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2019.02.19

日記百景 第11回
魔夜峰央は最高の父親である
魔夜峰央『親バカ日誌』

日記百景 / 川本 直

第1回
でも 時々いるでしょう どこからどう見ても かわいくもなんともない子供を 「うちの子供は世界一かわいい!」 などと のたまってる親が ほほえましくはありますけどね しかし もう少し 冷静に客観的に 自分の子供を評価してほしいです 親の欲目なんてのは はたから 見ていてみっともないですよ その点 うちの子供たちは 本当に かわいいんです


魔夜峰央『親バカ日誌』(白泉社文庫/二〇一二)

一九九八年、NHK BS2(現在のBSプレミアム)で再放送されていた魔夜峰央原作の『パタリロ!』のアニメを観た時の衝撃は今でも忘れられない。初めて観たのは第26回(正確に言えば第2シーズンなのでタイトルは『パタリロ!』から『ぼくパタリロ!』に変更されていた)の「パタリロ8世と10世」という回だった。

未来から主人公のマリネラ国王パタリロ8世の子孫に当たる10世がやってくるタイムトラベルもののエピソードで、パタリロが使うタイムワープによって問題が解決するのだが、MI6に所属するジャック・バンコラン少佐に子孫がいることが発覚する。それを知った愛人のマライヒはバンコランが女性と浮気していると思い、「くやしいけど、ぼくにはあなたの子供は産めない!」と嫉妬でバンコランをボコボコにするというオチなのだが、私の頭は疑問符で埋め尽くされた。

『パタリロ!』を観たのは初めてだったので、マライヒのことを美少女だと勘違いしていたからだ。マライヒは美少女ではなく、美少年であり、バンコランと同性のカップルであることは初見ではまったくわからなかった。「一体どういうことだろう?」と思ってそれから毎日『ぼくパタリロ!』を最終回まで観続けた。美少年だとわかった後でもマライヒはそんじょそこらの美少女キャラより遥かに可愛かったし、故・曽我部和恭が演じるバンコランはどこまでもダンディだった。

鑑賞を続けて行くとバンコランは美少年キラーと呼ばれるほどの男色家で、マライヒ以外にも次から次へと美少年を落としていくので、唖然とするほかなかった。パタリロ以外のキャラは敵も味方も脇役もほとんど美形揃いだった。パタリロ直属の間抜けな顔をした武官部隊タマネギ部隊ですらメイクを落とすと素顔は全員イケメン揃いなのだ。あまりの耽美的な作風に目眩すら覚えた。アニメ版『パタリロ!』と『ぼくパタリロ!』は初放映時、フジテレビのゴールデンタイムに放送されていた。一九八〇年代初頭、原作どおり男性同士のベッドシーンが何度も登場するアニメ版『パタリロ!』を夕飯時に家族で観る羽目になった人たちの心中は察するにあまりある。フジテレビの蛮勇には心から敬意を表したい。

私は既に小学生の頃に自分がバイセクシュアルだと気づいていたし、同性との恋愛経験もあったが、セクシュアルマイノリティの知人は皆無だった。同性愛文学にも親しんでいたが、それは飽くまで虚構、もしくは遥か昔の話だと認識していた。一九九〇年代初頭からゲイ・ムーブメントが勃興し始め、大書店には同性愛関係の書籍がずらりと並び、テレビや雑誌にもカミングアウトした芸能人や評論家が現れ始めていたが、私にはそういったムーブメントが新宿二丁目を中心に展開する遠い世界のことのようにしか思えなかった。今でこそ二丁目にはよく遊びに行くし、行きつけのバーも複数あるが、引っ込み思案の少年にとって二丁目は敷居が高かった。だからこそ、国営放送で堂々と夕方に同性愛や少年愛を描いた『パタリロ!』が再放送されていたのには度肝を抜かれたし、強く魅了されたわけだ。

