フェミニズム版バットマン
3/16(土)
ドイツ語が全然できないので、クリストフやマヤやエレナなど、前からの友達以外のドイツ人と話す機会が少ない(しかも彼らは日本語が上手)。変な所で社交的なのでベルリン在住の日本人の知りあいがやたらとできてしまった。それで、ますますドイツ語を話す機会がなくなる。そんな悪循環が生じていることに気づいた。Meet upというインターネットのサイトがあって、ドイツ語を喋りたい人とも出会えるよとクリストフが教えてくれたので、登録してみた。ピクニックやヨガや料理教室や単純に知らない人と出会う場まで、無数に組まれたイベントが検索すると出てきて、クリック一つで好きなものに参加できる。有料のも無料のもある。「ドイツ語を勉強中の人たちで話す」という主旨のイベントが幾つかあったので、一つ申し込んで、日本人の友達と行ってきた。
指定場所のミッテ地区のカフェに行くと、瞬く間に二、三十人ぐらいが集まってきて混雑し出した。その日は先生的な役割を果たすドイツ人の女性が一人いて、彼女が作ったプリントに従って、集まった人たちで「好きなスポーツ」について話す、という流れだった。ドイツ語の勉強にはなったが、学校で授業を受けているみたいな感覚だ。やらないよりはマシだろうけど、人数も多い中でガヤガヤ話すから大してドイツ語がうまくなった気はしない。受講料として7ユーロぐらいかかるから、あの先生は2時間の間でずいぶん儲かっちゃっただろうなあ、Meet upって流行ってるんだなと変なことに感心した。
3/17(日)
Gorki Theaterという公共劇場の小スタジオで『Making of』という演劇を観た。演出家は若手のNora Abdel-Maksoud。これが大当たりで、涙を流して笑った。ベルリンに滞在中の演出家、西本由香さんと「何か見に行こう」と言って適当に券を取ったのだが、こんなに面白いと思わなかった。予告編のビデオがWebサイトに上がっているのを事前に見たが、正直期待していなかったのに、分からないものだ。今までに見た大御所と言われる演出家の舞台と比べても、これが一番感動したかもしれない。しかも、英語字幕つきだったが、私ってばドイツ語どころか英語も大してできないから、台詞の意味だってあんまり分かっていないのである。なのに笑いすぎて涙が出るとはどういうことか。
内容は4人芝居で、映画業界のどたばた騒ぎをコメディにしたもの。演劇の演出家から、映画監督に転身した女性が主人公である。彼女は女性蔑視の映画業界にうんざりしている人気セレブ女優のもとへ行き、「完全フェミニズム版『バットマン』を撮るから出てくれ」と交渉、見事に承諾を得る。ところがバットマン役が親の七光りだけで主役を射止めた大変な大根役者で、しかも男性かと思いきや女性で……etcというストーリー。
何が面白いかって、なんといっても四人の芝居が息ピッタリなのである。途中「スウェーデンの映画業界がどんなにポリティカルコレクトネス的にイケているか知ってる? とっても羨ましい♫」というスウェーデン礼賛の歌を俳優たちが歌い踊るシーンがあって、笑いすぎてひっくり返りそうになった。全員歌がうまいし。
やっぱり演劇というのは、バンドのライブと同じようにチームワークで、グルーブが命なのだと思う。どんなに豪華な美術セットを作って天才演出家が知的なコンセプトを振りかざして演出を施したところで、役者が生き生きしていなければ興ざめだ。
しかしこの舞台、ポリティカル・コレクトネスの意識が、ある程度浸透したベルリンだからこそ笑えたが、日本でやっても全然受けないかもしれないと思った。ちょっとした「ポリコレあるあるネタ」が繰り出されるのだが、フェミニストを茶化す意図はなく、むしろ、何かあると社会はフェミニズムに罪を押し付けようとするのだが、結局は濡れ衣で、ほとんどの問題は個人の未成熟な思考や行動に起因している、ということを暴く作品だ。男も女も、自らの幼児性をさらけ出して平等に笑いの俎上にのせられるから清々しい。だが、今日も元気にセクシズム絶好調の日本では、この台本が翻訳上演されても意図が伝わらないかもしれない。「今はベルリンにいるからこれを笑えるんだな、幸せだな」と思って、それで私は笑いながら、滂沱の涙を流さずにはいられなかった。
書いていて悲しくなってきた。
