モントリオールに滞在中の建築史研究者・本橋仁さん。モントリオールは60年代から70年代にかけて、万博、オリンピックとビッグイベントを成功させ、いまなお都市の成長は続いている。その影で古い都市は破壊もされてきた。一方で、そうした近代化への抵抗の歴史もある。そうした都市・モントリオールから、景観や住宅事情、あるいは芸術との関わりなどをめぐりレポートしていただきます。第1回目はアットウォーター駅からスタート。
アットウォーター駅前の公園にて録音
場所:45°29’22.5″N 73°35’01.2″W
収録日:2022年11月2日
アットウォーターのブラックボックス
最初に住んだのは、アットウォーター(Atwater)という駅の近くだった。2022年3月17日、季節外れの暖かい日に、モントリオールでの生活がスタートした。まぁ落ち着いてから住むところはあらめて考えようと、悠長に構えていた私たちは、まずは仮住まいで1ヶ月だけの家をAirbnbで求めていた。そんなことで、まずは研修で1年お世話になるカナダ建築センター(Canadian Centre for Architecture)に近いこの場所を選んだにすぎない。モントリオールのあるケベック州はフランス語圏ということもあり「北米のパリ」なんて呼ばれたりもする。でも、到着した3月中旬のモントリオールはまだ冬で、冬眠から目覚めない眠たげな雰囲気が漂っていた。このアットウォーターでも、そこかしこで行われる道路工事(半年住んでみてわかったが、道路工事はモントリオールの名物だ)と、高層ビルの建設ラッシュによる土埃が風に舞っていた。
そんなアットウォーター駅だが、駅上の複合ビルの横に、大きな黒い建築があった。鉄骨の架構が張り出し、また屋根を支える異様な大架構が外からもはっきりと見えた。一体、この建物はなんなんだろう? 外から見えるサインといえば、1階に入居するハンバーガー屋A&Wがオレンジ色のサインを掲げるのみで、文字通りブラックボックスであった。覗いてみると、中は映画館だった。にしても、どうも大袈裟だなぁと感じつつ、その時は深く調べることはしなかった。
アットウォーター駅のすぐ横に建つ、ブラックボックス。
ブラックボックスの中に潜入、そこには大規模な空間が広がっていた。
モントリオール・フォーラム
「このアットウォーターも、この20年で随分と雰囲気が変わりつつあるんだよね」と、同僚がお昼を食べながら話してくれた。この時、あのブラックボックスの謎が氷解した。あの建築はもともと、アイスホッケー場だったというのだ。しかも、強豪モントリオール・カナディアンズの本拠地だったらしい。カナダの代表的なスポーツといえばアイスホッケーを思い浮かべる方も多いだろう。そんなカナダの中でもカナディアンズは特別で、今も圧倒的強さを誇る強豪クラブである。本拠地が置かれたこの建物は、かつてモントリオールフォーラム(Forum de Montréal)とも呼ばれた建築であった。1924年に開館し、改築を繰り返しながらホッケーをはじめ、さまざまなスポーツ、イベントにも使われた。あの外からも見える大架構は大空間を生み出すためのものだったわけだ。
1968年7月22日。改築中のモントリオール・フォーラム。巨大な梁がクレーンで吊り上げられていく。
Bibliothèque et Archives nationales du Québec (BAnQ), Fonds La Presse
モントリオール・フォーラム。実は日本人にも馴染み深いエピソードがある。ここは、1976年のモントリオールオリンピックで体操競技が行われた場所だからである。この大会では加藤沢男選手や塚原光男選手が参加し、団体で金メダルを取った。それ以上に、日本人にとっても忘れがたいのは、ルーマニアのナディア・コマネチが史上初の10点満点で、金メダルを3つ獲得したという快挙かもしれない。なるほど、このブラックボックスにはそんな歴史があったのか。どんな小さなきっかけでも、その歴史の糸を辿っていけば思いもよらない気づきがある。
Nadia Comaneci – First Perfect 10 | Montreal 1976 Olympics
さて、そんなモントリオール・フォーラムだが1996年に閉場。ここを本拠地としていたカナディアンズも、中央駅近くのベル・センターに本拠地を移した。それによりモントリオール・フォーラムが求心力を失ったであろうことは想像に難くない。その後に残された建物は映画館になり、往時を偲ぶ椅子やグッズなどが施設の中には展示されている。私が見たブラックボックスは、そんなモントリオールの歴史を背負っていた。「ただ、またアットウォーターの街は変わりつつあるよ」と同僚は話してくれた。公園を挟んだ向かい側の元病院の敷地に新しい高層マンションが何棟も建設中で、これができたら新たに流入する人々でアットウォーターはまた変わるだろう。
