キッチンのルール/ビザ/アテネへ
9/16(日)
午前中、キッチンで顔を合わせた語学教師に、「今からここで料理をしてよいか」と尋ねたら、「今日は、女友達が家に来て一緒に朝食を取る、と伝えたはずだ。もうすぐ約束の時間だ。忘れたのか?」と言われた。言われてみると、確かにそんな話をされたが、『愛のコリーダ』事件や、テストやビザの準備のことで頭がいっぱいで完全に忘れていた。悪かった、と謝ると、「なぜ覚えていない? もっと頭を使え!」と語気を強めてきた。「きみはさっきもバスルームを使った後、バスマットを床に置きっ放しだったし、部屋の電気だってあんなに注意したのに、つけっ放し。キッチンで皿を洗う時も、水をいちいち出しすぎる! 環境保護のために水は最小限しか使わないのが、正しいドイツ人の生活だ。何度も言っているのに、なぜ改めない!」と、言っているうちに興奮してきたのか、彼はほとんど怒鳴りつけるような調子で畳み掛けてくる。
「ユウコはいつも、まるでティーンエイジャーのようにフワフワと落ち着かなくて、心ここにあらず、に見える。なぜ、こんな簡単なことをいちいち注意しないといけないのだ!」
食器を洗う時はシンクに貯めた水と洗剤とスポンジを使ってまず汚れを落とし、次にほとんど雫のように細い水流で泡を洗い落とす、というのが、この家のキッチンを使う上でのルールだった。また極力、部屋の電気はつけないこと、朝起きたら寒くても必ず窓を開けて部屋の換気をすること等々、厳しく言い含められていた。だが、例えば、マグカップ一つを洗いたいときも、いちいち貯め洗いをせねばならないのだろうか。分からないので、さっと水道の蛇口をひねって、コップひとつ素早く洗って籠に置いたりすると、教師はその瞬間を目敏く見つけて、「ユウコ!」と呆れ返ったような大声をあげるのだ。
友人のクリストフ曰く、ドイツには節水や節電に厳しい人が多く、彼だけが特別ではないそうなのだが、自分より体も声もずっと大きい相手に監視されていると思うと、さらに体が萎縮して、キッチンを使うこと自体が嫌になっていた。
言い返そうか、と逡巡していると、ドアチャイムが鳴って、彼の友人の女性が入ってきた。本当は今すぐ出て行きたかったが、朝から何も食べていなかったので、教師に勧められるまま、黙って席につき、パンとスモークサーモンを少し齧った。教師と同年代の客人の女性は、妙な雰囲気に不可解な顔をしていたが、やがて「テレビをつけてマラソンを見よう」と言い、「今日はベルリンでマラソンの大会があった」と英語で教えてくれた。
彼らがマラソンを見ているのを傍目に外に逃げた。ビザ申請のための細々した用事を済ませたり、またカフェで原稿を書いたりした。
その夜、キッチンで夕食を作りながら、教師に自分の意見を言った。
私もなるべく住む家のルールに合わせたいと思っている。だが、日本は島国で水が豊富なので、もちろん節水やエコロジーを心がける人もいるが、ここまで神経質な使い方を課せられたことは今までになかった。ルールを完璧に守れないのは申し訳ないが、やっぱりドイツと東アジアの島国では文化の違いがあり、長年培われてきた習慣を変えるのは難しい。少しずつ慣れていきたいので、ゆったり構えていてはもらえないだろうか。
「それから、私たちはまだそれほど関係性が近しいわけではないので、二人きりで『愛のコリーダ』のビデオを見るのは、私にとってトゥーマッチだった。辛い経験だった」とも付け加えた。教師は初め黙って聞いていたが、最後の一言を聞いて、激しく反論を始めた。
「何を言っているのだ? だってきみはティーンエイジャーガールではなく、インディペンデントな大人の女性だろう? 『嫌なら断って良い』と、私は最初に言った。きみは自分自身の責任において映画を観たわけで、後でから抗議されても知ったことではない!」
それが引き金となり、水や電気の無駄遣いのことを再び言い立てられ、「きみは普段から頭を使わずにボウッと暮らしている、だらしない人間だ」というのがこの件において、彼のどうしても導き出したい結論であるらしかった。私が疲れて黙ってしまったのを見て、最後に彼は、「明日からきみは、4泊5日のアテネ旅行だったな。その間に、私たちはお互い今後について考えることができるだろう」としたり顔で言った。
部屋に戻ってベッドに横になったが、怒りが後から後からこみ上げ、胃がしくしく痛んで眠れなかった。けっきょくのところ、日本映画なんか使って、私を口説くつもりで断られたのが、きまり悪かっただけではないのか。映画以前にもこの数日間、二言目には、「結婚しよう」だの「スウィーティー」だの歯の浮くような台詞ばかり聞かされていた。私は冗談だと思いたかったから全てスルーしていたけど、あれがすべて本気だったとしたら、そのたびに相手を傷つけていたのかもしれなかった。
