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「人気の廃墟に行った|Meg Stuart & Damaged goods|元号が変わった 2019.04.16-04.30」

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

人気の廃墟に行った

4/16(火)
のところ下腹や足の付け根に湿疹が出て、痒くてたまらない。掻いていたら皮膚が真っ赤に晴れ上がってしまった。去年の12月頃もひどい湿疹で悩まされたのだが、パンを食べる量を減らして米を食べていたら治った。もしかして本格的に小麦アレルギーになったんじゃないかと思って、パンやお菓子を完全に止めてグルテンフリーのパンやパスタを試し始めたのだけど、なかなか収まらない。日本にいたときは花粉症をはじめ、何のアレルギーに悩まされたこともなかったのに。ネットで検索していろいろ調べた結果、腸内環境の問題かもしれないと閃き、アジアスーパーに行ってキムチと納豆を買ってきた。豚キムチを作って大量にキムチを食べる。夜は合気道の稽古に行った。

4/17(水)
ムチの効果なのか、一晩寝て起きたらみるみる湿疹が引いたので恐れおののく。キムチ、すごい。

演劇の企画書を書くために、ドイツ文学のことをネットで調べていたら、リルケの「家常茶飯」という戯曲の存在に行き当たった。森鴎外の翻訳による「家常茶飯」を青空文庫で見つけたので読んでみたら、後半素晴らしすぎて涙が止まらなくなった。こちらで日本語の本が買えないから文学の言葉に飢えていたのかもしれない。オチをバラしてしまうと(以降ネタバレ注意→)、「美しい婦人に一目惚れをした、最高の恋だ」と浮かれている男に向かって、相手の女性が「あなたとの恋は素晴らしかったが、出会った一日のうちに、全ての恋愛の行程を終了してしまったと感じた。今はお別れせねばならない」と返事する話である。なんだかよく分かる話の気がしたし、彼女は体よく男を振りたかったのかもしれない、とも想像できる。青空文庫には、鴎外が新聞社のインタビューに答えて、リルケについてコメントしている様子も付記されている。「全然売れてない新人だけど、将来有望。要注目」みたいなことを言っているのが、面白い。

4/18(木)
月に今のWeddingの家の住人Su-miが帰ってくるので、引っ越し先を見つけなければならない。だが、空前絶後の住宅難に見舞われているベルリン。インターネットのアパート情報サイトに幾つかメールをしてみるが、どこも応募が多すぎるのか、全然返事が帰ってこない。探し始めたばかりなのにもう疲れ切ってしまった。この先いつまでベルリンで暮らせるのかも分からないし、先行きが全然見えない。キムチを一瓶食べ切ってしまったので、また新しい瓶を買ってきた。

4/19(金)
所に提出しようと思っている演劇の企画書を書き終えたので、Google翻訳を駆使して英語に置き換えた。Google翻訳とGoogleマップがなかったら私、こっちで生きていけないだろうなあ。夜は合気道の稽古に行く。冷蔵庫に残っていた豆腐を食べようとしたら傷んでものすごい匂いを発していた。豆腐って腐った豆なのにまだ腐るんだなー。

ドイツ在住日本人のための情報サイトで、フリードリヒスハイン地区のアパートの一部屋を貸すという投稿を見つけたので急いで連絡する。日本人女性とのアパートシェアだそうだ。内見に行くことになった。

4/20(土)
ースターで、スーパーもお店も全て休み。時間が余ったので、家の近所の「桜の名所」に八重桜を見に行く。ベルリンの壁崩壊記念に日本の「テレビ朝日」が桜並木を贈呈した場所だ。ちょうど身頃で、分厚く膨らんだ見事な八重桜が、道のずっと先のほうまで咲き誇っていた。あとはずっとアパート情報のサイトを見ていた。

4/21(日)
前中に家の内見に行く。フリードリヒスハインというのは、ベルリンの少し東側の地区だ。アレクサンダー広場で地下鉄を乗り換えて行く。以前、ルームシェアが上手く行かなかった経験から、シェアの家を借りるのは不安があった。指定の住所にたどり着いて呼び鈴を押したら、日本人女性が部屋に迎え入れてくれた。同世代の絵を描いている方で、なんだか気が合いそうだと思ったけれど、部屋を見せてもらった後すぐに「借りたい」とその場で言うことができなかった。「ちょっと考えます」と言って部屋を出て、それからしばらく悩んだ。

