『戯曲 小鳥女房』出版記念イベント/西日本豪雨
7/1(日)
生まれてまだ半年ぐらいの赤ん坊を連れて、弟夫婦が家に来た。居間の真ん中にマットを敷いて寝かせると、赤ん坊は自分で勝手に動き回る。ずり這いができるようになったのだが、重心が後ろにかかるせいか、まだ前に進めない。絶対に後ろに行ってしまう。行きたい方向に行けない、という大問題にぶつかった赤ん坊は、瞬間的に苦悩するような表情を浮かべるが、考えることに時間を浪費せず、積極的に身体を動かすことで課題を乗り越えようとする。けっきょく、また後ろに進んでしまうのだが、諦めない。動きつづける。その様子を見ていると、こちらまでガッツが湧いてくるのだ。
弟夫婦と「不屈の精神だね」と言い合いながら、出前の寿司を食べていると、赤ん坊は疲れて眠くなったようで激しく泣き出した。睡魔に抗おうとするが、敵わず、弟夫婦が代わる代わる抱いてあやすのだが、また泣いてしまう。赤ん坊、生まれたばかりなのに、いろんな敵と戦い過ぎ。人が生きるということは常に戦いであるのだなあ、と感心せずにおれない。
夜は、北千住に昨年オープンした、廃墟をリノベーションした劇場「Bouy」で、飴屋法水さん演出の演劇『スワン666』を見た。楽日だったこともあり、満員で立ち見まで出ている。始まった途端、あっという間に終わってしまったように感じた。戯曲は、ロベルト・ボラーニョによる小説『2666』をモチーフにしていると聞いた。小説の舞台である、女性の連続殺人事件が起きたメキシコのサンタ・テレサという街と、現在の東京。二つの都市は、女性が生きることを脅かされ、虐げられている場所、という点で共通している。性犯罪に遭った女性が、男を誘惑したのだろうと逆に非難される——そんな街に暮らす男たちは、たとえ訳知り顔で倫理を説いたところで、詐欺師か偽善者の誹りを免れないだろう。作品は、他者を支配し蹂躙したいという欲望を持つ男たちの声を拾い集めて構成されている。俳優たちは、男たちの声を肉体に宿らせることで、自ら人間ではないもの、土塊でできた人形のような存在に変わっていく。その姿で地下の廃墟を走り回り、悲痛に叫ぶ。最終的には、高層ビルに鉄球を何度も当てて打ち壊すように、繰り返す台詞と動きで鈍い衝撃を与えることよって、男たちの肉体はばらばらの土の欠片になって砕け散ってしまう。
ラストシーンで、俳優の山鼎太一さんが台詞を喋りながら同じ動作を何度も繰り返す所は、まるでその土塊の山を地均しした土地を滑走路にして、離陸前の飛行機が、エンジンをかけ、ライトで照らし、飛び立つ準備をしているかのように見えた。彼はその後に、女性キャストに向かって歩いて行くが、二人の間にその後に何らかのコミュニケーションが生じそうな気配はまるで見当たらない。いつまで繰り返すのか。答えを欠落させたまま、ただ二人は濁ったプールの前に立って光を帯びている。
7/2(月)
心の準備のために、7月4日のトークイベントのレジュメを作る。高橋さんが帯文で言及してくれたイプセンの『人形の家』を、じつは読んだことがなかったのだけれど、気分転換のために散歩に出たら、近所の古本屋で100円で売っていた。買って読んだら、台詞のテンポが良くて読みやすい、面白い戯曲だった。夫の「人形妻」が、自分の生き方に疑問を感じて家から出て行く、という有名なあらすじを勿論知っていたが、きっと古くさい芝居だろうと思っていた。だから読んでいなかったわけだが、人形妻であるヒロインの「ノラ」、どんなに大人しくてつまらない主婦かと思ったら、素直でおっちょこちょいで可愛らしくて、家を出て行く前から、非常に人間的なキャラクターなのだ。名作はやはり侮れない。21世紀の日本でもそのまんま通用しそうな設定である。ネットの「発言小町」か「Yahoo!知恵袋」に、ノラとまったく同じ悩みを持つ主婦が、アドバイスを求めて投稿していそうである。それってつまり、21世紀の日本の女性の地位が、19世紀のデンマークのそれから全然進歩していないということじゃないか。改めて衝撃を受けた。まずは何よりも、「人形の家」をもっと日本人に読んでもらうことが先決だ。「小鳥女房」はその次の次の次の次か——順番待ちの列が長いなあ。