どっちにしろ、もうここには居たくない。iPhoneで「ベルリン アパート」で検索をかけてみたら、ベルリン在住の日本語話者のための掲示板サイトに、ちょうど「9月30日から一ヶ月間部屋を貸します」という人の書き込みがあった。すでに夜中の3時ぐらいだったが、ベッドにだらんと横になったまま、内覧に行きたい旨のメールを書いた。
考えてみれば、今月分の家賃が払えないわけでもないし、もっと早く部屋を探せば良かったのだ。それなのに、「教師の機嫌を損ねたくない、できれば気に入られてうまくやりたい」と必死だった自分の心の動きが不思議だった。今いる状況の中でうまく振る舞うことに固執しはじめると、環境を変えるという発想がどんどん出てこなくなるのだ。恐ろしいことだと思った。
9/17(月)
ビザ申請、そしてアテネへのフライトという二つのビッグイベントが重なってしまったXデイである。エレナが通訳として来てくれるいたし、ビザは絶対貰えるとタカをくくっていたのだが、結論から言うと全く駄目だった。
理由はすべて後から判明したのだが、このとき私が申請しようとしていたのは、ドイツに住んでフリーランスで「労働」したい人向けのビザだった。だが 、「’Crossing Borders’の助成金と、自己負担金を合わせて、作家・演出家として一年の研修滞在をする、就労は基本的にしない」という自分が貰うべきは大学の研究者などと同じカテゴリーの、研修ビザだったらしい。就労ビザはドイツでの労働契約書を用意しないと渡せないと言われた。
外国人局の担当官はエレナとドイツ語で長らく話し込んでいたが、具体的にどうすれば良いか、ちゃんと教えてはくれなかったらしい。「これじゃダメ。申し込む場所も違う、はい、さよなら」と横柄な態度を取られたらしく、帰り道にエレナが呆れていた。
研究者用のビザを申請できるのは、Mierendorffplatzという全く別の場所の外国人局だそうで、観光ビザが切れる10月半ばを目標に、予約を取り直して再チャレンジすることになった。
友人達がこれほど親身になってくれてもビザが貰えなかった、という事実に深く打ちのめされた。「まさか不法滞在で日本に強制帰国?」とどんどん悪い方の想像ばかりが膨らんでくる。以前から楽しみにしていた旅行なのに、心身ともにボロボロに疲れてアテネへの旅支度をした。膀胱炎の悪化を心配しながら薬をポーチに詰め込み、重いバックパックを背負って、シェーネフェルト空港に行った。
シェンゲン協定加盟国間でフライトをするのが初めてだったので、パスポートのチェックも、カウンターでのチェックインも必要ないことに驚いた。ただ印刷しておいた航空券のバーコードを機械でスキャンし、荷物検査するだけで飛行機に乗れる。心境とは裏腹に、3時間ぐらいで、あっという間にアテネについてしまった。
空港から、電車でホテルの最寄り駅まで行く。謎の線画の羅列にしか見えないギリシャ語の路線図をGoogleマップと引き比べて、降りる駅を探し、夜11時頃になんとか地下鉄の駅にたどり着いた。
ベルリンで、夜遅くに食事できるレストランが見つからなくて困った経験が幾度もあった。(ドイツ人は、kaltes Essenといって夕食は冷たいパンとチーズだけで良いのだ、と聞いたことがあるけれど、実際にどれだけの人がそうなのかは知らない……。) 空腹のまま眠る羽目になるかと諦めていたら、通り沿いに煌煌と明かりをつけて、景気良く肉をグリルしている店がホテルの近くにあった。屋外の席に座って茄子とジャガイモと挽肉のムサカを注文したら、これがベルリンで味わったことがないほど美味しい。口に合うものに飢えていたのか、がつがつと食べた。
店員の女性が「アテネは初めて? 楽しんで! この駅のエレベータはスリが出るから夜は乗らないように」などと愛想良く話しかけてきてくれた。
ホテルの受付でチェックインを済ませ、部屋に入った瞬間、喜びがこみ上げてきた。久しぶりの自分だけの部屋である。ホテルは質素で古めかしいが、寝る前にお風呂に入ったって、水をじゃんじゃん使ったって誰にも文句言われない。一人でいられるって、なんて贅沢なことだろう。
9/18(火)
Kindleで買ったガイドブックとGoogleマップを頼りに、ひたすら街を歩いた。陽射しが眩しく、暑い。ホテルから南の方角の問屋街らしき一画を「夜なんかはだいぶ治安悪そう」と思いながら20分ぐらい歩いていたら、突然お洒落なカフェやバーの立ち並ぶ、美しい町並みにぶつかった。観光地とそうでない場所のギャップが大きすぎて焦る。
