2013年、東京・学芸大学の賑やかな商店街を通りすぎた先、住宅街にぽつんと、SUNNY BOY BOOKSは誕生しました。店主の高橋和也さんとフィルムアート社のおつきあいが始まったのはとても最近なのですが、ちょうど『ヒロインズ』を売りまくっていたり(250冊以上!)、企画展「想像からはじめる――Solidarity-連帯-연대――」が全国の書店を巻き込んだ大きなうねりとなって巡回されたり、すごいことを淡々と当たり前のようにやっていらっしゃる時期で、個人書店の底力というか、小さいゆえの機動力とか社会的な意義というか、改めて実感したのを覚えています。
以前のインタビューで「東京だからやっていける」とおっしゃっていた高橋さんですが、世の中の状況も変わり、決して楽観的ではないけれど、東京はもちろん地方でも本屋を始められる方がとても増えました。背景には、どこで買っても同じはずの本なのに、「大好きなお店を応援したいからここで買おう」と思う読者がすごく増えたことが大きいと感じます。SUNNYも特にコロナ禍初期に休業された際、心が折れそうなとき、お客さまからたくさんの激励を受け取って気持ちを保てたとのこと。だからこそ2021年2月に家族で沖縄に移住されることになっても、続ける意志が繋がれたのだと思います。
沖縄移住をすっぱり決断されたことといい、子供さんが生まれてからはより「生活」を大事にされる気持ちが強まったようにも感じます。ブレない軸を持ちつつも自然な流れに身を任せてきた高橋さんが、現実をどう受け入れ、これからどうなっていくんだろう、見守りたい方はたくさんいらっしゃると思います。高橋さんの考えややりたいことが少しずつ整理できるような連載になればいいなと思います。
なんでこんな急に全国あちこちのコロナ感染者数が減っているのか不思議だなーと思いながら沖縄も4ヶ月ぶりに宣言が解除されました。もともと仕事以外で旅行に行くこともほぼないインドアな人間なので自粛にも慣れてきましたが、沖縄に来てから家にいる時間がほとんどなのでさすがにひとに会いたいと思いながら過ごしています。でも次の波がいつくるのか、きた時には今より医療体制は改善されているんだろうか、なんてことが気になって、さて解禁だ、なんて明るい気持ちにはなれません。ちょっとお茶くらいはしてもいいかなーと思いながら、コロナ以前に沖縄に世間話ができるような友だちがそもそもいなかったりします。
そんな友だち募集中な店主ですが、先日久しぶりに那覇に行きました。今住んでいるうるま市からは車で一時間くらいかかるのでちょっと小旅行な気持ちになります。この日は日曜日だったので子を起こして朝ご飯(ヨーグルトとチョコパンが定番)を食べさせ、連れにバトンタッチしてからいそいそと出発。運転中に沖縄県総合運動公園の近くでビックアイスの路上販売をやっていてまだまだ夏だなーとか、ライカムの交差点は混むから避けていこうとか、通りの雰囲気でそろそろ宜野湾と分かったりとか場所についての感覚がついてきたのがなんだか嬉しくなります。
そんなことを思っている間に目的地である壺屋に到着、この日は2021年9月で14年の歴史に幕を下ろした言事堂さんの在庫をサヨナラ市として古本組合のみんなで分ける日でした。この日は木箱や台車なんかも出品されていて、お店が本当になくなるんだなーとしみじみ。ぼくはまだ組合に入っていませんが、ちはや書房さんの紹介ということでゲスト枠でお邪魔させていただいています。宣言下中は延期となっていたので皆さんに会うのも3ヶ月ぶり。で、分けるといっても仕入れなので競りです。置き入札というやりかたで、古本の山々に最低いくら(トメ)と書かれた封筒が添えられていて、そこに落札したい金額を書いたメモをいれていきます。久しぶりなのをいいことに何円単位で入札するかなどをすっかり忘れて古書ラテラ舎さんにイチから丁寧に教えていただく(感謝)。普段の市会は沖縄本がメインだけれど今回は美術書が強い言事堂さんだけあってアート関係や人類学、社会学あたりの読み物も多く出ていました。「石川真生の写真集、いくらになるかな? 沖縄古語大辞典もいくんじゃない?」なんて隣で話しているのをふむふむとこっそりききながら気になったものに入札していきます。始まる前に会長さんから「今日は餞別だからどんどん入札してくださいー」という言葉に勇気をもらい、強気でいたつもりでしたが、結局ひとつの山しか落とせませんでした。でもガイモノ(出版社の見切り品などで、同じ本をたくさん市場に出すとき、競争入札にせずに、あらかじめ価格を決めて購入者を募るが、その本をカズモノ、またはガイモノという。「日本の古本屋」より)をいくつか分けてもらえてほくほくしているうちに気づいたら4時間が経っていました。本と向き合う時間は本当にあっという間に過ぎていきます。
最後は言事堂さんの棚の一部をみんなで解体して解散。この棚はタイミングが合って、もうすぐ那覇の泊にオープンする古書ラテラ舎さんにいくそうです。本も棚もこうして引き継がれていくと思うと、寂しいけれど楽しみも確かにあって嬉しくなる。どんなお店になるのだろうか、外観の写真を見せてもらったけれど自分ごとのようにわくわくしてきて元気をもらいました。
そもそも古本は回り回ってたまたまそこにあるもので、買取にしても市会の仕入れにしても予期せぬものが混ざって入ってきてそのままお店に出されることがあります。棚作りの中でこのたまたまは意図して作れない出会いを生み出すので大事なことですが、偶然任せになってしまうとなんでもいい棚になってしまうのでバランスが大切です。なんというかこのたまたまは、人によって手を抜くとこや大雑把な部分なんかが違うそれぞれの性格みたいなものとお店をやるひとと場所との関わり方が影響して出てくるような気がしています。偶然との付き合い方とでもいうものが棚をいじるひとやお店をやるひとそれぞれに違っているから面白さがあるのです。なので意図してやろうというものではなくて、ふとした時に、時間をかけてじわじわと滲み出てくるのがたまたまなのだと思います。
そしてときに、このたまたまは本との出会いをこえてひととひとを結びつけてくれます。思い返すと言事堂さんに初めて行ったのは10年くらい前、そこで知り合いのYさんにばったり会ったり、初めましてだったSさんと言葉を交わした思い出があります。たまたまだから忘れない。たまたま手にした本が良かったことも忘れない。移転前のお店のことだけれど、だからぼくはあの場所をずっと忘れない。なんでそんなことが起こるかというときっと店主の宮城さんがたまたまに身を任せるのが上手かったからだと思うわけです。人との出会いも本もたまたまがちょうど良い。きっとまたどこかでひょっこり会いましょう。
誰の入札もないまま振り(かけ声で入札する)になって「100円で、ほら」と回ってきた大きめの湯沸ポットを一体いつどこで使うのか、自分が考えられる余地をはみ出したままだけれど、なんだか沖縄でのこれからを良い方向へ導いてくれるお守りをもらったような気がしています。
(第3回・了)
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