「かみのたね」では、ジャンル・年代を問わず現代のクリエイションを生きる方々へのインタビュー企画「Creator’s Words」を新しくスタートします。記念すべき第1回は、9/20(金)より初監督作『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』が日本公開される、ボー・バーナム監督。YouTubeへの動画投稿からそのキャリアを始め、その総再生数は2億5000万回以上を記録。以後、スタンダップ・コメディや歌手業などでも大いに活躍したのち、初の映画監督作となる本作は新時代のティーン映画として全米で記録的な大ヒット。ジャド・アパトーやアルフォンソ・キュアロンら映画監督、80年代アメリカ青春映画を代表する女優であるモリー・リングウォルド、さらにはバラク・オバマ前アメリカ合衆国大統領などなど、数多くの著名人からも絶賛されました。若干29歳にして才気ほとばしるバーナム監督に、今回は『エイス・グレード』とご自身のキャリアについてお話を伺いました。
なお今回のインタビューは、日本未公開映画作品の上映・配給活動で今をときめく、グッチーズ・フリースクールの降矢聡教頭との共同取材となります。かねてから『エイス・グレード』、そしてボー・バーナム監督に狙いを定めていたという降矢さんに、まずは本作と監督の紹介をしていただきましょう!
ボー・バーナム監督
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』は、ボー・バーナム監督自身の言葉にもあるように「インターネットのもたらした非常に奇妙で親密」な人と人との関係を探る新しい時代の青春映画だ。しかしそれは単純にSNSをテーマにしているというだけではない。たしかに至るところにスマートフォンやPCが映り、それらはほとんど鏡のように機能している。だが、いやむしろそれらアイテムがそこら中に散りばめられているがゆえにこそ、あのたんなるケイラの背中(水着のケイラを写したバックショットの凄まじさ!)、冴えないリュックを背負った彼女の猫背気味の姿勢に、重要な意味が見出される。
インターネットとケイラの背中の織り成す二重のことわりは明らかに意図されたものであることが、今回のインタビューではよくわかる。監督はパフォーマンスは二種類あると述べる。人に見せる演劇のようなものと、祈りのようなもの、だ。『エイス・グレード』は、「一対一ではなく一対公の関係性」としてのインターネットが発する光に呼応するように、極めて私的な関係である父親と囲む焚き火のゆらめきをそっとそこに忍ばせることによって、「非常に奇妙で親密な」関係を描くに相応しい映画となったのだ。
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本作を見た者は真似する誘惑に抗うことができぬと言われる、ユーチューバー・ケイラの決めゼリフ「グッチー」(上に掲載した監督写真を参照)。私が主宰している「グッチーズ・フリースクール」の由来は樋口くんという友達の名前なのだが、そのことを隠しつつバーナム監督にグッチーズの名刺を差し出すと、とても驚き、興奮気味に早速写真に収めてくれた。監督自身は、10代のケイラについて「理解不能な人物」と評したりもしているが、その反射神経に「さすがは『エイス・グレード』の監督だ!」とうれしくなった。と同時に、名刺には住所も書いてあるので、SNSにアップし、世界中にばらまくことだけはしないでくれ、という祈りのなか、インタビューは始まった。(降矢聡)
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――監督はYouTubeでご自身のパフォーマンス動画を投稿されたことがきっかけで活動を始められ、その後はスタンダップ・コメディでのパフォーマー、あるいは歌手としても活躍されています。そんな中で、映画制作を手掛けようと考えられたのはどうしてだったのでしょう?
