映像作家でメディア研究者の佐々木友輔さんが、映画、写真、美術、アニメにおける〈風景〉と、それを写し出す〈スクリーン〉を軸に、さまざまな作品を縦横無尽に論じる連載。1970年前後に議論された「風景論」を出発点にしつつ、その更新を目論みます。第2回では、郊外の風景のなかにその固有性・歴史性を浮かび上がらせる小林のりおと、震災後に造成された住宅地のシミュラークルな風景を捉えるかんのさゆりという、2人の写真家の実践を紐解きます。
小林のりお──郊外という歴史なき歴史の地層
スクリーン・プラクティスとしての風景論
中平卓馬が切り裂こうとし、西澤諭志がその力学の作動を見極めようとした風景のヴェールは、何らかの意味や思想が投影された新たな風景を映し出すための支持体としての機能と、その背後にあるはずの別の何かを覆い隠す遮断幕としての機能を併せ持つものだった。これらの特徴は、映画館の銀幕やテレビモニタ、パソコンのディスプレイ、スマホのタッチパネルなどの総称として用いられる「スクリーン Screen」にも当てはまる。スクリーンは元々、覆いや仕切り板、衝立を意味する語として用いられてきたが、後に映像を映し出すための平面を指す語へと転用された。また各種メディアの研究者によって取り組まれてきた「スクリーン・スタディーズ Screen Studies[1]」では、現実空間上に場を占めるモノとしてスクリーンを捉え、具体的配置や距離、視聴者の姿勢や移動など、その物質性の側面が視聴体験に与える影響に注目した議論が行われてきた。文字通りな意味でも現象的な意味でも、スクリーンは呈示する機能と覆い隠す機能を併せ持つ。例えば街頭ビジョンに異国の街並みが映し出された時、人びとはスクリーンを仮想の窓として向こう側の風景を眺めるが、その時、スクリーンの物理的な背後に隠れた建築や風景に目を遣ることはできないし、特段気にも留めないだろう。
本連載では、中平や西澤が取り扱う写真メディアも含め、アナログ/デジタルを問わず何らかの映像の存在を支える物理的な平面を「スクリーン」と定義し、それを活用した多様な実践──映画研究者のチャールズ・マッサーが提唱した「スクリーン・プラクティス Screen Practice[2]」──の一種として風景論を検討する。もちろん必要に応じて、メディアを媒介しない場所の経験や、肉眼で見る風景について言及することもあるだろう。だが議論の主軸はあくまで、写真や映画などの芸術表現を通じて為される風景論だ。私が考察の対象とするのは、スクリーン(映像の呈示行為)を用いてスクリーン(風景のヴェール)を論じる試みであり、またその行為自体が、新たな風景の生産となるような──そして同時に別の風景の隠蔽や忘却でもあるような──実践的な営みである。
再現性と物質性が実現させるモンタージュ
人が肉眼で見る風景と、スクリーンに映し出される風景との間には、もちろん共通点だけでなく、多くの差異がある。本連載を進める上で特に重要な要素として、ここでは、スクリーンに映し出された風景に顕著な特徴である再現性と物質性について触れておこう。
原則として、人は一度見た風景と同じ風景を見返すことはできない。たとえほとんど動きがないように思えたとしても、風景は刻一刻と変化しており、まったく同じ配置になることはあり得ないし、風景を見つめる者自身の位置やコンディションも同じく常に変化し続けている。だがメディアに記録され、スクリーンに映し出された風景は──もちろん完全に同一の体験を反復することは不可能であるにせよ──繰り返し同じ映像データを再生し、見返すことができるという再現性を持つ。ヴァルター・ベンヤミンが「視覚的無意識[3]」として論じたように、カメラという機械の目が捉えた映像を見て、本来なら意識に上らないような細部に気づくことができるのも、その映像を繰り返し見て、隅々まで観察できるからだ。
また肉眼で見る風景は、物質的な実体を持たない。風景を構成する個々のものに近づき、触れることはできても、風景そのものに触れたり、丸ごと持ち運んだりはできない。対してスクリーンに映し出される風景は、必ず何らかのかたちで物質性を備えている。銀塩写真やフィルム映画などのアナログメディアならば、それ自体がモノとしての物質性を持つため、直接手で触れたり加工したりする対象として扱うことができる。デジタルメディアの場合でも、その映像データを操作するコンピュータや映し出すディスプレイは物質性を持つから[4]、掴んで持ち上げたり、向きを変えたり、移動させることができる。街頭ビジョンのようにスクリーンを屋外に設置すれば、画面上に映し出された風景は、別の風景を構成する一部に組み込まれることにもなるだろう。