内容の面白さだけではなく、登場人物全員が愛情を持って描かれ、演じられていることがよく分かる最高の芝居だった。終演後に同行の西本さんと「大当たりでしたね!」「いやあ、何が当たるか分からないものだね、見て良かった!」と、ライトアップされたベルリン大聖堂前やテレビ塔が望める大通りを、ほとんど叫ぶようにして喜びながら歩いた。
春が来るのか
3/18(月)
先週、近く花屋で2ユーロで買ったヒヤシンスが窓辺で咲いた。とうとう長かった冬が終わるのか。春がやってくるのか。あの冬の長さと寒さを思うと、にわかには信じられない気持ちだ。まだベルリンのべの字も理解していないし、ドイツ語も喋れないのに季節が変わってしまうのがちょっと恐い。
3/19(火)
多忙な日々が急に終わったことでまだ気が抜けているのか、どうも先の予定が立たない。時間があるうちに近場に旅行したいけれど、その踏ん切りもつかない。
ベルリンの中でせめて観光しようと思って、シュタージ博物館へ行く。ここは東ドイツの秘密警察・諜報機関を管轄していた「国家保安省」の建物を一部一般開放し、博物館にした場所だ。家からトラムに延々と乗って行ったのだが、建物のあまりの巨大さ、無骨さ、飾り気なさに驚愕した。界隈には人影がなく、博物館に入ると内装は古めかしく、東ドイツ時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。私は携帯の電池が切れそうだったので、なんとなく不安な心持ちで、館内をうろうろした。
東ドイツの資料やパネルを見て歩いた。監視国家であった当時使われた隠しカメラ等が展示されている。途中、国家保安大臣を長年勤めたエーリッヒ・ミールケの執務室や、会議室、応接室を通ると、妙に煙草臭かった。私の脳裏に去来したのはなぜか熱海辺りの温泉旅館や雀荘といった昭和っぽい光景であった。女性のスパイも暗躍したらしいが、「シュタージ」の中心にいたのは、煙草をスパスパ吸って延々会議する「昭和のおじさん」みたいな東ドイツ人だったのかな、と空想した。一般人同士が隠しカメラで監視をし出す、と聞くと異常なことのようだが、それって今の日常生活と地続きの、そう遠くない場所で起こる出来事なんだろう。古くさい内装の部屋に染み付いた煙草の匂いには、微かな懐かしさがあった。私は子どもながら、遠い日本にいながらにして、冷戦時代の監視国家の精神状態を、どこかで共有していたのかもしれないとも思った。大国同士が互いを仮想敵とし、分かりやすい悪のイメージを作りあげていた時代。
夜、ベルリナー・アンサンブル劇場で、ベケットの『ゲームの終わり』を見る。行ってみてから分かったのだが、世界的に著名な演出家、ロバート・ウィルソンの演出だった。面白く見たのだけれど、どうもニューヨークのアーティストのものをベルリンでやると、時々相性が悪いんじゃないかと思う。ニューヨークってやっぱりお洒落な都会のイメージがあるけれど、ベルリンはローカルで、かつオリジナルであることに人々がプライドを持っている街という感じがする。
ミステリアスな不条理演劇だから、本来ならもっとクールなお澄まし顔で演じられても良かったと思うのだけれど、俳優はほとんどコントみたいに観客に愛想を振りまいておどけていた。芝居の後半、爆音とともにブラックライトが点滅する、キメキメのクライマックスシーンで、「ふわあ」と欠伸する観客がいて、聞きつけた周りの人たちが失笑していた。自由奔放である。それでも面白くないと思っていたわけではないようで、観客は皆、芝居が終わると立ち上がって、熱狂的な拍手を送っていた。芝居の途中、巨大なネズミが突然舞台を横切るシーンがあって、最近ネズミ騒ぎで苦労したばかりなので、戦慄した。巨大ネズミ。悪夢だ。
3/20(水)
Theaterhaus Mitteで、富松さん、手塚さん、多田さんという三名の日本人ダンサーと恒例の稽古をする。ここでは、自分の関心のあるボディワークの「実験」を試して良い、ということになっている。この日私は、日本人としてのアイデンティティについて、他の参加者にインタビューをした。夜、田中奈緒子さんが家に遊びに来て、二人だけだが手巻き寿司パーティーを敢行した。
3/21(木)
時間があったので、美術館見学と映画鑑賞をすることに決めた。まずはMitteのDDR博物館へ。ここには東ドイツ時代の暮らしに関する資料が展示されている。車や日用品が並んでいたり、そっくり東ドイツの住宅風の内装にされた部屋があったりする。