7/3(火)
竹橋の国立近代美術館で、ゴードン・マッタ=クラーク展を見た。知らなかった作家だが、1970年代のニューヨークでは、自分も憧れているアーティストが幾人も活躍していた。彼らが創り出した時代の空気に思いを馳せながら、楽しんで見た。個人的にいちばんインパクトがあったのが、展覧会を出てすぐのロビーに掲示されていた広告だ。「あなたの街のゴードン・マッタ・クラークっぽい景色を写メで撮ってインスタにアップ♫」という、たぶん展覧会を広く世間にアピールするために美術館の広報かどこかが立案した企画なのだろう。都市の再開発を進め、貧困層を搾取しながら発展していくグローバル企業に反旗を翻し、関連する家や美術館やビルを切断して「作品」として発表したというこの建築家兼芸術家の仕事と、こんなに真逆のアティテュードの呑気な広告が、展示のいちばん最後に掲示されているなんて、いかにも奇妙だし、日本的だと思った。こんなに政治的なアーティストを取り上げたというのに、それでも政治から遠ざかろうとするのか、日本の美術館は。どうせやるなら、「アメリカのインスタグラムとFacebookの本社ビルに皆んなで押し掛けて、電動ノコギリで切断して、ネットにアップしましょう」とかが「意味としては近い?」と思うけど、それだとテロリズムの勧めになってしまうし、そんな美術展は嫌すぎる。
毎日新聞社の入っている竹橋のビルの中で、890円のステーキランチを食べたりして、お昼時の会社員の男女を観察。食堂街に大きな七夕の笹が飾られていた。短冊に「残業がなくなりますように」と書いてあったのが、高度プロフェッショナル制度が話題に上った今年らしく、胸熱くなる。その後、新宿に移動して、映画「ブリグズビー・ベア」を見た。登場人物全員が善人という設定が気になるっちゃ気になるが、こんなご時世、たまには良い人しか出てこない映画を観たい。こんな映画だけで間に合うぐらい、牧歌的な世界だったら幸せだし、子どものときはこんなふうに世界を見ていたな、と思ってぼろぼろ泣いた。
7/4(水)
下北沢B&Bで、『戯曲 小鳥女房』の発売記念イベント。
開始直前に、高橋源一郎さんと楽屋でお会いする。どう進めるか打ち合わせて、けっきょく「公演のDVDを流しながら雑談しましょう」ということになる。じょじょに観客が集まり始め、緊張している時間もあまりなく、ばたばたとトークが始まった。高橋さんは、一回しか芝居を観ていないはずなのに、「ここで、登場人物がこんなふうに言うんだよね」とか「寂しいんだね、彼女は」などと、まるで彼らと友達でもあるかのような口ぶり。高橋さんは、話せば話すほど不思議な方だ。物腰柔らかでもちろん大変紳士的だが、内面には幼子みたいに爆発的なエネルギーを秘めていらっしゃるように感じた。DVDを見ながらああだこうだ言っていたら、あっという間に2時間弱の持ち時間が過ぎてしまった。この日のために一ヶ月ぐらい前からずっと緊張状態だったので、観客が楽しんでくれたのか、有意義な対談になったのか、じつはよく分からない。でもこれは、いつも悠長に構えてばかりののんびりな自分が、また次の段階で何かやるために必要な機会だったことは間違いなく、高橋さんやB&Bや出版社のスタッフの方々は、皆で私の要求に応えてくださった、それがとにかくありがたかった。高橋さんは、遠く鎌倉に住んでいるというのに、深夜の打ち上げにまで来てくださって、本当にお優しかった。女優の小林麻子さんが「私が島尾ミホをやるから、高橋さんに敏雄をやってもらって、『死の棘』を舞台化しましょう、千木良さん、書いて!」ととんでもないアイディアを発案して、みんなで「いいねえ」とか軽はずみなことを言っていた。夜半すぎに高橋さんが帰宅された後、下北沢の老舗のバー「レディジェーン」で、旧友たちと朝方近くまで、時間を名残惜しむようにだらだらとハイボールを飲んだ。
7/5(木)
昼間は家で寝ていた。夜は四谷三丁目のスナック「アーバン」の8周年記念イベントで、はっぴを着せてもらってホステスとして働く。私は「アーバン」のオープニングからのスタッフで、今でもママの号令がかかると、たまに店に出させてもらっている。アーバンはママの見事な手腕でもって、今や大変な人気店となった。この夜も小さなカウンターバーに常連客がぎっしり詰めかけて、一本一万円のシャンパンが二十本も空いた。