そして再現性と物質性という条件が揃えば、複数の風景を持ち寄って並べたり、比較したり、組み合わせたりといった操作を行うことが可能になる。中平が《サーキュレーション──日付、場所、行為》(1971)で、多視点的で多元的な時空間を構成するインスタレーションを展開できたのも、西澤諭志が日本各地の風景をモンタージュして間テクスト的な意味のネットワークを浮かび上がらせることができたのも、同じ風景を繰り返し見返すことができる再現性と、風景を持ち寄って配置したり、加工したりできる物質性が備わっているからこそだ。特定の風景のヴェール(スクリーン)によって覆い隠されたものがあったとしても、別の風景と併せて見ることで、何がどのように隠されていたのかを明らかにできるかもしれない。複数の風景をモンタージュすることは、「風景化」──ある場所の経験が美的に見るものとして対象化され、「風景」として定着するプロセス──以前の場所のありようを想像する手がかりとなり得るのだ。
以上を踏まえて本連載では、風景論に取り組む作家や論者たちによるスクリーン・プラクティスを、①ある特定の風景を呈示すると共に、②別の風景を覆い隠したり、③反対に、別の風景が覆い隠しているものを暴き出したりもするという、三つの役割を兼ね備えた実践として論じていく。複数の作家のまなざしや、複数の作品に描き出された風景をスクリーン上に重ね合わせ、相互批評させることで、中平が作り上げた多視点的で多元的な時空間や、西澤が作り上げた間テクスト的な意味のネットワークを、ウェブ連載というかたちで再現・実践することを試みたい。
郊外論の均質な風景
今回取り上げるのは、風景論争によって暴露された──あるいは覆い被せられた──「均質な風景」「何もない場所」というヴェールを巡る議論だ。
1960年代末、松田政男は連続ピストル射殺魔・永山則夫が訪れた場所を辿る旅の中で「地方の独自性がいちじるしく摩滅し、中央の複製とでも呼ぶほかない、均質化された風景[5]」を発見した。彼が主導した風景論争は1970年代初頭には早くも収束していくが、場所の固有性や歴史性が失われた「均質な風景」が日本中・世界中を覆いつつあるのだという問題提起は、直接的な影響関係の有無にかかわらず、その後も多くの論者によって手を替え品を替え論じられていく。中でも重要なキーワードとなったのが「郊外 Suburb」だ。宮台真司の郊外論や三浦展の「ファスト風土」論をはじめとして、1990年代から2000年代にかけて盛んに議論された郊外化とその病理に関する言説は、郊外都市や地方都市を批判的に語る際の型の一つとなった。例えばファスト風土論は、次のように定義されている。
それは、直接的には地方農村部の郊外化を意味する。と同時に、中心市街地の没落をさす。都市部でも農村部でも、地域固有の歴史、伝統、価値観、生活様式を持ったコミュニティが崩壊し、代わって、ちょうどファストフードのように全国一律の均質な生活環境が拡大した。それこそがファスト風土なのである[6]。
ここで三浦が、「均質な風景」(全国一律の均質な生活環境)の拡大を、中心市街地の没落や歴史・伝統の喪失、コミュニティの崩壊など、かつてあったものが失われたために生じた現象だと指摘していることに注意しよう(松田もまた、地方の独自性が摩滅したことで均質化した風景が現れたのだと述べていた)。郊外都市や地方都市に暮らす人びとがしばしば自虐的に「ここには何もない」と語るように、郊外は、本来あるべきものが「何もない場所」としてもイメージされているのだ。
「均質な風景」ならびに「何もない場所」という印象は、本文に付された図版とキャプションによってさらに強化される。『ファスト風土化する日本』に掲載された郊外の写真は、確かにどこにでもありそうな風景で、そこに場所の固有性や歴史性を読み取ることは難しい。しかし、その撮影地が本当に「均質な風景」しか見当たらない場所なのか、それとも印象操作のため、固有性や歴史性を感じさせる対象を意図的に画面外に追いやったのかを、一枚の写真だけから判断することは不可能だ。これらの風景写真は、まさに「確立されるやいなやその起源が忘却されてしまうような装置[7]」(柄谷行人)として機能している。
松田の風景論から55年、ファスト風土論から20年が経過した現在も、同型の言説が無自覚に繰り返されてきた。例えばX(旧Twitter)やFacebookなどのSNSを観察してみれば、ニュータウンやロードサイドの写真に「均質な風景」を読み取り、伝統の喪失や地方の衰退を嘆いたり、糾弾したりするような投稿を時折見かけるだろう。場所の固有性や歴史性の喪失を指摘する言説が、やはり固有性や歴史性を欠いた語り口で議論され、何の蓄積も発展もないまま反復されていく。この状況はかつて美術批評家の椹木野衣が日本の戦後美術について述べた「悪い場所[8]」を想起させる。皮肉なことに、特定の場所のありようを「均質な風景」として対象化し、固有性や歴史性が欠如した風景というヴェールをかける行為自体が、その場所にもあるはずの固有性や歴史性を覆い隠し、忘却をさらに促進させてしまう。風景論・郊外論もまた、出口のない無限の円環に囚われているかのようだ。
