硬水の不思議/Weißenseeの音楽フェス/Wespeに刺された
8/1(水)
昼前に起き、素麺を作って食べる。7月前半の日記を書いて編集者に送った。
友達のクリストフが「少しはドイツ語が分かったほうが楽しいから、最初はドイツ語学校に行くのがお勧め」と教えてくれたので、翌週から通おうと考えていた。しかし、クリストフが勧めるのは週5日、毎日通う「インテンシブ・コース」である。私が「えー、週3日とかじゃダメなの」と文句を言うと「週3日だとあんまり意味ないかなー」と、彼が10代のときにホームステイしたという、九州佐賀県のかすかな訛りの入った日本語で(!)、言う。
大抵のインテンシブ・コースは、朝8時や9時から、午前中いっぱい授業がある。早起きの習慣がない私は、よっぽど家から近くないと通える自信がなかった。またもインターネットで調べまくり、家から歩いて5分、地下鉄のWilmersdorferstrasse駅前に語学学校があるのを発見。私の通いたい初心者向けA1クラスは、8月6日から週間授業があるらしい。
一日一つは用事を終わらせる、を目標として掲げていた私。勇気を出して学校の門を叩き、職員に申し込みたい旨を英語で伝えると8月のクラスはもう定員オーバーであると言う。「ただし、実際に6日にコースが始まったらキャンセルが出ているかも。だから6日の第1回目の授業が終わる13:00頃に来てください」と、ずいぶん曖昧なことを言う。「私はクラスに入れると、あなたは思いますか?」「たぶん」。たぶんって何だ。だが、アパートから5分という立地は超魅力的だ。とりあえず6日にまた来ると言うと、「サヨウナラ、マタネ」と日本語で返事された。
駅前にあるKarstadtというデパートで、料理用のフライパンとBRITAのポットを買ってアパートに帰った。こちらの水はカルキというミネラル分の多い硬水で、米を炊いたりするのには向かないらしい。実際に米を炊いてみて、本当に味が全然違う気がしたので、BRITAのポットで水を濾過して使おうと考えた。ちなみに顔を洗った後の、肌の手触りも少しごわつくようである。それは「拭き取り化粧水」で肌に残ったカルキを拭き取ることで解決する、とインターネットで知った。カルキの成分を拭き取った上にクリームを塗るのが、こちらでの正しいお手入れの方法であるらしい。ドラッグストアで売っている化粧水は、ほとんどが「拭き取り化粧水」なのだそうだ。「拭き取り化粧水」って日本でも聞いたことがあったけれど、皮脂や汚れを取るならメイク落としや洗顔料で事足りるわけで、存在理由が分からなかった。そもそもの役割は、硬水対策ということか?
夕方、エレナと会って、彼女の住むシェーネベルクを案内してもらった。私の住むシャーロッテンブルクより少し南に位置する地域で、チョコレート屋や服屋やカフェなど洒落た店が通りに軒を連ねている。私が「旅行をするのと一定期間住むのとでは大きく違う。慣れないことが多くて大変」と弱音を吐くと、エレナは「ユウコは大丈夫だ」と慰めてくれた。曰く、「日本には、自分の内面を明らかにしないクローズドな人が多い印象だ。だがベルリンの人間は逆で、すべてをオープンにして話す。ユウコは、どちらかというとオープンでフレキシブルな性格だと私は思う。ベルリンの生活が合うだろう」とのこと。そして、「外国から観光で来て『ベルリンに住みたい』と言う人は多いけれど、大抵、実際に住んだりはしない。なのにユウコは本当に住んでる!ここにいる!すごいことじゃない?」と、彼女なりに私が来たことを喜んでくれているようだった。
8/2(木)
先週、アイスクリーム屋でのパーティーで出会った中に、トモカさんというまだ20代前半の日本人のアーティストがいた。彼女が育てている「大葉」の株が増えすぎてしまったので、欲しい人がいれば、差しあげたいとメールを貰った。彼女は私のアパートの近所にある「KAME」という日本人が経営するカフェで時々働いているそうで、そこに大葉を持ってきてくれると言う。行ってみたら、「KAME」は日本のあんパンやクリームパンを売っている珍しいカフェだった。巨大なお握りや日本茶も出している。サーモンとアボカドのお握りを食べながら焙じ茶を飲み、お昼にした。
