犬、と思うのだった。あたたかいものはぜんぶ犬。うれしいことは犬。たのしさは犬。しあわせの名前が「犬」。心がぴょんと日々のやりきれなさを飛び超えていく瞬間に犬はいて、実在しているとなおうれしいけれど犬と思うと犬がいる。犬の名前はペロだ。ペロはコインランドリーで発見された。朝美は三半規管が弱い。ドゥロロロンゴトドゥロロンゴト。洗濯機のなかで規則正しく回って音を奏でる衣服たちにつられて目も回ってきた。仁王立ちの朝美の右手はくらくらと揺れる頭を支え、左手は行き場を失ったように空をさまよっていたが、腿に近いある点で支えを得たように静止した。そこにはなにもなかったが、確かに感触があった。あたたかい。犬だ、と朝美は思った。その言葉がもうあたたかいから。左手を微かに動かすと潤った毛の感覚がする。大きさはどれくらいだろうか? わたしの腿の高さに頭があるのだからかなり大きい。犬が好きだけど朝美には犬アレルギーがあって触れることができなかった。その分、網膜に焼きつくように見つめてきた犬たちの顔が瞳のなかでスロットのように縦に回転しはじめた。ジャララウィーン! ジャララパパピリジャララパパピリ、ピリ、ピリ、ジャスコオオン! とリーチの果て、確定した犬の顔を朝美は思い描いた。毛と、舌の温度を。手をなめられて爪のあいだが生ぬるくなって直後に空気で冷えつく感触を。ドラム式洗濯機の窓には朝美の腿から脇までと犬の鼻先から頭頂部がうつっていた。そのなかで色とりどりの衣服が掻き回っている。衝撃に朝美は「わっ」と声を出しコインランドリー内のベンチに座った。犬が急に立ち上がったのだ。やっぱりかなり大きいから、朝美は家に帰ってから家具の配置を変えようと部屋の間取りを頭のなかで思い描きパズルでも組み立てるようにカチャカチャ家具を動かした。よし、と満足した光景を実際に反映するにはかなり時間がかかった。それまでは必ず背表紙が見えるように、奥行きのある棚でも前後に重ねたりはせずに本を入れて入らない分は天板の上か床に積んでいたのだが、犬と暮らすとなると床を片付ける必要があった。なんとなしに部屋に課していたルールを変更するのは想像よりも負担で、けれど無理やり棚に本を突っ込みその他ゴミや充電器や虫除けスプレーなんかもクローゼットに押し込んでスペースを作ると、ここで犬が動いているという実感が湧いてきた。自由に動くことができるので、かえって犬は昼寝ばかりした。都合のいい存在になってしまうのではないか、と朝美が危惧していたほどには礼儀正しくはなく何度か犬は粗相をし、密かに書き溜めていた小説のアイデアが詰まった手書きノートを破ったりもし、そのわがままさにかえって朝美は安心した。勝手に作り出してしまった犬が笑顔ばかり見せるのではないことに。それで気が緩んでいる自覚もあった。わたしはじゃあいつか、大切なひとが死んだら同じようにしてみようと思ってしまうかもしれない、と。