『百年の孤独』、『華氏451度』、『秘密の花園』、『老人と海』、『一九八四年』、『嵐が丘』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ねじまき鳥クロニクル』…。古今東西の名作文学作品はあなたの悩みに効く「薬」になるかもしれません。
「片想いをしている」「死ぬのがこわい」という悩み、そして「足の小指をぶつけてしまった」「風邪をひいてしまった」という痛み。それらを癒してくれるのはどんな文学作品なのでしょうか。
読むべき時に読めば、小説は人生を変えてくれます。『文学効能事典 あなたの悩みに効く小説』を読めば、小説のそんな不思議な力を思い出すことができます。
本書の刊行を記念して、翻訳者の金原瑞人さんと荻窪の本屋Titleの店主・辻山良雄さんのトークイベントを開催。海外文学のプロである金原さんと、本屋の店主である辻山さんは、ぶつけられた「悩み」=お題に対してどのような本をを処方したのでしょうか。
(この記事は2017年7月20日にTitleにて開催されたイベント内容を再構成したものです)
辻山:みなさんこんばんは。本日は、『文学効能辞典 あなたの悩みに効く小説』の刊行記念トークイベントにお集まりいただき、ありがとうございます。本日はゲストとして、本書の翻訳者である金原瑞人先生をお迎えしております。
金原:どうもこんばんは、金原です。よろしくお願いします。
辻山:この本には、われわれが日常の中で直面するいろいろな悩みや病気がたくさん収録されています。そして「こういう悩みや病気にはこういう文学作品を読むといい」というようなことが書かれています。つまり文学作品を薬として処方する、という内容の本です。本日は金原先生と私が、与えられた「お題=悩み」に対してみなさんに本を処方してみようという企画です。
(写真左より:辻山良雄さん、金原瑞人さん)
見出しだけで読んでも面白い。どこまで本気なのか、よくわからない。
辻山:では、本題に入る前にいろいろとこの本についてお聞きしたいと思います。本書の「訳者プロフィール」を見て知ったのですが、こちらの本は金原先生のちょうど500冊目の翻訳書になるんですね。
金原:そうなんです。でも僕は共訳も多いんですよ。これも石田文子さんとの共訳ですし。それに共訳者の方とは別に翻訳の付け合わせの作業をしてくれる方もいらっしゃいます。なので訳書の数としては多いけど、3で割ると、500割る3ですからそんなに大したことはないんです。それに文庫化された本も1冊と数えての500冊ですから。
辻山:この本は、どういういきさつで金原先生が翻訳することになったのですか?
金原:フィルムアート社とは『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』という本ではじめてお仕事をさせていただきました。これを持ってきてくださったのが編集者の薮崎さん。今回も薮崎さんからのご提案でした。目のつけどころがいいのは、僕ではなく薮崎さんです。
辻山:なるほど。本屋さんというのは、発売の何日か前に出版社や取次から「こういう本が出ます」っていうような案内をいただくんですけども、この『文学効能事典』は、タイトルを見た時に「あんまりこういう本が今までなかったな」と、直感的に面白いなと思いました。金原先生は、『文学効能事典』の企画をフィルムアート社さんから提案された時に、どう思いましたか?
金原:うーん、そうですね。思わず笑ってしまうところが、あちこちにあって、例えば「ところどころ飛ばし読みする傾向がある人のために」という悩みの解決法が載っているんですよ。ちょっと読んでみます。
会話やセックスやスキャンダルやドラマチックな場面を求めて先へ先へと急ぎ、細かい描写などは読み飛ばしてしまう傾向があるとしたら、それは出来のよくない小説を読んでいるせいかもしれない。その場合は本書を参考にして、よい本を選ぶようにしよう。
辻山:なるほど(笑)。
金原:笑う意外無いでしょ? もう読みながら笑ってしまって。例えば「セックスしすぎのとき」にこういう本がいいとか、その次の項目では「セックスレスのとき」にはこういう本がいいとか。見出しだけで読んでも面白い。どこまで本気なのか、よくわからない。「結婚相手をまちがえたとき」には、ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を読むといいとあって、そこに「できることなら、そもそも結婚相手をまちがえないようにしよう。」って書いてある。
辻山:まあ、それはそうですよね(笑)。
金原:最初は、これはトンデモ本なのかもと思ったんですけど、一方、新しい作品もたくさんあがっていて、例えばマイケル・オンダーチェなんかも3冊も出てくる。よく読んでるなと思うし、そういう意味ではある種のバイアスのかかったブックガイドなんだと思います。いくつか拾い読みして「これは訳しましょう」ということになりました。
辻山:金原先生は「文学の効能」みたいなものはあると思っていらっしゃいますか。
金原:例えば猪熊葉子さんという児童文学の翻訳者の方がいらっしゃるのですが、猪熊さんはある意味、不幸な子供時代を送っていらっしゃって。お母さんが葛原妙子という有名な歌人の方で、子育てをするのにこんなに不適当な人はいないだろうっていうような人なんです。葛原妙子の短歌を読んでも、よくわかる。そのような辛い状況の中で、猪熊さんは、本があったから私には今があるということをおっしゃってます。そういう人がたまにいらっしゃる。猪熊さんの『大人に贈る子どもの文学』(岩波書店)はとてもいいエッセイ集です。
しかし、僕の場合は逆で、本は全てエンターテインメントなんです。辻山さんはいかがですか?