もらった大葉の鉢を抱えて店を出た後、こちらで初めて自転車に乗った。インターネットのアプリだが、「MOBIKE」というシェア自転車のサービスがある。ベルリンの道には、至る所に「MOBIKE」やその他シェア会社の自転車が転がっている。前もって好きな会社に登録をしておき、乗りたい自転車の車体に記載されているバーコードをスマホで読む。するとピッという音とともに錠が解かれ、その瞬間から好きな場所までその自転車に乗っていって良いのだ。料金は20分で70セントとお値打ちである。乗り終わったら、また施錠して道端に転がしておけば、また誰かが使う、というシステムだ。
ベルリンは、日本とは比べ物にならないほど道幅が広い。また一つ一つの建物も大きいので、ちょっとした散歩のつもりが、実際はかなりの距離を歩かなければならず、とても疲れる、ということがよくあった。だが、自転車に乗ればすべて解決である。天気も良くて気持ちよかった。
近所で細々と買物をして帰り、アパートの風呂場を大掃除した。先述の、硬水のカルキが水道の蛇口等に付いたままで放っておくと、汚れが溜まって金属が錆び付いてしまうらしいのだが、それは酢で磨けば取れるのだそうだ。Essigと書いてある洗剤を使って、風呂場の蛇口や排水口を磨いた。BRITAのポットを買ったおかげで、その夜は米もうまく炊けた。
8/3(金)
長倉友紀子さんの家にお招きを受け、夕食をいただいた。私のアパートから三駅の場所にあるはずなのだが、MOBIKEを使って行ってみたらかなり遠かった。また、こちらの自転車乗りは大変アグレッシブである。途中、後ろから追い越してくる自転車に轢かれそうになった。自転車は、歩道の中に舗装された専用の道があるのでそこを走ったり、車道の右側の端を走るのだが、専用の道があるだけに皆んな全速力で漕ぐのである。ここでは自転車は、人間よりも車やバイクに近い存在であるようだ。
友紀子さん愛助さんの家で久しぶりに日本酒を飲ませてもらう。味噌や昆布やふりかけ、友紀子さんの着なくなった洋服まで、たくさん譲ってもらって有り難かった。同居の明石さんは普段日本食を召し上がらないので、家には味噌がなかった。アジアンマーケットで買うと高いので躊躇していたが、これで味噌汁が作れるようになったというわけだ。
8/4(土)
友人のクリストフに誘ってもらって、Weißenseeというベルリン市内にある湖で行われた音楽フェスティバルに行った。お目当てはFaustという1970年頃から活動しているバンドのライブで、ミュージシャンでもあるクリストフは、彼らと何度か一緒に演奏をしたことがある仲間だ。バンドの演奏メンバーの一人であるマックスさんはフランス在住で、この日のライブのために車で来てクリストフの家に泊まっていた。
夕方ごろにクリストフと、マックスさんのパートナー、エマヌエルさんと待ち合わせて、一緒にトラムに乗ってWeißenseeに行った。
湖のほとりのフェス、と言われて、日本人の私はつい山奥深くのフジロックのようなキャンプ地を想像してしまっていたのだが、むしろそこはビーチに近かった。ベルリンの土地には起伏がないので、森も湖も平坦な場所にこつ然と現れる。湖の周りに白い砂が敷かれ、人々は水着になって思い思いに寝そべっている。天然の森の中にある湖なので、水は濁っているのだが、大勢の人が気持ち良さそうに泳いでいる。そのすぐ傍らにステージが組まれており、そこで準備が始まっている。
おもむろに、黒いTシャツを着た白い髭の男性が笑顔で現れて、クリストフに挨拶をした。Faustの結成当時からのメンバーの一人、ジャン・エルヴェ・ペロンさんだ。クリストフが私を「ユウコは日本から来た。日本でFaustを聴いていた」と紹介すると「日本からわざわざありがとう」とハグされた。Faustといったら、大学生の頃からその名を知っていたロックのレジェンドなわけで、まさか今日、急にライブを見ることになるなんて思わなかった。そのメンバーに、着いて5分でハグされるなんて不思議な夢を見ているようだ。
ライブが始まるまで、入口近くの芝生の上に腰掛けて、エマヌエル(マヌ)さんとクリストフと喋りながら時間を潰した。マヌはスケッチブックに私とクリストフの絵を描いてくれた。
