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2019.09.26

Vol.2 だから俺たちは立ち上がる
富田克也監督 インタビュー

Creator's Words / 富田克也

インタビュー企画「Creator’s Words」、第2回にご登場いただくのは2019年9/29(土)より甲府・桜座にて先行上映、そして都内では10/4(金)よりアップリンク吉祥寺・渋谷にて公開される『典座 -TENZO-』の空族・富田克也監督。『バンコクナイツ』のタイ・ラオスから日本へと帰還した空族が今回向き合うのは、なんと仏教。曹洞宗青年会の協力のもと、現代日本における信仰のありかをめぐる野心作『典座 -TENZO-』は、どのような試行錯誤の果てに生まれたのか。ぜひ作品の鑑賞とともにお楽しみください。

写真:山口貴裕

 

* * *

 

――『典座 -TENZO-』(以下『典座』)を手がけられた経緯について、改めて詳細に伺います。本作は曹洞宗青年会の依頼から始まったということですが、正確にはどんなプロセスがあったのでしょうか。

富田克也:仏教には世界仏教徒会議という催しがありまして、これは世界各国で開催国が巡ってくるものなんですが、その2018年大会が日本で行われることになった。そこで、「日本の曹洞宗というのはこういう宗派です」と説明するような短編映画をつくってほしい、というのがそもそもの依頼でした。それは俺が『バンコクナイツ』の撮影でまだバンコクにいたときで、2016年の前半くらいかな。

それから少しして、2016年の10月3日にタイでラーマ9世が亡くなった。そのときに日本からも僧侶がたくさん弔問に来ていて、今回の映画に出演していただいたリュウギョウさんこと、全国曹洞宗青年会会長(当時)の倉島隆行さんもバンコクに来られて、そこで初めてお会いすることになりました。そのときはまだ15分くらいの短編のつもりで、ざっくり2年先の2018年の11月までに仕上げればよかったから、「あ、まだまだ余裕あるじゃん」ってな気分だったんだけど(笑)。その後、曹洞宗青年会内で資金集めをしてもらったら、予想していたよりも多くのご寄付がいただけた。そうして「もう少し長尺のものがつくれるのではないか」という話になり、今のような形になったわけです。

正式に決まったのは『バンコクナイツ』の上映館がテアトル新宿からK’sCinemaに移って、『映画 潜行一千里』と同時上映していた頃に、リュウギョウ会長とチケン(河口智賢)が劇場に映画を観に来てくれたときです。その日はちょうど舞台挨拶があったのですが客席を見て初めて彼らが来ていることに気づいた。上映が終わってから改めてお話をして、そこで一応「俺たちの映画見ましたよね? 大丈夫ですか?」と会長に聞いたんです(笑)。そうしたら「……大丈夫です……」と(笑)。

――チケンさんは富田監督のいとこにあたると、作品の中で『雲の上』の経緯とともに語られています。この映画の制作が始まる前から、チケンさんは空族の映画をご覧になられていたんでしょうか。

富田:見てないんじゃないかなあ……。子供のころは盆暮れ正月に親戚一同集まったときに一緒に遊ぶ相手でしたけども、しばらく会っていませんでしたからね。昔のチケンは実家の都合で寺を継がなければいけないことを嫌がって、一時グレたりしてね(笑)。そういう彼の状況を作品に取り入れたのが実は『雲の上』で、だからその主人公も「チケン」って名前にしていたんですが、今回改めて久しぶりに彼ととっくりと話す機会ができて。そうしたら彼は「今、青年会で副会長やってるんだよ」なんて言うわけ。俺としては「あれ?昔は嫌がってたのに、なんでいまそんな一生懸命やってんの?」って気持ちになって、いろいろと話を聞き、本作のかたちを考えることになったわけです。

――富田監督ご自身、昔から曹洞宗のことはよくご存知だったのでしょうか。

富田:実は小学生のある一時期まで、将来は坊さんになりたいと思っていたこともあるんですよ。「般若心経」とか、ご飯食べるときに唱える「五観の偈」とかも暗記してた。チケンの親父はうちの母親の弟にあたるんですが、その叔父がかつて修行した寺とかに連れていかれて、僧堂を見せられたことがあったんです。シーンと静まり返るその場所で、「俺はここに修行に来て、最初の7日間は壁に向かって坐禅し続けるとこから始まったんだ」って言われて、子供ながらにちょっと想像を絶していた。大の大人が7日間も壁に向かって坐り続ける…?その先に何があるんだろう?と。そういう体験があったから、仏教って非常に身近なものであったと同時に、どこかその深遠さへの憧れみたいなものがこびりついていた。親戚のおっちゃんがやってる非常に身近な仕事でありつつ、一方で「悟り」といった謎めく感じが、なんかかっこよく見えたんでしょうね、子供ながらに。一つの道を極めようとしている人たちに見えた。初めて作った映画の『雲の上』もお寺が舞台になったわけで、僕にとってはずーっと心のどっかにあったものだったんだと思いますね。

