1952 五月
一日 リガート港にて
[アンドレ・]ブルトンは私の絵をはじめてみたとき、それを汚している糞便学的(スカトロジーク)な要素に気をわるくした様子だった。私はそれをみて驚いた。
私はウンコからデビュしたが、それは後に精神分析的観点からみれば(幸いなるかな!)私のうえで溶けかかっていた黄金の幸先よい前兆と解することができたであろう。陰険にも、私はシュルレアリストたちに糞便学的なそれらの要素が、この運動に幸運をもたらすに相違ない、ということだけを信じこませようとしていたのだ。私はあらゆる時代、あらゆる文明の消化に関する画像に助けを求めて訴えたが、むだであった。すなわち、金の卵を産む雌鶏、ダナエの腸もちぎれんばかりの錯乱、黄金色の糞をたれるロバ。しかし誰も私を信用しようとしてはくれなかった。私はただちに決意した。かれらが、私のあれほど気前よく指しだしたウンコを認めようとしないのだから、それらの財宝とその黄金を自分のものとして護りぬこう、と。二十年後にアンドレ・ブルトンが苦心惨憺してひねりだした、かの有名なアナグラム――≪ドル渇仰者(アヴィダ・ドラルス*)≫はすでにその当時、予言として発せられてしかるべきだったろうに。
ガラのいうことがほんとうだと判るまで、そのシュルレアリストのグループのもとに一週間もいれば充分であった。私の糞便学的(スカトロジーク)要素は、ある程度まで許容されるであろう。そのかわりに、ある一定の他のものは、≪禁忌(タブー)≫だと宣告された。私はそこに、私の家族のなかにあったものと同じ禁止を感じとった。血は描いても良かった。そこには少しばかりのウンチ(カカ)を加えても差しさわりはなかった。しかし私にはウンコだけを描く権利は認められなかった。また、私にはセックスの表現は許されていたが、肛門にかかわる幻想を描くことは禁止されていた。肛門はすべて、大へん悪意をもって見られていたのだ!
*Avida Dollars. Slvador Daliのアルファベットを組み替えたもので、第二次大戦後、アメリカで絵を売ってドルをかせいだダリをブルトンが皮肉って作った言葉。(訳註)
サルバドル・ダリ『天才の日記』(東野芳明訳/二見書房/一九七一年)
※書影は仏・ガリマール社の原書
子供はウンコが大好きだ。私は慎み深い子供だったから、公の場で「ウンコ!」と嬉しそうに叫んだり、道に落ちているウンコを拾ったり、ましてやそれを人に投げつけたりはしなかったが、幼稚園時代にそういうことをする仲間はかなりいた。実のところ、私も厳しいしつけのせいで行為には及ばなかっただけの話で、彼らの気持ちはよくわかった。私も人生で一度くらいは「ウンコ!」と笑顔で叫びながらウンコを掴んで人に投げつけてみたかったが、四十歳を間近に控えた立派な大人にはもはや叶わぬ夢だ。そんなことをしたら、異常者扱いされるのは間違いなく、最悪の場合は逮捕されてしまう。
ところで、子供の頃から私はダリが好きだった。小学校に入る前には既に画家の伯母からダリの画集をもらい、毎日飽きもせずに眺めていたものだった。『記憶の固執(柔らかい時計)』、『大自慰者』、『ゆでたインゲン豆のあるやわらかい構造(内乱の予感)』、『ナルシスの変貌』……幼児の好奇心を満たすのにぴったりのこれ見よがしに奇妙な絵ばかりだったし、写真顔負けの具象で描かれてもいたので、幼稚園生にもわかりやすかった。だが、子供の私にダリの芸術的な価値がわかっていたかというとそれは違うだろう。ウンコが好きなのと同じレベルでダリが好きだっただけだ。言うなれば、ダリはとびきり面白いウンコだった。