あまりにも『パタリロ!』の刺激が強かったためにどっぷりハマってしまい、今では原作を全巻持っているし、アニメ版のDVD-BOXも購入し、魔夜峰央のほとんどの作品も所有している。『パタリロ!』ばかりが注目されがちな魔夜だが、まもなくGACKTと二階堂ふみ主演の実写映画が公開される埼玉ディス漫画『翔んで埼玉』以外にも、『パタリロ!』の原型とも言える破壊的美少年ラシャーヌが大暴れするギャグ漫画『ラシャーヌ!』や初期のミステリアスな作品を集めた『妖怪缶詰』、魔界ものの『アスタロト』も面白い。特に歌舞伎役者の女形の少年が超硬派の生徒会長を翻弄する学園ラブコメディ『美少年的大狂言(チェリーボーイ・スクランブル)』はキュートかつ大笑いできる傑作だ。

小学校から高校までの十二年間も男子校という環境にいた私は、そもそも少女漫画を読む習慣がまったくなかった。小学校時代、『美少女戦士セーラームーン』を観る人間は気持ち悪いオタク扱いで、高校時代に流行った『カードキャプターさくら』を好む生徒はおぞましいロリコンという認識をされていたし、『少女革命ウテナ』の存在を知っている友人は皆無だった。少女漫画で例外的に読まれていたのは『ベルサイユのばら』や『はいからさんが通る』、『ガラスの仮面』のような王道の古典的作品に限られていた気がする。そんな私が最初にまともに触れた少女漫画がBLの始祖のひとつ『パタリロ!』だったのだから、それから読んでいった作品もお察しである。

結果、その頃次々と文庫化されていた萩尾望都の『トーマの心臓』、竹宮惠子の『風と木の詩』、山岸凉子の『日出処の天子』、青池保子の『イブの息子たち』と『エロイカより愛をこめて』などに夢中になり、BLも読むようになった。少女漫画家たちが描く耽美的な世界は、私にとって大発見だった。

だが、今に至るまで少女漫画及びBLのなかで私の最も好きな作品は『パタリロ!』であることに変わりはない。それは魔夜の十九世紀末芸術を代表する画家オーブリー・ビアズレーの影響を多大に受けた退廃的な妖しく美しい絵柄と、『パタリロ!』の「なんでもあり」の荒唐無稽な世界観が気に入っているのが大きい。『パタリロ!』は当初、主人公のパタリロは飽くまで狂言回し的な存在として登場し、少年愛者のバンコラン少佐が活躍するハードボイルドなスパイ・アクションとして始まった。「スターダスト」や「霧のロンドン・エアポート」がバンコランものの代表作と言えるだろう。その後、パタリロの活躍が多くなり、SFやミステリ、ファンタジー、歴史ものなどありとあらゆるスタイルを駆使しつつ、長大なギャグ漫画として現在まで連載が続いている。初期のハードボイルドも良いが、パタリロを主軸にしたギャグエピソードも抱腹絶倒だ。パタリロが全身性感帯の占い師ザカーリ(もちろん美少年)を利用して大枚を稼ぎ、アメリカの経済と国土を買収しようと企む「アメリカのっとり!」、パタリロがシバイタロカ博士という発明家に変装して日本へ赴いて大騒動を起こす「ジャポネスク」が特に気に入っている。

『パタリロ!』の「なんでもあり」は破格で、何せバンコランと付き合い始めた頃は、男性同士なので子供が産めないと嘆いていたマライヒが、今ではバンコランとの間にフィガロという子供を授かっているくらいだ。番外編としては『パタリロ西遊記!』、『パタリロ源氏物語!』、『家政夫パタリロ!』、『奥様はパタリロ!』、『ビストロ温泉パタリロ!』、『パパ!?パタリロ!』まであるのだから恐れ入る。

