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2025.03.07

第十一回 呼吸する線——松谷武判【後篇】

絵画を辿る 20世紀芸術の描線分析 / 池田剛介

線と雫

 

先のボンドの作品を手がけた1966年、松谷はフランス政府による給費留学生を選抜する第1回毎日美術コンクールで大賞を獲得し、フランスに渡っている。版画の作品で知られていたスタンレー・ウィリアム・ヘイターの工房に入門し、新たな環境の中で、それまでの半ば立体的な表現とは大きく異なる、平面的な手法に取り組んでいくことになる。

フランス渡航から数年を経た1971年の作品を見てみよう(図1)。黄色と青は明瞭な輪郭で区切られながら強いコントラストを作り、また青は相対的に暗く、黄色は明るいため、明度の上でも対照を成す。シンプルで強い作品だ。日本での作品との違いは一目瞭然だろう。ボンドによる凹凸はフラットな表面となり、かつては見られなかった鮮やかな色彩が現れている。

図1 《繁殖の黄》1971年

ここで用いられているシルクスクリーンという版画の手法は、絵画のように直接的な運動性をもって絵具を重ねていくのではなく、何段階かの作業工程を経ながら制作が行われる。簡潔に言えば、まず(1)原稿となるイメージを作り、そこから(2)原稿を元にインクを通す版を作り、(3)その版の上から紙にインクを刷る。こうしたいくつもの段階を経て、手作業の跡を残すことのないフラットで既製品のような佇まいの作品を可能にする。

こうした明瞭かつフラットな傾向の抽象的な作品は「ハードエッジ」と呼ばれ、アメリカ合衆国をはじめとして60年代ごろから世界的に見られるようになった[1]。アメリカの批評家クレメント・グリーンバーグは、それ以前の世代のポロックらによる手描きの筆跡や身振りを強調する、線描と色彩との区別が不明瞭な作品を「絵画的ペインタリー」とした上で、こうした作品の後に現れてきた、幾何学的な線や平面的な色彩が特徴的な作品を「線的リニア」と呼び、この時代の新たな美術の動向とした[2]

こうした新たな傾向は、前回見たポロックや白髪一雄といった、それまでの抽象的な表現が筆触や画家の身体性を強調した「熱い抽象」だったことと対照的な位置にある、よりクールで、工業化時代の既製品を思わせるような「冷たい抽象」としても知られている。海外の美術雑誌に精通し、国際的な動向に敏感だった具体のリーダー吉原治良は、この時期、具体美術協会に戦後の工業的な発展に呼応するタイプの作家を多く迎え入れ、吉原自身もまた円というモチーフはそのままに、それまでの物質性を強調した作風から、よりフラットな作品へと移行している。

フランスに渡航後、すでに具体からは距離があったとはいえ、ボンドの物質性に即した作品から幾何学的な作品へと向かう松谷の変化に、時代状況への応答を見てとることは可能だろう。しかし同時に見逃してはならないことは、松谷のこの時代の作品に、ハードエッジという名称が示す文字通りのハードさ=硬さから明らかに逸脱する要素が見られる点である。

再び作品に戻ろう。線的な要素が明瞭な、幾何学的でフラットな作品でありながら、しかし画面の下部には、そのフラットネスとは異質な、半円状の色彩の「垂れ」のような形象が見られる。この黄色の雫状の表現は、両脇の青の上昇するような形を浮き彫りにもしており、そこには落下と上昇という異なる方向の力による、作品においてのみ成立する宙吊りの空間が生まれるだろう(図2)。こうした絵具の滴りを思わせる形象は、ボンドの作品のそれと明確に通底する要素である。

図2 筆者作成

先に見たようにボンドの作品での雫状の表現は、水平的な制作を基礎とする松谷の作品において、水平に留まらない斜めの傾きによって造形されていた。松谷が新たに取り組むシルクスクリーンという手法もまた、イーゼルの上で垂直的に制作される一般的な絵画とは異なり、強い圧力をかけながら版の上からインクを通していくことが必要となるため、その制作は水平な机の上で行われる。色彩自体が滴るかのような表現は、制作プロセスの中に実際に傾きを導入するのとは異なるしかたで、水平的な制作プロセスの只中に垂直的な傾きを侵入させている。