ボー・バーナム(以下BB):スタンダップ・コメディなどの仕事を始める以前、ぼくは演劇に熱中していました、子供の頃からほんとうに愛していたんですよ。何がそんなに好きだったのかといえば、誰かといっしょにコラボレーションするというスタイルでした。照明のデザインをしたり、脚本の編集をしたり、そして俳優たちといっしょに仕事をするのが好きだった。なので、スタンダップをやるようになってからも、誰かといっしょに仕事をするスタイルに戻りたくて仕方なかった。そんなことを思うようになってから、スタンダップの大きな舞台を制作することになって、その過程を映像作品として撮影するようになったのですが、その仕事を通して映像で何かを撮影することに熱中するようになったんです。前々からかなりの映画ファンではあったのですが、自分のショーを撮影するまでは、自分が映像制作なんてできるのかどうかはわかりませんでした。
それからもうひとつ、ぼく自身についてではないストーリー、ぼくの顔が登場しないストーリーを作りたかったということも理由です。ぼくはもう自分自身を題材にすることに、あるいは自分の顔にちょっと飽きてしまったんですよ。でも映画なら、最終的な完成品に自分を出すことなく、さらに実際に映画を観た人にさえこの作品にぼくが関わっていることを指摘できないようなものがつくれる。そういうことをすごくやりたかったんです。
――演劇、とりわけ「ハムレット」がご自身の芸術観にとってすごく重要なものであったというお話は、以前、本作でケイラの父親を演じたジョシュ・ハミルトンさんとの対談でも語られていましたね。ところで、今からちょうど10年ほど前、まさにあなたが『素敵な人生の終わり方』に出演された頃のことだと思うのですが、あなたはその時期、すでに映画制作の意志をもってジャド・アパトーにお会いされています。当時は『エイス・グレード』とは全く異なるタイプの映画を考えられていたとのことですが……。
BB:その通りです。当時ぼくはまだ18歳の新人だったので、何もかもが新鮮に感じられる時期でした。一方でその頃はジャド・アパトーがアメリカのコメディシーンを掌握するかのごとく、爆発的な勢いで前進していた時期でもありましたからね。彼との出会いはとてもシュールで圧倒的な体験で、たくさん素晴らしいことを学びました。それに効率がよかったんですよ。というのは、自分の作品を世に出すことで生じる挫折を味わう前に、制作のすべてをそこで学ぶことができたからです(笑)。今でもその当時に映画を作らなかったことはベストな選択だったと考えています。時期が早すぎましたし、そもそもぼくは映画学校を出ていないから、制作の指導なんて受けたことがありませんでしたからね。
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――先ほど監督はご自身の顔に飽きているとおっしゃられましたが、『エイス・グレード』は、エルシー・フィッシャー演じる主人公のケイラが自身を被写体に動画を撮っている場面、まさに彼女の顔をこそ映し出す場面から始まりますね。彼女の存在感は本当に素晴らしいのですが、しかし表情と同等かそれ以上に、彼女の魅力はその背中にある。何か大きな出来事が起きる時には必ず彼女の背中越しに画面は捉えられている。その点について意識されていたことはありますか。
BB:興味深い指摘ですね。そうなんです、彼女の背中が実に豊かな表現をするのだということは、幸運なことにぼく自身も撮影を通して発見したことでした。
ぼくは当初、この映画をVRやFPSのTVゲームのように、観客がエルシーとともに、あるいは観客自身がエルシーとしてその世界を歩き回ることができるような、きわめて主観的な映画にしたいと考えていました。ぼくはなるべくシンプルに物事を表現しようとしているのですが、たとえばある人について思いをめぐらすとき、実際の顔を見ないほうがその人のことをより感じられることがありますよね。なぜならその瞬間、あなたはその人の感情を想像しているからです。この映画では、顔の見えない彼女の顔がそのまま観客の顔になる、つまり観客こそが彼女なんです。よく、フレーミングの画角の大きさによって画面の主観性が変わると言われますよね、対象に近く寄った画面ほど主観性が高くなる、みたいな。じゃあ背中から撮ってみるとどうなのか? その人自身の顔はまったく見えなくなるのに、実はそれがもっとも主観的な画面になるわけです。なぜならあなたが世界を歩いているとき、自分の顔は見えないのですから。これはとても興味深いポイントです。
しかし実際に撮影を始めてみてむしろ驚きだったのは、エルシーの動物的表現力でした。彼女には——あるいはあの年代の子供たちはみなそうかもしれませんが——、どこか動物っぽいところがありますよね。動物が耳を垂らしたり、背中を丸めたり、逆毛を立てたりして感情を表現するように。エルシーは身振り手振りやその姿勢を通して、恐怖などの感情を驚くほどに伝えられる。これは本当に偶然発見できたことでしたが、カバレッジ(抑えの画面)を撮っているときですら、エルシーにはそうしたものを感じたんです。
――ケイラという人物について、監督はご自身の投影ではまったくなく、「2018年の14歳の女の子」という、まったく理解不能な人物としてこの映画の中心に据えたとお話ししていました。本作のためのリサーチでは、そうした「別人」であるところの子供たちのありかたを調べるために、500個くらいのフェイクアカウントをつくって様々なSNSをリサーチしたと伺っています。その経験は、具体的にどのように本作に生かされているのでしょう。