しかし、私が魔夜峰央作品を集めていた頃は魔夜自身が「冬の時代」と述懐するほど彼の評価はカルト的なものだった。『パタリロ西遊記!』のアニメ化という例外はあったが、『パタリロ!』以外の多くの作品は絶版だった。今では『パタリロ!』と並ぶ代表作となった『翔んで埼玉』を読むためには、収録されている短編集『やおい君の日常的でない生活』を古本で入手しなければならなかったほどだ。だが、状況は二〇一五年に『翔んで埼玉』がTwitterでバズったことで一変する。その後、『翔んで埼玉』復刊、『パタリロ!』の二度のミュージカル化、魔夜峰央原画展の開催、『パタリロ!』100巻達成、『翔んで埼玉』映画版が公開間近、そして『パタリロ!』にも実写映画化予定があり、今、日本は空前の魔夜峰央リバイバルの渦中にある。ファンとしてとてもめでたい。

破天荒なギャグや耽美ばかりを描く漫画家と思われがちな魔夜だが、今回取り上げる『親バカ日誌』では私生活を率直に語っている。人はそれが経験であれ、思考であれ、想像であれ、知らないことは書けないし、描けない。諷刺が行き過ぎているあまり寓話の粋に達している『翔んで埼玉』ですら、魔夜が埼玉県所沢に一時期住んでいた体験から生まれた自虐漫画だ。『パタリロ!』には「ミーちゃん」として魔夜峰央本人も登場する。著者の実感が伴わない作品は良いものにならないし、私的な事柄が反映されていない作品など存在しない。

魔夜峰央はあまりマスメディアに登場しないイメージがあり、男性なのだが女性だと勘違いされていたり、妻子持ちなのに同性愛者だと思い込まれていたりする、とは魔夜自身も何度も著書で語っているが、『パタリロ!』の劇場版アニメ『パタリロ!スターダスト計画』では主題歌『RUN AWAY 美少年達(ローズボーイズ)』を原作者自ら歌い、寺尾聰ばりの渋い美声を披露している。『笑っていいとも!』にすらゲスト出演した過去がある。魔夜峰央は決してプライベートを明らかにしない漫画家ではない。

『パタリロ!』や『翔んで埼玉』は毒があるので読む際にある種の緊張を読者に感じさせるが、『親バカ日誌』には一切そういうところはない。リラックスした絵柄で、ドン引きするほどの子供たちへの溺愛ぶりが綴られている。『パタリロ!』のバンコランもマライヒの間にフィガロという息子が出来ると、それまでのハードボイルドぶりが崩壊するほど親バカになるが、親バカバンコランは魔夜本人と重なるところがある。なお、魔夜の「ワイフ」はマライヒのモデルと噂されたこともあり、実際にそっくりだということだが、ふたりが出会ったのは『パタリロ!』にマライヒが登場してからとのこと。

『親バカ日誌』中、ゲーム好きの天然で年上の女性キラーとして描かれる弟マオ八歳への魔夜の愛情は微笑ましく穏やかだが、姉マリエ十歳への偏愛ぶりは恐ろしく濃い。

魔夜は「以前、夜の新宿をマリエと腕を組んで歩いていた ことがあるのですが その時 うしろから ロリコン と 言われてしまいました 10歳の娘と歩いていて ロリコンあつかいされたら立場ないですよ 私 奥さんに似て 美人でスタイルもいいから いわゆるコギャルに 見えたんでしょうね その時は そーゆー風に善意に 解釈しましたが 15歳くらいになったマリエと 腕を歩いたら なんと言われるかと思うと こまったこまった」と娘についてのろけまくる。かと思えば、夜、マリエに「パパ一緒に寝よー!」と誘われた時は弟と二段ベッドで寝るように言った後、こう泣き叫ぶ。

「わかっている わかっているとも 私の宝物よ パパだって本当はひと晩中 抱きしめてホッペスリスリしていたい だけどそんなことをしたら絶対ママがヤキモチをいやちがう! そんな幸せな思い出を つくってしまったら いつかおまえがどこかの くだらない男のもとへ 嫁いでいく時 パパは よけいにつらなくなって しまうじゃないかー!」