開演時間になると、ベルリンの若者有志の合唱団が、ステージ前の砂の上でいきなりFaustの曲を歌い始めた。この日のライブは「Faust with chor」という合唱団とのコラボだったのである。続いて、ステージ上にバンドメンバーが現れて、演奏が始まった。興奮して知らぬうちに涙が溢れていた。1969年から約50年続いているバンドが今もこんなに新鮮でパワフルな演奏をするとは予想していなかったのだ。ステージ上には合唱団がいるのに加え、さまざまな訳の分からないオブジェが設置されていた。ペロンさんが「編み物ガール、カモン」と言うと、水着を着た女性がステージの最前列にやって来て編み物を始める。彼等はライブのたびに有志の編み物ガールを募集しているらしい。湖に光が溢れ返り、人々が半裸で寝そべっている、まるで天国のような光景の中で、齢七十の音楽家たちが表現するダダイズム芸術は、今も有効であるばかりか、最先端の前衛性を湛えたどこまでも自由で強靭なものに思われた。ライブの最後には、巨漢のドラマーのツァッピーが電気ドリルを持ってステージ前方にやって来て、ドラム缶に突き当てて火花を散らせた。70代ミュージシャンたちのサービス満点パフォーマンスに、また感動してしまった。
ライブ後、フランスのリールという街に住んでいるというマヌと、いろいろ話をした。マヌは大学で哲学を学んだそうで、卒論はルソー、好きな作家はイエネリクだと教えてくれた。ベケットやジョン・ケージの話もした。私が10月に数日ギリシャに行く(行くのです)という話をすると、オイディウスによるギリシャ神話「変身譚」の一篇、性転換をした女・カイニスの逸話を話してくれた。カイニスは、海神ポセイドンに強姦され、「二度とこんな目に遭わないように」女から男に性転換することを望み、強い戦士となったという。それを聞いて、私は男性がある日突然女性に性転換し、長い歴史をまたいで生きる小説、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』を思い出し、マヌに勧めた。
すっかり辺りが暗くなる頃、Atakakというガーナ出身の歌手がステージで演奏を始めた。彼が90年代にガーナでリリースしたカセットテープが、近年、音楽好きの若者たちの間でインターネット経由で爆発的に人気となり、大ヒットしたらしい。クリストフも「僕も一時期、よくキッチンで聞いていた」とのこと。ガーナの言葉で歌われる彼の音楽は、ありそうでない、非常に個性的なリズムで、いかにもマニアックな若者にウケそうなキッチュなものだ。「彼にとって、急に自分の曲が爆発的にヒットしたのは嬉しいだろう。でも彼自身は、本心ではマドンナとかビヨンセとか、超メジャー歌手の前座とかで演奏するつもりで作曲しているかもしれない。こんなふうにマニアに受け入れられる背景には、リスナーのガーナに対するエキゾチシズムがあるのだろうから、そこは微妙な問題だろう」といったことを、クリストフが話した。
帰りに、マックスの車でノイケルンまで送ってもらい、トルコ料理屋でケバブを食べてから、地下鉄に乗って帰った。
8/5(日)
エレナとティーアガルテンの駅で待ち合わせして、「6月17日通り」の蚤の市に行く。
マーケットに着いて五分で、エレナは彼女の理想そのものだという、素晴らしく美しいクリスタルのペンダントトップを、お値打ち価格で見つけた。彼女が喜びに表情を輝かせていたとき、私の右手の薬指に、熱いお湯の雫が降ってきた! 空から熱いお天気雨? と指を見てみると、そこには黄色と黒の縞模様に彩られた虫が。慌てて振り払ったが、指がじんじんと痛い。蜂に刺されるなんて生まれて初めてだったから、対処法も分からず、とりあえずインターネットで検索すると、「水をかけて冷やせ」と書いてある。持っていたペットボトルの水で冷やしたら、そのうち真っ赤に腫れてきた。
エレナに「私死ぬ?」と聞いたら「うーん。わからないけど、たぶん平気」と言う。蜂は、Wespeという雀蜂の一種らしかった。今年は猛暑のおかげで、あちこちでWespeが大発生しているらしい。カフェや公園で食事をしていると、お皿の上に群がってくることがよくあった。特にジュースやフルーツなど甘いものが好きで、カフェのジューサーミキサーやパン屋のパンのショーケースの中にまで入り込んで汁を啜っているのをよく見かけた。刺されるとこんなに痛いなんて。みんな平気な顔して歩いているが、Wespeだらけのベルリンって超危険な街じゃないのか。
だが、しばらくすると痛みは収まってきた。指の付け根が腫れて太くなったが、これ以上ひどくなることはなさそうだ。エレナと喋りながら、SavignyplatsのSchwarzes Cafeという、有名な24時間営業のカフェに行って、休んだ。氷を貰って傷口に当てながら、アップルストゥルーデルを食べてカプチーノを飲んでいたら、元気が出てきた。ネット情報によると、蜂に刺されてショックを起こしてしまう事例が稀にあって、そうなると命の危険に繋がるが、ほとんどの場合、数日腫れるだけで簡単に治るとのこと。
