フィルム』を刊行して以降、この50年間で540点を超える書籍(や雑誌)を世に送り出してきました。それらどの書籍も、唐突にポンっとこの世に現れたわけではもちろんありません。著者や訳者や編者の方々による膨大な思考と試行の格闘を経て、ようやくひとつの物質として、書店に、皆様の部屋の本棚に、その手のひらに収まっているのです。
本連載では幅広く本をつくることに携わる人々に、フィルムアート社から刊行していただいた書籍について、それにまつわる様々な回想や追想を記していただきます。第5回目は、映像、文学、民族学とジャンル横断的にさまざまな著作を発表されている批評家・映像作家の金子遊さんに、人生が左右されるほど影響を受けた書物とご自身の執筆・創作活動の関係についてご執筆いただきました。
松本俊夫とジョナス・メカスからはじまった
芸術映画に夢中になったのは、大学に入ってからでした。
ある日、実家に帰ったところ、父親の本棚に松本俊夫の『映像の発見 アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(三一書房、1963年)を見つけて読みはじめました。親子二代でボロボロになるまで同じ本で読んだわけです。父は全共闘世代の映画青年だったので、懸命に赤線を引っぱったり、括弧でくくったり、書きこみをしたりしていて、苦闘のあとがうかがえた。映画に関する本でここまでして読まなくてはならない難解な本があることに、衝撃を受けました。
『映像の発見』で紹介されていた前衛・実験映画を観るために、「ぴあ」のオフシアター欄を毎号チェックするようになったのも同時期のことです。そこから、ジョナス・メカスが書いた『メカスの映画日記──ニュー・アメリカン・シネマの起源1959‐1971』(フィルムアート社、1974年)で書かれているアメリカ実験映画の世界にのめりこみ、ほしの・あきらが書いた『フィルム・メーキング──個人映画制作入門』(フィルムアート社、1980年)を読みながら、8ミリと16ミリフィルムで個人映画を撮りはじめました。
もし「フィルムアート・チルドレン」という言葉があるなら、それはわたしのことでしょう。また、松本俊夫とメカスの本の影響から、個人・実験映画について批評や論文を書くようになり、総決算として書いた拙著『映像の境域』(森話社、2017年)でサントリー学芸賞を頂きました。だから、それがわたしの原点だったといえます。タイトルは松本さんの論集へのオマージュになっている。最初はひと真似にすぎなくても、長く続けているうちにそれが自分の専門になってしまうのだから、人生はわからないものです。
2008年から09年にかけて、松本俊夫、飯村隆彦、鈴木志郎康、伊藤高志といった日本の実験映画やアートフィルムのつくり手にインタビューして、それがわたしの最初の編著『フィルムメーカーズ──個人映画のつくり方』(アーツアンドクラフツ、2011年)になりました。残念ながら、版元はフィルムアート社ではなかったけれど、実験映画のスチルを集めて、中垣信夫さんのデザイン事務所で装幀とカバーデザインをして頂いた結果、デザイン的にも魅力的な本になりました。タイトルも『フィルム・メーキング』を意識しており、「まるでフィルムアート社の本みたいだね」と他人にいわれるたびに誇らしい気持ちになったものです。
2008年の年末に、松本俊夫さんの日大芸術学部の研究室に行ったとき、「『映像の探求』のあとがきに、来年『逸脱の映像』という本を出版する予定だと書いていましたね」と聞いたら、「初校ゲラまで出たのがオクラになって、十数年前から止まっている。どこか出版社知らない?」といわれた。それで初出時の連載「逸脱の映像」を雑誌で読んで惚れこみ、知人でフリー編集者の大友哲郎君に相談した。出版社に持ちこみ、企画を通して、本に収録する論考を選定し、「あとがき」の代わりに松本さんに短いインタビューもして、4年半かけて出版したのが、松本俊夫の第6評論集『逸脱の映像──拡張・変容・実験精神』(月曜社、2013年)です。ブックデザインを宇川直宏さんが手がけて下さったのも、望外の喜びでした。
ところで、『逸脱の映像』の編集をしていたころ、わたしは『ベオグラード1999』(2009年)という長編のドキュメンタリー映画を完成して、生まれてはじめて自作の劇場公開を経験しました。それからしばらく経ったあと、『このショットを見よ──映画監督が語る名シーンの誕生』(2012年)というフィルムアート社の本が刊行されて、その本のなかで自作で撮った奇跡的なショットについて書かせてもらった。2、30名いる共著者のひとりでしたが、人生を左右されるほど影響を受けた書物を刊行したフィルムアート社で、はじめて仕事ができたことがうれしかったです。
以前から「アジア映画研究会」を通じて知り合いだった、春風社の編集者・山本純也さんがフィルムアート社に移ったのは、2016年のことだったと思います。以前から知人の夏目深雪さんと「アピチャッポン・ウィーラセタクンの本をつくりたいね」と言っていて、フィルムアート社に提案したところ、つくれることになりました。アピチャッポンへの興味は、アートフィルムやドキュメンタリーへの関心からきています。それに加えて、わたしは20代半ばからフォークロア的な関心から奄美・沖縄通いを続けており、その他にもイラク、パレスチナ、インド、タイ、ラオス、フィリピン、中国、台湾、サハリンといったアジアの土地やユーラシア世界の文化に惹きつけられてきました。
前衛的な詩人だったミシェル・レリスがアフリカを旅して民族学者になったように、あるいは、アメリカ実験映画の母といわれるマヤ・デレンがハイチに通ってヴードゥー教に関する民族誌の本を書いたように、アヴァンギャルドな芸術とプリミティヴ文化への関心は、どこかで通底しているところがあります。松本俊夫さんの第4評論集『幻視の美学』(フィルムアート社、1976年)もまた、60年代70年代のサイケデリック文化を論じながら、深くインド哲学や神秘思想に潜行していく書物でした。わたしにとってアピチャッポンの映画やアートを研究することは、まさしくアヴァンギャルドとアジア文化のアニミズムな深層に掘り下げるための入口となったのです。
2018年になって、ついにフィルムアート社から単著『混血列島論──ポスト民俗学の試み』を出版することができました。これはとても奇怪な書になりました。映像を分析する営みが、列島の先住民族であるウィルタやアイヌの文化的表象を論じることにつながっていきます。あるいは、写真や映像を撮りながら沖縄や台湾やインドシナでおこなったフィールドワークが、各地のフォークロアを比較・研究する契機となっています。最初は松本俊夫やジョナス・メカスの本を読むことからはじめた精神の旅ですが、随分と遠いところまでやってきました。先人たちの真似をしているうちに、少しは自分らしさが出てきたのかどうか。ひとつだけ確実にいえるのは、どんなときにも優れた書物との出会いが欠かせなかった、ということです。
アピチャッポン・ウィーラセタクン 光と記憶のアーティスト
夏目深雪・金子遊=編著
発売日:2016年12月21日
A5版・並製| 352頁|ISBN 978-4-8459-1617-7|定価 3,200円+税
混血列島論 ポスト民俗学の試み
金子遊=著
発売日:2018年03月24日
四六版・上製|288 頁|ISBN 978-4-8459-1709-9|定価 3,000円+税