小林のりお『Landscapes』──「途上」の風景の記録
こうしたジレンマに向き合い、「均質な風景」や「何もない場所」と呼ばれる郊外にも確かに刻まれてきた固有性や歴史性を──その欠如や忘却の感覚も保持したままで──鮮やかに浮かび上がらせてみせたのが、写真家の小林のりおである。
小林は1952年秋田県生まれ。父親の影響で9歳から写真を始める。日本歯科大学を中退して東京綜合写真専門学校を卒業した後、フリーの写真家として活動。1986年に刊行した最初の写真集『LANDSCAPES』(アーク・ワン)で、日本写真協会新人賞を受賞するなど高い評価を得た。文筆家の小田光雄は同作について、「郊外が生成していく過程を風景そのものの変容によって伝えることで、郊外がどのようにして誕生するのかをみごとに映しだしている[9]」と述べている。歴史性が欠如した場所として語られる郊外の歴史を語り、いかにして固有の場所から場所の固有性が失われていったのかを明らかにしたことが、郊外論・風景論の文脈から見る『LANDSCAPES』の第一の功績と言えるだろう。
では、その郊外の歴史は具体的にどう語られているのか。『LANDSCAPES』の表紙をめくると、見返し部分には東京郊外の多摩地域を中心とした地図が掲載されている。いくつかの箇所に丸印と矢印が記されており、そこが本書の撮影地域であることが示唆される。さらに頁をめくり、章題(「LANDSCAPES」)や小林による短いエッセイ、いくつかのエピグラフを過ぎると、最初に目にする写真には、伐採されかけの1本の木が記録されている。その幹は傾斜のついた地面にもたれかかっているが、根から完全に切り離されたわけではなく、まだ皮一枚でつながっているようだ。切断面の均質な白色は、写真全体を覆う深緑と落ち葉の褐色と鮮やかなコントラストを成しており、この木に刃が入れられてからまだ間もないことが窺える。伐採以前でも以後でもなく、一方の状態から他方の状態へと移行する「途上」の風景。この「途上」の感覚が、次頁以降の写真にも引き継がれていく。
緑に覆われていた林や畑、以前からある集落にブルドーザーが入り、次第に赤茶色の大地がその露出面積を増していく。土塊や瓦礫の山は撤去され、地面が均され、まるで西部劇の荒野のような風景が出現する。その上に道路が敷かれ、電柱や信号機が建てられ、下水管路が埋められる。細かく区切られた敷地内に家が立ち並び、新たな街が形成されても、「途上」の感覚が消え去ることはない。完成したかに見える街並みにも建築中の住宅や空き地がポツポツと残り、冬になれば雪が風景に薄い白のヴェールをかける。剥き出しになっていた赤茶色の地面にもいつしか緑が戻り、都市開発者や住民が植えた木々や草花、たくましく繁茂する雑草が風景を再占領する。そこにもまた工事のための軽トラがやって来る。いま目の前にある風景もやはり暫定的な風景でしかなく、次の瞬間には、また違った風景へと変容しているに違いない。
歴史なき歴史の地層
かくの如く、『LANDSCAPES』の風景は頁をめくる毎に変化し続け、安定した状態を維持しない。このことが、現実には多くのものが記録されているにもかかわらず、郊外は「何もない場所」であるという感覚を抱かせる要因になっている。小林は同書冒頭に付したエッセイで、造成半ばの赤茶色の荒野を「空っぽヶ丘[10]」と呼ぶ。空っぽヶ丘は、以前にはあった「風土も歴史も、皆ゴミとなって燃えてしまった」場所であると同時に、いずれは「アスファルトが敷かれ、家が建ち、学校や病院が出来、町は快適な人生を買う人びとで溢れる[11]」であろう場所でもある。すなわちそこは、失われた過去への回帰願望を駆り立てるヴェールや来るべき未来を想像させるヴェールによって視界が覆われ、目の前に広がっているはずの現在の風景を見えなくさせてしまう場所なのだ。
こうした空っぽヶ丘の特徴を、一時的な場所のありようとして捉えるのではなく、「郊外」と呼ばれる場所が持続的に備える特徴として描き出したのが、社会学者の若林幹夫である。若林は郊外が、都心や伝統的な地域社会と比較して「あるべきものがもはやない場所」として語られてきた一方で、理想の生活環境や家族生活が投影される「いまだない良きものが到来すべき場所[12]」としても語られてきたと指摘する。