 

呼吸する表面

 

60年代半ばにフランスへと渡った後に、版画によるフラットな表現を探究する松谷だが、そこから10年を経た70年代の後半になって再び大きな転換点が現れる。前回の冒頭に見たような黒の表現へと踏み出していくのである。

ボンドからハードエッジへの移行がそうであったように、ここでもまた松谷は一見したところ、それまでの表現とは対照的とも思える方へと、その歩みを進めていく。ハードエッジの作品を通じて展開していた平板で色鮮やかな作品と真逆の位置にある、手の感触の刻まれた黒のモノクロームの作品へと向かうこととなる。

《流れ-6(10メートルのドローイング)(1982年)を見てみよう(図3、奥)。10メートルもの紙を丹念に鉛筆で塗り込みながら、白い紙を黒へと反転させ、その右端では鉛筆のグラファイトが溶け出すかのように流れ落ちている。しばしば東洋の書との関係も指摘される黒の作品だが[3]、こうした転換について、松谷は次のように語る。

〔ヨーゼフ・〕ボイスに関心を持ったことは鉛筆に移ったきっかけの一つですね。ボイスの自然主義の運動などに触れて、自分も画材を限定しようと思ったのです。(…)工業的なものが発達していくことも得るものがあるけれど、人間が涙を流したり怒ったり感情を表すような動物的な、もしくは本能的な機能を見直すべきということをボイスも言っていたと思うけれど、自分も手を使って鉛筆で描いていこうと。[4]

図3奥:《流れ-6(10メートルのドローイング)》1982年、手前:《黒円》2005年

この時代に強い影響力を持ったアーティスト、ヨーゼフ・ボイスによるエコロジー思想に言及しながら、それまで手がけていた、戦後の工業が発展していく時代に呼応するような制作に対して、一旦距離を取ろうとする姿勢が窺える。

ハードエッジでの工業的ともいえる作品から離れて、より「動物的」「本能的」な自然性へ。このように聞くこともできる松谷の発言だが、実際の作品を見てみると、ここでの描くという行為は、動物的や本能的といった言葉で思い起こす「自然」で「自由」なそれでは決してなく、むしろ機械的とすら言える反復作業に身を投じていく、そのようなプロセスのように感じられる。

その一方で、全体を眺めるように作品から身を引いた状態では分からないが、近づいてみると作品の印象は大きく変化する(図4)。ここで気付かされるのは、距離をもって作品を見た時のフラットな印象とは異なり、その表面は全面的に黒く塗りつぶされているのではない、、、、、点である。その描線が蓄積した表面には、鑑賞者の動きとともに揺れ動き続ける暗いグレーのニュアンスとともに、黒というよりも鈍色にびいろという言葉がふさわしい、グラファイトのもつ鈍い金属質の光沢もまた見られる。

図4 《流れ-6(10メートルのドローイング)》部分

作品表面から1メートルくらいの位置まで、より接近して見てみよう(図5)。一見したところテレビの砂嵐のような全くのノイズのようにも感じられる。だがよく見ればそこには右上から左下に傾く斜めの描線のリズムが現れてくるだろう。さらにその表面に目を凝らせば、反復的な鉛筆の筆跡とともに、紙の肌理に沿って窪んだテキスタイルのような白の網目が浮かび上がってくる。

図5 《流れ-6(10メートルのドローイング)》部分

鉛筆の筆跡が強く現れている箇所と、紙の肌理に沿って現れたこの白のラインを、別々にトレースしてみよう。紙の肌理には網目状のパターンがあり(図6左)、そこに鉛筆の均質で反復的な運動が重なっている(図6右)。

図6 筆者作成

鉛筆の筆圧が高い箇所では、表面の窪みにまでグラファイトの粒子が入り込むことで紙の肌理が均され、相対的に筆圧の弱い部分では、網目状に走る紙の肌理がはっきりと見られる。鉛筆による筆跡の一定のリズムと、紙の肌理という別のリズムが重なり合うことによって織りなされる、波の表面のような複雑なパターンが現れてくる(図7)。