辻山:私もそうですね。大学生ぐらいに読み始めて今に至るっていう感じなんですけども、自分の場合は本が近くにあるのが当たり前なんですよね。ただ、それに生きる術を求めるとか、あまりそういうのは無くて。
金原:本屋さんをなさっていてもですか?
辻山:はい。こういうとすごいサバサバしてますが、半分はやっぱり商品として見ているので。当然、好きだから本屋をやっているんですけど。
金原:でも、本当に切実な気持ちで本と向き合っている人ってのはたまにいらっしゃって、そういう方の話を聞くと、心を打たれるんだけど、僕とは違うなと感じます。僕は本当に、面白いから読む。子供時代からそうですね。
辻山:では、この本に書かれているように文学を読んで何か自分が変わったとか、そういうことはあまりありませんでしたか。
金原:本を読み続けることで変わってきたことはあるのかもしれないけど、実感はないなあ。
辻山:なるほど(笑)。では、そろそろメインのトークテーマに移りたいと思います。この『文学効能事典』は、さきほどご説明させていただいたような内容の本なのですが、出版社のほうから事前にお題を5ついいただいておりまして、それに対して、私と金原先生が「こういう本を読めばいいんじゃないか」という提案していきたいと思います。
金原:二人でビブリオセラピストになってみますか。
辻山:はい。ちょっとそういうことを今からやってみたいと思います。
「孤独なとき」に読む本
辻山:まず、1番目のお題が、こちらです。「孤独なとき」。
孤独といってもいろんな意味合いもあるでしょうし、それをどう解釈するかというのもあると思うんですけども、人は孤独なときにどういう本を読めばいいかというアドバイスをそれぞれ2冊ずつしていきます。
金原:では、僕から行きましょうか。一つはパオロ・ジョルダーノというイタリアの現代作家の『素数たちの孤独』(早川書房)という本です。もうタイトルが孤独ですよね。素数というのは、「その数と1以外には割り切ることのできない数」のことです。
アリーチェという女の子がスキーの事故で足を折ってしまうのですが、それ以来お父さんに対して心を閉ざしてしまって、外とのコミュニケーションもうまく取れなくなってしまう。もう一人数学にしか興味が見い出せないマッティアという男の子がでてきます。この二人がやがて、出会うんですよ。素数のような二人の出会いがおもしろい。ラストは言えませんが、とても素晴らしい。まさに孤独ってのはそういうもんなんだなあっていうことがしみじみ伝わってくる、そういう作品です。
僕は西崎憲さんたちと日本翻訳大賞の選考委員をやっているんですが、その最初の年にこれがあったら絶対に票を入れてましたね。確か映画化もされて、映画にもなっているはずです(『素数たちの孤独』監督:サヴェリオ・コスタンツォ 2010年イタリア)。
辻山:文学者は素数に限らずよく数学を取り上げますよね。ロマンチックな部分がありますし。それしか無いっていう、唯一絶対性みたいなところに惹かれるのかもしれませんね。では、もう1冊をご紹介いただけますか。
金原:『石原吉郎全集1』(花神社)です。僕は小説の翻訳はたくさんやっているんですが、詩はほとんど訳したことが無いんですよ。でも僕は本の中で、何が一番好きかって言われると、詩と短歌なんですよ。
辻山:そうなんですか。
金原:小説よりもはるかに面白い。その中でも何か1冊と言われたらもう『石原吉郎全集1』。とにかく文章がかっこいいんですよ。こんな文があり得るのかなあと。例えば「さくら」という詩がありまして、
さくらが舞ったいわれを
舞いながら大路へ
散りしいたいわれを
そのままに いちどは
死に場所へ向った
あけくれはそのままに
散りしくいわれで
あったから
一度は とうなづきあって
足ばやに大路を
はしりぬけた
ってそれだけの話なんですけども
こういう文章っていうのは、石原吉郎以外に知らないですね。まさに孤独に裏打ちされた力強さとリズムがあります。この人は、命令調とか断言調が特徴で、例えば他にも「受け皿」という詩
おとすな
膝は悲しみの受け皿ではない
そして地は その受け皿の
受け皿ではさらにない
それをしも悲しみと呼ぶなら
おれがいまもちこたえているのは
錐ともいえる垂直なかなしみだと
おそれずにただこたえるがいい
じつに、気持ちいい文体なんです。だから一人ぼーっといる時にはこの本を引っ張り出してきては読むんです。『石原吉郎全集1』が家に3冊あります。古本屋で見つけて安いとつい買ってしまうんです。
辻山:石原吉郎というと、シベリアに抑留されていましたが、そういう経験が詩にも現れていたりするんですか?