終わってから、大学時代からの友人で、アーバンホステスとしても一緒に働いてきた「キャンディ」と、近くのバー「Retro cross Future」で飲んで、近況報告などし合ってから帰った。
7/6(金)
起きたら、オウム事件の犯人七人の死刑が一度に執行されていた。地下鉄サリン事件があったのは、私が高校生のときだ。高校は半蔵門線沿線にあったので、学校の始業時間が少し遅いか、もしその日私が遅刻していたら、被害に遭っていたかもしれない。小学生のとき、一時期だけ家の建て替えのために住んでいた杉並区の最寄り駅では、衆議院議員に立候補した麻原彰晃の選挙活動として、象の着ぐるみを着た教団のスタッフがビラを配っているのを何度か見た。彼らが選挙活動の際にラジカセで流していた「麻原彰晃教祖の歌」というのを真似して歌うのが、小学校の男子の間で流行った。たぶんメディアの影響のせいだろうが、私の同級生たちは、「彼らをネタにしても、大人は怒らない」ということに気がついたのだ。私だって「彼らは無害で、自分たち子ども以上に子どもっぽいのだ」と認識していたように思う。だから、5年ほど時が経って、その団体が、死者を多数出す事件を起こした、しかも自分の生活圏内の近くで、と判明したときの衝撃は相当だった。
一連のオウム事件は、私の世代の物の見方にも、かなり影響を与えているのではないかと思う。テレビで何度も詳しく名も顔も、人となりまでも紹介された教団幹部の七人が、たった数時間のうちに国家によって殺された。そのことが俄に信じられない。テレビの報道で、死刑囚の顔写真が画面に並べられ、死刑が執行された順に写真の上に「執行」というスタンプが押されていったと聞いた。彼らの死はまるで消しゴムで消したように、ゲームのキャラクターの死のように、インスタントに扱われた。囚人たちは殺されたが、子どもたちが真似をして笑ったほど幼稚な、彼らの歌に代表される「テイスト」は、洗濯物が色移りするみたいに2018年の社会のほうにそっくり移ってきてしまった。
ニュースでアナウンサーが、西日本の広い範囲で大雨が降ると言っている。「最大限の警戒を」と念を押しているのだが、「台風や津波ではなく、雨で警戒?」とピンと来ない。メディアのほうでもどれほどの大事なのか、まだ決めかねているような、座りの悪さを感じる。様子が分からず、もどかしい。編集者の知人からミュージシャンの大谷能生さんと打ち合わせがあるので、ご一緒にどうですか、と夕食を誘っていただいたので、図々しく顔を出して、作家の橋本治の話で盛り上がった。調子に乗って編集者さんを誘って、朝まで渋谷の「山家」という大衆居酒屋で飲んでしまった。
7/7(土)
一晩明けたが、まだ西日本では広範囲で雨が降り続いている。やっと災害だと認定され、「西日本豪雨」という名前がついたようだ。川が決壊し、家が道路が、濁流に飲まれていく様子がそのままテレビで放映される。屋根の上に逃れてヘリコプターで助けを待っている人々の姿を、東京の安全な家の中で見る。Facebookで、広島県に移住した知人の家が全壊したと知ったが、「家は全壊しましたが、私たちは無事です、家族みんな元気です!」と書いてあって何とも言えない気持ちになった。余った「Tポイントカード」のポイントで被災地に寄付ができると知ったので、笑っちゃうほど少額だが、あるだけ寄付した。コンビニなどで「Tポイントカードはお持ちですか?」と店員に聞かれるのが煩わしかったが、初めて存在意義を感じた。
ベルリンに送る小包を作り始める。「ベルリンの冬は生半可な寒さではない」とあらゆる人に脅されるので、冬服を多めに送っておきたかった。海外小包の発送の仕方も分からないので、全部一から調べなくてはならない。インターネットで検索すると、ドイツの関税局はやたらにチェックが厳しくて、伝票に少しでも不備があると、送り先まで届かないと分かった。小さな段ボール三箱送るだけのことがこんなに難しいだなんて。下北沢まで自転車で行って、百円ショップで買ったビニール袋に冬服を詰めていくが、ものすごく暑いせいか、最後までやり切るぞ、という力が全く湧いてこない。
