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2019.04.02

日記百景 第12回
サマセット・モームとアレイスター・クロウリー
アレイスター・クロウリー『アレイスター・クロウリーの魔術日記』

日記百景 / 川本 直

5月24日 木曜日

……午前11時30分。エチルとキオーネ50はガールズと同様の欠陥を有している。少量でものすごく効くので一晩中やってみたくなる。深刻なあやまちである。「疲労して当たり前」なのであって、断固として中止しなければならない。続行したからといって良好な結果がでるわけがない。かくして私は12時半まで見事にやってのけ、その後も続行したが、子供の一貫教育のことしか思い浮かばなかった。しかも教育目的が思い出せない始末である。おまけにアイデア自体が陳腐ときている。まえもって批判をすべて封じておくことで試験済みという代物である。また論を進めていくうちに多様な欺瞞を演ずるはめとなった。絶望的なぼろぼろのショーというところである。教訓:一日の仕事が終わったなら無理をして続行するな。

50)エーテルと恐らくヘロイン。キオーネとは北東の風ボレアスの娘である。クロウリーは気管支炎を「嵐魔」と称することが多く、その意味ではなんらかの発作ないしヘロインによる沈静化を指しているのかもしれない。

アレイスター・クロウリー『アレイスター・クロウリーの魔術日記(アレイスター・クロウリー著作集別巻2)
(スティーヴン・スキナー編/江口之隆訳/国書刊行会/一九九七年)

 

サマセット・モームは晩年、魔術師アレイスター・クロウリーを介して悪魔に魂を売って成功したという妄想に悩まされていた、とモームの甥、ロビン・モームは回想録『モームとの対話』(服部隆一訳/パシフィカ/一九七九年)で書いている。『モームとの対話』は日本では長らく絶版だが、悲惨な晩年を迎えながらも機知とユーモアを失わず、同時代の作家たちや自らの過去、文学について語るモームを、叔父と同じく作家で同性愛者でもあった甥ロビンが冷静な距離を保ちつつ、共感と愛情溢れる筆致で綴った好著だ。

ロビンは叔父の秘書であり、恋人だったジェラルド・ハクストンとふたりで飲んだ時にアレイスター・クロウリーとモームの関係について初めて耳にする。

「[……]しかし時折だね、あれだけの成功と金を得るために、彼は自分の魂を悪魔に売らなければならなかったんじゃないかと思う時があるね。彼が、アレスター・クロウリー(原文ママ)と仲よしだったの、知ってる? アレスター・クロウリー、聞いたことがあるはずだが」
「ええ」と、私は答えた。「黒魔術に打ち込んだ人じゃなかったですか」
「それだよ」と、ジェラルドは答えた。「人はみんなアレスター・クロウリーは、まやかしものだったと思ってる。だけどそうじゃない。そしてそいつがウィリーの所へやって来て、『おまえの魂を私にくれれば、私はおまえを今世紀の最も高名な作家にしてやろう』とか言ってだ、なにかそういうことがあったんじゃなかろうかと時どき思う。それをウィリー(引用者注:モームの愛称。モームのフルネームはウィリアム・サマセット・モームで、親しい人間にはウィリアムを略したウィリーと呼ばれていた)は、なにかこう、受け容れたんだぜ」
ロビン・モーム『モームとの対話』

ロビンは半信半疑だったが、モーム本人からも直接クロウリーとの交友をわずかながら聞く。そして、晩年なにかに取り憑かれたように「来るな! 支度なんて出来ていない……私はまだ死んでいない……まだ死んでいないんだから……」と虚空に向かって叫ぶモームを目の当たりにして、クロウリーとの間に何かがあったことを確信するに至る。