エレナとKaDeWeデパートまで少し散歩をした後、帰宅。夜は明石さんと近所のペルシャ料理屋に行ってケバブを食べた。
●ドイツ語学校に通う/「BEATING THE DRUM」/ジェントリフィケーションの問題
8/6(月)
先週末に約束した通り、午後一時きっかりに、語学学校に行ってみた。聞けば、問題なく翌日からクラスに入れるとのこと。登録も学費の振込もすべて明日、と言われたので、学校を出てスーパーで買物をして帰った。近所にドトール的な、安価なセルフサービスのチェーン系カフェを発見したのでそこで原稿の仕事などをする。レモンとライムとミントの入ったペットボトルのジュースを買ったのだが、これが甘い。冷たい飲み物となると、店で売っているのは甘いものばかりで、緑茶やルイボスティーにまでたっぷり砂糖が入っている。甘くないのは水ぐらいしか発見できなかった。一方、蜂に刺された跡は、無事に治りつつあるようだった。
8/7(火)
初めて学校に行く。とてもハードだった。ツーブロックの派手な髪型をした女性教師がずっとドイツ語で喋りつづけるのだが、もちろんこちらは初心者なので全く何を言っているのか分からない。クラスメイトは20名ぐらいいて、トルコ、シリア、中国、韓国、アルゼンチン、コロンビア、イギリス、スウェーデン、パキスタン、イタリア、ネパールと国際色豊かである。日本人は私一人。10代20代が多いが、60代もいる。15歳や17歳のトルコやパキスタンの少年少女が、教師の質問に立派に答えている。ホワイトボードに板書された文字を必死で書き写して何とかついて行こうとするが、当てられても咄嗟に答えられない。日本にいる間にクリストフにSkypeでドイツ語を習っていたから、少しは分かるつもりでいたのに。授業の内容は「ご機嫌いかが?」とか「私は日本から来ました」といった超初歩的なものなんだけど。
疲労困憊で家に帰り、出された宿題を必死でこなしたら、すぐに夜になってしまった。こんな調子で6週間も授業が続くのか。クリストフに「学校の勉強が大変!」と日本語でメールすると、「最初は何でも大変だよ」と日本語で慰めてくれるのがありがたい。
8/8(水)
学校二日目、この日は数字を習った。ドイツ語の数字を聞き取るのは私にとっては大変難しい。英語なら42はfourty-twoだが、ドイツ語だとzweiundvierzig、つまり「2(zwei)と(und)40(vierzig)」と言うのだ。なぜ一桁目から読む? 会話の中に数字が出てきた途端、「あれ、何桁目だっけ?」と頭が混乱してしまう。だが、そんなこと言ったら、例えば日本語の数字の読み方のややこしさはどうだ。「いち、に、さん」が「いっこ、にこ、さんこ」になり、さらに「ひとつ、ふたつ、みっつ」になる、なんて外国の人にとっては理解不能だろう。そういう読み方の多様さは、日本語に慣れた耳には、それぞれ違う響きやニュアンスを伴って聞こえてくるわけで、ややこしさは言語の彩りの豊かさにそのまま繋がってくるのだ。バリバリの初心者としてA1コースの受講を始めた身としては、文句言わずに、もうひたすら慣れて覚えるしかないのである。
8/9(木)
9時半から13時まで学校の授業。住所や電話番号の表記の仕方、などなど習う。
暑いので、駅前のスタバ的なカフェに入ったらメニューにアイスコーヒーがあるじゃないか。冷たい飲み物といったら甘いジュースか水しか置いていないカフェやレストランは多い。喜び勇んでアイスコーヒーを頼んだら、セクシーな格好をした店員の女性がマシーンで濃いコーヒーを作って、氷と一緒にグラスにぶちこんでくれた。非常に濃厚なぬるいアイスコーヒーは、日本の喫茶店で飲むものとは全く違う。さらに、そこにミルクを入れるか?と聞かれる。こちらの人は食べ物も飲み物も、濃厚な味に慣れているのだろうか。カフェインが強くて飲みきれなかった。ちなみに、夏まっさかりなので、道行く女性もカフェのウェイトレスも、年齢関係なくノースリーブに短パンやミニスカート姿の人が多く、それがいかにも身軽で開放的で、眩しく見える。