7/8 (日)
引き続き、小包づくり。5キロを超すと料金が上がるので、段ボール一箱をきっかり5キロに抑えるのに懸命になる。家にある体重計に何度も乗せては中身を詰め替えて確認する。ベルリンはどれだけ寒いのだろう。冬服、あれもこれも必要なような気もするし、全部要らないような気もするし、だんだん訳が分からなくなってくる。私はいったい何をやっているのだろうか——。
出発の準備/『菊とギロチン』/小淵沢
7/9(月)
横浜で人と会う。ものすごく暑い。川に透明なくらげが無数に泳いでいるのを見た。くらげって川に棲めるんだな。妙な光景だった。
郵便局で伝票をもらってきて、また小包作り。小包の送り方だけではなく、ドイツでのビザの取り方や住民登録の仕方や銀行口座の作り方についてずっとネットで調べているが、実際に経験した人が日本語で懇切丁寧に説明してくれているサイトが幾つもアップされているのに、いくら読んでも、やっぱり分かった気がしない。記事が悪いのではなく、関税局も外国人局も住民局も銀行も、状況によって係の人の対応が違うし、時々ルールが変わるので一概に言えない、ということらしい。行って、やってみるしかないのか。夜は先述のキャンディの家で夕食。メレンゲののったレモンタルトというのを一度作ってみたかったので、作って持って行った。
7/10(火)
とりあえず、ビザの発行のために、銀行の残高証明書が必要らしい。近所の銀行に出してもらいに行ったら、口座のある神田支店まで行かないと出せないと言われた。また、手続きのために印鑑が必要だとも。「今どき印鑑なんて、何の証明にもならないのに、日本の銀行には、なんて旧式な決まり事があるのだろう」と腹立たしく思いながら、家まで取りに戻る。手続きをして、翌々日、神田支店で受け取る約束をした。もどかしいのは、窓口の係の女性たちが、おそらく派遣社員のカテゴリーのスタッフだと思うのだが、自分のルーティンワーク以外のことは皆よく分からないので、ちょっとイレギュラーな質問をするといちいち別の部署に問合せをせねばならず、そのたびに待たされるのだ。私も、20代の頃に企業で事務の派遣社員をやっていたからよく分かる。おそらく持ち場以外のことは、何も教えてもらえないのだ。自分が待たされるのも煩わしいのだが、それ以上に、「人間は将棋の駒じゃないんだよ。全員、正社員にしてちゃんと広範囲な教育をしてやれよ」と、やり場のない怒りが湧いてくる。
昼、下北沢の「珉亭」で友人と冷やし中華を食べる。ベルリンに行くと言ったら、頑張れよと奢ってくれたので機嫌が直る。帰宅してから、また小包作り。全然完成しないので母親に「何もしないで良いからとにかく見守っていてくれ」と頼み、「大変だ大変だ」と愚痴りながら作業を続けたら、終わった。見ていてくれる人がいるって素晴らしい。
午前中の顛末を思うと、銀行を通して海外送金をするのはいかにも面倒だし手数料が余計にかかるらしいので、「Transfer Wise」という、インターネット経由で通貨の両替ができるというシステムに登録した。夜8時ごろ、編集者の清水さんと下北沢の沖縄料理屋で会って、打ち合わせ。打ち合わせそっちのけでお喋りに夢中になり、気がついたら深夜だった。
7/11(水)
海外からネットバンキングができるよう口座を設定したくて日本の銀行に電話するが、また何度もたらい回しにされて、時間を取られる。
夕方、テアトル新宿で瀬々敬久監督の『菊とギロチン』を観た。ベルリンに行く前にどうしても見ておきたかった映画だ。顔見知りの俳優が何人も登場する。自分は映画に関しては大変に浅学にも関わらず、瀬々敬久監督と数年前に「調布映画祭」の審査員として短編映画の審査でご一緒したことがあって(「人と一つの光を見ること」前編・後編)、そのときに、監督の若い後進の映画人にかける暖かい目線や、後々の未来までの思いやりを含んだ言葉に間近で触れて、感激をした。映画は、主役から端まで登場人物に命が吹き込まれており、一様に輝いていた。関わったスタッフも俳優も大きな充実感を得ただろう。現場にいられた人たちが羨ましかった。二十年近く前、子役として鈴木清順の『ピストルオペラ』に出演しているのを見て、なんと美しい女の子かと強烈に印象づけられた、女優の韓英恵さん演じる女力士「十勝川」に魅了された。
