肉体の作成、魂の実装
真夜中を四時間ほど過ぎたころ、川べりに3人の男が集まっている。
男たちはほどよい粘土層の場所を探すと、土をこねてなにかを作り始める。ほどなく出来上がったのは、長さ三腕尺ほどの土の山である。どうやらその土塊は、仰向けに寝転んだ人間のような格好をしている。男たちの手によって、土塊には顔が与えられ、手足が与えられ、次第にはっきりと人間のかたちをとり始める。やがて出来上がった土人形を、男たちはじっと見つめる。
土人形に生命の息吹を吹き込むには4つの要素、すなわち、火・空気・水・土の4つの力が必要だ。3人の男たちは、それぞれ火・空気・水の力と共に生まれたという。それぞれの力を土塊に与えれば、創造は完成するということになっている。
まずは火の力を持つ男が、土人形の周りをまわる。右側から始めて頭のほうへ反時計回りに、呪文を朗唱しながら7周。すると土人形が、まるで燃え立つ石炭のように内側に赤い火を宿す。続いて水の力を持つ男が、やはり呪文を唱えながら7周。今度は土人形に水が宿る。火は消えて、代わりに蒸気が漂い始める。皮膚は潤い、頭には髪の毛が生え、手指には爪が生えてくる。すでに土人形の見た目は、30歳ほどの男性のようになっている。
最後に、空気の力を持つ男が7周回る。そして今度は3人で、同じ呪文を唱える。
「主なる神は土の鼻に命の息吹を吹き込み、すると人は生きる者になった」
唱え終わると、土人形であったはずのそれが目を開く。傍らに立つ3人の男を不思議そうに見つめる。空気の男が「立て」と命じると、ひとりでに立ち上がる。用意してきた服を着せ、靴を履かせてやると、見た目にはもう普通の人間と変わらない。それは見て、言葉を聴いて、それを理解することさえできたが、ただひとつ、自ら話すことだけはできなかった──。
金森は『ゴーレムの生命論』のはじまりに、かなりの字幅をとってゴーレム創造の場面を描出する。参照されているのは、ポーランドのラビ、ユードル・ローゼンベルグが1909年に発表した書物『ニフラオート・マラハル』の描写だ。同書のほとんど全編を要約するかのような勢いで、錬金術師たちがゴーレム創造に至る経緯、創造されたゴーレムが人間として村で生活し、活躍し、愛されるさま、そして創造時とは逆の儀式によって再び土塊に戻る、その最期に至るまでが、詳細に記されている。『ニフラオート・マラハル』が日本の読者にとって簡単にアクセスできるものではないことも鑑みれば、その描出自体が資料的な意義を持つのはたしかだが、それにしてもなにか異様な偏りを感じる。
周知のとおりフィクションの次元では、文字通り人形が人間化するということもしばしば起こってきた。その最たる例として『人形論』で挙げられるのが、かの有名なピュグマリオン伝説である。生身の女性に絶望した彫刻師ピュグマリオンは、自分で作った精巧な女性像を生きた人間のように愛し、ついには神様に頼んで命を吹き込んでもらうにいたる。石造りのひんやりとした表面が、いつのまにか温かく赤みを帯び、生命の息吹を宿す。いまや乙女となった像にピュグマリオンは名前を付け、結婚し、最後には彼女とのあいだに子供をもうけるのである。こうした人形愛は一般に「ピュグマリオン・コンプレックス」とか「ピュグマリオニズム」と呼ばれ、これを描いた文学作品にはその後もあまたの例がある。
残念なことに、こうした言説空間における事例が現実空間とどのように接続されるのかという段になると、同書はすこし覚束ない。「人形が人間になる」というアイデアの持つ意味は、フィクションと現実とでは天と地ほどに異なり、人形をほんとうに〈人間圏〉に召喚することは容易ではない。しかし覚束ないながらも、事実として人形が現実空間に存在するありかたを描写することで、金森は非生命の神秘に迫ろうとした。人の手によって作られたモノに、魂を実装する理路を探ろうとした。膨大な資料の山と向き合い、金森がなんとかひねり出したのは〈人形三角錐〉なる思考モデルであった。
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