ヴッパタールでピナ・バウシュ初期作品を見る
5/16(木)
ふだんは乾燥しまくりのベルリンだが、珍しく雨がザンザン降っていた。スーパーに買物に出たついでに、駅前で傘を買った。学校に行く。クラスメイトとドイツ語でゲームなんかして楽しいが、相変わらず自分一人だけ全然喋れていない。
5/17(金)
家に田中奈緒子さんが遊びに来た。豚肉とアスパラガスを焼いて夕食を作る。食べ終わった後、近所のバーに飲みに行ってみた。相当歴史ありそうな古い建物をリノベーションしたバーで、中に入ると壁が落書きだらけだったり、窓が段ボールで塞がれていたりと未だ工事中みたいな雰囲気だ。だが店は大繁盛しており、ビールを飲む若い人でいっぱいだった。半年近く住んでいたのに結局全貌が掴めなかったWeddingの界隈だが、家のすぐ近所に、若者が集まるような場所があったのだなあ。
5/18(土)
友人の音楽家の石橋英子さんがヨーロッパツアー中で、5月20日にはベルリンでのライブが決まっていた。そのツアーに合わせて、もう一人、親しい友人である文(あや)さんも会社の休みを取ってヨーロッパ旅行をしており、ベルリンにも来る予定だった。文さんはバレエが好きで、ちょうどベルリンに来る日程の直前にヴッパタールでピナ・バウシュの初期作品の上演があることを教えてくれた。70年代のバレエ作品だが、音楽を担当していたのが、ファスビンダーの映画音楽をいつも手がけていたペーア・ラーベン(Peer Raben)で、初演の際はファスビンダー映画の常連俳優フォルカー・シュペングラー(Volker Spengler)も出演していたらしい。ぜひ見たくなって、じゃあ文さんとヴッパタールで待ち合わせしようと盛り上がった。
早朝にベルリン中央駅から長距離列車に乗って、ヴッパタールにたどり着いたのは昼過ぎ。予約していたホテルのロビーで文さんに会う。今までも日本国内をよく一緒に旅行した文さんと、まさかヴッパタールで落ち合うなんて思わなかった。
さっそくホテルの近くでお昼ご飯を食べることになり、ネットで調べたドイツ料理店に行く。ドイツ名物の「血のソーセージ」のソテーを頼んだら、ドイツ料理店のお約束で、案の定、量が多すぎて食べきれなかった。
ホテルを取ったヴッパタール中央駅から、劇場までは電車で一駅ほど離れている。バスに乗って劇場の近くまで行った。文さんは自称「鉄オタ」で、世界最古のモノレール「ヴッパタール空中鉄道」に乗る計画を立てていた。それもこの小さな街に来た目的の一つだったのに、なんとこの時期、整備中で運行休止だった。文さんと一緒に残念がりながら、川の上に架けられた鉄骨を眺めて歩いた。堤防の壁に大きな象の絵が描かれていた。ブッパタール空中鉄道に乗った、象のタフィーだ。
旅行前に、クリストフに教えてもらったのだが、これは有名な逸話で、1950年にタフィーという名前の3歳の象がサーカスの宣伝のために空中鉄道に乗せられた。タフィーは明らかにモノレールを怖がっており、なんと電車の窓を突き破って脱出を図った。あわや墜落死するかと思いきや、そのまま川に落ちて、命に別状はなかったという。象のタフィーはブッパタールのアイコンとなっているようで、駅のホームにも絵があったし、絵本も売られているし、街中にはタフィーの像があった。
空中鉄道に乗れなかった代わりに、私たちはタフィーの絵や像の写真を撮った。
まだダンス公演までだいぶ時間があるので、駅前のカフェでお茶をしてから、ネットで見たビールの醸造所まで行って、ヴッパタールの地ビールを飲んだ。ビールは美味しいしテラスの周りには花が咲いているし、寒くないし(!)初夏のドイツは天国みたいだ。冬は4時頃になるともう真っ暗だったのに、この季節はいつまでも日が暮れない。
