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2021.07.16

第3回:仮想空間と四本腕のダンス
──かたちが踊る、かたちを換える

踊るのは新しい体 / 太田充胤

ゴーレムのかたちとはたらき

 テッド・チャンの仮想空間、あるいはより絞っていえば「テトラブレイク」というアイデアは、ここまででざっと見てきた先行事例とは明らかになにかが違う。四本腕というかたちが、あらかじめ指定されていること。運動の習得が、現実空間と同じく学習のプロセスを要求すること。ダンスという無目的的な運動、記号に還元しきれない身体提示が競われること。これらの状況設定によって、仮想空間は魂とかたちが結びつくことのできる場となっている。ダンスシーンとは、魂とかたちの結びつきの様式を問うための場である。しばしば起動すらされぬままデータとして休眠し続けることさえある仮想空間内のオブジェクトは、このような場において初めて、ある種の物質としてそこに「在る」ことを許されるのではないか。

 チャンが体のかたちについて意識的であることは、より初期の作品「七十二文字」(2000年)に示されている[8]。こちらは仮想空間ではなく現実空間の話だが、我々とは異なる世界線の話でもある。舞台は錬金術が高度に発展し、それが今まさに人工生命を作り上げようとしている世界。我々人類が機械によって成しとげた産業革命は、同作の世界では量産型の工業用ゴーレム(自動人形)によって成し遂げられている。端的に言えば錬金術パンクである。
 同作において、ゴーレムを動かす原理は「名辞」と呼ばれている。ゴーレム伝説には人形に命を吹き込むための儀式としていくつかの定番があるが、そのひとつに最後の仕上げとし護符を貼る方法がある。ユダヤ語で真理を意味する“emeth”の文字が刻まれた護符を貼ると、ゴーレムが起動する。一方、“emeth”から最初の“e”(ヘブライ語ではアレフ)を取り除いた“meth”は、ユダヤ語で死を意味する。最初のアレフを消去すると、ゴーレムは電源を切った家電のように休止し、再びアレフを刻み込むとまた動き出す。土くれに戻すためにはもう少し長い手続きが必要になるが、一度物質として自存したゴーレムは、こうして文字によってコントロールされる。「名辞」はこの文字入力による駆動原理の付与を、錬金術の発展によって七十二文字の配列まで拡張したものであると推測される。
 主人公のロバート・ストラットンは、極めて優秀なゴーレムの駆動原理の制作者だ。ストラットンは幼少期からゴーレムを動かす仕組みに興味を持ち、粘土細工の小さなゴーレムで実験を繰り返した。人間のかたちをしたゴーレムが転ばずにまっすぐ歩ける「名辞」とはどのようなものか。その「名辞」を別のかたちに、たとえば馬のような四足歩行のゴーレムに適用したらどうなるか。理想的な運動をみせたかたちの、片方の足だけを短くしてみるとどうなるか。同じ文字列によってうまく駆動するかたちとまったく機能しないかたちとがあること、特定のかたちを動かすためにはそれに見合う文字列を編みださねばならないことを、ストラットンは幼いころから経験的に知っていた。
 文字の組み合わせ次第で、同じかたちのゴーレムが様々な機能を獲得する。したがって、錬金術開発においては、目的とする機能のためにどのようなかたちとどのような「名辞」の組み合わせがよいか、また対象となる特定の形をどのような「名辞」なら動かすことができるかという問いが焦点になる。やがて大人になり、本格的に錬金術学を修めたストラットンは、不可能と考えられていたゴーレムの五本指を動かす「名辞」を開発する。それまでゴーレムは、ミトンのような指のない手しか与えられておらず、その手でできる大雑把な作業だけを担っていた。もしゴーレムが人間のように五本指で作業するようになれば、いずれは繊細な作業も担うようになり、職人たちの立場を脅かす存在になるかもしれない。そんな恐怖にかられた労働者団体から、ストラットンは命を狙われることになる。

 労働者のゴーレムに対する不安が、高度に発達した機械に職を奪われるのではないかという現代人の不安をパラフレーズしたものであることは言うまでもない。ただ、機械とゴーレムで大きく異なるのは、ゴーレムは機械と違って、動くための内部構造を持っているわけではない点かもしれない。機械の体は合目的的に動くことをあらかじめ宿命づけられ、そのための内部構造を内側に持っている。ゴーレムはそうではない。ゴーレムの体を動かすのは「名辞」であり、ひとつの同じかたちは適用可能な「名辞」の数だけ、身体運用の原理を獲得する。応用が利くという意味では、機械よりもずっと大きな脅威であるようにも感じられる。
 とはいえ、「名辞」で駆動するゴーレムもまた、それほど融通が利くわけではない。与えられた文字列の通りにしか機能しないし、「名辞」とかたちとのミスマッチがあれば、それはうまくは機能しない。同じ文字列を複数のかたちに適応することは、常にうまくいくわけではない。新しいかたちが供給されたら、それを動かすことのできる「名辞」の開発を待つしかない。
 しかし魂ならば、自ら学習する。新しいかたちを与えられた魂は、それをよく運用すべく自らのかたちを作り替える。同じ「名辞」を違うかたちに適用したらどうなるか、と問いから、同じ魂が違うかたちを運用したらどうなるか、という問いへ。魂を実装された人形は、今度は勝手にそのかたちを運用する能力を醸成する。「七十二文字」から八年後に書かれた「ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル」で、チャンがやろうとしているのはそういうことである。
 「ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル」には、四本腕どころではない奇妙なかたちも登場する。たとえば、三本の足と二本の触手、一本の尾をもつエイリアンのアバター「ゼノテリアン」。どうやって歩くのかさえ想像がつかない。ユーザーの中には、好奇心からさらに奇天烈な身体構造や、物理条件の違う生育環境を希望する者もいた。それらの身体運用を二本足・二本腕の人間がデザインすることは簡単ではないが、アバターを与えられた魂がひとりでに学習するのならば問題はない。
 新しいかたちを与えられた魂がどのような身体運用を身につけるのかを眺めるさまは、おそらく至上の娯楽であるに違いない。あわよくばそれらが踊っているところが見てみたいと考えるのは、極めて自然な欲望であるような気がする。
(→〈6〉へ)