3DCG、VTuber、アバター、ゴーレム、人形、ロボット、生命をもたないモノたちの身体運用は人類に何を問うか? 元ダンサーで医師でもある若き批評家・太田充胤の「モノたちと共に考える新しい身体論」。ご愛顧いただいた本連載も、いよいよ今回で最終回を迎えます。第9回は「踊るもの」から「踊らせるもの」という存在に射程を広げてその諸相を検討していきます。
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すでに人間のほうが自然エネルギーを開発するように挑発されている場合にのみ、このような用立てする開蔵は起こりうる。人間がそのために挑発され、用立てられる場合には、人間も、むしろ自然よりいっそう根源的に、用象に属すのではないか?
──ハイデガー『技術への問い』[1]
「居ること」のために踊る
生まれて初めてクラブに足を踏み入れたのは、たしか16歳の時だった。
中高生向けのダンスコンテストを観戦するために、ダンスサークルの仲間たちと真っ昼間の川崎のクラブを訪れた。ステージの上では、同年代のダンサーが信じられないほど流暢に踊っていた。ステージの下のフロアでは、私を含めた観客がすし詰めの体育座りになって踊る者たちを見上げていた。
困ったことに、幕間にDJタイムというのが始まった。DJタイムとはその名の通り、DJがただただ音楽を鳴らすだけの時間帯である。ステージには幕が下ろされ、観客席だったはずのフロアは突如として踊るための場所になった。先ほどまでステージに立っていたダンサーたちが、フロアのあちこちで自由に踊り始めた。
あの言いようのない居心地の悪さを、いまだにありありと思い出すことができる。
当時の私は、このような場でどう踊ったものかわからず──というか、なにをしてよいかわからず、ただ立ち尽くすしかなかった。私の体が知っているのは、この時までに覚えたいくつかの振付と、ごく基本的なボキャブラリだけだった。振付はこの環境では何の役にも立たなかったし、ボキャブラリを環境に合わせて運用するすべも持っていなかった。環境は体を踊るように挑発するが、体のほうはそれにどのように応えてよいかを知らないのだった。まるでプールに放り込まれたが泳ぎ方がわからない子供のように、押し寄せる音の波のなかで溺れていた。
明らかに、このときフロアは踊れる者のための場であり、それを見るだけの者に居場所はなかった。とはいえ幸か不幸か、踊れないのは私だけではなかった。結果として、踊れる者は踊り、踊れない者は仕方ないので踊れる者を囲むようにして遠巻きに眺める、といった具合に、フロアにはものの数分で新たな布置が描かれた。ちなみに、私の一つ上の先輩は私の隣で首を振って音楽に乗っていたが、これを踊っていると呼べるかどうかは微妙なところだった。いうまでもなく踊れない者の大半はまだ10代であり、フロアの隅で飲酒して時間をつぶすという選択肢もないのだった。
ずっと後になって、これとは正反対の経験もした。
ずいぶん踊れるようになってから行った、渋谷のクラブでのことだった。深夜のクラブに集まる大人たちは、飲酒をしたり喋ったり、つまりは踊らずに時間を過ごしている人達が大半だったが、私はDJがかける曲に対してその場その場で適当に踊り続けていた。
深夜1時をまわったころだろうか、それまで滑らかにつづいた曲の雰囲気が突如として変わった。考えるより先に足が止まった。まずBPMが違う、そして曲調も違うのだが、なによりもフロアの空気が根本的に変わったような気がする。梯子を外されたような居心地の悪さにあたりを見回すと、それまで踊っていなかったはずの人たちが一様に同じステップを踏んでいた。4小節程度の短いルーティーンが、フロアのあちこちで何度も繰り返されていた。
それまでフロアの真ん中で環境に適応していたはずの私の体は、その瞬間に異物と化した。何も知らずにフラッシュモブの中に紛れ込んでしまったかと思ったが、どうやら常連の間では周知の楽曲・振付らしい。隣の人を見ながらステップを真似てみたが、覚えるより先に曲が終わってしまった。当該の曲が終わって次の曲が始まると、再びフロアはランダムで個別的な揺れに戻っていった。あの不思議な時間のことは、思い出すたびに狐につままれたような気分になる。
二つの経験は一見正反対だが、今にして思えば同じ種類の経験だった。あれらの居心地の悪さは、要するにどちらも「居ること」の辛さであったような気がする。