それにしても、ドイツ語学校に通い始めたお蔭で、少しだけレストランのメニューや道の看板が読めるようになったきたのを実感する。一ヶ月前は、何一つ分からなかったのに。やはりクリストフの言う通り、インテンシブコースに通って良かったのかもしれない。
8/10(金)
午前中は学校に行った。クリストフがまたライブに誘ってくれた。今度は別のロック・レジェンドのバンド、「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」のメンバーAndrewさんが、出演者だけでなく観客も全員で音楽に合わせてドラムを叩きまくる「BEATING THE DRUM」というイベントを時々行うそうで、一緒に行かないかと言う。
会場のクロイツベルクの「SO36」は、ベルリンのアンダーグラウンド・シーン史上で重要な、伝説的ライブハウスだそうで、デヴィッド・ボウイも通ったらしい。「今は普通の商業パンクバンドなんかも演奏するけっこう普通のライブハウス」とのことだった。着いてみたら、派手にお化粧を施した、懐かしいパンクファッションの男女が入口に集っていて、嬉しくなった。みんなただのファッションではなく、本気度が高くてキマッている。その日はSO36の何十周年かのイベントで、入場料を払って中に入ると、DJあり、写真撮影コーナーありで、ドラァグクイーンの司会までいた。
ステージの上だけではなく下にも、何十個ものドラムとスティックが並べられている。ドラムはガムテープで養生されている。これを今からみんなで叩くのか。
実際始まってみると、「BEATING THE DRUM」は、想像を絶するほど、自由で平和でおマヌケなイベントだった。ステージ上にバンドメンバーが現れ、「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」の曲のようなインダストリアル・ノイズのオケが流れはじめる。ステージ中央のAndrewさんと、その横のもう一人がドラムを叩き出し、観客を煽る。観客も各々スティックを持ち、思い思いに自分の近くにあるドラムを叩き出す。演奏が長いので、けっこう体力が要る。しかし楽しい。中にはトランスして、ヒューとか声を上げる人もいる。
日本で同じことをやろうとしても、難しいかもしれない、と叩きながら私は考えていた。みんな遠慮して、なかなかドラムを叩かないかもしれない。それか、激しいノイズに合わせて叩いているうちに興奮しすぎて、壁や床やライブハウスの備品を叩き壊そうとする観客が現れるかも。今の日本の人は、ここにいる観客よりも、アナーキーで自由な状況に慣れておらず、つい突飛なことをしてしまうような気がした。なぜか、そのイベントはアナーキーな自由さや解放感とともに、平和で安心できる空気が両方あるように思った。
演奏が終わった後、クリストフの知人の物販のスタッフの女性が「日本からわざわざ来たから」と私にTシャツをくれた。このイベントは、ヨーロッパ各国をツアーして何十回も行っているが、スタッフが毎回何十個もドラムを調達してトラックで運び込まないと成立しない、大変手間のかかるものらしい。「最初は大勢の観客で金属を叩くイベントだったが、金属音がうるさすぎて全員気が変になりそうな有様だったので、ドラムに変わった」というのがすごい。
Andrewさんがライブハウスの外にいたので、「きっと『BEATING THE DRUM』は日本でも喜ばれるだろう」と言うと、「ぜひやりたい!」とのことだった。有名な「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」のメンバーが目の前にいて気軽に話をしてくれるというのが嬉しくもあるが、なんだか奇妙で不思議な夢を見ているようだ。
帰り際、Kottbusser Tor駅の近くのケバブ屋でクリストフとケバブを食べて、アリランという塩っぽいヨーグルトドリンクを飲んでから帰った。ベルリンの人には、夜遅くに外食をする習慣があまりないらしく、この時間に気軽に食事ができる店というと、トルコ料理屋とかアジア料理屋になるのだという。そのへんの匙加減を理解するのことは私にとって特に難しい。東京では金曜の夜遅く営業している飲食店が無数にあり、何かちょっと食べて帰ろう、が当たり前であるが、クリストフにとってはそれは意外で、「えっ、また夜に外で食べたいの? どうしようかな、店があまりないんだよね~」と困惑することであるらしかった。
8/11(土)