『モームとの対話』でこの記述を初めて目にした時は「あの皮肉屋で徹底した現実主義者のモームが何故?」と驚きを禁じ得なかった。モームは医学を修めた人間だ。医師の資格も持っている。科学に詳しくもないのに、したり顔で科学批判をする多くの作家や思想家とは根本的に異なる。モームの小説はいずれも極めて明晰で、残酷とも言えるほど冷徹な観察が光り、磨き抜かれたシンプルで乾いた文章と卓越したストーリーテリングで組み立てられたものばかりだ。評論やエッセイに見られるとおり、古典を見事に分析し、同時代の若い作家たちの著作(レイモンド・チャンドラーやトルーマン・カポーティたちにモームはいち早く高い評価を与えた)への深い理解も示している。私は十代の頃からモームを愛読しており、今でも時折思い出したように彼の著作を開いて大いに楽しむ。私はモームを言葉の最良の意味で、知的な現実主義者と見做していた。

しかし、『モームとの対話』を読んでから、モームを単に現実主義者という狭い枠組みに閉じ込めるのは間違いではないか、と考えるようになった。モームには存命中、並ぶ者がいないほどの成功を収めたベストセラー作家だったが、隠れ同性愛者であり、イギリスのスパイとして世界を股にかけた、一筋縄では行かない側面がある。

『モームとの対話』ではモームが甥に語る言葉を通して、彼が自らの複雑な人生をどう認識していたかが明らかにされている。晩年のモームは自分の同性愛を受け入れられなかったことを悔み、不幸な結婚生活、不成功の連続だった諜報活動、秘書兼恋人だったハクストンとの死別による打撃を受け、南フランスのリヴィエラ海岸に広壮な邸宅を建てるほどの経済的成功も名声も九十一歳までの長寿も、何の価値もない、人生はすべて失敗だった、と考えるようになっていたようだ。実の娘ライザとの裁判沙汰が事態に更に追い打ちをかけた。最晩年のモームは認知症を患い、妄想に悩まされながらその生涯を終えた。

アレイスター・クロウリーのことは『モームとの対話』を読む前から知っていた。ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに登場したことを皮切りに、カウンター・カルチャーを奉じるロック・ミュージシャンたち、ジミー・ペイジ、オジー・オズボーン、デヴィッド・ボウイらが影響を受けている。クロウリーは文学とも縁が深い人物でもある。コリン・ウィルソンは代表作『オカルト』でクロウリーを論じただけでなく、伝記『現代の魔術師――クローリー伝』をものし、小説のモデルにもしている。ヘミングウェイの『移動祝祭日』にもクロウリーはギャグ要員としてではあるが姿を見せる。日本では今でも国書刊行会からクロウリーの著作のほとんどが出版されており、二〇一七年には小説『麻薬常用者の日記』も新装版で復刊された。ライトノベル『とある魔術の禁書目録』にもクロウリーは登場している。モーム自身にも『魔術師』というクロウリーを主人公のモデルにした小説がある。

私はアレイスター・クロウリーについて語る前に、まずモームの『魔術師』を再読すると同時に彼の伝記的側面も調査して、モームの世俗的な現実主義者の仮面の下に何が隠されているかを考えることにした。

リアリズムに徹することの多いモームには珍しく、『魔術師』では装飾の多い耽美主義的な文体が用いられている。一八七四年生まれのモームは青春時代にJ・K・ユイスマンス、ウォルター・ペイター、オスカー・ワイルドたちが代表する英仏の世紀末文学を耽読していたから、美文調を駆使することもできた。実際、若き日のモームは一八九五年にワイルドが同性愛裁判で敗北したことに衝撃を受け、イギリスを離れて世界各国を旅することが多くなった。イングランドでは一九六七年まで同性愛は犯罪であり、カミングアウトなどできる環境ではなかったから、モームが著作で同性愛を正面切って取り上げたことは一度もない。E・M・フォースターも同性愛小説『モーリス』を生前には出版できなかった。

そういった事情もあってモームは一九〇四年、パリに移り住み、ボヘミアン生活を経験する。その際に芸術家が屯する白猫亭というレストランで、当時三十歳だったアレイスター・クロウリーと出会っている。『魔術師』はこの時の経験を元に書かれた。モームを一部モデルにしたと思われる医学者のアーサー・バートンとクロウリーをモデルにした仰々しい言葉遣いで話す胡散臭い自称魔術師オリヴァ・ハードゥとの、バートンの恋人をめぐる争いがストーリーの主軸になっている。ハードゥは最後にバートンに倒されて死ぬ。ストーリー自体は凡庸だが、ワイルドばりの耽美的な文体は興味深いし、前半の舞台となるパリは細部まで綿密に描かれており、リアリティが漲っている。もちろんクロウリーをモデルにしたハードゥも忘れ難いキャラクターだ。

