恵美子もカーペンターズも私も無事に就職が決まり、私たちは図書館に集合していた。半分地下のような階があって、そこの窓際の席に四人で座る。窓の向こうには部室棟があって、ひとがよくダンスや漫才の練習をしていた。横に長い窓は小さくて、ひとの足ばかりが見える。靴から膝下くらいまでがいくつもいくつも、飛び跳ね、足踏みをしている。不気味なその光景を私たち以外に利用者のいない半地下で黙りこくって眺めているのはちょっと夢みたいで、いつしか日課になっていた。雨が降ってきた。ぶちんぶちんと水滴がぶつかる地面が目の位置で平行になる。水溜まりは排水溝のあるこちらへどんどんと迫ってくる。ぎゃ……と恵美子が小声でいう。私たちは一時間ほど動かなかった。
「なんか、名前つけるー?」
地上階の雑談可能スペースに戻ったときに私はいった。半地下の窓を四人で見ていたこと、将来思い出すときに名前があった方がよくないかなって思った。
「その時間ごといつまでも覚えてたりできないから、名前をつけておかないと、思い出すとき途中で分解したり、脱線してしまうっていうか。私のいってることわかる?」
「あんまりわからへんわ。なあ短冊あるで。なんで?」
スペースはすり鉢状になっていて、その中央に短冊があった。隣には短冊を書く用の机があり、そこに「今日は図書館記念日です」と書いてあった。
「へえー。でも図書館記念日やから短冊ってなに? まあええけど。あんたも書く? なんかお願い事する?」
「お願い事かあー」
急に、高校時代の友だちのことを思い出した。
しあわせになること
しなないこと
って地元の市民センターの机に書いた。みずはちゃん。水田さん。ゆずる。あのひとたちみんななにしてるんだろう。フェイスブックとインスタグラムで検索して見てみると、みんなそこそこ元気そうだったけどSNSになんてポジティブなことしか書けない。落ち込んでることとか書いたら、どうしてかそれだけで罪悪感がやってくるし。じゃあどこで落ち込んだらいいのかな。みんな、本当に元気だったらいいな。
しあわせになること
しなないこと
図書館の短冊にそう書いた。
カーペンターズの歌詞を短冊に書いていたカーペンターズは口笛を吹き、
しあわせになること
しなないこと
と私が書いたのをまねした。
「なにそれすてきやん?」
恵美子もまねをする。
しあわせになること
しなないこと
短冊はそれから何か月も設置されたままだった。
卒業証明書を発行しに大学にいったときに図書館に寄ってみるとそれは膨れ上がっていた。何百年も切ったことのない髪みたいだった。すり鉢の中央に立ち、暖房でかさかさと鳴いていた。きもちわる、と思いながら近づくと大量のお願い事が書かれた短冊がぶらさげられていて、ぶよぶよと脈打っていた。そのひとつを見ると、私のでも恵美子のでもカーペンターズのものでもない字でこう書いてある。
しあわせになること
しなないこと
他のたくさんの短冊にも書いてあった。図書館の棚にも書いてあった。本のなかにも書いてあった。学食の机。最寄り駅のベンチ。私の知らないところでそれは広がっていた。知らないひとに書かれていた。私は笑った。誰もしあわせになれ。誰もしなないでいろ。