金原:そういう指摘をする人が多いんですが、僕はそこはどうでもいい。とにかくかっこいい。詩人の蜂飼耳さんも、石原吉郎のことを、そろそろシベリア抑留のことを抜きにして語ろうよ、ということを書いていらっしゃってます。僕もそう思うんですね。ぜひ、読んでみてください。
辻山:では次は私の方から。みなさまもご存知だと思うんですが、池澤夏樹さんの『スティルライフ』(中央公論新社)という作品です。
孤独な時って世界と自分との距離を測り兼ねているときなんじゃないかと思うんです。例えば、「あいつらはいつも楽しそうだけど、俺は全然楽しくない」とか。周りが良く見えたりとか。そうすると「自分はなんて孤独なんだろう」っていう風に思っちゃうと思うんですよね。池澤さんの初期の作品には、理学とか宇宙とか、そういうものと文学を融合して書いた作品があります。いきなりもう1行目が「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。」という感じで始まるんです。孤独な人が読むと、はじめは「何でだ!」と思うかもしれませんが、ただ、よくよく読んでいくと、「世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。」とあって自分という存在を、他人との距離じゃなくて星との距離で測るんだ、みたいなことが書かれているんです。
私はこれを学生時代に読んだのですが、何だかすごい爽やかな感じになりました。ウジウジ悩んでる自分を上から俯瞰して見るような、そういう気持ちよさに溢れている作品です。ここにいる自分の小ささがわかると、正確に自分が見えてきて、孤独から解放されるんじゃないかという風に思いましてこの作品を選びました。
金原:池澤夏樹さんの作品は面白いですよね。小説以外でも京都大学で行われた講義をまとめた『世界文学を読みほどく: スタンダールからピンチョンまで』(新潮社)という本がありますが、何度も読み返してますし、よく授業にも使わせていただいています。
辻山:そして私が選んだもう1冊は詩集なんです。茨木のり子さんの詩集『茨木のり子詩集』(岩波書店)です。
孤独という言葉を聞いた時に、いつもなんとなく思い出す「一人は賑やか」という詩があるんです。茨木さんって背筋をぴんと伸ばして一人で大地の上に立っている姿が似合うかっこいい女性だったと思うんですが、1文抜いてみると、
一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな
満たされているっていうのは、たぶん心が賑やかだっていうことだと思うんですけども、そういうことを書いてらして、やっぱり充実していれば、孤独は怖くないんだなっていう風に思った1冊ですね。
「片思いのとき」に読む本
辻山:じゃあ、2番目のお題「片思いのとき」にいきたいと思います。
金原:僕がもってきたのは『親愛なるミスタ崔: 隣の国の友への手紙』(クオン)という佐野洋子さんのラブレター集です。
佐野さんは37歳の時、勿論まだ作家になる前、子供と旦那をうちに置いてベルリンに留学するのですが、そこで韓国の留学生と恋に落ちるんです。その崔さんという方にラブレターを書くんですよ。佐野洋子さんって『100万回生きたねこ』が有名ですが、僕はあの人のエッセイやエロい話なんかが大好きなんです。その原型がね、既にここにある。崔さんに向けて延々と書く。崔さんの返信は素っ気なくて短いんですけども、その人へ延々と書く。
例えば、1967年6月13日のラブレターですが、
ずっと前、男と女のどっちが詩的であるかと論争したことがあったけど、その時最後に、ある男が、女は小便で大地に字を描くことが出来ないから、男のほうが詩的であると言ったら、みんななんだかそんな気がして、オシッコで、地面に字を描くことがとても素晴らしいことのような気がして、本当に、それが宇宙的なひろがりを持つえも知れぬことに思えました。今もとてもすてきだと思う。
「私地面にオシッコするのとても好きです。」って言っているんですね。こういうラブレターもらったら男はもうどうしようもないですよ。この話が終わったかと思うともう一回ね、おしっこの話が出てきて、佐野洋子らしいなあと。それに対して崔さんが当時のことを回想して、私はサンドバックみたいなものだったと書いてて。いや、そんなサンドバックならなってみたいと僕なら思うんですけどね。