展示の一つに「着せ替え」のコンピュータゲームがあって面白かった。ディスプレイ上の女性の絵に、東ドイツ人として相応しい服装を着せる、という趣向である。華美な服装でレコードを持たせるのではなく、労働者風のつなぎを着せて新聞を読ませると高得点を貰える。これってブラックジョークなんだろうか。東ドイツ時代ってそんなに昔のことではないのに、もうその理念がゲームにまでなってしまうことに驚いた。
それから、博物館島の中でまだ行ったことのなかったAlte Museumへ。ドイツの近代の画家の作品がほとんどだが、ゴーギャン、ゴッホ、マネ、モネなどの有名どころも見られる。夜、歴史博物館の地下の映画館で、フリッツ・ラングの初期作品『さまよえる絵 Das Wandernde Bild』を見た。サイレント映画でオルガン演奏付きだったのだが、その演奏が本当に素晴らしくて涙が出た。帰り道、ベルリン大聖堂の向こうに大きな満月が出ていた。
3/22(金)
富松さんと、またドイツ語会話を目的としたMeet upイベントに参加。今度はドイツ語勉強中の人同士でカフェに集まり交流する、という集まりだったが、あまりにも人が多くて話ができない。それに自己主張が強い人から我れ先にと話し始めるので、私なんか遠慮して頷いているだけになってしまうのだった。
諦めて外に出、トラムに乗って内橋和久さんのライブに行く。現代音楽のミュージシャン十名ぐらいによるセッションのライブで、本当に良かった。こういう即興演奏のライブの良いものを観ているときが一番幸せかもしれない。
3/23(土)
エレナとシェーネベルク地区を散歩。冬用のスリッパがそろそろ暑苦しくなってきたので、春用をショッピングモールで買った。
田中奈緒子さんと、ドイツ座にルネ・ポレシュ演出の『Black Maria』を見に行った。映画の黎明期に実際に存在したという、Black Mariaという名の黒く大きな撮影スタジオを舞台に繰り広げられる演劇である。上演中、俳優はほとんどスタジオの中に入り込っぱなしで、スタジオ内部を撮影した映像がプロジェクターに投影される。観客は芝居を見に来たのにずっと映像を眺めることになる。言葉が分からないせいではあるが、舞台上には俳優の身体もなく、ただ手持ちカメラの映像を見せられるのみなので、置いてけぼりになった気持ちで寂しかった。
終演後に田中奈緒子さんが内容を解説してくれた所によると、台詞の内容が非常に面白かったそうだ。120年前の映画の誕生以来、すべての映像が「男性を主体とした目線」で作られてきたことが問題提起される。さらに撮影された映像が流布すれば、人々は自分たちの男性主体の物の見方を無意識のうちに容認されたと感じ、さらにその目線を強化していく。その虚しいモノクロームのスパイラルこそが映像の歴史だ、ということが膨大な台詞によって語られる作品だったそうだ。
「非常に良いことを言っていると思うのだが、舞台上では実際何も起こっていない。言葉が分からないから置いてけぼりで寂しくなった」と私が呟くと、奈緒子さんは意外にも「その意見は一理ある」と応じてくれた。「確かに、この芝居はとても分かりやすく映像の歴史の負の部分を解説してくれるから、見ている間は楽しめたけれど、芸術として強い印象を残すとか、噛み砕けない謎が残る、とかいう類いの物じゃなかったかも」と。
言葉が分からなくても何かしら響くものはあると思っているから、私はドイツ語の芝居も積極的に見に行くことにしている。でもいつも心許ないから、奈緒子さんが、私の感覚を否定しないで聞いてくれることが有り難かった。
この日覚えた、ちょっとした違和感については、この少し後にベルリンで活動する演出家と話す機会があったのだが、そこでも話題となったので、次回の日記に書くことになると思う。
3/24(日)
富松さんと二人でTheaterhaus Mitteで稽古。私は「空」をテーマに富松さんとちょっとしたワークショップをした。
ベルリンの合気道
3/25(月)
朗読会で通訳をしてくれた昌世さん、田中奈緒子さんと、クロイツベルク地区の運河沿いのイタリア料理屋でピザを食べた。運河には白鳥がたくさんいる。すっかり春の陽気で、日差しが眩しい。
3/26(火)