これは今でもそうで、文学と比べると、美術についての私の理解はいささか心許ない。しかし、私と同じように美術についてさほど詳しくない多くの人達がダリの絵画に惹きつけられ、死後三十年が経つ現在も彼を支持している。何故か? 理由は簡単で、ダリの絵画は芸術であると同時に、第一級のエンターテインメントだからだ。ダリは講演会に潜水服を着て現れて窒息しかけたり、TVのCMに出演して「私はランバン・チョコレートに夢中だ!」と絶叫したり、といった奇行でも知られているが、彼は紛れもなく正気だ。「ウンコ!」と騒ぐ子供は狂ってなどいないし、大人だって「ウンコ!」と叫びたい時もある。ダリはそんな私達の心を見透かしており、敢えて「ウンコ!」と言っているだけに過ぎない。アウトサイダー・アートと最も遠く離れた位置にあるのがダリの作品だ。絵画だけではなく、映画製作にも乗り出し、社交界を泳ぎ渡り、ファッションからチュッパチャップスまであらゆるデザインを手掛け、世界的な有名人になりおおせるなどということは狂人にはできない。
一九九九年、十九歳の時、今は亡き新宿の三越で開かれたダリ展に赴き、念願叶ってダリの絵の実物を見た時のことを思い出す。最初はシュルレアリスム期の代表作を確認する喜びで浮かれていたが、妻のガラを古典主義の技法で描いた『ガラリーナ』や『レダ・アトミカ』などが展示されているあたりで疲れてきた。これと言って美しくもない中年女性の裸身が、女神や聖母になぞらえられているのには困惑するしかない。おまけに会場ではルイス・ブニュエルとダリが共作した映画『アンダルシアの犬』がエンドレスで上映されていた。私は『アンダルシアの犬』を傑作として認めるのに吝かではないが、流石にあの狂騒的な映画をえんえん流されるのは御免被る。
よろめきながら、ようやく辿り着いた会場の出口にあったのは『ロブスター電話』だった。電話の受話器が海老になっているオブジェだ。私はとどめを刺されたような気持ちになり、つい吹き出してしまった。ダリのユーモアがツボに入ったのも確かだが、「ウンコ!」と嬉しそうに叫んでいる子供に「しょうがないなあ」と苦笑している大人の諦めの境地にも近かった。三越を出て家路に就いた私は疲弊しきっていた。ダリは素晴らしいエンターテイナーだという想いは変わらなかったが、彼の作品はいささかサービス過剰だった。
二十世紀になり、マスメディアが発達するとともに、一部の芸術家たちはあらゆるジャンルに進出しようとした。今でいうマルチメディア・アーティストだ。ダリもご多分に漏れず、本業の絵画以外の多くのジャンルにも旺盛に手を出したが、成功したと言えるのはルイス・ブニュエルやアルフレッド・ヒッチコックという才能豊かな共作者を得た映画製作くらいだろう。ダリのバレエや演劇への進出は無残な失敗に終わった。もちろん、ダリは文筆にも手を伸ばし、自伝・日記・小説・評論と多くの著作を残したが、それらが傑出した作品かと問われれば、微妙だというほかない。
しかし、ダリの著作が駄作かと言えば、そうではない。厄介なことに、ある意味では面白いのだ。ダリによる草稿は母語ではない下手くそなフランス語で書かれているにもかかわらず、読ませる。試しに『天才の日記』の前編にあたる自伝『わが秘められた生涯』(足立康史訳/滝口修造監修/新潮社/一九八一)の冒頭のセンテンスを引いてみよう。
六歳の時、私はコックになりたかった。七歳で、ナポレオンになりたいと願った。それ以来今日にいたるまで、私の野心はますます大きくなる一方である。
魅力的な書き出しであり、キャッチーでさえある。プロの作家でもなかなかこれほどの文章で始めることは難しい。
ひとつ断っておくと、メレディス・イスリントン‐スミスがその伝記『ダリ』(野中邦子訳/文藝春秋/一九九八)のなかで「ダリの自伝『わが秘められた生涯』と『天才の日記』を読んでも彼の生涯についてはほとんどわからない。むしろ、ダリの秘密を知るには、彼のシュルレアリスム絵画を見たほうがずっといいのだ」と述べているように、両者には事実はほとんど書かれていない。ダリは嘘をついたり、誤魔化したり、重要な事柄を無視していたりする。たとえば『わが秘められた生涯』ではマドリードの美術学校を退学させられた原因を、試験中に「申し訳ありませんが、私の知性はこの三人の教授たちよりはるかに優れています」と言い放ったためだとしているが、実際は学生運動に巻き込まれたからだ。
映画『天才画家ダリ 愛と激情の青春』(二〇〇九)の主題にもなったスペインを代表する詩人ガルシーア・ロルカとの同性愛も、レズビアンの妹アナ・マリアとの近親相姦的な関係も、曖昧にぼやかされている。妻のガラについても彼女の人となりについての説明はほとんどなく、ダリがガラに救済されて熱愛するようになったことしか、読者にはわからない。
