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2020.12.01

第34話 映画の日の話

〇〇の日の話 / 大前粟生

 川での映画の上映が幽霊たちに好評で月に一度行われることになった。空に浮かんだボランティアの幽霊たちの体をスクリーンにして投影した。ぱちぱちぱちぱち、とボランティアさんたちが飽きて動くので映画も火花のように散った。蛾のようにもジェットコースターのようにも、動いた部分に映像が貼りついて宙を舞った。あるボランティアさんは定位置にいて、あるボランティアさんは河原の犬を捕まえたいので、登場人物の体を映す腰から肩へのねじれた光があちら、他のたくさんの体の光は席のすぐ間近に、それこそ河原の犬の毛にあった。だれもいない隙間から、光は宇宙に伸びた。鳥にもあたる。その表面で映像が動く。恐竜がグアララと吠えた。男がナイフを振って、その先端はカラスが動いたから見えない。宇宙にあたって血が飛び散った。叫び顔がある。たこ焼き。アイフォン。短冊。フラフープ。朝美が大きく手を振ると爪が映画になった。
 私はここに、十年くらい通った気がするし、通っていない気もする。観ている自分よりも画面のなかに流れている時間がおかしい。二時間で十、一○○、二○○年が平気で経つ。ええー、と思う。それに比べると私が、私が撮ったものを観ているのは不思議でもない気がした。周りのひとがピカチュウの言葉を話す時期があったのだ。それを追いかけて私は撮影していた。
 どうしてピカチュウになろうと思ったんですか?
 ピカピカピッカッチュウ。
 あーなるほど。はい。わかります。
 ピカピカピッピ。ピカピカチュウ?
 あははは!
 爆笑する私に、ピカチュウが手作りのピカチュウの耳を被せようとしてくる。そして私はピカチュウの耳を受け入れる。気づいたらピカチュウの言葉が私の喉から出てきている。
 ピカ?
 私たちはうれしくて、通りを歩き回っていると、他のピカチュウたちも集まってきて、列になって行進し出す。カメラはドローンで上空に浮かび、引きの画の街には通りという通りにピカチュウが溢れていて、どれが私なのか自分でもわからない。
 だれが私なのかわからないんだ。
 目が覚めると、私は汗びっしょりで、でも、なにを見たのか忘れている。あんた映画撮るんじゃなかったの? という母の声が、朝ごはんをたべているとき、傾けたみそ汁のお椀の暗がりから、それだけが鮮明に聞こえる。そうだった。私は映画を撮るのだった。アイフォンを持っていとこのれいんの家にいく。
 れいんはピカチュウで、私たちはインタビューの前と後に公園で水風船を投げ合ってあそんだ。走り回っていると、アスレチックジムの細い鉄の棒の、みんながそこに足をかけるから塗装の剥げて銀色のピカピカした部分に反射する。
 そうそう。私たちはこんな姿、こんな顔だった。
 そしてじっと見ていると一瞬、白い襷のようなものが私の服の上に映った。それは、幽霊になった私だった。
 へぇー、と私は思った。
 身に覚えがなかったが、これから先(というか前かもしれない)のいつかに、私が映り込みにいくのだろう。そしてそれは、運命が回るように私がいま、この映画を観ているからだ。
 どうしてそう思うの?
 本当にそう?
 画面のなかの私が、カメラに向けてカメラを向ける。