© 空族

――本作で印象的なのは、僧侶である方々の普通の生活を送られる場面こそが中心的な被写体であるということです。

富田:仏教を題材にするにあたって注意していたのは、われわれと遠い存在の人たちがどこか遠くでひっそりとやっていることだというふうに見せちゃいけないということです。日本人が、東日本大震災、そして原発事故をきっかけに、ついに信仰というものを必要とし始めたんじゃないかという予感があった。だからこそ、われわれの身近なところから始めるべきだと。坊さんだからって生まれたときから聖人なわけはなくて、少しずつ成長していく存在だという意味でわれわれと全く変わらない、そう見えるようにしようと。

――チケンさんとリュウギョウさんのお二人を主人公にされるというアイデアは監督ご自身のものだったのでしょうか。

富田:当初そうではなかったんです。実は、最初に出会った永平寺の修行僧のなかに、日系ブラジル人の若者がいたんですよ。「こりゃ面白い!いっそブラジルまで撮影に行こう!」なんてことも言ったりしたんですけど(笑)、現役修行僧を演者として駆り出すことはさすがにご法度だった。その案が立ち消えた後に青年会から「チケンを主人公にしてはどうでしょう?」と逆に提案されたんです。そのときまで、自分としてはまったく考えてなかったことだったんですね。そこで「じゃあ、リュウギョウさんもどうですか?」って言ってみたところ、引き受けてくださった。

――本作の中で、チケンさんは山梨のご自身のお寺でおつとめされる僧侶を、一方でリュウギョウさんは震災で自身の寺を失い福島で建設業に携わる架空の元僧侶役を演じておられますが、配役や設定はどのように決まったのでしょうか。

富田:曹洞宗青年会の皆さんの意識が3.11以後に明らかに変わったということでしたから、映画のなかで福島を舞台にしたパートを撮ることはわりと早い段階で決めていました。山梨パートのチケンについては、彼の実際の家族、実際の寺を舞台にしているので、彼自身のエピソードを下敷きにしています。福島パートのリュウギョウさんの物語は、会長ご自身の話ではありませんが、実際に福島で起こったことを題材にしています。お寺もお墓も自分の家族もぜんぶ流されてしまい、首を括って亡くなった仲間のお坊さんがいたというお話を聞いて、「そうしたこともきちんと映画に入れましょう」と提案しました。

――本作でもやはりかなり綿密にリサーチは行われたんですか?

富田:『サウダーヂ』や『バンコクナイツ』ほどじゃないけど、最低限はね。映画の作り方としては、リサーチを含めて基本的にこれまで空族がやってきたこととなんら変わりはありません。でも『典座』については、やはり青山俊董老師との出会い、あれが映画の軸になると思えたことがやはり大きかったですね。

――老師との対話は本当に圧倒的でしたね。あれだけでもずっと見ていられると思いました。

富田:準備を進めるにあたって、まずは当然曹洞宗のことを知る必要があるわけで。それには曹洞宗一の人格者に会うのが手っ取り早いと思ったんです。そこで、青年会の皆に「曹洞宗のなかで今こそ是非とも話を聞いてみたいと思う高僧の方は誰?」と聞いたら、みんな「青山俊董老師だ」と口をそろえたんです。そんな人がいるなら是非俺も会ってみたいと思って取材に行ったところ、一発であの方に魅了されました。こんな人がいるならこの世もまだ捨てたもんじゃない。老師の映像を撮れた時点で「間違いない、この映画はいける」って確信しました。

© 空族

――基本的にはチケンさんが老師に問いかけをするという形で対話は続いているように思えます。この対話の形式は自然とそうなったものなのでしょうか。

富田:これはいわゆる禅問答、若弟子が高僧に対して自身の考えや思いをぶつけていくという、西洋で言えば弁証法的な学びというか修行ですね。弟子の問いかけに対し高僧が答えていって、いちばんシンプルなところに到達させる。でもそういう伝統ある儀式は現代にあってはほとんど形骸化してしまっていて、僧侶にとっての資格試験の時の儀式としてしか残ってないんですよ。その儀式を、弟子と師匠のシンプルな対話として、本来の形で描きたかったんです。

――撮り直しなどはされていない?