事実の代わりに記述されるのは、真偽の程が怪しい、シュールなエピソードの連続だ。五歳の時、近所の美女と散歩していたら目の前で小便されて衝撃を受けたので、翌日彼女と出会った時、蝙蝠を口に入れて噛み殺してしまったという話。精神分析家ジャック・ラカンと初めて会ったところ、ラカンが二時間もの間、「尋常ならざる目つきで」ダリの顔を「まじまじと見入った」ので訝しんでいたが、手を洗いに行った時に鏡を見ると、自分の鼻に小さな白い紙切れを貼り付けていたのに気づいた失敗談(なお、ラカンの思想に関する言及は一切ない)。ダリ自身「偽記憶」と呼んでいる箇所では、虚構の少女デュリータについての妄想がかなりのページを割いて描かれている。マドリードの美術学校時代に関しては、親しかったルイス・ブニュエルとガルシーア・ロルカに関する記述はおざなりで、ダリ自身が暴飲暴食する様が邦訳にして二段組十ページ以上も綴られている。
つまり、『わが秘められた生涯』は自伝というジャンルを借りたダリの自己神話化であり、そこにあるのは彼の主観的な想像の世界だ。本が優れているか否かの判断に、事実か虚構かということは必ずしも関係がないので、フィクションとして読めばいい。個々の文章は読ませるし、それぞれのエピソードも奇想天外で愉快だ。しかし、ダリ展を見終わった時と同じ感想を私は抱いた。サービス過剰なのだ。ダリの美術作品は高い技巧に裏打ちされているからまだしも、文章では抑制の枷が完全に外れてしまっている。
ダリに悪気がないのはわかる。彼はエンターテイナーとして文章でも読者にフルサービスしているつもりなのだろう。しかし、「地獄への道は善意で舗装されている」と言うではないか。ダリは関西人も真っ青のコテコテのギャグを自慢気に繰り出してくるが、せっかくの面白いギャグも二段組四百三十九ページもぶっ続けでやられるのは苦痛だ。ダリの文章には緩急や強弱の感覚がまったくない。『わが秘められた生涯』は最初から最後までクライマックスだ。音楽にたとえるならば、ダリのお気に入りでもあるワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』をずっとフォルティシシシモ、プレスティッシモで何度も繰り返し演奏されるようなものだ。そんなことをされたら作品自体がいかに傑作でも、聴衆にとっては拷問でしかない。そして、自信たっぷりの指揮者(ダリ)はドヤ顔で客席(読者)を振り返ってくる……。『わが秘められた生涯』を読む体験はこれに近い。
続編『天才の日記』は日記という形式ゆえ個々のエピソードが断片的で短く、『わが秘められた生涯』よりは明らかに読みやすい。『わが秘められた生涯』が自伝ではなかったように、『天才の日記』の内容も日記ではない。日付は書かれているが、過去の主観的な回想だったり、妄想だったり、独自理論の開陳だったり、箴言だったりする。近況報告は少ない。
冒頭に引用した文章で、ダリはシュルレアリスムの法王アンドレ・ブルトンがダリのスカトロジーを禁止したことを語っている。この文章の後で、シュルレアリストがレズビアンは好んだが、ゲイを忌み嫌い、宗教的要素も一切拒否したことをダリは綴っている。
ダリの意見は馬鹿げているように見えて、シュルレアリスムの矮小な側面に対する的を射た批判だ。要は、プチブル打倒を叫んだシュルレアリストのほとんどが彼ら自身もプチブルのお上品な道徳観に縛られたプルブルそのものだったし、当時の知識人の流行に乗って安易に共産主義に傾斜しており、ホモフォビアを隠そうともしない偏狭な集団だった、とダリは暗に指摘しているわけだ。
しかし、残念ながら『天才の日記』でこのような意義深い文章は稀だ。多くのページはガラへの賛辞で埋め尽くされている。「ガラよ、ありがとう! 私が画家でいられるのは、お前のおかげなのだ。お前がいなかったら、私は自分の才能を信じることができなかっただろう。手をかしてくれ! 私がどんなにお前を愛しているか、それはほんとうなのだ……」といった調子だが、『わが秘められた生涯』と同じくガラがどんな言動や行動をしたかは、ほとんど書かれていないので、ダリがガラを熱愛している理由は相変わらずよくわからない。