文芸誌「群像」から短いエッセイを頼まれたので、ベルリンでの生活を書くことにした。締切が近かったので、近所のカフェに行ったりしつつ一日それを書いていた。
8/12(日)
午前中、「群像」のエッセイを仕上げて送った。
午後は、エレナと待ち合わせて、クロイツベルクのラントヴェーア運河近辺を散歩した。
川沿いで寝転がって、白鳥が泳いでいるのを眺める。近くのカフェでワッフルを食べながら、いろいろと話をした。学校が始まって生活リズムが変わったのと、根を詰めて文章を書いたのが重なったせいか、体調が芳しくない。歩きすぎると目眩がするので、家に帰って早めに寝た。
8/13(月)
午前中は学校に行き、午後は家で休んでいた。夜、友紀子さんと愛助さんが遊びにきて、一緒に夕食をする。家主の明石さんがサーモンを焼いて、食事を作ってくださった。
8/14(火)
午前中は学校。その足で、ミッテ地区の公園にあるスイス料理レストランへ行く。助成の共催者であるBOSCH財団の担当者と昼食をとりながらのミーティング。担当者のユリアンさんは日本に滞在していた経歴もあるそうで、英語も不自由な私のために、なるべく日本語で話してくれた。
私の受けられることになった、Crossing Bordersという助成は、アジア諸国との異文化コミュニケーションを目的にしているものだ。自動車や電気機械の会社であるBOSCHがなぜそういった芸術家対象のプログラムを始めたのか、経緯について私が尋ねると、以前は学術研究や学会中心に支援をしていたが、次第にそれだけでは不十分だという認識が関係者の間に生じるようになったという。たとえば1989年に壁が壊され、西側と東側の人間が日常的に接するようになり始めたとき、互いのリアルな生活ぶりや考え方を理解し合うことがいかに困難であるかを人々は思い知った。プログラムは当初、東ヨーロッパやロシアとの異文化交流を目的としていたらしい。「たとえば、ロシアのニュースを見ても、知識が右から左へと流れて行くだけで、ロシアの人の現実の生活は分からない。芸術の力を借りない限りは、私たちはそれを近しく知ることはできない」といったようなことを、ユリアンさんは語っていた。その支援対象を、アジアのアーティストにまで広げたのが、Crossing Bordersであるらしい。確かに、もしもこの世に芸術や人文が存在しなければ、遠く離れたヨーロッパの人にとっては、「日本=寿司、サムライ、ゲイシャ」、それで不都合なかったのかもしれない。だがそんな世界に誰が住みたいだろうか。
私が、「プログラムの支援を経て、私がベルリン滞在記を書きあげたとして、それが日本で書籍化される日程が明確に決まっているわけではないのですが、大丈夫ですか?」と尋ねると、ユリアンさんが「もちろん大丈夫です。私たちは完成までに10年かかった映画に資金提供をすることもあります」と答えてくれたのが印象的だった。その余裕は、単にヨーロッパ企業の経済的豊かさの証であるのかもしれないが、それ以上にやはり日本とドイツの間には、芸術支援に対する考え方の違いがあるように思った。表層的な企業のイメージアップ等のためでなく、芸術支援が実際に個々の企業や社会全体にとって有効に機能するものであることを、彼らは明確に知っているような印象だった。それは陸続きのヨーロッパに住む人たちの危機感ゆえなのかもしれないし、そうでないかもしれない。
食事したレストランは、たぶんベルリンには珍しいスイス料理の店で、店内には木で出来た古い型のスキー板なども飾ってあった。豚肉料理のランチとケーキを食べてコーヒーを飲んで、2、3時間は話しただろうか。帰り際、ユリアンさんは「プログラムの進捗をまたいつでも教えてくださいね」と言っていた。「本社のシュトゥットガルトに来ることがあれば、チームの人間を紹介するので知らせてください」とも。ひょっこり一人で遠い国までやってきて、丁寧に遇してもらえたことが心から嬉しかった。
8/15(水)
午前中は学校。夜は、近藤愛助さんの誘いで、アレキサンダー広場近くのギャラリー兼バーのパーティーに行く。バーの壁には愛助さんの作品始め、さまざまなアーティストの絵画や写真やインスタレーションが飾られていた。幹線道路沿いにこつ然と建つ、四角い箱形の外観が印象的なそのギャラリーは、若手芸術家に理解あるオーナーが経営してきた店で、近隣の住民やアーティストたちに長年愛されてきた場所らしい。だが、周囲の土地の再開発が進むのと同時に、経営者がもっとリッチな、グローバル企業に関連する人物に変わって、今度富裕層向けの高級なバーに改装されることが決まったのだという。パーティーは、その閉店休業に関するものらしかった。