「すでにない」であれ「いまだない」であれ、郊外が欠如態として語られること。それはその日常性にもかかわらず、郊外がそれを語り表現する言葉をいまだ与えられていない場所、いま現在のなかに明確な位置と意味をもちえない場所であるということだ。[中略]分厚い膨らみをもつ現実としてありながら、郊外は私たちの言葉と思考の中にうまくおさまらない“立場なき場所”なのだ[13]。
小林は写真の再現性と物質性を活かして郊外を記録することで、過去と未来のイメージを投影するための支持体の役割を果たしてきた「現在」(撮影の瞬間)の風景、あるいは「途上」の風景に目を向けるよう促す。以前の風景を塗り替えるようにして突如現れたかと思えば、間もなく別の風景に上書きされてしまう郊外の風景は、人びとの記憶に定着する前に忘れ去られるため、強固な一本の歴史を形成できない。だがそうしたエフェメラルな風景が無数に堆積し、分厚い膨らみを形成することで、郊外の歴史なき歴史は成立している。このような場所のありように気づかせるために、写真集は非常に適した表現形式と言えるのではないか。単独の写真だけでは風景化のプロセスを辿れないが、映画やドキュメンタリーなどの動画表現では、「途上」の風景が注視する前に流れ去ってしまう。一枚ずつ頁をめくり、掲載された写真をじっくり見つめたり、頁を遡って見返したりすることで、本来なら意識にも上らぬまま忘却されるはずだった風景が記憶に定着していく。さらにそれらの写真をプリントした紙葉の束は、ささやかではあるが確かな物理的厚みを形成し、郊外の歴史の地層を目に見えるものにしているのだ。
写真集からウェブサイトへ──《風景の皮膜》と《Japanese Blue》
『LANDSCAPES』の後半、「LAST HOMES」と題された章では、広告的なイメージに取り囲まれて生きる写真家に残された最後の抵抗手段は、分譲地のカタログを模した写真を撮ることだと宣言され、実際に一戸建て住宅を構図の中心に据えた「適正露光もしくは心持ちオーバー目[14]」の写真群が呈示される。だがここでも「途上」の感覚は健在である。一般的な分譲地のカタログとは異なり、小林は基礎や建材が剥き出しになった建てかけの住宅、工事を補助する単管パイプや建築用シートにもカメラを向ける。さらに、各住宅がどのような環境に立地しているのか推測できる構図を選び、雑草が伸びた空き地や舗装されていない路面をあっけらかんと映し出している。これらの対象もまた、広告写真であればトリミングされて画面外に追いやられるか、レタッチされ、均質な風景のヴェールによって覆い隠されてしまうかのどちらかだろう。
頁をめくり続けると、住宅のベランダに洗濯物が干され始める。道を歩く人びとも増え、新しい街での新しい生活が始まったことが示唆される。ここで特に目立つのは子どもたちの姿だ。広場には幼稚園のバスが停まり、児童を囲んでの祭りが催されている。学校の校庭では、砂塵が舞う中、サッカーに興じる子どもたちの姿が見える。彼ら・彼女らはこの土地の過去の風景を知らず、上書きされた街での生活を原風景として生きる世代であり、やがては未来の街を担う大人になるべき存在として、「すでにない」と「いまだない」という二重の欠如態として語られてきた郊外を体現している。
書物としての『LANDSCAPES』はここで終わりを迎えるが、街の風景が「完成」したわけではない。小林はその後も「途上」の風景を撮り続け、展覧会や書籍、自作のウェブサイトなど様々なメディア上でその経過報告を行ってきた。例えば1996年にヨコハマポートサイドギャラリーで開催された「風景の皮膜」は、大型カメラとカラーフィルムによる写真展示だったが、その翌年に小林はフィルムに別れを告げ、デジタルカメラによる同名シリーズ《風景の皮膜》をウェブ上で継続的に発表し始める[15]。そこに記録されているのは、人工物と自然物の終わりのないせめぎ合いだ。大地を覆い固めたコンクリートや石畳が、時の経過と共に雑草や落ち葉に覆われていく。農作物を保護するために設置したビニールハウスや農業用シートが、背を伸ばした農作物や繁茂する雑草の力で内側から突き破られようとしている。まさしく風景の皮膜=ヴェールと言うべきものが重なり合い、主導権争いをしている様子が、どちらに肩入れするでもなく、淡々と記録されている。スクリーン上に映し出された写真は、スライドショー形式で自動的に入れ替わるため、「途上」の感覚がより強調されることになる。