7/12(木)
とても暑い中、銀行の神田支店にたどり着いたと思ったら、こちらは神田駅前支店で神田支店は違うと言われた。あまりに暑いのでタクシーを捕まえて乗る。預金の残高証明をもらって、住所変更をして、どうにかネットバンキングもできるようになった。
夜、西新宿の台湾料理屋「山珍居」で、ゴールデン街スナックハニーの常連の方々に卒業祝い&壮行会をしてもらった。ベルリンに行くのは一年ぐらいの予定だし、自分でも本当に行くのか実感できずにいたので、壮行会というのが不思議な気がしたが、親しい仲間が集まってくれて、大きな花束をいただいた。
7/13(金)
出発前に、山梨県の小淵沢に暮らすミュージシャンの友人たちに会っておきたかったので、一泊で遊びに行く。「バスタ新宿」から三時間ぐらいバスに乗る。小淵沢には何度か行っているが、特急「あずさ」で行くよりもバスのほうが大分安いことを知らなかった。停留所まで友人に車で迎えに来てもらい、駅前で蕎麦を食べ、お土産の日本酒を買ってから、家にお邪魔した。彼女はつい最近、山間の一軒家を買って東京からこちらに移住してきたのだが、作曲の仕事はしやすいし、生活も快適だと言う。
続いて、もう一人の友人と合流して、近くの温泉に行く。皆んな少し前まで東京の都心に住んでいたのだが、今や車を使いこなして曲がりくねった夜の道も上手に走り、すっかり山の生活に馴染んでいる。スーパーで買ってきた野菜を使って料理し、久しぶりに食事したが、そこで喋る内容は、東京にいるときとまるで変わらない。好きな映画の話をして、映画俳優の中で誰が好みかを言い合ったりするのだが、たぶん皆んな毎回同じ話をしているのに、そうと感じない。親しい人たちに囲まれたことで緊張が解け、イベントやら出発の準備やらで身体がずいぶん疲れていたことを実感した。ソファベッドにシーツを敷いてもらって眠った。
7/14(土)
遅めの時間に起きたら、友人がパンケーキを焼いてくれた。家の周りの一画の草木を抜いて畑を作っているから、耕すのを手伝ってくれと言われる。スコップや鋤を手に土を掘って雑草を抜くが、なかなか力が要る。どの雑草も深い地中に力強く根を張っている。蟻の巣を破壊してしまって蟻が逃げ惑うのを見たりした。
もう一人の友人が車でやって来て、「道の駅」の食堂に連れて行ってもらい、焼肉定食を食べる。お土産の野菜をそこで買った後、ジェラートを食べに行くか、もう一度温泉に行くか、どちらが良いかと尋ねられたので「温泉」と答えた。車でしばらく走った所にある温泉施設には、広い露天風呂があって、陽射しが強いので丸い笠を頭に被って入った。お湯に浸かって身体を伸ばしながら、友人たちと積もる話をすることができて、肩の荷が降りた気分だった。風呂から出て服を着ようとしたら、なんとロッカーに鍵をかけ忘れていたことに気がつく。やはり相当疲れている。たぶんネットの見過ぎで、脳みそに情報の容量がオーバーしているのだ。そんなに慌てるなんて千木良らしくないと友人らに笑われた。
温泉施設のあるキャンプ場を出て、帰りのバス停まで送ってもらった。青空を背にそびえたつ雄大な山々に360度囲まれながら、車は走る。こんな場所に住めるというのは素晴らしいことだと思った。生まれたのが都会だったので、子どもの頃は田舎暮らしをする自分は想像できなかったけれど、歳を取った今は、そのほうが贅沢なように思える。
友人たちと別れ、バス停でアメリカ出身で小淵沢の美術館で働いているという白人の少女と遅れているバスをしばらく待った。
バスタ新宿から小田急線で東京の自宅に帰りついた後、すぐに服を洗濯し、本格的に渡独の荷物のパッキングを始めた。
7/15(日)
