3DCG、VTuber、アバター、ゴーレム、人形、ロボット、生命をもたないモノたちの身体運用は人類に何を問うか? 元ダンサーで医師でもある若き批評家・太田充胤の「モノたちと共に考える新しい身体論」、第7回はTikTokの中で起きている身体運用のあり方から、ダンスにとって体とは何かを考えていきます。
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例えば、これは既に述べたことだが、機械的法則は自然の運動においては決して妨げられず、同じ力と同じ方向が常に維持される。そして、魂においてはまるで身体などないかのようにすべてが生じ、身体においてはまるで魂などないかのようにすべてが生じる。空間のどの部分も充満している。物質のどの部分も現実に分割されていて、有機的身体がそこに含まれている。至るところに身体があるように、至るところに魂もある。魂も動物そのものもつねに存続する。有機的身体には必ず魂が伴い、魂は決して有機的身体から分離していない。とはいえ確かに、物質のどの部分についてもそれが同じ魂の影響を受けていると言うこともできよう。そこで私は、自然的に全く分離された魂とか、身体から一切離脱した被造精神とかは存在しないと考える。
──ライプニッツ、佐々木能章訳「生命の原理と形成的自然についての考察」[1]
ダンスに感染する
ある日を境に、妻が自宅で奇妙なダンスを披露するようになった。
拳と拳を胸の前で上下に7回打って小刻みにリズムをとり、次いでクラップ、次いでトゥエル。そこまでやると、また拳のリズムにもどる。たかだか2小節の短いルーティーンをこれ見よがしに繰り返して見せる。振付はその長さしかないらしい。上半身だけ、というか腕だけしか使っていないその振付は子供の手遊びのようにも見えるが、なにかの暗号かサインのようにも見える。なにしろ急にそんなことをはじめるものだからなんだか気味が悪い。
なにかと思えば、TikTokで流行っているダンスだという。
TikTokだなんて、そんなものを妻が見ていることにまず驚いた。なんでも、ひょんなことから思い立ってインストールしてみたたら、表示される動画を次々と再生しているうちに数時間が過ぎ去っていたらしい。
私自身、TikTokを訪れたことがないわけではなかった。ただし、それはノートパソコンで開くインターネットブラウザのなかにおいて、場所として「訪れた」という経験でしかなかった。そのやり方はつまり、旧世代である私が慣れ親しんできたニコニコ動画やYouTubeのような動画共有サイトの作法にほかならない。そして妻から聞く限り、TikTokの経験はこれらとは根本的になにかが異なっている。
スマートフォンにTikTokをインストールする。
アプリケーションを立ち上げると、すでに端末の画面いっぱいになにかの動画が表示されている。最初に表示されていた動画がいったいなんだったか、もう忘れてしまった。なにしろ私の興味に応じて表示されたものではないし、特に印象にも残らなかったものだから仕方がない。動画を上へ向かってスワイプすると、画面下方から次の動画が流れてくる。興味がなければまたスワイプ。多少目を引くものであれば、数秒間じっと見て、またスワイプ。動画、動画、動画……画面をスワイプするだけで動画の再生は無限に続く。なかにはしばらく見ていられるものもあり、こういう動画は最後まで見てみるのだが、すぐに終わってしまうのでループ再生に入る。
被写体の多くはヒト。成人、子供、乳幼児。体、顔、手元。あるいは動物。あるいはモノ。あるいは風景。BGMは使いまわされている。投稿ユーザーも内容も異なる動画において、同じ楽曲が繰り返し再生される。面白いことに、ヒトの数人に1人はそれらのBGMにあわせて踊っている。スワイプを続けているうちに同じ楽曲、同じ振付、同じアングルの組み合わせに何度も行きあたる。あるいはまた、同じユーザーがいくつもの違う振付を踊っている。
踊っているユーザーは圧倒的に女性が多く、どうやら素人だけではない。ほとんど匿名に近い無名の一般ユーザーから、モデルやグラビアアイドル、AV女優も散見される。そのような動画が多いのは男性である私へのアルゴリズムの配慮かと思ったが、妻のアカウントでも事情は同じであったらしい。かくして妻は、TikTokに溶かした数時間のあいだに当時流通していた振付をなんとなく覚えるに至り、私の前で踊ってみたのである。
無数の動画をスワイプしているうちに、妻が踊っていた振付にも行き当たった。動画につけられた「The Magic Bomb」のタグでソートすると、今度は人種年齢を問わない無数のユーザーが同じ楽曲で同じ振付を踊っている。
スワイプ、スワイプ、スワイプ……同じダンスの繰り返しを気が遠くなりそうになりながら見続けているうちに、細部の微妙なバリエーションが気になり始める。そもそも、画面に上半身だけを映したユーザーと、全身を映したユーザーがいる。全身を映したユーザーのうち少なからぬ者は、腕だけでなく骨盤を左右に揺らしたり、膝でダウンをとったりしてリズムをとっている。そのリズムの取り方にもやはり一貫性がない。上半身に限ってみてもかなりのバリエーションがある。腕を巻き上げるときの手が開いている者、握っている者、指二本を立てている者、指一本しか立てていない者。実は振付には続きがあったことも判明した。投稿者の半数くらいは妻と同じ2小節を繰り返すだけなのだが、残りの半分は後半で別の振付を踊っている。
なんということだろう。それらの差異は単に技術──上半身と下半身で別のリズムをとれるかどうか、長い振付を覚えられるかどうか──や解釈の不足に起因するようにも見えるし、あえてアレンジしているように見えるものもある。さて、それでは正解は、つまりオリジナルの振付はどうなっていただろう? 答え合わせをしようとして、これら無数のコピーダンスからオリジナルにたどり着くための道筋がわからないことに気がつく。はたしてオリジナルはどこの誰なのか、どの動画なのか。それは人間なのか、はたまた、人間以外のなにかなのか。結局、いまだに答えは知らない。
発生源を追跡することの難しい振付が、爆発的に拡散し、無数の体で再生され、ローカルな環境の制約によって独自の変異を遂げ、変異した振付がさらに拡散する──まったく、「バイラル(viral)」とはよく喩えたものである。
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