では何故、モームはオカルティストだったアレイスター・クロウリーを小説の主人公にしたのだろうか。韜晦癖があり、秘密主義者だったモームはクロウリーについても片言隻句以上の言葉を残していないが、ハンサムなクロウリーに同性愛者として惹かれていたのではないか、という説もある。しかし、それ以上にモームが青春時代に愛読した世紀末文学はオカルトの強い影響下にあった。世紀末文学を準備したランボー、ヴェルレーヌ、ボードレール、リラダン、マラルメたちには神秘主義者としての側面があり、悪魔主義を奉じた後カトリックに改宗したユイスマンスは常にオカルトへの興味を懐き続けた。アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツに至ってはクロウリーが参加した「黄金の夜明け団」のメンバーだったこともある。「科学の世紀」と呼ばれた十九世紀だったが、世紀末に現れた芸術家たちは反科学の姿勢を取った者も多かった。この時代に限らず、文学者はオカルトと接近することが少なくない。シュルレアリストたちは交霊術に被れていたし、オルダス・ハックスリーは後半生LSDの実験とともに神秘主義に傾いた。本邦では三島由紀夫が本気で信じていたかどうかは別としてUFOやこっくりさんに興味を示している。

そもそもモームは広く大衆に読まれたにもかかわらず、周縁的な事象を主題に据えることが多かった。『魔術師』はもちろんのこと、デビュー作の『ランペスのライザ』は貧民街を描いてヴィクトリア朝のお上品な読者たちから批判された。多くの短編は東洋を主とした異国を舞台にしている。代表作『人間の絆』でもボヘミアン生活が描かれ、『月と六ペンス』でもゴーギャンをモデルにした主人公の画家は何もかも捨ててタヒチへと去ってしまう。

モーム本人も英国社会では周縁的な人物だった。イギリス人でありながらパリで生まれ育ち、同性愛者であり、スパイでもあり、祖国にいるより世界を旅するほうが何かと都合が良かった。その生涯を閉じたのもフランスだ。そういった人間が怪しげなクロウリーに興味を持ったとしても無理はない。かつてモームのすべての著作には表紙に奇妙な印がついていた。邦訳だと現在では新潮文庫とちくま文庫の表紙の上部に刷り込まれているのが確認できる。このマークはモームの父がモロッコの奥地で見つけてきた魔除けの印が元になっている。こんな印を著作にいちいち印刷していたことからもモームのオカルトへの興味は明らかだろう。認知症によって生じた妄想に過ぎないだろうが、晩年のモームがクロウリーを介して悪魔に魂を売ったと信じ込んでいたとしても不思議ではない。

それではモームを妄想へと駆り立てた魔術師アレイスター・クロウリーとはいかなる人物だったのか。私はこの原稿を書くために邦訳されているクロウリーの著作をすべて読破したが、魔術について書かれたものはどうしても真剣に受け取るほどの価値があるとは思えなかった。古代の異教・カバラ・占星術・タロットと、ヨガや易経といった東洋思想をごちゃ混ぜにしたクロウリーの「魔術」には既視感しかなかった。一九八〇年代から一九九〇年代半ばまでの日本に溢れていたオカルトやスピリチュアル、ニューエイジ、新宗教と大差がない。実際、クロウリーはそれらの源流であり、翻訳されたのもその期間だ。グノーシスの文献を読めば「反宇宙的二元論なんて面倒くさいものをよく考え出したな」と好奇心をそそられるし、数あるインチキな終末論を読んでも「トンデモ本としては面白い」と感じることもある。しかし、クロウリーの魔術に関する著作には物語としての面白さは一切ない。秘教的な戯言が書き連ねられているだけだ。クロウリーと比べれば、聖書は旧約新約を問わず、血湧き肉躍る素晴らしいエンターテインメントであり、流石、歴史史上最も読まれたベストセラーだと納得してしまう。オカルトに興味がない人間から見ればある程度評価できる彼の著作は小説くらいだ。クロウリーの文章には確かにある種のユーモアのセンスは感じられるのだが、自伝や日記では自己陶酔や大言壮語、恨みつらみや愚痴に悪口雑言がそれを損なっている。小説は物語の形式を採用しているせいか、そういった欠点が少ないため、邦訳されている三つの小説『麻薬常用者の日記』、『ムーンチャイルド』、『黒魔術の娘』は読むに耐える。