マップのモナスティラキ広場に出てその賑やかさに驚き、ここが観光の中心地の一つだと後から知る。それまで電子書籍をほとんど買ったことがなかったが、iPhoneで読むガイドブックに非常に助けられた。
「古代アゴラ」という遺跡の入口で、アテネ観光の共通チケットを買い、中に入った。草木の生えた、だだっ広い空き地か公園のように見えるがこの場所全体が、二千年以上昔の遺跡だ。入口左手のギリシャ式柱廊の建物が博物館になっていて、前世紀の彫刻や壺が展示されていた。壺の描画のあまりに繊細な美しさに魅入られた。世界で初めて民主主義が実践された場所と言われる、アテネの集会所の遺跡やテセウス神殿を順に巡る。
古代アゴラの前に立ち並ぶレストランの一つに入って、スブラキという鳥の串焼きを食べた。猫が観光客の食事のおこぼれを欲しがって、足にすり寄ってくる。
曲がりくねった坂道を上っていき、パルテノン神殿も見学した。
白い大理石の敷かれた地面に太陽が反射して眩しい。子どもの頃、ギリシャ神話の本を読むのが異様に好きだった。プラトンの『饗宴』を翻案した演劇を上演したこともある。でもアテネの遺跡はどれもあまりに大きすぎたり、数が膨大すぎたりして、とても理解が追いつかない。「古代アゴラ博物館」で初めに魅入られた美しい壺も、もっと大きい「アクロポリス博物館」に行くと、何十何百何千という数で並んでいる。館内に無数に乱立する神々の像を見ていると、その余りに豊かな白い肉体の質量に酔わされるような奇妙な感覚がした。
ときどきカフェで休みながら、一日中街を歩き回った。最後はエルムー通りからシンタグマ広場に歩いて行って、そこから地下鉄でホテルまで戻る。夕食にはホテルの近くのレストランで魚料理を食べた。
9/19(水)
午前中に、ホテルからまた15分ほど歩いて、国立考古学博物館を見学する。
昼頃、博物館の外のカフェでほうれん草のパイを食べていたら、こちらで会う約束をしていた友人のマンガ家・河井克夫さんからメールが入った。ホテルに到着したというので、歩いて向かった。
今回一緒に旅行するのは、マンガ家のしりあがり寿さんと、その有限会社「さるやまはげの助」と繋がりのあるマンガ家やアーティストのグループだ。年に一回ぐらいの頻度で、こうした旅行を企画しているらしい。10名近い集団で賑やかに旅行するなんて、学生の時以来かもしれない。日本語の通じる大勢の人々に急に遭遇したことにハイテンションになりながら、一緒にアテネの市場を見学したり、スブラキ(肉の串焼き)やポテトフライの昼食を食べたりした。
といっても、前日に私が買った「アテネ観光共通チケット」では、一度入った遺跡に再度入場できなかったので、さるはげチームがパルテノン神殿などを見学している間、また一人で散歩や買物をしてぶらぶらと過ごした。
19時ごろ、さるはげチームが予約してくれていた、アクロポリスの丘の途中にある魚料理のレストランの屋上で食事をした。アテネの街が一望できる。ライトアップされたパルテノンが、夜空を背にして岩山にそびえ立っている。冷えた白ワインを飲んでいると、蛸のグリルや、サガナキというチーズを油で焼いた料理などが次々と運ばれてきて、長テーブルに並ぶ。つい2日前までの惨めな気分が吹き飛んだ。自分は一体何なんだろう、ビザも貰えず家もない、皿洗いすらも満足にできない哀れな根無し草か、夜景を眺めながらギリシャ料理に舌鼓を打つ、優雅な日本人観光客か。その両方か。
21時からのギリシャ演劇のチケットを取っていたので、さるはげチームの夕食を先に一人で抜けさせてもらった。観光客で賑わっていた昼間とは打って変わって、暗く静まり返った夜道を足早に歩いて、会場に向かう。イロド・アッティコス音楽堂は、アクロポリスの斜面に建てられた屋外劇場で、古代の仕様を生かして、現在も様々な催し物が行われている。ちょうどアテネ滞在中に、プラトンの『饗宴』にも登場する喜劇詩人・アリストファネスの『女だけの祭り』という芝居が上演されると知って、ネットでチケットを予約していた。
ギリシャ演劇のノウハウは、今では完全に失われてしまっているとガイドブックの解説で読んだ。アリストファネスやエウリピデスの芝居にどんな演出がつけられていたかは、誰にももう分からないのだ。台詞はギリシャ語で、電光掲示板の英語の字幕も見づらいので、内容がきちんと分かったわけではないけど、この日観た『女だけの祭り』はとても現代的なコメディにアレンジされていた。テレビのお笑い番組みたいに典型的なギャグを繰り出して、ボケたりツッコんだりしているらしい俳優に、観客はいちいち受けていた。演劇の内容的に芸術性が高いかどうかは微妙だったが、古代の石組みそのままの半円の客席を、ぎっしり人が埋め尽くしている様は壮観だった。