佐野洋子の片思い的な気持ちをぶつけたラブレター集として非常に面白いです。この崔さん、韓国に帰ってから、大学の先生になったりジャーナリストになったりして、韓国に佐野洋子を紹介した人でもあるんです。
辻山:では金原先生の次の1冊。ジョン・グリーンの『さよならを待つふたりのために』(岩波書店)ですね。
金原:これは僕の訳した本です。これは両思いの高校生の話なんですよ。甲状腺がんが肺に転移してしまっているヘイゼルという女の子と、骨肉腫で片脚を失ったオーガスタスという男の子の恋の物語です。先にいってしまいますと、オーガスタスは癌で亡くなってしまいます。残されたヘイゼルもかなり癌の進行が進んでいます。両思いの二人なんですけど、言うまでもなく、待ち受けているのはすぐ目の前の死なんです。片思いのときに、読んでもらうといろいろと思う事があるのではないかと思って、1冊だけ、訳書から持ってきました。
辻山:ありがとうございます。じゃあ、次は私の番ですね。実はこのお題が一番難しかったです。あまり恋愛小説を今まで読んでこなかったので。私の読書傾向としては、人文書とかノンフィクションとか芸術、それに海外文学なんかが多いのですが、ただよく考えてみるとだいたいの小説には恋愛要素というのは入ってますね。
で、私がお持ちしたのが最近人気が高まっている詩人の文月悠光さん。この『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)っていうのは、エッセイ集なんです。
片思いの女性の気持ちを美しく書いたような詩集は幾つもあるんですけども、文月さんは、どちらかというと、自意識が高まりすぎて、変な行動をしてしまうような状態とか、後から見るととても恥ずかしいようなことを、ものすごく赤裸々に書かれるんですよ。
おそらくみなさんも身に覚えのあるようなことかもしれませんが、片思いのときというのは、「例えば好きな人がいて、その人の前に行くと何も喋れなくて、結局変なことを口走って帰ってきてしまった」とか、そのあいだは他人からすると滑稽な姿にも見える時期です。文月さんはエッセイの中で、滑稽にも見える自分をつらつらと書かれてて、読み終わったらすごく勇気が出るんです。作家としてはそういうものを正直に出していくというのはとても勇気が要ることだと思うのですが、読んだ人にその勇気が伝染して、頑張ろうというような気になることってあると思うんですよね。そういう等身大の言葉で書かれたエッセイですので、片思いのもやもやの中にいる人にこれはすごくオススメです。
金原:僕、『洗礼ダイアリー』っていうタイトルがついているからどんなに楽しいことが書いてあるのかなと思ったんですけど、これね『受難ダイアリー』ですよ、タイトルとしては。
辻山:そうですね。
金原:文月さん、最初っからあちこちで酷いこと言われてね。まさに受難の記録みたいな感じのダイアリーですよね。
辻山:でもなんかそれが結局、悲しい自分じゃなくて笑い話になっているのがいいですよね。
私のもう一冊はミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』(集英社)です。
片思いの人に読んでもらうにはどうかなあとか思うのですが、ただ恋愛への憧れというか、そういうのを植え付けるのには非常にいい小説だなあって思っています。
舞台はチェコです。女たらしのお医者さんが、いろんな女の人に手を出していくんです。ある日、純朴な女性に出会って、やっぱりその人ともそういう関係になるんですが、次第にその人からいろいろ学んでいくというか、そういうドン・ファン的な自分を捨てて、一回亡命して隣国に行くんですけど、またチェコに戻ってきて…というお話です。
これ『存在の耐えられない軽さ』っていうタイトルですけど、「軽い」と「重い」というメタファーで、いろいろ哲学的な思考というのが挟まれてきているんだと思います。一人の女性と添い遂げていくっていうのは、重いけども幸せなことなんだと。ただ、そういう重さに対して奔放に生きる女性というのが後に出てきて、その人がどんどん軽みの上の方まで行って、それが幸せなのだろうか、ということを考えさせられるんです。「哲学的かつ極上の恋愛小説」というとなんか安っぽいコピーですが、恋愛を知るっていうには面白い1冊かなと思って持ってきました。