同じく小林のウェブサイトで閲覧できる《Japanese Blue》(1991〜)では、人工物と自然物の重層をより明瞭かつ象徴的に示すものとして、ブルーシートのある風景が採集されている[16]。ブルーシートは雨よけや埃よけ、工事現場の養生、レジャーの敷物など多様な用途で用いられるが、いずれも役目を終えれば取り去られることを前提とし、一時的で応急的な使われ方をする点では共通している。だが小林が撮影したブルーシートの多くは、設置してから長期間放置されており、汚れたり、破れたり、土に埋もれたりしている。ブルーシートの素材であるポリエチレンは分解されにくいため、放置していても自然に還らない。人間の手で撤去されない限りはその場に残り続け、己の存在を主張し続ける。周囲の環境に溶け込むことも馴染むこともないまま、風景の一部を成している青いヴェールの残骸は、郊外の風景とウェブ上の写真双方の隠喩として機能している。ウェブ写真もまた、いつでも閲覧可能な永続的アーカイヴとしての側面と、常にリンク切れやデータ消失のリスクに晒されているエフェメラル・メディアとしての側面を同時に備えているのだ[17]。写真集からウェブサイトへの移行により、写真に直に触れられる書物の物質性は失われたが、こうしたウェブ写真のエフェメラルな特性やスライドショーという鑑賞形態、新たに撮影された写真が随時追加・更新されていくオープンエンドの構造は、始まりも終わりもない「途上」の風景を採集する試みのためには、むしろ相応しい表現形式と言えるだろう。
註
[1]スクリーン・スタディーズについては、大久保遼・光岡寿郎編『スクリーン・スタディーズ──デジタル時代の映像/メディア経験』(東京大学出版会、2019年)を参照。
[2]Charles Musser, “Toward A History of Screen Practice”, Quarterly Review of Cinema Studies 9, no.1, Winter 1984. pp. 59–69.
[3]ヴァルター・ベンヤミン『図説 写真小史』(久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1998年)p. 17
[4]金属やリチウムなど、様々なテクノロジー文化の成立を支える物質に注目し、そこから各種メディアを捉え直す試みとして、前回取り上げたアメリー・ヘイスティの「デトリタス」論や、ユッシ・パリッカの『メディア地質学──ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える』(太田純貴訳、フィルムアート社、2023年)が挙げられる。
[5]松田政男『風景の死滅 増補新版』(航思社、2013年)p. 24
[6]三浦展『ファスト風土化する日本──郊外化とその病理』洋泉社、2004年
[7]柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』(岩波書店、2004年)p. 24。柄谷は風景一般についてではなく、あくまで日本近代文学における「風景」の成立に限定して論じているが、同書はその後、分野を横断して多くの研究者や批評家によって参照され、風景論の基礎文献の一つとなった。
[8]椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年
[9]小田光雄『〈郊外〉の誕生と死』(青弓社、1997年)p. 234
[10]小林のりお「空っぽヶ丘にはマイルスが良く似合う」『LANDSCAPES』(アーク・ワン、1986年)p.4
[11]同前、p. 5
[12]若林幹夫『郊外の社会学──現代を生きる形』(ちくま新書、2007年)p. 66
[13]同前、pp. 66-67
[14]小林のりお『LANDSCAPES』前掲、p. 62
[15]小林のりお「風景の皮膜」ARTBOW.COM、1996–2023年、https://www.artbow.com/membrane.html
[16]小林のりお「Japanese Blue」ARTBOW.COM、1991–2023年、https://www.artbow.com/blue.html
[17]スティーヴン・シュナイダーとカーステン・フットは、ウェブの特性を「エフェメラルとパーマネントの独特な混合物」である点に求めている。Steven M. Schneider and Kirsten A. Foot. “The Web as an Object of Study”, New Media & Society 6(1), 2012, pp. 114–122.
*次回は11月29日(金)に公開予定です。
かんのさゆりさんの参加する展覧会が、東京都写真美術館で開催中です。ぜひ足をお運びください。
「現在地のまなざし 日本の新進作家 vol.21」
出品作家:大田黒衣美、かんのさゆり、千賀健史、金川晋吾、原田裕規
会期:2025年1月19日(日)まで
料金:一般 700円/学生 560円/中高生・65歳以上 350円
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4822.html