そして、芝居の台詞や歌の中に、ゼウスやディオニソスやデメテルといったギリシャの神々が自然に登場し、祈りを捧げられたり崇められたりしている、その事実に胸を打たれた。私が子ども時代に本で読んで胸ときめかせた、ギリシャの神様の物語は、この街で何千年も、語り継がれ、親しまれてきた。キリスト教にお株を奪われても、科学が宗教を否定しても、神々は物語の中や舞台の上で、変わらず生き続けてきたのだ。「ディオニソース!」と放埒に叫び、歌い踊る役者たちの姿を目にし、それと同時に、客席を埋め尽くす何百何千という観衆が、ディオニソスが酒と酩酊の神であることをちゃんと知って今ここにいる、という状況に目眩を覚え、「今もギリシャにはこういう神々がいるんだな」と思わざるを得なかった。
9/20(木)
早朝からさるはげチームと一緒に長距離特急に乗って、5時間。メテオラ観光に行く。断崖絶壁の上に建てられた修道院群で有名な場所だ。カランバカの駅に着いてからは、チーム全員でバンに乗って、ガイドの説明を聞きながら、幾つかの修道院を巡った。修道院の神聖な雰囲気も、崖の上から眺める絶景も素晴らしかったが、さるはげチームの旅行に参加できたお蔭で、こんなきちんと段取りが組まれた観光旅行ができることが嬉しい。
帰りの電車の中では、数人でトランプの「大貧民」を5時間ぶっ続けでやった。全員一度も集中力を絶やすことなく真剣にゲームに向き合った。トランプでも、真剣にやるとそれぞれの性格が見えてくる気がする。ゲームの中という特異な状況で、人が真意を隠して他の人をまんまと欺いたりしている様には、不思議な色気というか華がある。役者が芝居で見せる華と少し似ている。本人も気づかぬ艶やかな華が、開いたり萎れたりするのを眺めているのが面白い。
9/21(金)
グループの大半が博物館巡りをしている中、私を入れて三人で、アテネから一番近いエーゲ海の小島、エギナ島へ行った。ピレウス港から高速船で数十分、ピスタチオが名物の長閑な島である。
島のあちこちを散歩したり、ビールやワインを飲みながら焼いた蛸を齧ったりした。少し寒かったけれど、どうしてもエーゲ海で泳ぎたかったから、水着に着替えて泳いだ。潜ると、小さな灰色の魚が海藻の周りに群れているのが見えた。
夜発のベルリン行きの飛行機を取っていたので、夕方、アテネに戻った。さるはげチームとアクロポリス駅の前で合流して挨拶をする。彼らはこの後トルコへと移動して旅を続けると言っていた。
空港行きの電車が、30分に一本しかないことがホームに着いてから分かって、飛行機に乗り遅れるんじゃないかと背筋が凍ったが、無事間に合った。深夜にベルリンに着いて、あの教師の家にまた戻ってきた。
9/22(土)
空腹で目覚めたが、家のキッチンを使いたくない。またヘマをして、家主に怒鳴られるんじゃないかと思うと体がすくむ。近所にあるタイ料理屋で昼食にフォーを食べた。
ミッテのアパートに内覧に行った。私より先に一人、若い女の子が見に来ていて、玄関でかち合ってしまったので焦る。彼女が帰った瞬間に大して中を見てもいないのに「ぜひ借りたいです」と家主の方に宣言した。「千木良さんのほうが先にメールくれたので、問題なければ借りてもらおうと思っていました」と言われ、胸を撫で下ろす。9月29日に鍵を受け取り、30日から一ヶ月借りることになった。
家を出て、ホッとしてカフェに入ったら、先ほどの若い女性にまた会った。「どうなりましたか?」と尋ねられ、「借りることにしました」と言ったら残念そうにしていた。すみませんとか咄嗟に謝ってしまったが、謝らなくていいから、年長者として暖かい言葉の一つもかけてあげられば良かったのに、まったくそんな余裕がなかったのが悲しい。住まいが欲しくて必死な自分が浅ましく思えた。
この日と翌日だが、芝居の券を合計6つも取っていた。Berlin BAM! (https://bam-berlin.org)という、実験音楽とコラボレーションした演劇のフェスティバルをやっていて、だいぶ前にクリストフが情報を教えてくれたのだ。すべてミッテ地区の徒歩圏内で上演される。夕方から三本、連続で見た。
一本目は、Katharina HaverichとChristopher Hotti Böhm による ‘He Wolf / She Man’。これが凄かった。Acker Stadt Palastという、かなりワイルドな廃墟っぽい見た目のイベントスペースが会場。「荷物を全部、クロークに預けろ、手ぶらになれ」と厳しく言われ(観念してパスポートも財布も預けた)、狭い地下室に通される。始まってすぐ、私の二十センチ目の前でパフォーマーの女性が、ハイヒールを履いたかと思うと、その靴底で蛍光灯を粉々に割るので、心臓が止まりそうになった。彼女が靴を脱ぎ、模造紙の敷かれた床を歩くと紙にべっとりと赤い足跡が……でも紙を敷いてあったってことは、血は仕込みの血糊? その答えは未だ出ないが、そういうぎょっとさせるようなアイディアが作品の中で浮いておらず、全体通してのクオリティがとにかく高かった。