BB:部分的にどうという話ではなくて、『エイス・グレード』そのものが調査の結論みたいなものなんですよ。ぼくはこの映画がインターネット上の様々なコンテンツや動画を基盤として成立したのだと考えたいんです。この映画で本当に捉えたかったのは、子供たちがつくったメディアのありかた。本当に驚くべき変化だと思うのは、ある子供が自分の携帯電話で撮影した動画をYouTubeにアップすれば、その間になんの媒介を挟むことなく、誰もがその動画を観れてしまうということです。東京に住む14歳の子供とぼく、あるいはデンバーに住む14歳の子と東京に住むあなたたちが直接繋がってしまう。これはすごいことですよね、今までには決して存在しなかった新しい親密な関係がネット上では築かれている。
ペンパル(文通)にも近いかもしれないけど、インターネットがそれとちょっと違うのは、一対一ではなく一対公の関係性になってること。まるで摩天楼の上で裸になってる、みたいにね。子供たちの動画は本当に感情をあらわにしていて、それを見る人たちもそこに親密さを感じ取ってしまう。極限的に公共的であるとともに、ほとんど露出者のようなものでもあり、さらにはきわめて私的なものでもあるわけで……。
パフォーマンスって大きく二つあって、たとえば演劇のように他人に見せるために行われるものがあり、もう一方に祈りのように本質的には自分や自分の脳のために行うものがありますよね。でもケイラの動画のように、かけ離れたはずのそうした二つの性質がインターネット上にアップされた動画では、それが同時に実現されてしまっているわけで……。今はこれ以上うまく説明ができないんだけど、インターネットのもたらした非常に奇妙で親密な人と人との関係については、これまで映画でほとんど語られてきませんでしたよね。ぼくの仕事は、そのテーマを映画の中に持ち込むことなのだと思っています。
――あなたはハミルトンさんとの対談でご自身はシネフィルではないとも仰っていましたね。とはいえ、そのときに「この映画には関係ないけど」と前置きして、ジョン・カサヴェテスの『こわれゆく女』のピーター・フォークとジーナ・ローランズについてもお話しされていましたし、何よりも『エイス・グレード』を見ていると、この作品の作り手はとても映画についてよく知っているはずだ、と思わされてしまうのですが……。
BB:確かにあの対談のときはそんなことを言ったかもしれません、でも実はいまはちょっとシネフィルな気分なんです。ぼくはずっと演劇にのめり込んでいたから映画に目覚めたのは遅くて、たぶん、18、19歳くらいかな。だからそんなにたくさんの映画を観てきたわけじゃないんですが、その頃に初めて『カッコーの巣の上で』(ミロシュ・フォアマン監督)を観て、映画でこんなにすごいことができるんだと気づかされたんです。
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――スマートフォンやPCの画面に映る自身をまるで鏡のように見つめるケイラの姿を見ていて、フランソワ・トリュフォーの『夜霧の恋人たち』のジャン=ピエール・レオーを思い出していました。子供の映画という観点では『大人は判ってくれない』や『トリュフォーの思春期』のほうがわかりやすく関連はあると思うのですが、登場人物としての彼女の姿は、子供時代ではなく、むしろ大人になったときのアントワーヌ・ドワネルの振る舞いに似ていると思ったんです。
BB ええ、その通りですね! もちろん『大人は判ってくれない』も好きな作品ですが、この映画との関わりがあるのはそれとは違う作品だという意見はよくわかります。ぼくはいま映画をつくる上で、個々の俳優のスペックがどういうものかにはあまり関心がなくて、それよりも現場での演技が素晴らしいものであるかどうか、そのパフォーマンス性にこそ興味があるんです。トリュフォーやカサヴェテスの映画が大事に思えているのは、彼らの作品がいつも俳優との親密さを感じさせるものだからなんです。
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』
(原題:EIGHTH GRADE )
監督・脚本:ボー・バーナム『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』(出演)
出演:エルシー・フィッシャー『怪盗グルーのミニオン危機一発』(声) / ジョシュ・ハミルトン『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 / エミリー・ロビンソン『バッド・ウィエイヴ』 / ジェイク・ライアン『ブルー・ワールド・オーダー』
2018年 / アメリカ / 英語 / 93分 / カラー / 5.1ch / 日本語字幕:石田泰子 配給:トランスフォーマー
オフィシャルサイト:http://www.transformer.co.jp/m/eighthgrade/
9月20日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷シネクイントほか全国ロードショー
2019年8月31日
取材・構成゠降矢聡+フィルムアート社編集部
協力:トランスフォーマー