図7 筆者作成

黒は光を吸収し、白は反射する。その黒と白による鈍色の織物は、光を吸い込むことと反射することを繰り返す。一見したところ黒一色に思える色面には無数の小さな孔が空いており、そこから空気が出入りしている。その呼吸するかのような表面には、決して均質に均されたのではない複数のリズムの重なりがあり、それを可能にするのは紙の上に刻まれる、グラファイトによる反復的な描線に他ならない。

制作中の写真には、画家が左手で机を支えながら右腕で線を描きこむ様子が収められている(図8)。ここで特徴的なのは、画家が作品の全体を見渡すことなく、画面に対して極めて近距離から鉛筆を刻みつけている点である。この意味で、制作中の画家がその感覚を最も凝らしているのは、画面全体というよりも、ごく近距離の視点であると言えるだろう。そしてこの近距離の基礎となるのは、筆の軸の長さによって画面から一定の距離をとるのではない、先端のグラファイトそれ自体に人差し指を据えながら前傾する、その中腰の姿勢、、、、、である。

図8 スタジオでの制作風景、撮影:ミッシェル・ルーナーデル

先に触れたように、こうしたモノクロームの作品には「書」との関連がしばしば指摘されている。松谷が鉛筆での制作を始めるのと同時期の70年代末に、ロラン・バルトは画家サイ・トゥオンブリーをめぐる線描論をものしており、そこで書の線について、なんらかの目的をもった行為アクトと区別しながら次のように指摘する。「書の本質は形でもない。用途でもない。ただ単に、動作ジェストでしかない。成るがままに任せて書を生む動作である」[5]。こうしてバルトは書に見られる線の運動に、行為アクトとは異なる、より無目的な運動それ自体としての「動作ジェスト」を見出している。

松谷の描線は通常の絵画の線のように、イメージを描き出すことを目的とする「行為」ではない。むしろそれ自体としてはイメージに直結しない「動作」の痕跡に他ならず、その意味でバルトの考える書の運動と通じているようでもある。だが同時に、そこにあるのは決して「成るがままに任せて」の動作ではない。いささか矛盾した言い方だが、そこには機械的とも言える反復的な動作ジェストを見てとることができるだろう。

直立する画面に対して同様に直立しながら客観的な距離をもって向き合うでもなければ、水平に置いた画面に身体を丸ごとぶつけるのでもない、水平面に展開される表面に対して、中腰の姿勢でその身を傾けながら反復的な動作を刻み込んでいくこと。ここに、その後の制作においても重要な鍵となる、松谷の新たな展開がある。

 

無機的なものの生/性

 

プラスティックの流動からハードエッジを経てグラファイトの描線へ。その制作の出発点から遠くまで歩みを進めてきたように感じられる松谷の制作だが、その呼吸する表面としての松谷の線が、再びボンドという素材と出会い直すには、さほど時間はかからないだろう。松谷はそもそもの出発点において、素材に「息を吹き込む」ことを、その表現の起点としていたのである(図9)。ここにもまた、ごく近距離で素材の変化へと注意を向ける中腰、、の姿勢が見られることは、今や指摘するまでもないだろう。

図9 スタジオでの制作風景

前回の冒頭で見た、松谷の代表的な作風として知られる黒の表現は、鉛筆の描線とプラスティックの合流の結果として生まれたものである(図10)。その流動的な表情には、松谷が具体時代に取り組んでいたボンドが用いられている。左右の両端から内側へと向かい、二つの流れが相互に力を与え合いながら押し合いへし合いするような、物質それ自体の運動が感じられる。

図10 《接点2-86》1986年

一見したところ平板な黒のように感じられるその表面には、先の作品と同様に、鉛筆の線の塗り込みによってニュアンスのある表情が与えられている。ボンドによる有機的で流動的な形態に鉛筆の描線が重ねられることで、作品はかつてのボンドの作品と通底しながらも、大きく異なる印象をもつようになる。表面の色のみならず、グラファイトによる金属的な質感もまた、その変化の重要な要素となるだろう。