モントリオール・フォーラムの歴史を偲ぶ、数々のグッズが各所に展示されている。
長い時間と、短い変化
モントリオールは巨視的には確かに古い街並みを残す歴史ある街だ。でも、そんなイメージとは裏腹に、微視的には変化もしている。そのことを強く感じたのは、ある住宅の解体現場だった。
家の近所にはいくつかのスーパーがあるが、なかでもスーパーマルシェPAという店にいつの間にか落ち着いた。値段が安い割に品も良い。夕方には仕事終わりの多くの人々で賑わう。そのスーパーの横に並んでいたレンガ造の小さな住宅が、ふと気付くと解体されていた。モントリオールで解体現場を目にする機会は少なくないのだが、連なる2棟の住宅のうちひとつだけが壊され、所在なさげに残されたもうひとつの住宅を見て、ふと京都で見ていた風景をそこに重ねたのである。
モントリオールの街で突如出くわした建築の解体現場。
レンガを研究してきた筆者としては、いろんな意味で興味深い。
モントリオールにくる前の5年間、私は京都に住んでいた。京都はいま年間800軒ほどのペースで、町家が壊されている。インバウンドを見込んで、町家を壊してホテルを建てる。古都を見にくる人たちのために、古都を壊し続けるという矛盾が起きている。気がついた時にはすでに半壊以上の状態で、京都を走り抜ける軽トラックの荷台に、明らかに町家の解体材が運ばれていくのを見る機会も少なくない。そんな風景を見ても私は何もできず、ただ肩を落とすことしかできない。歴史を扱う身からすれば、そんな愚行だと憤りも感じるものの、一方で経済の論理からすれば致し方ないことだと自分に言い聞かせたりもする。
一方でこちらは京都で出会った解体現場。美しい町家だったのだが、これが致し方ない現実。
モントリオールもきっと同じだろう。遠くを眺めれば高層ビルの群れ。そんなモントリオールの風景に出会い、京都の風景がフラッシュバックするようであった。日本から見ればちょうど裏側のモントリオールで起きていることは、実際そんな大きな違いはない。どちらの古都も常に変わり続けている。ゆっくりとした時間の流れと、速い時間の流れが混在して、ひとつの都市に併存している。
モントリオール美術館からダウンタウンを望む。
低層の街並みの向こうに、いまも増え続ける高層ビルが立ちはだかる。
連載を始めるにあたり
住む、ということは旅行と違って、日常の生活の中で街の変化を見つけることができる。1年も住んでいないのだから、モントリオールについては初心者だが、それでも、わずか1年の間にもきっとこの街は変わることだろう。モントリオールに来てみれば仕事や研究には関係なくとも、気になってしまうことが多い。海外に1年住むという経験は、初めてなもので、キョロキョロとしてしまい、すでに首が痛い。でも、せっかく首を痛めるならば、その痛みも外に発信したほうがいいだろうと欲が出て、この連載を引き受けることにした。先に断っておくとこの連載は、時として脈略がないかもしれない。最終的な終着点も、いまだ自分自身が分かっていない。
遅筆ゆえ、モントリオールでの滞在も春、夏、秋と過ごし、冬を迎えた。このテキストも滞在の終わりを前にした焦燥感のなかで書いている。春から秋を過ごしてみると、あの時抱いていた街へのイメージもすでに大きく変わりつつある。モントリオールの都市はさほど大きくないにもかかわらず、その場所と季節で大きく印象を変える。マイナス20度にもなる冬と、実は蒸し暑い30度を超える夏。その差50度の気温差に、サディスティックなほどの季節感を感じさせられる。
モントリオールの春
そんなモントリオールに春が訪れた。日本では春の訪れは満開の桜が教えてくれた。逆に桜を見ないと、どうも春の気分になることができない。モントリオールで桜が見られるところがあると知って足を運んだのは、ボタニカルガーデン(Jardin botanique de Montréal)だった。家族3人、ピクニック気分でおにぎりを拵えて出かけた。期待通りの桜の満開のなか、さぁお花見とおにぎりを頬張っていたが、どうもこの日本庭園、なんか「ちゃんと」しているぞ……と、急にモードに入ってしまった。この連載は、次回この日本庭園とモントリオールの話から始めていこうと思う。
モントリオール植物園。桜を見たくてここにきた。
美しい桜の向こうに見えるのは、オリンピック競技場の高いタワー。
*写真については、特記したもの以外はすべて筆者撮影
*次回は12月30日(金)18時に更新予定です