魂を鑑別する
たとえば黎明期から活動しているVTuberの1人「ときのそら」を見てみよう。YouTubeで「ときのそら 踊ってみた」と検索して時系列でソートする。上のほうに並んでいるのはどうやら別のユーザーによるMMDの動画らしい。検索した時点では上から8番目に、本人のアカウントから投稿されているものを発見する。
どうやらのど飴のプロモーション企画らしい。歌っているのは本人で間違いなさそうだ。さて、モデルを踊らせているのは本人の魂か、あるいはデータか。投稿者コメントからリンクをたどると、生身の人間が定点撮影で踊っている振付練習用の動画にたどり着く。しかし見たところ、コメントのなかにはこれがMMDであることを示唆するものはないし、練習用動画にもモーションデータへのリンクはない。元の動画に戻ってもう一度、彼女の挙動をよく見る。なんとなくだが、実際にモーションアクターが踊っているような気がしはじめる。
同じ振付を、同じVTuber事務所に属する別のモデルたちも踊っているのに気がついた。3人並べた動画があったので、目を凝らして答え合わせを試みる。ほとんど挙動に差がないのは、振付が簡単だからなのか、同じモーションデータを流し込んでいるからなのか……。迷いながら見ていくと、49秒あたり、左足を跳ねながら左右に腕を広げてターンする振付をきっかけとして、3人の間に明らかな差異が生じる。広げた腕の角度、ターンする速さと跳ねる足の高さ……。
鑑賞者はこのとき初めて、バックグラウンドに生身の人間が実在することを確信できる。まあ厳密にはこの段階でも、モデルごとにモーションデータが微調整されている可能性は棄却できないのだが。
もうひとつ古いのがこちらの動画。タイトルに【歌ってみた】とだけあるのだから自分で踊ってはいないのかもしれない、と想像しながら再生するが、正直に言ってモデルの挙動は先の動画に比してなんら遜色がない。今度は定点カメラではないから答え合わせも大変だ……と思いながら投稿者コメントをに目をやると、こちらには既に答えが書いてあった。つまり、MMDのモーション製作者がクレジットされ、モーションデータ配布元へのリンクが貼ってあったのである。つまりここでは、彼女の魂は歌だけを歌い、ダンスのほうは彼女の肉体の複製が代わりにこなしてくれていることになる。
ではさらに古いこちらはどうか。先の動画と同じユーザーによる楽曲を使い、似たようなフォーマットで動画が作成されている。タイトルには【踊ってみた】が入っており、投稿者コメント欄にはモーション配布元へのリンクがない。しかし、直観的にはなんとなく、流し込みではないかという気がする。
「エイリアンエイリアン MMD モーション配布」で検索してみると、そもそも同一の楽曲に対して振付が複数あることに気がつく。目についた範囲でいくつか再生してみるが、どれも問題の振付とは違っている。今度は「エイリアンエイリアン MMD」で検索しなおして、無数の動画を気が遠くなるような思いでひとつひとつ開いてみるが、一向に当たりにたどり着かず諦める。これは限りなくモーションデータ臭く見えるのに、その確証を得られなかった例である。
普段からときのそらの動向を追っているユーザーならば、どれがモーションキャプチャーで、どれが流し込みなのか、動画を見る前からわかっているのかもしれないと想像する(あるいは、挙動以外で判別する方法があるような気もする)。しかし、そのような予備知識なしにただダンスだけを鑑賞した場合、鑑別は容易ではない、というか、不可能と言ってよいのではないか。
鑑別できない以上、鑑賞者はバックグラウンドに生身の人間が実在する可能性を排除できない。確定記述に収束しない剰余が、主体が、固有性が、そこにあるのかないのかについての判断は、永遠に保留せざるを得ない。
かくして3DCGは、もはや生身の人間に頼ることなく魂の流通経路を確保したのである。彼等/彼女たちが踊っているあいだだけ魔法のように実装される、テンポラリーな魂。
最後の動画を検討したプロセスは、その魂が減衰するとしたらどのような場合かという点についても示唆している。からくり人形とは違って、踊るCGモデルの魂は当該の動画が繰り返し繰り返し再生されることによって減衰するのではない。それが失活するのは、同じモーションデータを使っている別の動画が発見された時だろう。つまり、魂を別のモデルと共有していることが発覚した時である。この現象は、魂の減衰ではなく、希釈と呼ぶのが適当かもしれない。無限に複製され流通するデータが立ち上げる魂は、多くのモデルに流し込まれて再生されつづけることによって、だんだんと薄まっていくのである。
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