• Twitter
  • Facebook
2020.10.31

第30話 ハロウィンの話

〇〇の日の話 / 大前粟生

 市内には小中高と合わせて四つの学校がある。昔は二十近くあったそうだ。使われなくなった学校はショッピングモールやホテルや映画館に改装されたが、なににも再利用されなかった校舎もあったし、ショッピングモールやホテルや映画館だって時間が経つと潰れて、だからいまでは、十六の校舎が空っぽでいる。
 学校だったときの備品や商業施設だったときの設備は完全には撤去されず、なかにはそのまま営業再開できるんじゃないかというところもある。立ち入り禁止のロープが張り巡らされ、敷地内は防犯カメラが至るところにあるため、なかに入ることはできないが、外から覗くことはできる。
 学校が終わる。ゲームが終わる。読んでいた小説が終わる。時間に区切りがつくと朝美は川へ向かった。川にいると、未来を目指さなくてよかった。目標を持っていなくても大丈夫。川沿いへの道に下りる階段に腰掛けて昼間から酒を飲んでいるひとがたくさんいて、朝美は少しこわい気持ちになると同時に安心するのだった。
 河原には整備された芝生の斜面があった。遊歩道との高低差は場所によってばらばらで、角度のきついところだと、小さな山といってよかった。その山のてっぺんに立って、背伸びをすると、対岸の向こうにある旧校舎が見える。
 一度ホテルとして活用されたあと、数年も持たずに潰れ、その後は他のなににも再利用されずにいる。コンクリート造りの大きな校舎で、何十メートルか離れたここからでも、ところどころ、長年の雨風によって外壁にできた染みがよく見える。そこだけ色が濃くなったり薄くなったりしている。空から、巨大な手のひらで触れられているようなかたちの染み。
 ホテルになるときに新調されたはずなのに、ここからでも、三〇〇ほどあるすべての窓が風でぶよぶよたわんでいるのが見える。ぺらぺらの下敷きみたいだ、と朝美は思った。カーテンは閉まったり開いていたりで、いくつかのカーテンは窓に向かって自分を押し当てるようにひるがえっていた。
 だれか、いるのだろうか。
 朝美は目を凝らした。あまりに集中して、顔のぜんぶが眼球になってしまうくらい。きのう徹夜で本を読んだせいで、目が充血して赤くなっている。
 猛るようにひるがえるカーテンの向こうには、椅子が見えた。
 部屋のなかに、ぽつんと、ひとつだけあって、こっちを向いていた。
 朝美は目に思い切り力を入れて、自分に見えている視界をぐっ、ぐっ、ぐっ、と拡大した。すると、椅子の上で、なにか半透明のものが揺れていた。
 痛っ! 朝美は小さな悲鳴をあげた。集中して見つめたせいで、目のなかの毛細血管がぶちぶち破裂したのだ。いまやその大部分が赤くなっている目を目蓋で覆い、開くと、もうカーテンはひるがえっていなかったし、校舎の窓も震えてはいなかった。
 山を降りると、河原には椅子がたくさん並んでいた。
 さっき見たのと同じ椅子が、分裂したようにたくさん、規則正しく、これから映画でもはじまるかのように。
 朝美は、なんだか疲れたし、そのひとつに座ろうとした。すると、中腰になったあたりで、お尻の先から、「えっえっえっえっ」と声が聞こえた。
「えっ、ごめんなさい」
 と朝美はいった。振り返っても、椅子の上にはだれもいない。ああ、おばけだ、と朝美にはわかった。
 朝美は芝生に直に体育座りした。振り返ると、やっぱり椅子がたくさんあり、首を回して別のところを見て、首を戻すと、椅子の数が増えていた。え、と思って、さっき見たところを見ると、そこでも椅子が増えていた。朝美に見られていないあいだに、椅子がぽんぽん増えていくのだった。
 こわいと思いながらも、朝美はそこから動く気になれなかった。やがて陽が陰りだすと、ぜんぶの椅子の上に、なにか、白いひょろひょろしたものが落ちているのが目についた。湯葉みたいなかたちをしていた。それを中心にして、ゆっくり、輪郭が、姿かたちが、色がついていき、おばけがじわじわ目に見えるようになった。見えるようになってしまうと、もう生きている人間と変わらなかった。透明だったときが、朝美は思い出せなくなった。