『映画はいかにして死ぬか』復刊に寄せて
「死にかけてはいながらも、なおかつ映画はいたるところで新たな可能性を拓こうとしている」として蓮實は、1985年時点での「映画の現在」を「不可能性と境を接し合った可能性」と規定し、映画に映画自身のこの「薄気味悪い楽天性」を「慎しく肯定する」ことを求める。『映画はいかにして死ぬか』において「慎み」として理解されているのは、「楽天性」があくまでも「薄気味悪い」それであり、「可能性」があくまでも「不可能性と境を接し合った」それであり、「死を抱え込んだ映画の現在を誠実に生きる」ときにのみ「映画は始まる」ということの「自覚」だ。同じ慎みの「共有」を蓮實は彼の読者にも求める。
何らかの前意識のその表象としての意識であろうとする振舞いは、前衛あるいは党のそれに他ならない。「リュミエール」創刊を2カ月後に控えていた蓮實は、実際、「新たな運動(傍点原文ママ)へと向けて映画的感性を組織してゆくことにする」という宣言を以て『映画はいかにして死ぬか』を締めくくる。二月革命勃発を知ったレーニンが亡命生活に終止符を打ったように、映画的感性のソヴィエトのその自発性を前に蓮實もまた、「運動」の一語に傍点を振り、「執筆の孤独さ」と決別する。「シネマの記憶装置」から「シネマの扇動装置」へ。本書は1985年版「四月テーゼ」なのである。すべての権力をアテネ・フランセ文化センターへ!
世界的にマーガレット・サッチャーのTINA(There is no alternative)が新たな経済政策の標準スローガンとなりつつあり、まさにその下で日本国内でも中曽根政権によって国鉄分割民営化とそれに伴う国労解体とへ向かう手続きが強力に進められ、映画と同時代的なプロジェクトであるコミュニズムが誰の目にも疑い得ない仕方で「死にかけている」なか、いったいいかなる厚かましさが映画に「無自覚な楽天性」を許しているのかといった憤りが当時の蓮實にはあったはずだ。一方には、「楽天性」の喪失のうちに沈み込むコミュニズムがあり、他方には、おのれの抱える「死」のその「抑圧」と「忘却」とのうちに舞い上がる映画がある。本書によってその開始が告げられ、「リュミエール」によってその実現が実践的に目指されることになる「新たな運動」は、コミュニズムと映画とを「薄気味悪い楽天性」において再合流させ、とりわけコミュニズムについては「死にかけてはいながらも、なおかつ〔それ〕はいたるところで新たな可能性を拓こうとしている」という肯定を全社会的に組織するにまで至るはずのものだっただろう。
私自身の著作のうちで『映画はいかにして死ぬか』の直接的な延長線上にあるのは、同書への言及がある『シネマの大義』(フィルムアート社)ではなく、ゴダール『中国女』とその「原作」としてのアルチュセール『マルクスのために』とを突き合わせつつ、ドゥルーズの「逃走線」概念を論じた『絶望論』(月曜社)である。『映画はいかにして死ぬか』の副題「横断的映画史の試み」で謂われる「横断性」すなわち「映画の無方向の運動性」とは、実際、「逃走線」のことに他ならない。問題は「歴史」と「逃走線」、「不可能性」と「新たな可能性」がどのような力学にあるかという点だ。ヴェンダース、シュミット、エリセ、イーストウッドらを「七三年の世代」として語ることで、ブダペストからパリを経てハリウッドへと至るアレクサンドル・トローネの軌跡を辿り直すことで、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトのウィーン時代の仕事とハリウッド時代の仕事との「二重性」を指摘することで蓮實が浮かび上がらせるのは、不可能性の認識なしに新たな可能性の創造はいっさいあり得ないという事実に他ならない。創造は絶望からしか始まらず、創造のためには絶望それ自体をまず創出しなければならないことを論じた拙著は、『映画はいかにして死ぬか』でのこの「慎み」の力学の変奏に過ぎない。
「夜〔…〕は黒白で撮る場合には、どこかに光を置き、そしてあとは水を打ち、水を打つそこにさまざまな光の反映が出てくるということによってしか示さ〔れ〕ない〔…〕。それがはたしてロシア的な感性なのか、あるいはパリ時代に身につけた映画的感性なのか、ハリウッド的伝統であるのかはもはや問いません。それは、映画そのものの光沢であります。それを、一人のロシア生まれの、パリで育った、アメリカ映画の撮影監督になっているボリス・カウフマンがフッと示す〔…〕。ここには〔…〕、ただ、映画ばかりが輝いております」。ゴルバチョフのソ連共産党書記長就任のその5ヶ月後に刊行された『映画はいかにして死ぬか』においていかなる政治的課題を蓮實がおのれに課していたかはこの一節に明白だ。冷戦後の真に新たな世界は、映画の輝き、ただその下でのみ構想され実現され得る。しかし、「リュミエール」廃刊から2年後、湾岸戦争前夜にジョージ・ブッシュが連邦議会で「新世界秩序へ向けて」と題された演説を行った時点で、蓮實の敗北は決定的となる。資本主義と民主主義、そして、それらを補完する病いとしてのウッディ・アレンが「新世界秩序」として勝利を収めたのだ。
フィルムアート社創立50周年、したがって、「68年」から50年、あるいは、マルクス生誕200年にあたる2018年に『映画はいかにして死ぬか』を手に取るとは、30年前の蓮實の敗北のその帰結としての「現在」を「誠実に生きる」ことを引き受けるということだ。映画とコミュニズムとはそこから「始まる」のである。
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