日曜日のこの日は、友人のマヤとエレナと一緒にBeelitzという町に遊びに行くことになっていた。待ち合わせまで少し時間があったから、アレクサンダー広場でジュースを買って飲みながら、どうするか考えた。家のことでは散々苦労していたから、もう失敗したくなかった。日本人の女性とルームシェア、自分に可能なのだろうか。というか、今日見た部屋の他に選択肢はあるのだろうか。アパート情報サイトに幾つもメールを送ったのに、ここ以外は返事が一つもなかった。結論は出ないまま、待ち合わせの時間になったので長距離列車のホームに向かった。

Beelitzは、ベルリンから一時間ほど電車に乗った所にある小さな町で、白いアスパラガス「シュパーゲル」の産地として有名だ。ここに20世紀初頭に建てられたサナトリウムの「廃墟」があって、観光地として人気だという。エレナもマヤも、前から一度行ってみたかった場所らしい。廃墟が憧れの観光地? そんな良い場所なのかと半信半疑で電車に乗り、車内でエレナとマヤに落ち合った。

Beelitzの駅で下りて、人に道を聞いたりしながら少し歩いた。廃墟のある場所は公園になっていて、入口でけっこう高い入場料を払って中に入ると、観光客で賑わっていた。廃墟、ドイツ人に人気なんだなー。まず公園敷地内の「空中遊歩道」を歩く。螺旋階段をどこまでも上ると公園をぐるりと見渡せる回廊にたどり着く。確かに絶景なのだが、高所恐怖症の気がある私にとっては、ライトな拷問みたいな感じだ。風が強いから、橋がぐらぐら揺れるし。しかしドイツの大人も子どもも楽しそうにこの空中回廊を歩いては、周囲の廃墟の写真を撮っている。

Beelitzの廃墟は、もとは20世紀の初頭に建設された結核治療のためのサナトリウムだったそうだ。第二次大戦後にソ連軍に侵略され、病院施設として使用されていたが、その後放置されて廃墟となった。映画「戦場のピアニスト」のロケ地にもなったらしい。そういえば、こんな雰囲気の建物を映画の中で観た気がする。

空中回廊を下りた後、広い敷地内をぶらぶら歩いてサナトリウムの入口へ行った。ガイドの男性にヘルメットを着用するように言われ、他の見学者たちと一緒にヘルメットを被って中に入る。この日見学が可能だったこの建物は、女性用のサナトリウムだったらしい。床に散らばるガラスの破片を踏みながら進んで行く。20世紀初頭の雰囲気を伝える建築であるのか、窓枠やタイルや天井のデザインがやたらに美しい。古く朽ち果てた壁に、最近の侵入者が、手前勝手に塗りたくった色鮮やかなイラストや文字が躍っている。小さな部屋が無数にあってとても全部観きれない。

これまであまり廃墟というものに興味がなかったけれど、漂う静けさに心がすっと安らいでいくのを感じていた。「死の匂いがする」と死のことなんか分かりもしないのに思う。誰かが美しいものを作ろうと意図して狙ったわけではないのに、時間がただ積み重なることで美が生み出されるのはなぜだろう。何も起きない、放り出されたままのがらんどうの時間に、美を創り出す力なんか本当にあるのか。

たくさんの人がもちろんこの病院で亡くなっているのだろうが、それが怖いとか、幽霊がいそうだとかいう感想は生まれてこなかった。ただこの建物の中で、埃っぽい冷たい空気に触れていると、懐かしい場所に戻ってきたような良い気持ちがするのだった。

(廃墟には癒しの効果があるのかもしれない。「廃墟足つぼマッサージ」とか、流行るかも。)

廃墟見学を終えた後、Beelitz名物の白アスパラガス「シュパーゲル」を食べたかったのだが、ベルリン行きの次の電車がもうすぐ来るとか、そんな理由で慌ただしく戻ってきた。

Beelitz、もう来ないかもしれないが、もう一回ぐらいは行きたい気もする。忘れられない場所になった。

 

