●バーニングマンとはなにか
「バーニングマン」という言葉を知ったのは数年前。友人たちに誘ってもらったときにはじめて聞いた言葉だった。「バーニングマンって何?」とまわりに訊ねてみても、返ってくる答えがあまりピンとこない。レポートや日記はネットにたくさん転がっているけれど、それを読んでもちっともイメージがまとまってこない。わかったことと言えば、8月最後の月曜から9月の第1月曜にかけて行われること、アメリカはネバダ州北方にある砂漠に数万人の人々が集まって「ブラックロック・シティ」と呼ばれる街をつくること、1週間のあいだお金のやりとりをせずに生活すること、巨大なアートがいくつも広大な砂漠に建立されること、その最後に大きな「マン」という人形が燃やされることくらいだった。
今年この催しに初めて参加したわたしがこれから書く文章は、あくまでも、「わたしが体験したバーニングマン」についてのものである。バーニングマンとはなにか。世界でも有数の奇祭? 巨大で狂ったアートフェスティバル? ヒッピーの祭典? レイヴの聖地?——そのどれもが正解かもしれないし、そうではないのかもしれない。バーニングマンのマニュアルだとかデータが知りたいのなら、Wikipediaでも読めば事足りる。でも、それはバーニングマンそのものではない。そう言っておきたい。
つまり、この文章を読んで「バーニングマンってこういうものなのか」と思いこんでしまわれたら困るのだ。期間中、どこにも足を伸ばさずに自分のキャンプに閉じこもる人も、一晩中踊りに出かけて日中は眠り込んでいた人もいれば、あるいはひたすらアート作品を見つづけていた人も、そんなものまったく見なかった人だっているはずなのである。この文章であえて書かなかったことや書き切れなかったこと、あるいは書けなかったことはたくさんある。むしろそっちのほうが多いくらいだ。わたしが出会えたアートや人々、参加できたイベントなど、バーニングマンの規模からしたら本当にごく一部でしかない。スマホを使って情報を調べることなんかできないこの場所では、なにか心弾む出会いが本当に嬉しい宝物になる。
そこに集まった人の数だけのバーニングマンがある。だから少しでもこの謎めいた催しに惹かれた人には、この記事を含めた「誰かの体験談」を知るだけで満足せずに、ぜひその場所に行ってみてほしい。それなりに準備が必要ではあるけれど、そうしたことも含めて未知の出来事に出会うことがバーニングマンという場に参加することには求められていることなのだと思う。
●まつりの前に
8月24日、木曜日。日本からアメリカのネバダまで飛行機で向かった。開催地からほど近いネバダ州のホテルが、今回一緒に参加するキャンプメンバーとの最終的な合流場所だ。翌日の午後には、現地のホテルに到着。ここでこれから始まる一週間のキャンプの準備をしなければいけない。車やトラックをレンタルし、人数にあわせて食べ物や水からトイレットペーパーにいたるまで、DIYショップやウォルマートやホールフーズなどのスーパーをまわって生活に必要なものすべてを買う。お店によってはバーニングマン用の商品棚ができていたり、にこやかな店員さんに「バーナー(燃やす人/最終日の「マン」を燃やすことに引っ掛けたバーニングマンの参加者の別称)なの?」と声をかけられたりした。
ウォルマートでは水だけでも400リットル近く購入した。巨大なアメリカサイズのカートを3つくらい使っていたら、お店のひとたちが見かねて業務用らしき、さらにビッグサイズのカートを貸してくれた。おそらく50代くらいの、とても親切で気さくな女性店員がいて、レジまでカートを誘導して、最後はトラックまで運ぶのを手伝ってくれた。十数年前に、京都や東京に行ったことがあり、日本がとても好きだという。別れ際に、「Happy burn!」とも言ってくれた。自分の口からも、とても自然に「Thank you」という言葉がでてきた。お礼になにかしたくなり、日本からもってきていた煎餅を「Japanese rice cookie」だと言っておそるおそる渡したら、喜んでもらえてとても嬉しかった。
トラックに戻ったところで、大トラブルが発生した。トラックの後ろのシャッターがあがったまま降りないのだ! このままでは発車できない。買い出しにきていた男性2人、女性2人というメンバーで、炎天下の駐車場で一時間以上かかって汗だくになりながら、シャッターを引きずり下ろそうとするが、びくともしない。一通りできることはやり尽くして、疲れて呆然とし始めたころ、通りすがりの若い夫婦が、なんとあんなに動かなかったシャッターをすんなり下ろしてくれた。どうやらやり方が間違っていたらしい。トラックをレンタルしたときに、現場が忙しくてきちんとやり方を教えてもらえなかったのだ。助けてくれた2人に大感謝しながら、ようやくウォルマートを出たのだった。
