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2020.04.13

第10話 恵美子の日の話

〇〇の日の話 / 大前粟生

 大学には「恵美子」という名前の部活動があった。部員は恵美子ひとりで部室は「恵美子の部屋」と呼ばれていた。個人が部活になるなんて可能なのかと思うが、現に成立していて、部費でハロゲンヒーターと丸椅子も購入されていた。どうしてかというと、恵美子の部屋への行列に並ぶひとたちの不快感を軽くするためのものだ。行列は日によってはキロ単位にもなる。たまにお茶菓子も提供しているから、ハロゲンヒーターと電源を繋ぐいくつもの延長コードと、丸椅子とお茶菓子だけで部費は吹き飛んだ。恵美子の部屋には幽霊が座るような質素な椅子がふたつあるだけ。恵美子は恵美子だというのにエミカーと同じ椅子に座って恵美子する。そうなのだ。恵美子に話を聞いてもらうことを人は「恵美子する」といい、その当事者は「エミカー」と呼ばれていた。
 たとえばあなたがエミカーとなって失恋の相談をする。友人がパートナーと共依存関係になっているのだという相談をする。ジェンダーの話。過去の被害や加害の話。恵美子は相談を直接は解決しないけれど、ベストなタイミングで相づちを打って、つらかったよね、という。すてき、めっちゃええですやん、と肯定する。恵美子はセラピストやカウンセラーの業務に近い活動だが、そういった名前がつくところに相談にいけないひとがたくさんいて、恵美子しにくる。私もときどき恵美子する。ただ恵美子と話したいだけなのだけれど、恵美子は忙しいから恵美子に並ばないとまともに話すことさえできない。
「最近どう? 元気?」
 私が聞くと恵美子は、
「すてき! めっちゃええですやん!」
 荒ぶる機械のようにいう。前のエミカーの恵美子が強烈だったのだろう、しばらく恵美子は同じ言葉しかいわなかった。
 今日は4月13日。「恵美子の日」という記念日で(上沼恵美子の誕生日から制定された、全国の恵美子さんにエールを送る日らしい。全国の恵美子さんは、おめでとうね)、恵美子にもエールを送ろうと思っていたのだけれどな。私は恵美子に課金して、予約なし飛び入りのエミカーが使える制限時間のうちマックス35分コースにした。恵美子が落ち着くと私は、疲れてるだろうからコースが終わるまでちょっと休んでなよ、といった。恵美子は一瞬おどろいた顔をして、でもすぐにぐうぐう眠った。私は結局なんのエールも送れなかったんだ。法人化おめでとう、と私は一輪の胡蝶蘭を恵美子のもさもさの髪にさして立ち去った。
 恵美子とはじめて出会ったのは大学の入学式。席が隣というだけの理由で友だちになった。秋にはシェアハウスさえはじめた。その頃には恵美子はすでに恵美子としての能力を発揮していた。大学二年になり、本格的に法人活動を開始すると、私は恵美子で秘書を務めることにした。それまでは無料でやっていた恵美子だが、一回につき1500円をエミカーからもらうことにしたのだ。これが恵美子の行く末を大きく変えることとなった。金銭がイコール責任となり、恵美子のパフォーマンスは激減。めまいと吐き気を催すようになり、これはまずいと思った私たちはすぐに恵美子を中断。規模も収縮した。
 いまではシェアハウスのなかの本当の恵美子の部屋でのみ活動している。家に上げることのできる気のいい友人たちにしか恵美子は恵美子しなくなった。それはそれでよいことだった。エミカーの数が減り、親密圏に身を置くことで恵美子はそれまで疲れていたことを知った。他人に献身的であることこそが恵美子なのだと、恵美子は無理に恵美子していたのだ。
 銭湯いきたい。百貨店の試飲会にいきたい。おしゃれな御朱印帳を買いにいきたい。そういう小さな欲望を恵美子はいままで抑えていた。
 いまならいけるよ。なんならみんなでいけるよ。でもひとりがいいならそういってくれるとうれしい。友だちだから。なんでもいってくれるとうれしいなって、だれかから気遣われることが恵美子にとってストレスじゃなさそうな場所に恵美子を連れてこられて私たちはうれしいんだよ。自分のためにめっちゃええですやんっていう恵美子を見たいんだ。