Meg Stuart & Damaged goods

4/22(月)
った末、フリードリヒスハインの部屋の貸し主の方に「部屋を借りたい」と連絡をしたら、なんと私の内見の直後に来た、別の日本人女性に貸すことに決めてしまったという。部屋は争奪戦だとは知っていたが、まさかここまで早く決まってしまうとは思わなかった。

私がその場で即決しなかったので、貸し主の方は「気に入らなかったのかと思った」とおっしゃっていた。慎重に決めようと思っていたのが仇となった。

4/23(火)
かしな天気。晴れていたかと思ったら、急に曇って雨が降り出す。近所の図書館で仕事していたら、気圧がグッと下がるのを体が感じるのか、眠くて立っていられないほどだった。急いで家に帰ってもうこの日は何をするのも諦めて、昼寝。部屋が見つからないことも手伝って鬱々としていた。

4/24(水)
行きが不安で眠れない。午前中に合気道の稽古に行ってちょっと気持ちを立て直した。

夕方、友人のアケミさんがこちらの芸大のキャンパスでショーイングをやるというので見に行く。アケミさんは以前、私がルームシェアで苦労したときに泊めてくれた方だが、芸大の振付科の院生なのだ。キャンパス内に立派な劇場があって、アケミさんはそこでソロ作品を躍っていた。舞台袖から伸びる黒い紐を、顔に少しずつ巻き付けながら、音楽に合わせて舞台を横切って行く。彼女の顔をきつく覆い隠し、呼吸を妨げるその黒い紐は、まるで断ち切れないへその緒のようだ。長い時間をかけて舞台中央あたりにたどり着いたとき、彼女の体が痙攣を始める。スモークが焚かれる。煙が晴れたところに、解けた紐とともに驚愕したような表情で転がっている彼女の体があった。

カーテンコールでスタッフたちとハグし合うアケミさんの笑顔が素晴らしかった。他にも3名の院生が作品を発表していたのだが、どれもレベルが高い。聞けば、作品制作の中で、大学の教授陣に、千本ノックのようにダメ出しを食らうのだという。アケミさんは息も絶え絶えだと言っていたが、振付家志望の学生にとっては理想的な環境だろう。

4/25(木)
緒子さんに誘われて、「世界文化の家」ことHKWという美術館で、振付家Xavier Le Royの作品を見る。待ち合わせの時間に会場の音楽ホールに入ったら、10名ほどのパフォーマーが完全に裸の状態で、床に四つん這いになってうろうろと広いホールを彷徨っていたから驚いた。奈緒子さんの説明いわく、Xavier Le Royは2000年代から活躍している著名な振付科だそうで、今回は人類の歴史を巨視的な時間軸の中で概覧する内容のHKWのシンポジムに合わせて、このパフォーマンスを発表しているらしかった。例えば、「人間が現在に至るまでの過度な技術革新を進めたことは、それまでの地球の歴史のセオリー内には収まり切らない事態を引き起こしていると言えるか否か?」とか、そういった高次的な議論が数日に渡ってこの会場で行われるのだそうだ。その中で、全裸のパフォーマーたちは時折メンバーを入れ替えながら、一日中このホールの中を四つん這いで歩き回るのだ!

パフォーマーたちは時折台詞を発したり、踊りのようなユニゾンの動きを行ったりもする。渦巻き状に集団で動いたり、バラけて観客のほうに向かってきたりするが、法則性がどこにあるのかは読み取れない。観客はクッションを借りてホールの斜面に座ったり寝そべったりしながら、彼らの動きをただ眺める。

一人の裸の若い女性が私と奈緒子さんのほうに四つん這いでやってきた。そして、唐突に英語で質問をしてきた。

「人は何かを『終わらせる』ということが可能だと思う?」

面食らった奈緒子さんが「どういうこと?」と聞くと、作品内でパフォーマーが観客に聞くことになっている質問が幾つかあって、その一つだという。

質問の意図としては、例えば、人が禁煙をしようと思ったとき、「喫煙をやめている状態」ではいられるが、その人が「喫煙をやめた、終えた」かどうかは、未来になってみないと分からない。また、生きている限り再び始める可能性もある。パフォーマーの女性は、ボーイフレンドと別れたばかりだそうで、それを本当に自発的に「別れた」と言い切れるかどうかは曖昧なのかもしれない、今は様々な要因のせいで付き合いを一時的にやめているだけかもしれない、と話してくれた。