「居ること」が要求するのは、シュタイエルが指摘するような時間的・空間的なコストだけではない。クラブには踊りが発生する局面がある(第3回や第5回)だけでなく、踊らされるという局面があり、踊らざるを得ないという局面がある。あるときにはDJの絶え間ない選曲に対して即興的に反応することが、また別のときには定番の曲に対する所定の振付を再生することが、フロアの真ん中に「居る」ためのスキルとなる。「居る」ために展開すべきスキルセットを持たない者にとって、「居ること」の苦痛は耐えがたい。
見方を変えれば、これは見る者と見られる者との関係の話でもある。劇場空間では見る者と見られる者との分離が初めから構造化され、それぞれに居場所が与えられている。両者は絶対に交わることがない。観客は劇場の観客席という安全圏で、自分の体をなんら脅かされることなく見る者に徹することができる。他方、クラブのフロアのように、見る者と見られる者とが混然一体となる場ではそうではない。原理的には踊る者が見ることも、見る者が踊ることもできる。ここに安全圏は存在しない。環境はその場に「居る」すべての者を踊ることへと挑発する。
もっとも、その挑発に応えるかどうかは別である。いや、正確には「応えられるかどうか」といったほうがいい。ここで決定的な差異とは、見る者と見られる者との差異ではなく、踊れる者と踊れない者の差異なのだ。このとき、踊れない者は、常に踊る者へと移行するよう挑発されている。それが証拠に、即興で踊り続けることができない者たちも、周知の振付を踊ればよい局面では一斉に踊りだす。
要するに、この話のキモはこうだ。ひとつ、ある種の環境は「居ること」のためにダンスを要求するということ。ふたつ、振付の遂行は特定の環境において「居ること」を実現するということ。みっつ、以上二つの帰結として、ある種の環境に織り込まれた振付は、そこに身を置く者を踊らせるということ。より踏み込んで言えば、人が振付を踊るのではなく、振付が人を踊らせるのかもしれないということ。
端的に言えば、MMDやTikTokで起こっているのはそういうことであろうと思われる。
これらデジタルのダンスについて考えるとき、私はいつも16歳のクラブを、深夜1時の渋谷を思い出す。バイラルに拡散するミームとしての振付、あるいはネット上に流通するモーションデータ……これらはつまり、あの日あの時の私が、自分の体に流し込みたかったものでもある。そのようにしか「居ること」が認められない場所。踊ることが「居ること」の最適解になるような場所。クラブのフロアの中心も、MMDの仮想空間も、TikTokのUIも、そういう意味では同じようなものかもしれない。これらの場所にはなにかしら、人をして踊らしめるものがある。
身体を引き受ける
本連載では、生命を持たないモノたちとともに身体について考え、ダンスというある種の共通項を介した両者の関係について考えてきた。それゆえ必然的に繰り返し立ち返ることになったのは、ダンスとはなにかという問い、とりわけ振付とはどういうことで、即興とはどういうことなのかという問題系だった。これらの問いに答えるために、ここまで考えてきたことで十分だとはまったく思わないが、少なくとも明らかになったことは、今日の技術の現れのなかにこの問いを考える糸口があるということであり、それと同時に、今日の技術がその問いの様相をいくらか変えてしまってもいるということだ。
そろそろ筆を置きたい気分になっているが、話をまとめるためにはどうしても、あらためてこの問題に立ち返る必要がある。
ダンスとはなにか? これまた古代ギリシャから繰り返されてきた問いであるが、管見のかぎり大した合意には達していない問いであり、素朴に問うにはあまりにもサイズの大きい問いである。また実際のところ、そもそもいったい誰がその答えを必要としているのかもよくわからないような問いでもある。
たとえば日本のダンスカンパニー「コンドルズ」のメンバーにして美学研究者でもある石渕聡は、自身の博論をもとに書いた『冒険する身体──現象学的舞踊論の試み』(2006)において、踊ることは「身体を引き受ける」ことだと定義した。
踊るということは、ダンサーがそのつどしかるべき身体を引き受けることであり、舞踊とはダンサーにしかるべき身体を引き受けさせる一つのシステムである。[2]
舞踊を見る者の身体はダンサーの身体とは異なるが、身体を引き受けるというレベルにおいて舞踊の身体に関与しているということができる。[3]
西洋の舞踊理論において、身体は舞踊の媒体だと捉えられてきた。舞踊譜の発明で有名な理論家のルドルフ・フォン・ラバン(1879–1958)はこのことを「科学的な身体」という言葉で表現したし、モダンダンスの開拓者マーサ・グレアム(1894–1991)はより直接的に、身体がダンスのための「良き道具」であるとした[4]。石渕が「舞踊とはなにか」と切実に問うとき、その根底にはこの道具的身体観への懐疑がある。石淵は舞踊学者のマクシーン・シーツ(1930–)やサルトルの現象学に依拠しながら、この道具的身体観を解体することを試みた。