たった8名が一週間のキャンプを生き延びるために、なんとたくさんのものが必要なことか。なにもないところで人間が生活するのはけっこう大変だ。少しでも快適に過ごしたいと思えば思うほど、買う物も増える。それでも慣れているメンバーたちのテキパキとした活動のおかげで、なんとか準備を終えて、日曜の朝六時、夜が明けるころに車で出発した。
キャンプ地につくまでの数時間、運転できないわたしは窓の外の景色をずっと眺めていた。トライバルランドと呼ばれる、アメリカ政府によるナヴァホ族の強制移住地が続く。本当に荒れ地だ。人や家がまったく見えないところもたくさんあった。そんなところでも送電線だけはどこまでも続いていて、この先のどこかに家があるのだな、という気配があった。アメリカで一番印象的だったのはこの何もないさびしい景色だったかもしれない。メディアでよく見知っている大都市ではなく、こんな風景にこそアメリカが凝縮されている気がした。
数時間たつと、道路を走っているのはわたしたちが乗っているようなトラックや大型の車、そしてキャンピングカーだらけになっていた。バーニングマンのゲートが近づいてきたのだ。ここからは速度を落としてゲートをくぐる順番を待つ。いつまにか、あたりに見えるのは砂漠と空だけになっていた。進まない車のそばで、すでに、裸に近い格好になっているひと、椅子をだして車の影でくつろぐひと、車を降りて挨拶して交流し出すひと、ボール遊びを始めるひと……まだ入場チケットも渡していないし、ゲートもくぐっていないのに、すでにバーニングマンは始まっていた。わたしも、前日にホールフーズで買った葡萄を、まわりに配って歩いた。知り合った人たちに、なかで会おうねと約束しながら。並んで待つ車を見てみると、キャンピングカーやなかを改造したスクールバスなどもあり、自転車やテントなどを屋根に積みあげている車も多かった。それからセクシャルなNGワードや落書きで車体が埋め尽くされている、ハイテンションな車も何台かあった。この車のひとたちは、サーカスで使うような小さな自転車でまわりを走り回っていて、とても楽しそうだった。
お昼頃には到着していたのに、大渋滞で、ゲートをようやく通り抜けられたのが夕方六時ごろ。ちなみにゲートでは、初めてのバーナーには、特別な儀式がある。これに関しては、秘密にしておくので行ったときのお楽しみに。それが終わって、テントを張るのに手ごろな場所を探していたら、すでに夕暮れ。テントを張って寝る場所を整えているうちに夜になり、最初の日は終わってしまった。
●わたしたちの生(なま)のからだ
到着して翌朝の目覚めは早かった。暑さや慣れないことで疲れているせいだと思うけれど、夜明けとともに目が覚めた。寝袋のなかでもう一度とろとろと眠って、日が出たくらいに起き出した。朝は涼しくてとても気持ちがいい。もしテントのなかや荷物の整理整頓をしたいなら、日の出直前と日没直後の「マジック・アワー」と呼ばれるわずかな時間が勝負。それ以外の時間ではテントのなかの温度がとても高く、すぐに汗だくになってしまうからだ。砂漠であるここは、日中の気温が40度前後、夜には5度前後に下がる。なので、夜はセーターを着ていないと寒いくらいの日もあった。そして、目覚めとは反対に暗くなると自然に眠気が訪れる。
キャンプ2日目にしてすでにわたしの身体は太陽と月に支配されていた。人工物が一切ないところに、じぶんの身体をおくだけでもうなにかが変わっていた。そんなキャンプでいちばん感動したことのひとつが、さきほどの「マジックアワー」と呼ばれる日の出の直前と日没直後のひとときで、太陽が見えなくなるほんの少しのあいだ、世界に影が一切生じなくなる時間の光景だった。世界がいちばん美しく見える時間なのだ。マジックアワーになると、それに気づいた参加者たちがキャンプの四方八方から狼をまねた遠吠えをして、夕暮れを知らせあう。夕暮れの大気に満ちる声は、なんだか世界の美しさを祝福しているようだった。わたし自身も自然のなかで思いっきり声をだすのは楽しくて、都市生活で忘れてしまった何かを思いだした気がした。