ボンドから金属的な表面へ。前回見たバルトによるプラスティックについてのエッセイは、この素材の変容性とともに、ゴムや金属という他の素材との関連から、プラスティックの「中性的な性質」を鋭く指摘している。

固くもなければ深くもないプラスチックは、有用な利点にもかかわらず、実質については中性的な性質、、、、、、に甘んじなければならない。つまり耐久性という性質のこと、廃棄の単なる中断を前提した状態のことである。偉大な諸実質がかたちづくる詩的な次元においては、プラスチックはゴムの流動と金属の平板な硬さの間をさまよう、不興をこうむった物質である。[6]

バルトはプラスティックという素材のもつ「中性的な性質」を、ゴムの柔らかさと金属の硬さの中間に位置づける。松谷はその制作を通じて、この中性的な性質を拡張している。垂れや皺による流動的な表情がゴムのような柔らかさの印象をもたらす一方で、鉛筆によるコーティングによって金属質の硬さを与えてもいるのである。

接近して見てみよう(図11)。初期のボンドの作品において、その有機性を強めていたのは、垂れや皺による流動的な表現に加えて、ボンド特有の湿度を帯びた表面の質感であるだろう。黒の作品では、その流動的な表情を保ちながらも、表面の有機的な質感は失われている。それに代わって現れるのは、金属質の光沢によってコーティングされた、硬く無機的な質感である。

図11《接点2-86》部分

その表面においては無機的な印象を与える一方で、しかしそこには手と手が触れ合うような、あるいは舌先と舌先とが(絡み合う手前で)接触するような艶かしさすら感じさせる。生命をもたない無機的なものが、にもかかわらず生/性的なものとして現れること。ここに見られるのは、ボンドによる有機的な形状とグラファイトという鉱物的質感とが重ね合わされることによる、無機的なものの生命性、、、、、、、、、、という逆説的な事態である[7]

活動の出発点となったボンドによる制作において、水平性をベースにしながら、そこに垂直的な傾きを加えていく、そうした斜めの方向が見られたことを最後に思い出しておこう。この斜め方向の傾きは、素材の柔らかさと硬さ、流動と静止といった対極の位置にあるものに宙吊りの均衡を与えている。そしてその上から重ねられる反復的な動作による描線は、相反するものを斜めに往復しながら、これらを織り合わせていくのである。

60年代から具体美術協会で頭角を現し、フランスへとその拠点を移しながら、世紀を跨いで未だ留まることを知らない松谷の制作は、その後も黒や流動といった要素を軸として、インスタレーションやパフォーマンスも含め、さらに多様な方向へと展開を遂げている。そしてその表面的な現れを様々に変化させながらもなお、中腰の姿勢から注がれる物質の仔細な動きへの感覚こそが、松谷の制作の底に流れ続けている。

 

【注】
[1] 同じく平板なポップアートも同時代の動向で、こちらは、しばしば大衆文化をモチーフとする具象性の強い特徴をもつ。
[2] 「ポスト絵画的抽象」『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄監訳、勁草書房、2005年、164–172頁。ここでの「絵画的」「線的」というグリーンバーグによる見方は、美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンの議論に基づくことが述べられている。
[3] 松谷自身も「書」からの影響を語っている。『松谷武判展 流動』図録、神奈川県立近代美術館、2010年、35頁。
[4] 同上、32頁。
[5] ロラン・バルト『美術論集 アルチンボルドからポップアートまで』沢崎浩平訳、みすず書房、1986年、85頁。
[6] 『ロラン・バルト著作集3——現代社会の神話』下澤和義訳、みすず書房、2005年、286頁。
[7] 無機的なものの生命性については、ジェーン・ベネット『震える物質——物の政治的エコロジー』(林道郎訳、水声社、2024年)の議論に示唆を得た。

図版出典
01,10:『松谷武判の流れ』図録、西宮市大谷記念美術館、2015年
03,04,05,11:筆者撮影

08, 09:Takesada Matsutani, exh. cat., Paris, Centre Pompidou, 2019.