伝記資料によると、ダリのミューズとしての神秘的なイメージを守るため、ダリは妻の人柄について多くを語らず、ガラも謎めいた存在として振る舞っていたらしい。実際のガラは実務能力に長けた強い女性で、ダリを導き、金銭面での交渉を一手に請け負っていた。ダリとガラが互いに愛し合っていたのは間違いないが、夫妻にはそれぞれ別々の愛人が何人もいた。ふたりの性的な相性はあまり良くなかった、というのが通説だ。複雑な事実と比べれば、『天才の日記』でのガラへの讃歌は建前だけの綺麗事に映る。
自分を「天才」と呼び続ける自画自賛ぶりもくど過ぎる。巻末に付されている「ダリ的分析に基づく諸価値比較一覧表」というダリと巨匠たちの数値による比較で、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェラスケス、ラファエロ、フェルメールより自分は劣る、と謙虚な姿勢を見せているのが、唯一の救いだ。
では、『天才の日記』の何が面白いかと言うと、やはりウンコネタだ。シュルレアリスムへのウンコによる批判にとどまらず、一九五二年七月三日の日記には今朝の排便について誇らしげに書いている。
いつものように、朝食後十五分に、一枝のジャスミンを耳のうしろにはさんで便所に行く。しゃがむかしゃがまないうちに、私はほとんど無臭の便を排出する。それは芳香入りのトイレット・ペーパーと私のジャスミンの小枝が、その場を完全に満たすまでつづく。この出来事は、前夜のしあわせな、この上なく快適な夢によって予告され得たかもしれなかった。その夢は私の場合には、心地よい無臭の排便を告げるのである。今日の排便は、もしその形容詞をこのような場合に用いるのが何にせよふさわしいとすれば、純粋そのものである。
とても楽しそうで大変よろしい。この文章を読んだ私の顔からは思わず笑みがこぼれたが、日記本編を読み終わり、「附録Ⅰ」のタイトルを目にした瞬間、それは消えた。「附録Ⅰ」は「『放屁の術、または陰険な大砲に関する概論』の抜粋」と名づけられた五十七ページにも及ぶおならについての考察だった。〝便秘症の人びとのお役に立つために〟書かれたらしい。「もうウンコの話はやめてくれ!」と叫び出したくなったことをここに告白しておこう。私はアンドレ・ブルトンをあまり好ましく思っていないが、ブルトンもこんな風にダリにずっとウンコの話をされていたのだろうと思うと、同情の念を禁じ得なかった。
ここ三か月、この原稿を書くためにひたすらダリの本を読んでいた。二十年前にダリ展を鑑賞した時より、私は疲れ果てている。すべての著作には「緩急や強弱の感覚がまったくない」という共通の欠点が現れていた。毎日ダリに「ウンコ!」と耳元で繰り返される気分を味わった三ヶ月だった。
『ダリはダリだ――ダリ著作集』(北山研二訳/二〇一一/未知谷)の解説で北山研二は「ダリは作家・批評家である。画家である以上にそうである」と書いているが、私は賛成できない。ダリの文章が彼の絵画より優れているとはまったく言えない。結局、ダリは作家でも批評家でもない。画家だ。ダリ自身も『天才の日記』でこう言っているではないか。「画家よ、きみは雄弁家ではないのだ! だから黙って描きたまえ!」(一九五三年五月八日)と。
だからといって『わが秘められた生涯』と『天才の日記』が読む価値がないわけではない。一読の価値はある。ダリの書物を手に取った者は稀有な体験が出来るだろう。最初に笑い、次に過剰なサービスに困惑し、そして本を閉じた時にはうんざりして疲れ切っている、という稀有な体験が。最後に、今の私のささやかな感想を率直にお伝えしよう。もうしばらくダリは読みたくない。
サルバドル・ダリ『天才の日記』(東野芳明訳/二見書房/一九七一年)
※書影は仏・ガリマール社の原書
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