Theaterhaus Mitteで、富松さん、手塚さん、多田さんと稽古。手塚夏子さんの提案する身体表現の「実験」は、時に参加者の内面に深くコミットすることがある。必然的に私よりも年若いダンサーの面々が、自分の悩みや過去の傷ついた経験などを、稽古の中で、あるいは終了後に打ち明けてくれるようになった。私は物書きの性分で、他人の内面には人一倍興味があるが、もとよりちゃらんぽらんな性格なので、人の悩みや苦しみをケアするような深い懐を持ち合わせていない。だが悩みというのは、一度聞いたら後戻りできないというか、なんとなく聞いた分だけ責任が生じてしまう気がする。
以前から、演劇を作る際によく抱いていた疑問なのだが、メンバーはプロジェクトのために集まった同士であって、友人とは別だ。親しくもない相手に個人の悩みをオープンにすることは日常生活ではあり得ないから、創作の材料にそのプロセスを使うと、不自然に近しい関係性ができあがる。関係性が歪だと分かった上で、それを作品に昇華させることができるのか。
4月の発表が終わった後は自分の作品を創りたいから、手塚夏子さんを中心としたこのダンスのプロジェクトにずっと参加し続けることはできない。最後までケアできないと分かっていながら、年下の女性たちの悩みを親切げな顔で聞き続けるのが良いことなのか、ずっと心に引っ掛かりながら稽古に参加していた。
話が横道に逸れるが、手塚さんが、参加メンバーの一人に「ヒプノセラピー(催眠療法)」のプロの友人を紹介したという。聞きつけた私、好奇心が爆発して「ぜひ私も受けたい」と立候補。数日後に日本とのSkype通話でセラピーを受けることになった。
3/27(水)
朝、クロイツベルクの合気道道場に行く。昌世さんのパートナーのオメルが、ベルリンで合気道を教えているというので、「ぜひ習いたい」とまた立候補。合気道には以前から興味があったのだが、今まできっかけがなくて習えなかった。
教えられた住所を目指して行くと、大通り沿いの普通のアパートの門に「Kokugikan」という看板が掲げられている。こんな所に「国技館」が? 階段を登り、扉を開くとそこは広い日本風の道場で、合気道の創始者・植芝盛平氏の写真が壁に飾られており、ちゃんと神棚まであった。
初めて習った合気道だがこれが楽しい。「合気道は『無理をしない』ことが大切」とオメルさんが言う。無理やり力をかけるのではなく、相手の力を利用して動くものなのだそうだ。特にベルリンだから顕著なのだと思うが、女性も男性も変わりなく相対して、技を掛け合えるのが良い。道場には清らかな緊張感があって、定期的に通えば健康に良さそうだ。
午後は、Theaterhaus Mitteでのリハーサルにまた参加した。
3/28(木)
HAU劇場でMia Warlopという振付家のダンスを見る。三人の若いダンサーが、一時間弱の上演時間中ひたすら回転しつづけるハードな演目。回りながらエレキギターやドラムなどの楽器を演奏したり、歌ったりする。全員ダンサーなのに楽器の演奏が上手だった。トルコのセマーという延々と回転する舞踊があって、その技術を使っているらしい。終演後、ギリシャ料理屋で久しぶりに白身の魚を食べて満足。
3/29(金)
Skypeで、手塚夏子さんの知人の方からヒプノセラピー(催眠療法)を受ける。人一倍、暗示にかかりやすいので、セラピストの女性の言う通りに頭がぼんやりしたり、彼女が送る「気」を感じたりと忙しかった。多分、大変に技術のあるセラピストなのだろう。しまいには「前世」まで見られた。私の前世は坊さんだったり、あるいは男に斬られて殺された、数百年前の日本女性だったりするらしい。こう書くとお笑いのようだが、彼女のあまりのストーリーテリングの腕に乗せられ、泣かされたり驚愕させられたり、これまた忙しかった。しかも施術料は「海外にいる方からは取らない。そのうちどこかで会えたらで良い」と古の武士のようなことを言う。すごい人がいるもんだ。充実した2時間であった。
3/30(土)
ミッテの「クンストヴェルケ現代美術センター」で展覧会を見る。David WojnarowiczとReza Abdohという二人のアーティストの特集であったのだが、どちらも量・質ともに素晴らしかった。David Wojnarowiczのほうは写真やヴィデオアートの作家。Reza Abdohはイラン出身の舞台演出家である。このReza Abdoh、全然知らなかったのだが、1980-90年代のニューヨークで活躍して95年に亡くなっている、いわゆるクイア・アーティストで、最近ようやくヨーロッパで紹介され出したらしい。過激でパワフルな舞台映像を、夥しい数見ることができた。ベッドに寝転がって、天井の映像を見られるコーナーもあった。こんな人が今まで知られていなかったことのほうが逆に驚きだ。
