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2017.08.01

第1回 海底都市を泳ごう

東京狩猟日記 / 千木良悠子

もう三十年以上東京に住んでいるが、東京をあんまり好きになれない。たまに旅行でもして戻って来ると、窮屈な場所に帰ってきたなと思う。人がせわしなく行き交い、電車では乗客全員が首をうな垂れてスマホばかり見ている。人間は無言なのに、広告ばかりが雄弁で、もっと物を買って良い暮らしをしましょうよ、と始終せっついてくる。一分一秒をもお金に換えていなければ不安になる街、東京。悲しきマイ・ホーム・タウンなのだ。そんな東京の中でも一二を争う騒々しい町、渋谷。井の頭線沿線に住む自分としては、何かと足を運ぶ機会が多い。ある日の午後、買い物か何かしてくたびれ果て、一人裏通りを歩いていると、コーヒーも飲める古本屋の看板が目に入った。

ここなら一息つけそうだと雑居ビルの二階へ続く階段を上る。和書洋書雑誌がずらりと棚に並ぶ店内のカウンターで、コーヒー一杯280円を注文する。コーヒーが入るまでの間も持たなくて、バッグからiPhoneを取り出すと、沖縄県宮古島の友人「ミユキねえね」が「元気?」とメールをくれていた。

先月、宮古に旅行したときに仲良くなった年配の女性で、平良港近くで小さな食堂を経営している。幼い頃は植物学者の牧野富太郎に憧れていたそうで、宮古の植物に詳しく、道に茂る花や草木の名前を教えてくれた。

「東京は人が多くてせわしない。ソワソワして疲れちゃう。」と返信を送ると、「頭の中のおしゃべりを止めて、花とか雲とか空見てみたら。ソワソワ止まってるかも」というメールをくれた。確かに、街にいるときは頭の中をいつも言葉が行き交っている。たいていは瑣末な心配事に取りつかれている。ミユキねえねの言う通り、路地の生け垣の木の葉や、花の色に目を留めた瞬間だけはおしゃべりが止まるように思う。けれども、「花なんか見てる暇あるのかいな」と頭の中でツッコミが入ったが最後、また延々と出口のない考えごとが始まる。都会では自然より人間の声のほうが大きくなりがちだ。

宮古への旅行では、初めてシュノーケリングもした。宮古に家を持つ友人夫婦に道具を貸してもらって、珊瑚礁の海をかなり沖のほうまで泳いだ。エメラルドグリーンに光る水の中を、嘘みたいに色鮮やかな、青や黄色や緑にピンクの斑入りなど、大小取り混ぜた熱帯魚たちが珊瑚の周りに群がって、食事でもしているのか、口をもごもご動かしている。自分がどこまで泳いできたのか不安になって、海面に顔を出して景色を見たついでに、大きく外の空気を吸おうとすると、塩辛い海水が口の中にどっと入ってくる。必死で吐き出し、もがきながら、Tシャツですいすい泳ぐ友人たちに、なんとかついていった。

ある場所から突然、海が深くなった。珊瑚が崖のように深く地の底へ切り込んで、青緑色の暗がりへ消え、その先は何も見えない。友人の旦那のほうが海面に顔を出して、「ここから沖は、流れが速いから行かないで、岩の際に沿って泳ごう」と言った。そして、不意に潜り、岩と岩の隙間に吸い込まれていったのだ。戻ってきたとき、彼は水の中でも分かる笑顔で、手には大きな桃色の巻貝を持っていた。「これ美味しいんだ」。タカセガイといって、宮古ではサザエや何かよりも人気があり、茹でて食べるらしい。急だったのでものすごく驚いた。遊びとして楽しみにのために海に潜ることと、晩の食材をゲットすることが、頭の中で咄嗟に結びつかなかった。私は都会育ちの幼稚園児のように、食べ物はスーパーで買うものと思っていたのだろうか? 海から上がった後、夫婦はビニール袋に入れた巻貝を「料理して食べて」と私にくれた。

東京に戻ってくると、灰色の空を覆うビルの連なりは、あのとき見た海底の岩々のようだと思う。珊瑚礁は熱帯魚たちの住むマンション。これはただの比喩ではなくて、人間はいつも自然の形を真似て、家を建てたり庭を造ったり絵を描いたりしてきたのではないかと思うし、そんな説を唱えた古代の哲学者も確かいた。

いっそ東京を海底都市だと思ったらどうだろう。珊瑚礁の間を優雅に泳ぎ回る宮古の友人たちのような感覚で、この水底の写し絵のようなビルだらけの故郷を自在に泳いだって良いはずだ。あの貝を獲りにいった彼のように奥深く潜って、いずれ自分の養分となり血肉となる獲物を何か捕らえられないものか。

古本屋でコーヒーを一杯飲み終わるころには、また歩き出す力が湧いていた。1967年発行の、ページが茶色く焼けたナボコフ「マルゴ」(河出書房)を購入して、店を出る。

「マルゴ」の表紙には、やや古めかしいタッチで裸の少女が描かれており、帯には「官能美の世界!」との文字が躍っている。ナボコフの「マルゴ」は、「カメラ・オブスクーラ」という別タイトルでほぼ同じ内容の小説を、ナボコフ自身がロシア語で書き替えたバージョンだそうだ。「カメラ・オブスクーラ」のほうは、光文社から2011年に新訳が出ているが、シンプルな線のみのイラストの装丁で、やたらと清潔な印象だ。時代の変遷が見て取れる。1967年に比べると、東京も本性を隠すのが上手くなったのかもしれない。

この街はこれからもっと変わる。オリンピックを控えて、各所で再開発が行われて、良い方に向かうとはとても思えないけれど、別に街が悪いわけじゃない。三十年も住んでいるのだから、東京がいかなる場所なのか、もう少し知るべきなのだろう。でないと、好きに泳ぎ回ることなんかできない。

 

渋谷フライングブックス 東京都渋谷区道玄坂1-6-3 渋谷古書センター.2F
http://www. flying-books.com

宮古島ミナト食堂 沖縄県宮古島市平良西里7-25(予約制・不定休)

 

ワニと白くま ① Born to be wild