愛ちゃんは眠り続けた。ママベッドみたい、と朝美がいう。
「じゃあわたしは毛布ね」
朝美は愛ちゃんの眠っている体に飛び乗った。それでも愛ちゃんは少しも動かなかった。規則正しく寝息を立て、呼吸をする袋のように膨らんでは萎んでいた。すやー。びや。すやー。びや。愛ちゃんの寝息のあいだで鼻が詰まりぎみの朝美の寝息が聞こえる。最初バラバラだったそれらは一体になり静まった。ベッドと毛布になったふたりを見て、私は大きなあくびをした。途方もないほど大きなあくびで、あくびをしている時間にたくさんのことを思い出してもいいほどだった。空気が押し出されるみたいに脳がぐぐっと開き、口の穴の闇のなかで、これまで出会ったひとたち、起きたたくさんの出来事が踊っている。私があくびをしているあいだに、
「じゃあわたしはソファ」
と波子がいって、その場でソファになってぐーぐー眠りはじめた。
私はなにになろうかと考えた。たいしたものは思い浮かばなかった。枕になった。
愛ちゃんが目を覚ましたときはもう陽が暮れていて、山の稜線のような色に翳る部屋のなかで、ひとりひとりが薄暗いかたまりになって眠っていた。起こそうとしても、間違ってはいけない音楽のように全員が寝息を崩さなかった。仕方がないので愛ちゃんは散歩に出た。街全体が薄暗かった。だれも歩いていない。鳥がときどき鳴く。空気は澄んでいて、気持ちのいい風が吹くと植え込みの植物たちが時間のしっぽのようになびいた。愛ちゃんの目で見渡せる街のぜんぶが、自分の家のなかのように穏やかで、あの家にいるみんなは守られているんだ、と愛ちゃんは思った。他のものはぜんぶ滅亡した。わたしたちを脅かすものはすべて。碁盤の目のようになった街で、ジグザグに歩いているうちに、頭のなかで迷路でも作っているような気持ちになってくる。暗号めいていても規則正しく、いつまでも歩けてしまいそうだったから、愛ちゃんは家に帰ることにした。ピタッと、ゲームのキャラクターのように立ち止まり、そのまま呼吸で肩を上下に揺らした。なにかが自分のことを見ている気がした。振り返るとそれは、太陽で、陽が暮れていたと思った時間は、陽がのぼる前の時間だった。油のようにかがやき、浮き上がった輪っかの連続として体に飛び込んでくる光に笑いながら、家に帰ったら「おはよう」といいながら眠るところを想像した。