二本目は、何度か行った Sophiensæle という有名な劇場で、Daniel Kötter/ Hannes Seidlの‘Land (Stadt Fluss)’。会場に入ると、全体に本物の芝生が敷き詰められている。観客には台本が配られ、ブランケットを借りて芝生に寝転がるように仕向けられ、時折奏でられる音楽を聴きながら、田園地帯が舞台の五時間もある「映像」を見る。自由に芝居をを想像してください! というわけだ。メタ構造すぎる。客席後方では、本当にメンバーが料理の支度をしている。2時間近く芝生の上でごろごろとしたが、料理の匂いにお腹がすいてきたので、会場を出た。近くの日本食屋で、残念な出来の寿司セットを食べた。(こちらの残念な寿司について語りたいが、またの機会に。)
三本目、glanz&krawallというグループの‘Dorfkneipe International’。これもとんでもない演劇だった。Z-Barという、奥に古めかしい小劇場が併設されたバーで行われたのだが、前の二つよりだいぶ普通のコメディに近かったにしろ、役者たちのテンションが半端ない。満場の観客はまず入場時に歌わされ、途中でBARに誘導されて酒を飲まされ、演奏に合わせて踊れと言われる。全部ドイツ語で何を言っているのかサッパリ分からなかったが、私も演出家の男性と手を繋いで踊った。 ‘Dorfkneipe International’という作品名から推理するに、たぶん田舎の村(Dorf)の居酒屋(kneipe)の、その場で酔っ払ていた人たちしか面白くない一期一会のノリを、なんとかして演劇に変えようという、尊い試みに違いなかった。美しい歌姫たちが途中でセクシーなドレスの上に超ダサいフットボールチームのTシャツを着たりするのだ。
そろそろ終わりかと思った頃、「こんなつまらない芝居はやめやめ!みんな外に出ておいで!」と謎の中年女性が劇場に乱入してきた。最後には彼女の引率で、観客全員近くの公園に連れて行かれて、大木の周りで輪になって手を繋がされ、「願い事を空に投げろ」とか言われて、お祈りさせられる羽目になった。このスピリチュアルおばさんの一幕で、一応芝居は終わりらしかったが、まだ観客の多くはバーに戻って飲み直すようだった。
へとへとに疲れたので帰ったが、私もドイツ語がもっと喋れたら、このひねくれたギャグセンスの人たちともう少し飲むのに。なんだか気が合いそうなのにね、と名残惜しかった。
9/23(日)
朝、料理をした後のキッチンは、完璧に片付けたはずだったのに、部屋にいたらやっぱり「ユウコ!!!」という絶叫が響いた。慌てて彼の所へ行くと、教師が私の私物である、ブリタの浄水ポットを手に持って怒りに震えている。「なぜこのポットを、シンクの横に置きっ放しにした? 私がこの場所を使うと思わなかったのか?」。確かにポットに水を貯めかけたまま置き忘れていたのだが、好きにどこへでも動かせばいいのに。そう言うと、「私はお前のママじゃない!」と叫ばれた。「それにまた廊下にスリッパが脱ぎ散らかしてあったぞ! なぜラックの上に置かないのだ、頭がどうかしているのか!?」。脱ぎ散らかしたのではなく、靴のラックの下にそっと揃えて置いてあったのだ。なぜなら彼は、外履きの靴とスリッパを全部同じ場所に仕舞うのである。日本人的感覚からすると「清潔ではない」。日本で生まれ育ち、その土地の習俗に強い影響を受けてきた私は、家の「内」を清く保つために、汚れが来る「外」との間に明確な一線を引きたいという衝動を抑えられないのである。私は自分でも気づかぬうちに、日本での生活習慣に盲従していたのだ。「聞いて。これ前にも言ったけど、日本ではね……」と説明しかけたら、「ここはドイツだ!もうお前の話は聞かない!」と遮られた。話を聞いてもらえないなら、コミュニケーションはもう不可能である。
黙って部屋に行き、携帯を片手に持って外へ出た。背中に「部屋の窓は開けたのか!? 朝起きたらすぐ換気をしないと!」という声が覆い被ってくるのも無視した。