オカルトの研究書も古いものから最新のものまで二十冊ほど読んでみたが、オカルティズムの源流と言えるグノーシスなどの異端に関する学術書を再読し、ルネッサンスの魔術に関するフランセス・イェイツの著作群、アントワーヌ・フェーブルによる『エゾテリスム思想――西洋隠秘学の系譜』にも手を伸ばしたが、それ以外特筆すべきものはほとんどなかった。意外だったのは澁澤龍彥の著作が現在でも読むに耐えるレベルだったことくらいだ。澁澤はオカルトをハナから知的遊戯としてしか扱っていないせいか、対象と距離が取れており、その明晰な文章も相俟って入門書としては非常にわかりやすい。一方、日本のニューアカやポストモダニストによる研究書は語るに値しない。歴史認識が欠如しているせいで過去のオカルティズムを安易に現代のサブカルチャーと結びつけて論じるし、幼稚な科学批判に毒されている。ニューアカはオウム真理教をやたらと持ち上げていたが、その後のポストモダンのオカルト論者も似たより寄ったりで、オウムに関しては言葉を濁し続けている。コリン・ウィルソンの『オカルト』もウィルソンが超常現象の可能性を信じているため、到底まともには受け止められない。オカルト研究書がこのていたらくなので、結局、クロウリーの伝記的側面に的を絞って論じるしかない、と判断したが、クロウリー本人がこれまた呆れる他ない人物なのだ。

アレイスター・クロウリーは一八七五年、裕福なビール醸造業者の長男として生まれた。クロウリーの両親及び親族は厳格なピューリタニズムで知られるプリマス・ブレスレン派という英国国教会の分派の熱心な信者だった。狂信者に囲まれた幼少期の経験はクロウリーの生涯を通じて一貫した影響を及ぼしている。というより、反ピューリタニズム、反英国を掲げたクロウリーの活動はその死に至るまで、結局この親族への反抗でしかない。いじめられっ子だった寄宿学校時代を経て、クロウリーはケンブリッジ大学に入る。そこで象徴派の詩人たちに傾倒して詩作を始めるとともに、登山に打ち込み、同性愛に耽り、魔術にも興味を持った。早速、「黄金の夜明け団」に加入し、とんとん拍子で出世すると同時に、仲間とモルヒネやコカインといった麻薬の実験を始めるようになる。この時から薬物への依存はクロウリーの生涯を通じて続いた。その後、世界一周の旅に出て、アメリカ、メキシコ、日本、インド、中東を経由してヨーロッパへ戻り、初めてパリを訪れる。クロウリーとモームが出会ったのはこの時だった。

イギリスへ舞い戻ったクロウリーは詩集を自費出版した後、友人の姉だったローズ・ケリーを婚約者から奪って駆け落ちする。ローズはアルコール依存症の情緒不安定な女性だった。クロウリーとローズの間には娘が生まれるが、幼いうちにチフスで亡くなっている。その後、中東やアジアに旅したり、カンチェンジュンガに登山を試みて事故を起こしたり、中国を徒歩で横断したり、「黄金の夜明け団」を脱退して新団体「銀の星(A∴A∴)」を創設したり、「東方聖堂騎士団(O.T.O.)」に加入したり、パリやアメリカで騒動を巻き起こしたりして、「世界で最も邪悪な男」と呼ばれるようになるが、事実として確認できる限りではクロウリーは大したことをやっていない。はっきりしているのは、パリのペール・ラシェーズ墓地のオスカー・ワイルドの墓はペニスまではっきり刻まれた彫刻があったためにシートで覆われていたのだが、そのシートが剥がれるように細工をしてみたり、ワイルドの墓の彫刻からペニスの部分を盗むとそれを股につけてロンドンの一流レストラン、カフェ・ロワイヤル(ワイルドが常連だったことで有名)に乗り込んで顰蹙を買うなど、子供のいたずら程度のことだけだ。単に有名になろうとしてトラブルを引き起こす厄介者に過ぎず、何故こんなショボイ男が「世界で最も邪悪」と形容されたのか理解に苦しむ。