夜、奈緒子さんの友人のドイツ人女性と、ミッテ地区のパーティーへ。近隣の人々の恒例の交流会のようなパーティーで、アパートの一室がお化け屋敷になっていたり、くじ引きで飲み物が貰えたりと、様々な趣向が凝らされていた。途中、燃え盛る松明でジャグリングショーをする人まで現れて驚いた。深夜にミッテのほうにある巨大なクラブにも遊びに行った。
3/31(日)
クリストフが日本語でエッセイを書く仕事を請け負ったそうで、手こずっているというので、手伝いに行った。彼が書きたいことが予想以上に複雑だったので、意見交換しながら一緒に日本語の文章に落とし込む、という作業をする。思考の言語化や翻訳って、想像以上に多くのプロセスを経て行われている。言語から言語へ、思考から言語へ、の変換は単純な一方通行じゃない。
長丁場になったので、作業の途中で、彼の家の近くのイエメン料理レストランで夕食をご馳走になった。羊肉の煮込みとかセロリのサラダとかメニューがいろいろあって、とても美味しい。帰宅後、新元号が決まったというニュースをネットで見る。「令和」だって。
亡くなった橋本治さんなら、どんなコメントをしただろう。橋本さんが新元号について書いた文章を読みたかったと思うが、もうかなわない。橋本さんは、平成の次の元号を知ることはなく往かれた。私にとっては残念だが、それで良かったのかもしれない。
<編集Tの気になる狩場>
【映画】
ジャン・ユスターシュ特集 ‐映画は人生のように-
第二部:5月18日(土)、19日(日)、6月1日(土)、2日(日)
会場:アンスティチュ・フランセ東京
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1904270519/
ハワード・ホークス監督特集Ⅱ
2019年4月20日(土) ~ 5月24日(金)
http://www.cinemavera.com/
会場:シネマヴェーラ渋谷
*封切作品
5/18(土)公開
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督 http://moviola.jp/nypl/
『マルリナの明日』モーリー・スルヤ監督 https://marlina-film.com/
*公開中
『ドント・ウォーリー』ガス・ヴァン・サント監督 http://www.dontworry-movie.com/
『救いの接吻』『ギターはもう聞こえない』フィリップ・ガレル監督 http://garrel2019.com/
『イメージの本』ジャン=リュック・ゴダール監督 http://jlg.jp/
『ハイ・ライフ』クレール・ドゥニ監督 http://www.transformer.co.jp/m/highlife/
『魂のゆくえ』ポール・シュレイダー監督 http://www.transformer.co.jp/m/tamashii_film/
『ハロウィン』デヴィッド・ゴードン・グリーン監督 https://halloween-movie.jp/
【美術等展示】
国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
2019年2月19日(火)~5月19日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:国立西洋美術館
【書籍】
坂本泰宏・田中純・竹峰義和編『イメージ学の現在: ヴァールブルクから神経系イメージ学へ』(東京大学出版会) http://www.utp.or.jp/book/b437920.html
ジェシー・サンダース『ハウス・ミュージック──その真実の物語』(東海林修・市川恵子訳/ele-king books) http://www.ele-king.net/books/006837/
KAWADEムック『橋本治 橋本治とはなんだったのか?』(河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309979748/