道端で、友人何人かに電話をかけてみたら、エレナが出て、すぐに来てくれるという。マクドナルドで打ち合わせした。エレナは、9月27日から出張に行くそうで、荷物を部屋に置いていいし、自分がいない間は泊まっていいと言う。そこへ友紀子さんがメールをくれて、ちょうど27日まで一部屋空いているので、うちにどうぞとのこと。教師になんと説明しようか、エレナと相談しながら、荷物をまとめるために家へ戻ったら、彼は不在だった。真っ昼間だが、まるで夜逃げのように荷造りをし、スマホのアプリでまたUber(タクシー)を呼んで、段ボール三箱とスーツケースをエレナの家に運びこんだ。マンションの五階で階段しかなかったので一苦労だったが、エレナがか細い腕で重たい段ボールを抱え上げて手伝ってくれた。
この日も3本芝居のチケットを取っていたのだけれど、引越騒ぎで一本見逃した。雨の中、5本目の会場に慌てて走ったつもりが、6本目の会場と間違えた。すでに開演した後だったが、へとへとでHeckmann-Höfeに着く。 ‘White Limotzen’(Johannes Müller / Philine Rinnert )という作品を観た。テーマはおそらく人種差別で、中盤のシーンで中国人のパフォーマーが、西洋の伝統的な人形を、黒・白・オレンジ色のペンキに浸して染めていくのを観た瞬間、疲れていたせいか、ポロポロと泣いてしまった。続いて、若い黒人の女性オペラ歌手が「蝶々夫人」の一曲を歌い、もはや涙は止められなくなった。日本の芸者が、駐日海軍士官に恋焦がれて、国に帰った彼を待ちながら死ぬ物語である。現代の人権意識においては、日本蔑視、女性蔑視的だと言われる。教師に「ゲイシャ」と言われたことを思い出した。彼はたぶん、意味をよく知らずにその言葉を使ったのだが。
6本目、François Sarhanの‘Gestern und Morgen’。聖エリザベス教会という古い教会の内部を巡りながら見る、シュルレアリスム的な作品。ナレーターに引率されて、何度も同じ階段を上り下りし、ほぼ同じパフォーマンスを見るので、次第に時間や空間の感覚が薄れていく。面白かったが、歩き回って疲れた。
深夜にバックパックを背負って友紀子さんの家に行く。雨に降られたせいもあって、ひどく寒かった。白湯を飲み、シャワーを浴びてソファベッドで寝かせてもらった。
●居候生活
9/24(月)
夜中に何度か、教師に怒鳴られたことを思い出した。彼とは一緒に誕生日パーティーまでしたわけで、友人になれると思っていたのだ。だが考えてみれば、私は日本でも、ゴールデン街のバーのバイトで知り合った60代70代の男性と、トラブルになった経験が何度もあった。私は彼らの青春時代、1960-70年代の話を聞くのが好きで、ゆえによく先方から気に入ってもらっていたのだが、いくら楽しく会話をしたり食事をしても、対等な関係を築くのは難しかった。
寝不足で目覚めたら、友紀子さんが朝ご飯にオムレツを作ってくれた。二人で、近くのシャルロッテンブルク宮殿まで散歩に行った。だだっ広い庭園の池で水鳥が泳ぐのを見ながら他愛もない話をした。
9/25(火)
ベルリン文学コロキウムのインガからメールが来て、昼食会のお招きを受けた。かなり頻繁に訪れている気がする、あのヴァンゼーの壮麗な建物に入っていくと、十名余りの作家たちがテーブルで談笑していた。英語すらも全く自信がないので緊張して固まっていたら、一人の女性が、その小さな背丈とは裏腹の堂々たる大股歩きで私の傍にやってきた。
なぜZytaが私に注意を傾けてくれたのか、分からない。大勢の人間がいたのに、彼女は私に向かって一直線に歩いてきた。彼女はZyta Rudzkaというポーランドの作家で、多数の小説や戯曲を出版しているという。
インガのお手製だという素晴らしいサラダやフラムクーヘンを食べながら、作家たちと話をした。文学コロキウムの建物内には何部屋かレジデンスが備わっていて、Zytaたちは、そこに滞在して作品を執筆中なのだそうだ。
話の流れで、Zytaに最近引越をしたこと、同居の教師に「ゲイシャ」と言われたこと等を話したら、彼女は同情してくれて、「なんてことだ! 彼はむしろサムライになって、ハラキリをした方が良い」と典型的なギャグを言ったので、大笑いしてしまった。食事が終わった後、彼女がヴァンゼー(湖)で船に乗ろうと誘ってくれた。
ヴァンゼーの周りは古くからの別荘地で、船着き場やビーチがある。ヒトラー政権の高官が、ユダヤ人移送と殺害を決めた「ヴァンゼー会議」の舞台となった邸宅もある。現在は博物館になっている。
船から景色を眺めていたら、Zytaが、「千木良という名前は、ハンナ・シグラに似ている。私の好きな女優」と言うので、驚いた。私が日本でファスビンダーの戯曲を演出したことを打ち明けると、彼女はたいへん喜び、「ファスビンダーの映画は大好きだが、一番好きなドイツ映画はヘルツォークの『ストローチェクの不思議な旅』かな」と言った。それは私も大好きな映画だ。