私の中では、ベルリンは大都市の中では物価が安くて、地域ごとのコミュニティや特性が大事にされる、アーティストにも暮らしやすい街、というイメージがあったのだけれど、たとえベルリンであっても、目下世界中で巻き起こっている、この種の問題からは逃れられないらしい。その日出会った愛助さんの大学時代からの友人たちが、そういったいわゆる「ジェントリフィケーション」について、意見を交わし合っているのをぼんやり聞いていた。「どこもかしこも家賃が上がっており、五年後十年後、この街に住めているか分からない」という誰かの言葉がいかにも不穏に耳に響いた。
愛助さんと帰る道すがら、売店でビールの小瓶を買って、歩きながら飲んだ。私の家の近所に、居心地の良いイタリアンレストランがあると愛助さんは言って、その場所も教えてくれた。「別に特別美味しいわけじゃないけど、店のおばちゃんが暖かい感じ」だと言う。言葉も慣習も違う都市の夜道で、彼の皮膚感覚に基づいたそんな言葉が、何より確かな道標に思えた。
<編集Tの気になる狩場>
FAUSTやノイバウテンといった”レジェンド”との邂逅は、あくまでも言葉の学習や日々の食事といった日常と接するように千木良さんに訪れているようです。世界の大きな流れとローカルな変化がつながる現象のようなものが、そこには見出されているのかもしれません。
【映画】
特集上映
国立映画アーカイブ開館記念 映画を残す、映画を活かす。―無声映画篇―
会期 2018年10月16日(火)ー10月21日(日)
http://www.nfaj.go.jp/exhibition/silent201808/
会場:国立映画アーカイブ 長瀬記念ホール OZU(2階)
『寝ても覚めても』公開記念 濱口竜介アーリー・ワークス
9月22日(土)~10月5日(金)
https://ttcg.jp/cineka_omori/topics/2018/07022000_3764.html
会場:キネカ大森
*封切作品
9/29公開
『ゼイリブ 〈製作30周年記念HDリマスター版〉』ジョン・カーペンター監督 http://theylive30.com/
10/6公開
『教誨師』佐向大監督 http://kyoukaishi-movie.com/
『LBJ ケネディの意志を継いだ男』ロブ・ライナー監督 http://lbj-movie.jp/
10/13公開
『アンダー・ザ・シルバーレイク』デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督 http://gaga.ne.jp/underthesilverlake/
公開中
『寝ても覚めても』濱口竜介監督 http://netemosametemo.jp
『きみの鳥はうたえる』三宅唱監督 http://kiminotori.com/
『泣き虫しょったんの奇跡』豊田利晃監督 http://shottan-movie.jp/
『モアナ 南海の歓喜(サウンド版)』ロバート・フラハティ監督 https://moana-sound.com/
『顔たち、ところどころ』アニェス・ヴァルダ監督 http://www.uplink.co.jp/kaotachi/
【美術等展示】
マジック・ランタン 光と影の映像史
2018年8月14日(火)~10月14日(日)
会場:東京都写真美術館 http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3083.html
没後160年記念 歌川広重
2018年9月1日(土)~10月28日(日)
太田記念美術館 http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/
【書籍】
『本を贈る』(三輪舎) http://3rinsha.co.jp/book/okuru/
外山恒一著『全共闘以後』(イースト・プレス) http://eastpress.co.jp/shosai.php?serial=3047
東琢磨・川本隆史・仙波希望編『忘却の記憶 広島』 https://urag.exblog.jp/238754285/