富田:してない。撮影はカメラ3台据えて、2時間半の一発撮りです。

――対話は、本作の重要な概念である、曹洞宗の「典座」に即した「食」に関するお話が中心に展開します。具体的にはチケンさんの開かれている精進料理教室が話題になりますね。

富田:仏教において「悟り」が重要なのは言うまでもないですが、例えば、ある宗派ではその「悟り」を開いているか否かで仏僧の間に大きな格差があったり、いざ悟りを開いたら開いたで「覚者でございます」って、その後の人生でずっと看板背負って生き続けなきゃいけない。曹洞宗はそれを否定するわけです。何かに気づけば気づくほど己が足りていないということに気づくということ。悟りとは更新され続けるものだということなんです。悟りのために他の生活一般の行為をないがしろにするのはダメ、ご飯を食べることも掃除することも便所で用を足すことも、寝ることも起きることも。あらゆる行為一つひとつが仏道への全ての入り口であるのだと。ものすごく具体的なんです。

いまお寺って檀家離れとかすごい激しくて、そうした危機感は僧侶であれば誰にでもあると思うんですよ。チケンたちだって収入がなければやっていけない、精進料理教室はそういう現世的な事情もあって始めたことだとも思うのですが、やっぱり3.11を契機にやる以上は本当の質を迫られる。そもそもかつてお寺っていうのは人が普通にわらわらと集まる場所、真の意味でのコミュニティだったわけで、そういうかたちを取り戻すためにチケンは教室をやってると老師にお話しする。しかしその「精進料理」という考え方に対して「切って血の出るものだけが命じゃない」と聞かされ、われわれも一気に目が覚めたわけですけども。

――そのような教え、修行に伴う具体性というのは、やはり他の宗派とは全く異なるものなのですね。

富田:たとえば真言宗を開いた空海ってどういう人だったか。彼は天才とも言い伝えられますが、バーっと中国(唐)へ行ってシュッと教えを詰め込んでパッと帰ってきちゃった(笑)。当時、遣唐使の船なんて最短でも15年間隔とかで、運よく乗れたとしてもそもそも到着できるかもわからない。一度唐へ渡って、結局死ぬまで戻れなかったり、途中で沈没して亡くなったりした僧侶だってたくさんいたというのに、3年のうちに戻ってきてしまったということがもはや奇跡に近い。それはさておき、空海はその仏教の教えを基礎とする理想郷を夢見た。そして平安時代にその教えを広めるには、上からいっちゃうのが一番てっとり早いと天皇家を抑えようとしたわけですよね。なんなら自分が天皇になろうとすらしていたんじゃないかという風にドラマ化されたりもしてきました。当時、家柄出自、格式が重んじられた世にあって、一学問僧だった空海が遣唐使船に乗れたこと自体いまだミステリーらしいけど、曹洞宗を日本に伝えた道元はその他の例にもれず貴族出身だったわけです。その道元は仏教が貴族のためだけでいいはずがなかろうということに気づいて帰国し、その後曹洞宗は草の根で広がっていったわけです。両者の対比も面白いですよね。生活それ自体のありようを重視することで、少しずつ広がっていったものなんですよ。

だから曹洞宗の教えって、俺が子供の頃に考えてたミステリアスで壮大で深遠な仏教像とはなかなか結びつかなかった。具体的なものって、なんかカッコよくないような気がしたんでしょうね(笑)。だけど老師のね、「切って血の出るものだけが命じゃない、菜っ葉一枚、米粒一つだって同じ命」って話を聞いて考えが変わった。埴谷雄高が「キリストは石をパンに変え、ブッタも手のひらから米を出したと言われる。でもキリストに問いたい、あんたは石臼で挽かれる小麦の叫びを聞いたのか?釈迦よ、あんたは米が噛み潰される悲鳴に思いを馳せたのか?」みたいなことを言ったことがありますよね。老師の話を聞いているときに思い出したのはそれです。

© 空族

その話に続けて、老師がニコッと笑ってね、「米粒や菜っ葉だけじゃない、コップみたいな私たちが生物だと思っていないものも同じですよ」とまで言われた。「コップを机にガツンと置くのは自分の頭をガツンとやられることと同じです」と。菜っ葉一枚、米粒一粒、さらにはコップみたいな静物まで、すべては何かしらの因果でこの形でここにある。「宇宙全体、銀河系の果てまで、何かひとつでも狂っていたらわれわれもこの姿でここにいません」と。悟りなんてものは新しい何かを知ることじゃなく、いま現在、自らがここにいるという当たり前のことに気づくということだと。そして、宗教は苦しみ悲しみから逃れるためにあるもんじゃない、苦しみ悲しみを知ることでアンテナがたって知覚できることなのだと。それを聞いていろんなことが腑に落ちたっていうか、気が楽になった。途方もないものだと考えていた仏教の教えと自分がつながった気がしたんです。