ヴァンゼーの周りの森林をしばらく散歩しながら、彼女が今執筆中だという小説のプランを聞いたが、大袈裟な身振りで冗談を交えて話すので、秋の紅葉や湖の美しい風景もそっちのけで、ずっと笑っていた。
夜は、またSophiensæleで芝居を観た。 HAUEN·UND·STECHENの‘GOLD’。床に土が敷き詰められた劇場で行われる長大なミュージカル。日本のアンダーグラウンドと相通ずるものを感じたが、こちらの役者はとにかく歌が上手い。軽々とオペラなんか歌っちゃう。私は椅子に座れたが、中には土の上に直に座るよう誘導され、芝居に参加させられる観客もいた。人気のある劇団のようだけど、見るのにかなり体力を要した。
夜中に、Zytaが熱いメールをくれた。「私たちがお互いを見つけたのは、ラッキーだった。こんなに笑ったのは久しぶりだ。またすぐ、私たちは会わなくてはならない!」。
9/26(水)
友紀子さんが「今日は『ベルリン・アートウィーク』のオープニングの日なので、いくつかの美術館が無料になります。タダでワインも飲めます、一緒に行きましょう!」と言う。俄かに信じ難かったが、友紀子さんに連れられて、「ドイツ銀行美術館」と「世界文化の家(HKW)」に行ったら、どちらも本当に無料だったし、ワインも飲めたし、「ドイツ銀行美術館」にはヨーゼフ・ボイスやゲルハルト・リヒターなど私でも知っているような有名な美術家の作品がずらり並んでいて何時間も楽しめた。HKWのほうは、‘Most Dangerous Game’というタイトルで、ギー・ドゥボールや、シチュアシオニスト、パリ5月革命に関する貴重な資料が山盛りの展示を拝めた。私の興味ある分野だ。アートが好きな人にとってはベルリンは本当に天国なのだと実感した。
9/27(木)
友紀子さんの家から、エレナの家に移る。エレナの部屋は、ペールピンクやブルーに彩られた、まるで少女の夢のようにロマンチックな空間だ。優秀な大学教授の彼女が、こんな好きなものばかりを集めたお城を所有しているのが、なんだか切なく慕わしい気持ちがしたし、またその城に入れてもらえて、一人でいられる場所をやっと確保できたことが嬉しかった。
9/28(金)
明石さんと久しぶりに会って、前々からチケットを買っていたモーツァルトの『魔笛』をコーミッシュ・オペラで観た。日本でも上演された評判の演目だ。しかし、映像を多用しすぎた演出のせいで、ライブの存在感や迫力が削がれている印象。人気がありすぎて何百回と再演しているので、やる側も飽きているのか。「でも、あんまり良すぎたら泣いちゃったかもしれないから、このぐらいで良かったかもね」とオペラを愛する明石さんはしみじみ話していた。
9/29(土)
エレナのアパートのシャワーのお湯が、急に出なくなって慌てる。原因が分からない。とりあえずお風呂に入るのは諦めたが、地味に辛い。翌日から借りるミッテのアパートに行き、家主のご夫婦から鍵を預かった。明日は引っ越し。
9/30(日)
朝、歌手の渚ようこさんが亡くなったことをネットのニュースで知る。2016年に演出したファスビンダーの演劇『ゴミ、都市そして死』に、歌姫の役で出ていただいた。信じられない、突然すぎる。週1とはいえ、新宿ゴールデン街で7年もバイトしていた私にとって、渚さんは手の届かない舞台上の歌姫でありながら、街の仲間という、近しい存在でもあった。歌を聴いていたら自然に涙が零れた。
アーティストの田中奈緒子さんが引越の手伝いに来てくれた。シャワーのお湯が出ない、と言うと「私も分からないけど」と言いながら、ボタンを幾つか押して、魔法みたいに出してくれた。重たい段ボールもひょいひょい運んでタクシーに乗せてくれた。
新しい住まいは、Kastanienalleeという賑やかな大通りにある、ごくごく小さな部屋だ。住人のご夫婦が日本に一ヶ月だけ帰国するので、その間に借りる形だ。これから、私物の置き場所を考えたり、スーパーの場所を覚えて買物したり、電車の路線を覚えたりしないといけない。一つ一つは些細だが、積み重なると負担が大きい。芝居の台本を書いたり、ましてや稽古や公演なんて、いつできるんだろうか。
まあ、ポジティブに考えれば、ベルリンに来て3ヶ月で、なんと5箇所もの地域に住んだわけで、街を知るためには良かったのかもしれない。シャルロッテンブルクの東側、Lietzenseeのある西側、北側のシャルロッテンブルク宮殿方面、ショッピングセンターの並ぶシュテーグリッツ、そしてこのミッテとプレンツラウアーベルクの中間。どこも雰囲気が違う。Kastanienalleeは観光客や若者が遊びに来る場所で、服屋やレストランが並んでいる。近所にはベルリンの壁をまだ残してある記念館や、蚤の市で有名な公園や大きな教会もある。荷物を整理しながら、さてどこから先に行ってやろうかと考えていた。