昼間は友人と会って、新宿でうどんを食べた。その後、代官山のいつも行く美容室に行った。ベルリンで、すぐに良い美容院が見つかるか分からなかったので、髪を切っておこうと思ったのだ。帰ってきてから、再び荷物の準備をする。長期で外国に行くのが初めてなので、何をどこまで持って行ったら良いのか迷う。あれもこれも要るような、どれも要らないような。今まで色々な経験をしてきたはずなのに、すべて失くした子どものような不安定な気持ちでいた。旅行に行くときはいつもそうなのだが、特に洋服や薬に迷う。「もし寒かったら、暑かったら、体調を崩したら」と不安とともにifの数が増えていくと、その分荷物も増えていく。向こうですぐに代用品が買えるか分からない(結論から言うと、服なんかは、日本と同じブランドのファストファッションの店で、何でもかんでも買えたわけだが)。数日の旅行なら準備不足も楽しめるだろうが、長期となると、失敗しては大変だという思いが募る。結局スーツケースが、許容上限ぎりぎりの重量になってしまった。早めにベッドに入ったが、なかなか眠れない。わくわくという期待とともに旅立ちの時を待つ、という気分には全然なれなくて、自分が蚤の心臓、というか、いかに小心者であるかを再確認し、哀しかった。
<編集Tの気になる狩場>
いよいよ千木良さんの「東京狩猟日記」は今回でひとまずの終了を迎え、次回からは新たな土地を狩場として、本連載はタイトルを含めてリスタートとなります。この狩場情報も、これからは何かしらのアップデートが必要かもしれません…。
【映画】
日越国交樹立45周年記念 「ベトナム映画祭2018」
http://vietnamff2018.com/
2018年9月1日(土)〜9日(日) 会場:横浜シネマ・ジャック&ベティ
アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2018
http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/1794/
2018年8月11日(土)〜9月7日(金) 会場:シアターイメージフォーラム
ベルイマン生誕100年映画祭
http://www.zaziefilms.com/bergman100/
*封切作品
『つかの間の愛人』フィリップ・ガレル監督 http://tsukanomano.com/
『タイニー・ファニチャー』レナ・ダナム監督 https://www.tinyfurniture-jp.com/
『ゾンからのメッセージ』鈴木卓爾監督 https://call-of-zon.wixsite.com/home
『ミッション・インポッシブル/フォールアウト』クリストファー・マッカリー監督 http://missionimpossible.jp/
『菊とギロチン』瀬々敬久監督 http://kiku-guillo.com/
【美術等展示】
ゴードン・マッタ=クラーク展
2018年6月19日(火)~9月17日(月)
会場:東京国立近代美術館 http://www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/
本と美術の展覧会vol.2「ことばをながめる、ことばとあるく——詩と歌のある風景」
2018年8月7日(火)~2018年10月21日(日)
会場:太田市美術館・図書館 http://www.artmuseumlibraryota.jp/post_artmuseum/2288.html
没後50年 藤田嗣治展
2018年7月31日(火)~10月8日(月・祝)
会場:東京都美術館 https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html
【書籍】
高橋源一郎編著『憲法が変わるかもしれない社会』(文藝春秋) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163908786
シェーヌ出版社編、遠藤ゆかり訳『ビジュアル版 女性の権利宣言』(創元社) https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=3893