――一方で、いわゆる幕間の場面と言えるでしょうか、僧侶の方々のどこか世俗的な様子を映し出す場面があります。私服姿でタバコをふかしていたり、お酒を飲んだり、あるいはチケンさんがご自身の妻にキツくあたる場面など……そうした場面を映し出されることに曹洞宗の皆さんからの抵抗はなかったのでしょうか。

富田:もちろんありましたよ(笑)、やっぱり綺麗なものだけを描いて欲しいと思ってる人もいて。でも青年会のみんながこっち側についてくれたんです。彼らは、葬式仏教だとか生臭坊主って揶揄され続けてきた、自分たちの親世代を見てきてるわけでね。時代も大きく変わって、これまでの価値観などもはや通用しないことも身に染みている。きれいごとばかり並べていても誰も見向きもしない、彼らもそれを身をもってわかっているから、一生懸命上層部を説得してくれたんです。そういう賛否はあったけど、とはいえ弾圧じみたなにかを受けたわけじゃないですから。結局はやらせてくれた。そういう意味でも曹洞宗は開かれた宗派だなって思いますよ。

――映画史において信仰を題材にした作品というのは、どれも多かれ少なかれある種の音楽映画の側面を有しているように思うのですが、『典座』もそのひとつであるように思います。チケンさん、リュウギョウさんをはじめ、皆さんほんとうに声が良いですよね。言葉の演技の演劇的な巧拙ではなく、その響きにこそ聞き入ってしまうというか。

富田:お坊さんにとってやっぱり読経って腕の見せ所で、葬式だと人が亡くなってる場だから緊張感があるし、自分のお経が人の涙を誘うことに気づくこともある。チケンは檀家衆の中でも声がいいとの評判で、自分の声が人にどういう影響を与えるか、その影響が自分にどう返ってくるのかに、最近自分でも気づいたらしいんです。

こないだカンヌ映画祭に行って面白かったのは、仏僧が袈裟着てあそこを練り歩くと、珍しがって写真撮らせてくださいって人がいっぱい来るんですよ。そこでチケンやリュウギョウさんが気さくに握手しようと手を差し出すと、ヨーロッパの人たちは「え?」って恐縮するんです。やっぱり日本に比べると向こうの人はよっぽど信仰心があるわけで、僧侶に対して畏怖の念があるというか、そんな簡単に触っちゃいけない存在だと思うんでしょうね。そういう態度に触れて、二人の背筋が伸びていくんです。自らの存在を再認識している過程を傍で見ていました。やっぱり相互関係なんですよね、求められるから存在するんだと。3.11のあと、自分たちが人々に求められはじめていることへの気づきが彼らの中にあったからこそ、彼らも自分たちの存在意義を問い直すことを選んだわけで。

だからこそ、俺は『典座』をそういう映画にしなきゃと考えました。この映画を見た人が「お坊さんかっこいいな」って思ってくれればいい、お坊さんをヒーローにしようと。もし道に迷ってる若いお坊さんがこれを見て「俺、坊さんでよかった」って思ってくれたら嬉しいし、一般の人たちも「坊さんいいじゃん!」って思えるような映画になりゃいいなって。そこはみんなで一致していた思いですね。

© 空族

――だとすると、僧たちが順番で役目を果たす「いのちの電話」の場面はどこか不思議な心地があります。基本的には僧たちは電話に対して何かを伝えるではなく、ただただ相手の話を聞き続けるだけですよね。何がしかの教えを伝えるという素振りがない。というよりも、そのような状態に押し込められている気がします。

富田:「いのちの電話」って、悩みを抱えギリギリまで追い詰められた人が電話してくるんですよね。そうすると下手なことは言えないという、現代特有の自主規制に陥る。学校現場なんかいい例ですよね。教育という名の「触らぬ神に祟りなし」という態度になり果てる。曹洞宗のような巨大な組織になれば尚のことです。だから「御傾聴」、基本的にはひたすら傾聴し余計なことはいいなさんなとなってしまう。でも、それでいいの?って。もし信仰があって、坊さんという存在がいるんだったらね、そこでこそ言うべき言葉があるんじゃないかって。