議論を通じて繰り返し提示されるのは、身体が所与のものではなく、ひとつに定まるものでもなく、その都度引き受けられたり、その場に立ち上がったりするものなのだというある種の転回であった。議論の過程では「ダンサーが生きる身体」「言語によって分節される身体」といった具合に独立した身体概念を次々と登場させることで、もともと一つのゲシュタルトであった「身体」はバラバラに解体され、最終的には振付家−ダンサー−観客という舞踊のシステムが25もの身体概念を用いて描写されるに至る。
素朴な実感として、石淵の図式は舞踊のための理論としてはあまりに煩雑なのだが、「舞踊とはなにか」という大きな問いに答えるとはこういうことなのだとも思わされる。踊ることは身体を引き受けることであり、舞踊とはその引き受けを可能にするシステムである。この整理自体は、おそらく極めて的確だ。そのうえでなお引っかかったのは、ここで「ダンサー」と呼ばれているのがいったい誰のことなのかということだった。というのも、この「ダンサー」という要件をどう定義するか次第で、この図式の様相はまるっきり変わってくるからだ。
石淵は議論の一番はじめに、「舞踊とはなにか」という問いを立てていながら、すぐさまそれを「あるものを舞踊であると判断する際、観客は実際には何をどのように見ているのか」[5]と言い換えてしまう。この問いの背後には、明言されていない暗黙の前提がある。舞踊とは鑑賞の対象であるということ。舞踊は基本的に、舞台のダンサーと、客席の観客とのあいだに成立するということ。このときダンサーは常に踊る者/見られる者の側におり、観客は踊らない者/見る者の側にいるということ。ダンサーはその明瞭な役割分担に基づいて、つまりある種の役割として「身体」を引き受けるのだということ。舞台の上が「踊る者」でいられる安全圏だとしたら、客席とは「見る者」に徹することのできる安全圏であり、ふたつの安全圏は厳重に隔離されている。石淵の問いには、それぞれの安全圏が絶対に脅かされないという安心が透けて見えるような気がする。
本当はそうではない。我々は舞台にあがらずとも踊れるし、誰にも見られずにひとりで踊ることができる。客席をフロアにして踊り散らかすこともできる。客席から舞台に乱入することもできるし、舞台上の演者を客席に引きずり下ろすことだってできる──実際にやるかどうかはまた別として。これら多様な運動の可能性をすべてひっくるめて「舞踊」と呼ぶための道は、要件定義の段階ですでに閉ざされていることになる。石淵自身の興味関心や利害関係においてはそれで問題ないだろうが、我々にとってはそうではない。クラブでは舞台と客席とが必ずしも隔離されていないからであり、あるいはまた、インターネット上ではあらゆる場所が潜在的な舞台であり客席でもあるからだ。
したがって、石淵の指摘は正しそうだが、その射程をもう少し先まで広げたい。必要なのはそれほど複雑な修正ではない。踊る者はたしかに何らかの「身体」を引き受ける。ダンスとはその引き受けのためのシステムである。しかしそのうえで重要なのは、踊る者を見た者もまたその「身体」を引き受けるという点である。見る者はそれが置かれた環境次第で踊る者へと移行し、さらに別の者へと「身体」を引き受けさせる。場合によっては、もともと観客であった者の身体を、ダンサーであった者が引き受けるという逆方向の引き受けすらあってよい。つまり、必要な修正とは、踊る者と見る者とのあいだに境界線を引かないことによって、「身体」の引き受けをある種の連鎖やネットワークとして、あるいはもっと混沌とした場の作用として捉えるというものである。
ここで注目すべきはどう見ても、主体的に「身体」を引き受けて踊るダンサーのほうではなく、見る者であったはずの者がなぜか「身体」を引き受けて踊ってしまうという状況のほうではなかろうか。そう、劇場の舞台ではなく原初の混沌からダンスが生まれるとき、その端緒に踊りたいという明瞭な欲望や「引き受ける」という明確な意志があるとは限らない。実際の順序はしばしば逆で、人はむしろ「身体」が目の前に現れた結果として踊ってしまうのではないか。
こうして安全圏を離れて考えてみると、「ダンスとはなにか」という大きな問いは、石淵とは全く別のやり方で焦点を絞り込むことができる。明らかに重要な問いは、鑑賞対象としての舞踊がどのようなものかではなく、「踊らせるもの」とはなにかというものである。
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