作品全体のテーマを推察するに、この質問は、例えば「人間が環境保護のために全てのプラスチック製品の生産を中止すると決めたとして、それを『終わらせる』と自発的に決めることができるのか」とか、「AI技術の発達で起こるシンギュラリティが、人間の生存にとって本当に危険だと判明したときに、科学技術の発達を『終わらせる』ことが人間にできるのか」といった議論と関ってくるものなのだろう。

私が「ところで、このパフォーマンスはいつ終わるの? 観客が自分で決めて、好きなときに会場を出て行って良いの?」と尋ねるとパフォーマーの女性は、「このパフォーマンスは夜の10時ぐらいまでシンポジウムを挟みながら続いて行くから、好きなときに鑑賞をやめて出て行って良いのだ」と裸のままで教えてくれた。彼女の足は長時間のカーペットの上での四つん這いに耐えきれず、擦り剥けて血が滲んでいた。時々、隅のほうでこっそりと服を着て、会場を出て行くパフォーマーがいる。こうやって交替しながら何時間も続けるのだ。

奈緒子さんとHKWの中庭でお茶をした後、ミッテの日本食屋で鮭いくら丼を食べた。それから奈緒子さんと別れ、一人でクロイツベルクの劇場「HAU」に振付家Meg Stuartのダンスを見に行った。

昼間のXavier Le Royも凄かったが、Meg Stuartの作品「Untill our hearts stop」はさらに衝撃的で、心の奥底から揺さぶられた。

UNTIL OUR HEARTS STOP -Trailer (2017年11月15日)

HAUのメインホールでバンドがピアノやギターを演奏する中、6、7人のダンサーがコンタクトインプロヴィゼーションのダンスを始める。普通のソフトで優美なコンタクトインプロではなく、互いの体を激しくぶつけ合うような乱暴な動きである。
ひと段落した所で、ダンサーどうしは汗だくになった互いの体を嗅ぎ合いはじめる。服を脱がせあって、体の隅々、頭皮から股の間までを嗅いだ後、二人の裸の女性が一組になってセッションを始める。

睨めっこしながらぶち合ったり、相手の乳房をわし掴んで揺らしたり、挙げ句の果てには全裸で壁に倒立をした後に、お互いの股間を足の指先で擦りあったりしていた。二人の様子は、睦み合いなのかどつき合いなのか分からない。何かを張り合っているようだが喧嘩ではなさそうだし、裸で抱き合っていても同性の恋人どうしには見えない。だが、とにかく楽しそうなのだ。彼女たちは「女どうしがするとはとても思えない」動きをし続けることで、「女」という記号に纏わり付いた古くさいジェンダー観を一つずつ剥がしているように見えた。まるで子どものじゃれ合いのようではあるが、卓越した身体能力と動きのユーモアセンス、そして勿論体つきが、彼女らが成熟した女性であることを瞬間瞬間で証明していた。ややあってカーテンの裏に隠れた彼女たち、一人がカーテンが開けた瞬間にもう一人が大股開きをして女性器から長いリボンを引っ張り出した。拍手喝采が起こる。

その馬鹿馬鹿しさと清々しさに驚愕した。

さらに感動したのは、中盤の一連のシーンだ。バンドの演奏に合わせて、さっきまで裸で暴れていたパフォーマーの女性がきちんと服を着て、客席に語りかける。

「この舞台が終わった後に、私を家に泊めてくれる人いる……?」

観客の幾人かが挙手すると、「でも私はあなたの家の冷蔵庫の食べ物を全部食べて、家中をメチャクチャにするかもしれない! 今日のメンバー全員を連れてあなたの家に行っていい? 私たち、朝までパーティーをして大騒ぎして近所迷惑になると思うけど、それでも連れて帰ってくれる? どうする?」と畳み掛ける。なんだかジーンとした。舞台の経験がある人ならば誰でも思うことがある。たとえどんなに良い舞台をやって客席との一体感を得たとしても、上演が終われば客と演者は、別れ別れである。演者が裸になって、自らを解放して表現をしても翌日や翌々日、または十年後には、客とは全然関係ない人生を送っている。客が今日の舞台を覚えていてくれるかも分からない。どうしてもっと近づけないのだろう。こんなに楽しい時間を一緒に過ごしているのに。

