2013年、東京・学芸大学の賑やかな商店街を通りすぎた先、住宅街にぽつんと、SUNNY BOY BOOKSは誕生しました。店主の高橋和也さんとフィルムアート社のおつきあいが始まったのはとても最近なのですが、ちょうど『ヒロインズ』を売りまくっていたり(250冊以上!)、企画展「想像からはじめる――Solidarity-連帯-연대――」が全国の書店を巻き込んだ大きなうねりとなって巡回されたり、すごいことを淡々と当たり前のようにやっていらっしゃる時期で、個人書店の底力というか、小さいゆえの機動力とか社会的な意義というか、改めて実感したのを覚えています。
以前のインタビューで「東京だからやっていける」とおっしゃっていた高橋さんですが、世の中の状況も変わり、決して楽観的ではないけれど、東京はもちろん地方でも本屋を始められる方がとても増えました。背景には、どこで買っても同じはずの本なのに、「大好きなお店を応援したいからここで買おう」と思う読者がすごく増えたことが大きいと感じます。SUNNYも特にコロナ禍初期に休業された際、心が折れそうなとき、お客さまからたくさんの激励を受け取って気持ちを保てたとのこと。だからこそ2021年2月に家族で沖縄に移住されることになっても、続ける意志が繋がれたのだと思います。
沖縄移住をすっぱり決断されたことといい、子供さんが生まれてからはより「生活」を大事にされる気持ちが強まったようにも感じます。ブレない軸を持ちつつも自然な流れに身を任せてきた高橋さんが、現実をどう受け入れ、これからどうなっていくんだろう、見守りたい方はたくさんいらっしゃると思います。高橋さんの考えややりたいことが少しずつ整理できるような連載になればいいなと思います。
本屋をやっていて、「なんで本を読むのか。」また「どんな本を読むのか。」ということをよく聞かれます。いつも上手く答えられないのですが、自分なりに考えるなかでその質問にはインターネットやSNSが広まり、膨大な情報を余すところなく得ることができるのに、この期に及んでどうして紙で、なんで本を読むのか、という意味が隠れているのだろうな、と思ってきました。それはある意味その通りで、今という時代のなかで新鮮な情報を得ることに本は向いていないでしょう。そのことは情報を担ってきた雑誌の売上がここ20年で激減しているのをみれば、ある意味顕著な情報を得る手段の転換が進んだ結果のように思います。その点でいうとぼくは本に情報を求めることはほとんどありません(最近は晩ご飯の参考に料理書を読んでいるのでまったくではありませんが)。ではなぜか。それは本当にひとそれぞれなわけでひとつの答えを出すことが難しいけれど、ぼく自身は本を読んではまた忘れていくある意味人間らしい歩みを確認したいから、なのかなと最近は思っています。少し前に読んだ本の内容を数日で忘れてしまう(もしくは買った本すらも忘れてしまう)自分に飽き飽きすることにも飽きてきましたが、結局のところSNSなど簡単に世界と繋がるものから離れてひとり閉ざされた本の世界で自分と向き合う時間がもてることの豊さは何事にも代え難いと考えているからです。
そして本屋に行く理由もまた、ある意味では本を読む理由と同じです。
本棚におさまる数千、数万冊の本を眺め、歩くなかで自分に問います。「いま自分は何に興味があるの?」「これからどう世界と関わっていきたいの?」と。考えだしたら深く時間のかかるテーマですが、本に囲まれた落ち着いた本屋さんの店内、実にリラックスした心持ちで感覚を開きながら気軽に自分に投げかけて気になる本を手にしていきます。その時その場所で、誰かが書いた、まさにあなたとしか言いようのない本と言葉にならない自分以前のわたしとの出会いを楽しむように。
本を読み、本屋に行くのは、そんなみえない自分であり、あるいは誰かに会いにいく行為です。それはぼくにとってとても大切な時間ですが、だからといってひとに本を読め、本屋に行けという気持ちにはなりません。ぼくが本や本屋に触れて感じていることを他のひとは違うやり方で得ているかもしれない。いや、きっとたくさんのひとはそうなのだと、店番のなかで素通りしていくひとたちをみながら思ってきました。それになんというかそれでいいというか、自分ひとりでやっていると忘れがちなことのひとつですが、このお店はあくまで来るひとにとって選択肢のひとつなんだということを肝に銘じるというか、ぼくの身近には本があっただけなんだと、フラット気持ちでいたいなと日々思っています。
そんなぼくの本屋はとても小さいです。東京、学芸大学駅から歩いて5分ほど、住宅地にはいったところにぽつんとあります。レジスペースもいれて5坪ほどしかありません。一般流通している新刊本や古本、独立出版の本やジン、作家が自ら手がけた作品集まで本という幅広い形態のそれを集めぎゅっと詰め込んだ空間で、いまでは2週間に一度のペースで企画展もしています。思いついたことを実験して、調整して、考えて、変わらない繰り返しの日々のなかで少しずつ形を変えてきました。
レジ越しによく誰かの部屋みたい、という声が聞こえますが、確かにそれが一番手っ取り早い説明かもしれないと納得しています。先にふれた店の佇まいについて、ぽつんと、という少し寂しい表現が店名とは裏腹にあそこには似合っているように思います。なぜなら、希望にあふれたオープンからすぐに散々な売上が続き、絶望したところからこの場所が始まったからです。
新刊や雑誌は置いていない(一部直取引の新刊はありましたがわずかばかり)、スピーディーに売れていくビジネス書もない、ベストセラーもない、メインだった古本もいわゆるレアブックを集めたようなお店ではなく中途半端に新しめの古書で構成した中途半端なお店だったように思います。お金も知識もない、浅はかな自分がいいと思った本を置いて生きていくことの難しさを痛感しました。はじめは展示もしていませんでしたし、呼び水になることはほとんどなく一日誰も来ない日もあって、まさにぽつんと孤独とたたかうような日々でした。あの日からいつだって自信がないなかで4年目を過ぎたあたりから自分の給料といえる結果も出てきて、2021年の6月には9年目を迎えられました。しかしいまでも「本は売れない」と言われ続ける出版業界の端っこの端っこで、本当の”売れない”を体験し続けている気持ちもあります。今年からはお店の状況が変わり、ぼくは物理的にお店から離れ、仲間が増えたことで今までなかった責任も生じましたし(その辺りはまた触れますが)端的にみてここ半年間の売上でぼくの生計は立てられていません。
相変わらず自信はないし、弱音ばかり言っていますが、それでも今ではお店に集ってきた本をはじめ、独立出版や作家自らジンを手がける機会が増えることで出会ったたくさんのひとたち(書店員のときには経験したことのない距離の近さにいる)に励まされてそんな孤独は感じなくなりました。ぼくがこの場所を通して自分という存在を開いてきたように、ここに来てくれるひとにもゆるやかな繋がりの感覚を持ち帰ってもらいたいーーこのことはいまぼくが本屋をやっている意味というか、一瞬でも油断したら消えてなくなってしまうサニーみたいな小さな本屋から来てくれるひとに手渡したい想いとなっています。
そうやって自分なりに生きている感覚を保ち、過ぎて行く時間を自分たちのほうへ引き寄せたいと願っています。そう、願いです。本屋というビジネスと本という文化を繋ぐ両立を願いながら歩んできた今までと、新しい理想のイメージを育てているこれからについて、少し言葉にしていけたらと思います。
(第1回・了)
次回2021年9月21日(火)掲載予定です
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