……私は配偶者もおらず、子供もいない花の独身三十九歳なのだが、父親というものはたとえギャグでも子供をここまで愛せるものなのだろうか。そもそも私は自分の精神年齢が幼いせいか、同族嫌悪で年下の人間が嫌いだったし、子供はもっと嫌いだった。しかし、年を取り、最近になって心情に変化が起こり始めた。きっかけは人間ではない。数年前まで一緒に暮らしていたビーグル犬の女の子だ。私は犬や猫のほうが人間より悪意がないぶん優れた存在だと思っているので、人間の子供の話ではないのは勘弁してもらいたい。それに私は結婚していないし、同性異性を問わず、恋人も愛人もいないので、子供がいるわけがないじゃないか。

ところで、ビーグル犬の名前はミミと言った。「かわいいかわいい」と言いながら蝶よ花よと育てたせいで、彼女は「ミミ」以外にも「かわいい」という言葉が自分の名前だと思っていたらしく、散歩中、道端で通行人が「かわいい」という言葉を発すると、「私のことですか?」といった表情で喜んで走り寄る有様だった。溺愛したせいで天真爛漫を通り越してとてもわがままに育ち、たいていの犬を目下と思っており、散歩中に吠えかけられても傲然と無視するお嬢様っぷり。大食らいでねだる量だけ食事を与えていたら、お腹が地面にくっつきになりそうになるほど太り、医者に厳しいダイエットを命じられたこともあった。甘ったれで愛嬌たっぷりで寂しがり屋、かてて加えて稀に見る美形の犬だった。こんな最高の犬をかわいがらないほうがどうかしている。……とここまで書いて、自分が魔夜峰央そこのけの親バカぶりを発揮していることに気づいた。要は親になるというのはこういうことなのだろう、となんとなく思う。

ミミは数年前に十三歳で亡くなったが、私は彼女から自分より弱いものを慈しむ精神を学んだ。仕事の後輩にも優しくなったはずだし、他人の子供でもかわいいと思えるようになった。少なくとも老害にはなりたくないし、若い世代を大切にしたいとも考えている。

私は両親との関係があまり良好ではなかったので、幸せな家族がどういうものか今でもあまり想像できないのだが、『親バカ日誌』の魔夜峰央一家は間違いなく幸福な家族だろう。姉のマリエは『親バカ日誌』の後半では『幽☆遊☆白書』の蔵馬にハマり、今ではガチムチ(筋骨隆々マッチョ受け)を偏愛する立派な腐女子になった。魔夜による「『トーマの心臓』と『風と木の詩』は読みなさい」というBL英才教育の成果だという。そこらへんの『親バカ日誌』の娘サイドの事情は娘・山田マリエの漫画家デビュー作『魔夜の娘はお腐り申し上げて』(小学館、二〇一八)に詳しい。

『親バカ日誌』には『親バカの壁』、『親バカ輪舞』、『親バカの品格』という三冊の続編があるが、『親バカの品格』に収録されている小林充一と魔夜峰央の対談での魔夜の発言には率直に言って感動した。

魔夜:……教育で子供も変えられるなんて、思わないほうがいいです。まったく別人格が上から降りてきて、あなたがたの間に生まれただけです。だから、その子がどんな人間なのかは、想像もつかない。

まったくもってそのとおりで、子供を別人格として扱わず、子供の意思を尊重しない親たちがDVや過干渉に走る。それは愛情ではなく、支配でしかない。私の親もこの点を認識できなかったからこそ、子育てにあまり成功したとは言えなかった。

『親バカ日誌』を読むと魔夜峰央はつくづく最高の父親だと思う。心からお子さんふたりが羨ましい。もし私が子供に恵まれることがあったら魔夜を見習いたい。もっとも、繰り返すが、子供どころか配偶者も恋人も愛人も私にはいないので、いつの日になるかはわからないけど。

魔夜峰央『親バカ日誌』(白泉社文庫/二〇一二)

バナー&プロフィールイラスト=岡田成生 http://shigeookada.tumblr.com