舞台袖から、巨大な粘土の塊を持った男性パフォーマーが走り出てきて、「粘土ほしい人いる!?」といきなり客に問いかける。挙手した観客に、彼は粘土を千切っては投げる。別のパフォーマーがホールのケーキを手に「この中に、今日が誕生日の人がいます!」と叫んで客席に乱入してくる。一番近くにいた客にケーキを渡して、「誕生日いつ?」と聞いて「6月20日だけど……」とか言われると「じゃあ今日は6月20日だ!おめでとう!」と喚く。マイクを手にした女性パフォーマーが、客に「名前は?どこから来たの?」と尋ねる。客の名前を教えてもらうや否や「カリフォルニアから来てくれたジョニーです!最高、フー!」。彼らは、観客を醒め切った傍観者の立場に置かないように、思いつく限りのことをやり尽くしてやろう、と挑んでいたのだ。劇場内にユートピアが出現していた。今日たまたま劇場で会っただけの私たちが一つの芝居を観たというだけで友愛の精神で結ばれる、ちょっと嘘みたいな凄いユートピアが。

他にも歌を歌ったり、きちんと決まった振付を揃って行ったり、エレガントなドレスとタキシードを着て踊ったり、とあり得ないようなバラエティに富んだシーンの連続で、気づけば三時間が経過していた。客席いじりがあった中盤以降は、もう涙なしには見れなかった。「Untill our hearts stop=私たちの心臓が止まるまで」、パフォーマーと演出家は観客の心に届かんと、自らの身を呈して踊り続けたのだ。

終演後に劇場を出た後、一人で観劇していたのだがなんだか帰りたくなくて、初めてHAUに併設されたバーのテラスでビールを飲んだ。同じ芝居を見に来ていた観客やパフォーマーとの間に芽生えた仲間意識、共犯者意識を失いたくないと思った。ややあって、その日のダンサーたちもバーにやって来て観客と話したり、ビールを飲み始めたりしていた。別に彼らに「良かったよ!」とか話しかけたりはしなかったけれど、劇中で提起された政治的なメッセージを、終演後も、自分の日常に緩やかに引き継いでいかなくてはならないと思っていた。世間に流布する旧弊なジェンダー観や、観客と演者の間の支配/被支配関係を、振付家Meg Stuart と彼女のチーム「Damaged Goods」は力の限りを尽くして、無化したのだ。行ったことのなかったバーで、こうやったビールを飲んでいるのは彼らへの共感ゆえだ、私は観劇以前よりも確実にオープンな人間になったのだよ……と一人で勝手に思っていた。

4/26(金)
所の図書館で、仕事とドイツ語の勉強をした。この図書館、古い教会を改装した場所らしいのだが、よく通っていて、もうすでにコワーキングスペース状態である。

4/27(土)
用あって、ドイツ映画研究者の渋谷哲也先生と公園の中にあるスイス料理屋でランチをご一緒した。Beelitzで食べられなかった白いアスパラガス「シュパーゲル」を食べる。

夜は、先述の大学院生のアケミさんと劇場「Dock11」で振付家Maya Carollのダンスを見た。Maya Carollはアケミさんお勧めの振付家で、本人と、その古い友人らしき女性ダンサーとでデュオを踊っていた。始めは普通に見ていたのだが、二人が目を瞑ったまま踊り続けるシーンで、突然感極まって涙ぐんでしまった。女子校に通っていた中学、高校時代を思い出したのだ。

ダンサーの二人は、お互いを強く求め合っているように見えたが、そこにながれている情愛は性的というにはまだ何かが足りず、しかし切実な焦燥感に満ちたものだった。高校のときにクラスメイトの女の子に私もこんな感情を抱いていた。女子校の部活の中では、みんな必ず「好きな先輩」を作って、プレゼントをあげたりしていた。けれども、大学に入り、社会人になると、私たちの多くは「男性の恋人を作らなくてはならない」というプレッシャーに押されて男性と恋をし、女性に対して抱いた愛情や共感や連帯の気持ちを「なかったこと」にせざるを得なくなる。大学生に入って以降の私は、女子校時代の同級生が彼氏を作って、昔のことをまるで忘れたいかのように疎遠になっていくのを「なんだか変だ」と感じながらも、何が変なのか、ずっと分からなかった。

