朝美がねんどにハマっている。愛ちゃんが通販で買い物したときのダンボールを朝美は上手に組み立てた。
「じょうずだねえ」
「じょうずだねえ」
波子と私がいう。
朝美は返事をしない。子ども扱いされているとわかっているからだ。でも実際、朝美は子どもだ。波子と私なんておばあちゃんみたいに見える歳だ。いや、朝美の親の愛ちゃんと波子のあいだに親子くらいの年齢差があって、そして波子と私のあいだに親子くらいの年齢歳があるのだから、朝美にとって私はさしずめひぃおばあちゃんといったところか。もうすぐで七十歳になる。歳の離れたひとたちとばかりつるんでいるのはおもしろい。私が老人で、彼女たちが若いというだけで、勝手に未来が発生する。彼女たちを見ることで時間から未来が剝き出しになる気がする。あとから振り返ってはじめてそんなことを考えているだけで、その瞬間にはきっとなにも思っていない。「あと」っていうのが、いつのことを指すのかはわからないけど、いちばん近いのは、この話を語っているいまっていうことになるんだろう。幽霊として、私は私たちのことを見ている。私は感心するのを続けていた。朝美が作る箱庭が上手だったからだ。朝美はダンボールを屋根のない正方形の庭に組み立て、公園で掬ってきた砂をそこに敷き詰めた。ねんどで作ったたくさんの人形や木や家を、砂の上に好きなように配置していく。
虫を殺すように直感的な動きで家々や木々や人々が並んでいく。それらに影がかかる。巨大な朝美の手が空からやってきて、
「ぶわちぇんぶわちぇんぶわちぇん!」
奇声を発しながら建物と自然を潰し人々を惨殺していった。とてもうれしそうだけれど、少しすると朝美は泣き出した。波子と私は慌てて朝美を泣き止まそうとする。おんぶしたり、おだてたり、変顔をしたりする。昼寝している愛ちゃんを起こさないように。いまこの部屋でいちばん疲れているのは愛ちゃんで、いちばん尊重されるべきなのは愛ちゃんだった。私は、なまあたたかかった。変顔をしている私ではなく、この話をしている私のことだ。布団の代わりになるかなと、愛ちゃんに貼りついてみた。