だからこの映画の中では、彼らが“その言葉”を獲得するまでを描きたかった。

――それゆえ、終盤のチケンさんとリュウギョウさんの対話の場面があるわけですね。同時にあの場面の先では、かなり強烈なエフェクトがかけられた画面もあります。

富田:あの崖の場面ってタイムラプスで撮影した場面なんです。崖のところに二人を連れて行って「あんたたち禅僧なんだから、さあ、ここで坐禅2時間お願いします!」と、今まで修行したことの成果をここで出してくれ!って感じでヨーイスタート! 蚊に刺されようがなにしようがピクリとも動けず坐禅している様子を2時間撮って、5秒の映像になっているというわけです(笑)。

――その結果、彼らの思考が宇宙の果てにまで向かおうとする……。作品の冒頭、寺での修行の様々な場面が編集による省略のリズムで映し出されますが、この終盤の坐禅は逆に2時間ものワンシーン・ワンショットが一切カットされずに超高速で映し出されるわけですね。どちらの映像もある意味で「スタイリッシュ」なのに、撮り方はまるで異なっている。60分ほどのコンパクトな作品でありながら、見事に円環を描いているように思えます。

富田:なんといっても扱うテーマが仏教、ですからね。そんなの2時間あっても3時間あっても足りないだろうと思うところですよね。とはいえ、もう胸を借りるつもりで真正面からぶつかるしかない、とも思うわけです。で、青山老師にお会いして、ストーンと一直線、60分にまとまってしまった。これまで長い映画ばっか作ってきたから、不思議な気持ちもありつつ、でも意外じゃなかったですね。

© 空族

――この映画を作るにあたって、最も印象深いのはどこになるでしょうか。

富田:やっぱり青山老師がね、「たった一人でいい、本物に立ち上がってほしい」と言われる場面、あそこがね、本当に「よっしゃ!」って思えたところなんですよ。「ああ、《立ち上がれ》って言うんだ、この人は」と。非常に真っ当にシンプルに当たり前のことをきちんと言う人が、ここにいるんだって。

後半、チケンの姿と一緒に自分たち撮影隊の姿を映した場面ありますよね、そこでもやっぱり老師の言葉に促された部分があるんです。仏教、特に禅宗っていわゆる「定(人格の相伝)」ってものによって受け継がれてきたと言われるんですが、老師を目の当たりにしてそれが理解できた。つまり、人に魅了され打たれるってことなんだって。だからこの撮影隊の場面は「俺たちも立ち上がります!」という表明でもある。それとともに、さっきもお話しした仏教観というかね、僕たちは映画についてドキュメンタリーだのフィクションだのメイキングだのと分けて考えがちなんですけども、最終的にすべて繋がってるんだと、(アッバス・)キアロスタミの映画もそうだったよね。

その意味でね、先日の参院選でれいわ新撰組が台頭してきてたことをみてると、ちょっと山本太郎の姿が青山老師に重なる。真っ当なことを誰に遠慮することなく言う。ちゃんとしたことをきちんと言ってやっていく、そういうことが人の心を打つんだと。簡単にはできないことだし、命がけなのは間違いない。でも、やっぱりそういうことが必要だと思う。そういうふうに生きたいですよね。

 

『典座 -TENZO-』


監督:富田克也 脚本:相澤虎之助、富田克也 プロデューサー:倉島隆行
撮影・照明:スタジオ石 録音・整音:山﨑巌 編集:富田克也、古屋卓麿
音楽:右左口竹の会、Suri Yamuhi And The Babylon Band、NORIKIYO
製作:全国曹洞宗青年会
オフィシャルサイト:http://sousei.gr.jp/tenzo/
2019年/62分/DCP/ビスタ/5.1ch

10月4日(金)よりアップリンク吉祥寺・渋谷にて公開!以降全国順次

2019年8月7日
取材・構成:フィルムアート社編集部
協力:岩井秀世

 

プロフィール
富田克也とみた・かつや

1972年山梨県生まれ。映画監督。2003年に発表した処女長編『雲の上』が「映画美学校映画祭2004」にてスカラシップを獲得。これをもとに制作した『国道20号線』を2007年に発表。『サウダーヂ』(2011)ではナント三大陸映画祭グランプリ、ロカルノ国際映画祭独立批評家連盟特別賞を受賞。国内では、高崎映画祭最優秀作品賞、毎日映画コンクール優秀作品賞&監督賞をW受賞。2017年には構想10年、タイ・ラオスオールロケで制作された『バンコクナイツ』を公開。本作はロカルノ国際映画祭国際コンペティション部門に選出され、若手審査員・最優秀作品賞を受賞した。空族・相澤虎之助との共著に『バンコクナイツ』の制作過程を鮮明に記した『バンコクナイツ:潜行一千里』(河出書房新社)がある。

(写真:山口貴裕)

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