今のところ、この未成熟な社会にとって、女性同士の愛情は、それがたとえ性的な関係に満たないものであっても、完全に「不要」であり、排除されるべきものなのだ。なぜなら、女性どうしが連帯することは、未だに強固な男性中心の社会構造を崩壊させることに、直結してしまうからだ。女性が女性を求めるエネルギーは、こんなに強く、切実なものなのに。ずっと押し殺しつづけなければならなかった。まったく、エコじゃない。

私は、日本の政治家などが「男ばかりで」揃って背広を着て、ただの観光みたいな海外視察に興じている姿を見ると、筆舌に尽くしがたいほど「猥褻」だと感じて目を覆いたくなる。にやにや笑って視線を交わし合いながら「忖度」し合う彼らの関係性は、そこに性行為がなくたってそれ以上にいやらしく、変態的だと思う。あれが猥褻であり、真実「反社会的」であることを、ただひたすら隠蔽したいがために、同性どうしの友情や愛情や性的関係が、社会の片隅に追いやられてきたのではないかと思うと、私は戦慄してしまう。

Maya Carollたちの激しいダンスを見ていたら、記憶のシナプスがばらばらと繋がって、そういった思考が一瞬で脳裏を駆け巡り、あとはカーテンコールまでやっぱり感涙しっぱなしだった。

終演後にMaya Carollやアケミさんたちとベトナム料理屋でフォーを食べた。Meg Stuartが好きなアケミさんと、Megや最近のベルリンの振付家のダンスのことを喋っていたら、お互いマシンガントークになってしまった。地下鉄で一緒になったMayaに舞台の感想を述べたら、ひどく喜んで、ハグしてくれた。

4/28(日)
リストフに会って、私が書いた企画書の英語をチェックしてもらった。その後、ノイケルン界隈を少し散歩。美しい夕焼けを眺めながら、墓地や公園を歩く。

 

元号が変わった

4/29(月)
人に別の企画書の英語をチェックしてもらう。マヤの働くレストラン「Ora」でクリストフとマヤと夕食。

4/30(火)
事の書類を締切ぎりぎりに提出。Twitterを眺めながらもうすぐ元号が変わるんだなと思うが、特に感慨はなし。

 

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
追悼・萩原健一 銀幕の反逆児に、別れの“ララバイ”を
2019年6/22(土)~29(土)
http://www.shin-bungeiza.com/pdf/20190622.pdf
会場:新文芸坐

ヴァカンス映画特集
2019年6/07(金)〜07/14(日)
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1906070714/
会場:アンスティチュ・フランセ東京

EUフィルムデーズ2019
2019年05/31 (金) 〜 7/28 (日)
https://eufilmdays.jp/
会場:国立映画アーカイヴ(東京)ほか、京都・広島・福岡にて開催

*封切作品

6/14(金)公開
『旅のおわり世界のはじまり』黒沢清監督 https://tabisekamovie.com/
『ハウス・ジャック・ビルト』ラース・フォン・トリアー監督 http://housejackbuilt.jp/

公開中
『アナと世界の終わり』ジョン・マクフェール監督 http://anaseka-movie.jp/
『オーファンズ・ブルース』工藤梨穂監督 http://orphansblues.com/
『7月の物語』ギヨーム・ブラック監督 https://contes-juillet.com/
『慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ』チャン・リュル監督 https://apeople.world/gyeongju/
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督 http://moviola.jp/nypl/
『マルリナの明日』モーリー・スルヤ監督 https://marlina-film.com/
『ドント・ウォーリー』ガス・ヴァン・サント監督 http://www.dontworry-movie.com/

【美術等展示】
宮本隆司 いまだ見えざるところ

2019年5月14日(火)~7月15日(月・祝)
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3408.html
会場:東京都写真美術館

ジョン・ルーリー展 walk this way
2019年4月5日(金)~7月7日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:ワタリウム美術館

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime
2019年06月12日~2019年09月02日
https://boltanski2019.exhibit.jp/
会場:国立新美術館

【書籍】
劉慈欣『三体』( 立原透耶監修/大森望・光吉さくら・ワン チャイ訳/早川書房) https://www.hayakawabooks.com/n/n2b01e00e07a1
津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫JA) http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014244/
小泉義之『ドゥルーズの霊性』(河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309249124/