一九二〇年、クロウリーはシチリア島の貸し別荘を≪テレマ僧院≫と名づけ、情婦や弟子とセックスとドラッグを組み合わせた「性魔術」の実験に励んでいた。ところが、一九二三年、弟子のラブデイが猫の血を飲まされたせいで病死し、マスコミに≪テレマ僧院≫の実態を暴かれて批判されたため、クロウリーはイタリアから国外追放の憂き目に合う。今回取り上げた『アレイスター・クロウリーの魔術日記』はイタリアを追い払われ、金にも困った失意のクロウリーがチュニスで執筆したものだ。

『アレイスター・クロウリーの魔術日記』に綴られたクロウリーの生活は、1)麻薬(エーテル、ヘロイン、コカイン)をやる、2)チュニスを訪問した情婦と麻薬をやりながら過ごす、3)情婦が去って寂しがり、また麻薬をやる、4)依存症が酷くなり麻薬を絶とうとするが失敗する、そしてまた1に戻る、の繰り返しだ。この4パターンを繰り返しながら日記を書き殴っているのだが、クロウリーに心酔していない人間にとって魔術の記述はどうでも良いので、ただただ自堕落な生活態度と愚痴が印象に残る。クロウリーはこの後に向かったフランスでも国外追放を受けてイギリスに戻り、いくつかの裁判沙汰を起こしつつ、赤貧の生活を送って一九四七年、孤独のうちに生涯を閉じる。

『現代の魔術師――クローリー伝』でクロウリーに一定の評価を与えているコリン・ウィルソンすらクロウリーは社会的には一生「小学生」で「怠け者」だったと痛罵を加えているが、正にそのとおりで、クロウリーは小金持ちの家に生まれ、暇を持て余して反抗に走ったガキでしかない。

『麻薬常用者の日記』と『アレイスター・クロウリーの魔術日記』に顕著だが、クロウリーのライフスタイルは後世のヒッピーと酷似している。ヒッピーは中産階級のドロップアウトした若者で構成され、ドラッグとセックスに溺れ、東洋思想を信奉した反権威的で自堕落な連中だった。ヒッピーを生み出したカウンター・カルチャーを奉じるミュージシャンたちがクロウリーを祭り上げたのも当然と言えるだろう。

現代の日本でもアレイスター・クロウリーのような輩はごまんといる。クロウリーは情緒不安定な女性を騙くらかしてわ、ドラッグ漬け・セックス漬けにして言うことを聞かせ、金を巻き上げたりしているのだが、こういったクロウリーの行動はメンヘラ女子を食い物にするナンパ師やヒモを彷彿とさせる。

オカルトやスピリチュアリズム、新宗教は今でも盛んだ。私はオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたあの日、地下鉄に乗って都心を通学中で、危うく被害に遭うところだった。実際、知人はサリンを吸い込んで入院している。ごく最近では創価学会の熱心な信者に公明党への投票を求められて断ったところ嫌がらせを受けた。親戚が大川隆法に夢中になったり、自称霊能力者に熱を上げた時も大変だった。ことはオカルトやスピリチュアリズムや新宗教だけにとどまらない。怪しげなニセ科学で一儲けしようとしている詐欺師がはびこっているし、ネットはデマで溢れかえっている。あの世智に長けた老獪なモームですらペテン師のクロウリーに惹かれたのだ。これを書いている私も、そしてこれを読んでいるあなたも騙されない保証はどこにもない。

 

アレイスター・クロウリー『アレイスター・クロウリーの魔術日記(アレイスター・クロウリー著作集別巻2)
(スティーヴン・スキナー編、江口之隆訳、国書刊行会、一九九七)

バナー&プロフィールイラスト=岡田成生 http://shigeookada.tumblr.com