出国前に砂漠の生活でもっとも心配していたのが、お風呂やトイレのことだ。結局、この一週間はお風呂に入らなかった。洗顔はしていたけれど髪も洗わずに過ごした。多少ごわつきはしたけれど、不思議にあまり気にならなかった。湿度がほとんどなかったことで、匂いが気にならなかったおかげだと思う。寝袋に入るときはさすがに足が砂で汚れていることが気になったけれど、日焼け防止もかねてけっこう厚手のタイツをはいていたので、実際にはそれほど汚れてはいなかったようだ。最初のうちは丁寧にタオルやウェットティッシュでふいたりしていたのが、おそろしいことにだんだんと何ごとも気にならなくなっていくのだった。
キャンプ地内では一定の距離間隔で簡易式トイレが設置されていて、毎朝バキュームカーがくみ取りにきていた。何万人規模の排泄物! わたしももちろんそのひとりなのだけれど、他人の排泄物を目にすることに慣れていないから、思い出しただけでくらくらしてしまう。もちろん他人の排泄物には何度も遭遇した。入るときはトイレをのぞき込んで便座まわりが綺麗かどうかを確認せざるを得ないため、いやでも普段見慣れないものが目に入ってしまう。少しでも綺麗なところに入りたいと思うのは誰もが同じのようで、いくつも並んでいるトイレのドアを開けては閉めをしばらく繰り返し、ようやく落ち着けるトイレを見つけ出すという案配。
でも、人間は糞袋なのだから、食べたら出るのだ。都市の生活において、人間の排泄物はなんとすみやかに、ひっそりと処理されていることか。衛生に関わる技術が発達し、不愉快な匂いから解放され見たくないものを見なくてすむようになったことで、わたしたちは人間の生の身体のことをつい忘れてしまう。バーニングマンの砂漠生活は、そんな生々しさを実感させられることがたくさんあった。
ところで、バーニングマンの仮設トイレの壁には、様々なインフォーメーションのチラシやポスターが貼られていたり、あるいは「生理用品やトイレットペーパーをご自由に」と、顔も知らない誰かが置いていってくれたりもしている。クリスマスの飾りつけとともにクリスマスソングがかかっていたり、キラキラした内装にディスコソングばかりが流れるトイレもあった。こういう楽しい趣向は、実は最初から用意されているわけではなくて、すべてバーニングマンの参加者の手によるものである。これはバーニングマンの大事な信条のひとつである「ギブ」を示す行為なのである。バーニングマンの精神というのは、現在では「テン・プリシンパル(Ten Principal)」と題された十箇条にまとめられている。最初から決められた覚書ではなく、バーニングマンが始まった頃から脈々と受け継がれてきた精神を後からまとめたものだという。以下が要約だ。
- 徹底的にのめりこめ(RadicalInclusion)誰もが条件なしでバーニングマンに参加してよい。
- ギブすること/与えること(Gifting)見返りを求めず、与えること。
- 商業的になるな(Decommodification)バーニングマンが商業的に消費・搾取されないようにすること。
- 自分を信じる(RadicalSelf-reliance)相手や自分の内面の資質を発見し、活かすこと。
- 自分を表現すること(RadicalSelf-expression)自分を表現することはあなただけしかできないユニークなギブになる。そして、ギブする相手の自由や権利を尊重すること。
- 連帯せよ(CommunalEffort)協力し、助け合うこと。
- コミュニティの責務(CivicResponsibility)コミュニティを維持し、みんなのために働くこと。開催地域の法を遵守すること。
- ゴミをのこさない(LeavingNoTrace)自然を汚さず、来たときよりも美しくよい状態にして帰ること。
- 参加せよ(Participation)バーニングマンに徹底的に参加すること。そうすればあなたは変われるだろうし、世界は手応えをかえしてくれるはず。だれもが必要とされています。
- いますぐに、ここで(Immediacy)いま起きていることを直接体験することが一番大事なこと。頭で考えているだけでは決してわからないことがたくさんある。
バーニングマンの参加者には、基本的にこの十箇条にのっとって行動することが求められる。とはいえ、これを忠実に守るだけでいいわけではない。たとえ「ギブ」があったとしても、そこに心が伴っていなければさびしい。他人の親切に心からの笑顔を返すことだってギブになるし、ただたんに挨拶をするだけでもギブなのだ。ギブはコミュニケーションの目的ではなくきっかけで、重要なのは知らない人と話したり笑顔を交わすことのほうなのだ。
写真=北端あおい
※本記事での現地写真の掲載にあたってはhttps://burningman.org/の許諾を受けています。
【後編へ続く】