<編集Tの気になる狩場>
住まいをめぐる様々なトラブルに見舞われながら、しかし新たな作品や人との出会いはそれでもなお訪れます。ベルリンでの新たな狩猟へのスタートが、千木良さんの中で再び切られたのではないか……と遠く離れた場所から感じています。
【映画】
*特集上映
フレデリック・ワイズマンの足跡 Part.1 1967年-1985年
会期:第3期1977年―1985年:2018年11月6日(火)〜11月10日(土)(5日間)
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/wi/wiseman_part1_2018.html
会場:アテネ・フランセ文化センター
*Netflix配信
『風の向こうへ』オーソン・ウェルズ監督 https://www.netflix.com/jp/title/80085566
*封切作品
11/9(金)公開
『体操しようよ』菊地健雄監督 http://taiso-movie.com/
『ボヘミアン・ラプソディ』ブライアン・シンガー監督 http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/
11/16(金)公開
『鈴木家の嘘』野尻克己監督 http://suzukikenouso.com/
『バルバラ セーヌの黒いバラ』マチュー・アマルリック監督 http://barbara-movie.com/
11/17(土)公開
『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』デヴィッド・ロウリー監督 http://www.ags-movie.jp/
10/27(土)~11/16(金)《三週間限定》
『13回の新月のある年に』&『第三世代』ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督 http://www.ivc-tokyo.co.jp/fass2018/
公開中
『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』フレデリック・ワイズマン監督 http://child-film.com/jackson/
『アンダー・ザ・シルバーレイク』デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督 http://gaga.ne.jp/underthesilverlake/
『止められるか、俺たちを』白石和彌監督 http://www.tomeore.com/
『教誨師』佐向大監督 http://kyoukaishi-movie.com/
【美術等展示】
田根剛|未来の記憶 Archaeology of the Future ─ Digging & Building
2018年10月19日(金)~12月24日(月)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー http://www.operacity.jp/ag/exh214/
愛について アジアン・コンテンポラリー
2018年10月2日(火)~11月25日(日)
会場:東京都写真美術館 https://aboutlove.asia/
邱志杰(チウ・ジージエ) 書くことに生きる
2018年9月8日(土) 〜2019年3月3日(日)
会場:金沢21世紀美術館 https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1760
【書籍】
千坂恭二著『歴史からの黙示——アナキズムと革命(増補改訂新版)』(航思社) http://www.koshisha.co.jp/pub/archives/720
『プロヴォーク || 思想のための挑発的資料 / 完全復刻版』(二手舎) https://www.nitesha.com/?mode=f10
舞城王太郎著『私はあなたの瞳の林檎』(講談社) http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000314068
ロクサーヌ・ゲイ著『むずかしい女たち』(河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207582/