19時ごろ、公演会場のTanztheater Wuppertalに行く。中央駅や旧市街の周りが多少賑わっている以外、ヴッパタールはそれほど大きくない地方都市という雰囲気だったのだが、劇場に一歩足を踏み入れると華やかにお洒落した人たちが集まっていた。たぶん、私たちのように、ピナ・バウシュの作品を観に他の都市から訪れる人が大勢いるのだろう。2009年にピナ・バウシュが亡くなった後も、ここでは彼女の作品が上演され続けている。この日の演目は、「Er nimmt sie an der Hand und führt sie in das Schloß, die anderen folgen」というタイトルで、初演は1978年。直訳すると「彼は彼女の手を取って城へと導き、他の者たちも従う」という意味か。売り切れギリギリに券を取ったので、端のほうの席だったが、とにかく座って開演を待った。
結論から言うと、本当に素晴らしかった! 私はまだピナ・バウシュが存命の、たぶん2002、3年頃に新宿文化会館で来日公演を見たことがあったけれど、ずいぶん昔のことだから記憶があやふやだ。なんとなくその頃の日本の人は、ピナのダンスをソフィスティケートされた美しい芸術と信じ込んでいる節があって、私の記憶でもそんな清潔な方向に変形されてしまったと思う。でも、この演目は初期作品というのもあって、メチャクチャだった。パンクだった。
舞台の最も前方のあたりがビニールで養生されており、そこに3時間の上演中ずっとホースで水が流されている。だからノイズのような水音がずっと聞こえる。舞台美術はパーティーの終わった豪華な私室という赴きで、古い家具や小物が乱雑に散らかっている。ダンサーたちはベッドや椅子などの家具を使って、ほとんど激しくぶつかり合うようにして踊る。頻繁に替わる衣装がどれも優美で美しい。ファスビンダー映画を否応にも想起させる、ペーア・ラーベンの歪んだ美しい音楽は、ダンスの途中で、まるでラジオのチャンネルを変えるように気軽に全く違うものに移り変わる。ダンサーは曲に合わせて瞬時に替わる過酷な振付を、目を疑うような超絶技巧で乗り切る。ヒールを履いたまま踊る女性もいる。前方の水たまりにスーツのまま飛び込み、水浸しになる男性もいる。男女はしばしば抱き合うが、必ず一方が一方を支えるという不均衡な状態が生み出される。女性たちの体は男性たちに抱え上げられるが、そのたびにソファやアップライトピアノの上などに、驚くべきバランスで置き去りにされ、崩れ落ちる。
超絶技巧の7、8名のダンサーたちの美しい動きに見蕩れながら、きっと初演時の1978年にはもっと荒っぽい仕上がりだったに違いないと想像した。ファスビンダー映画の常連であったVolker Spenglerは俳優だし、こんな難しい振付が踊れるとは思えなかった。もっとわけ分からない、未整理なエネルギーが爆発するような若々しい作品だったろう。1978年はフォルカー・シュペングラーが主演したファスビンダーの映画『13回目の新月のある年に』が公開された年でもある。この激しいダンス作品に出て、さらにあのスーパー・パワフルな恐るべき映画の主演をするだなんて、なんというエネルギーだろう。
とかく、現在の私たちは、芸術作品をダンス、映画、演劇といったジャンル毎に分けて考えがちだ。私の知人の演劇関係者でも映画や音楽に詳しい人はごく少数の印象だ。限られた人生、何にでも手を出せる時間はないし、それで物足りる人も多いだろうけど、やっぱり本当に面白いものってジャンルの垣根を壊すところから生まれるのかもしれない。演劇からそのキャリアを始めたファスビンダーは、劇団の俳優たちとの関係性をベースに物凄い量の映画を創り出した。ピナ・バウシュがダンサーではない人々とも恊働して発明した演劇的要素を加味したダンスは、やがて「Tanztheater(タンツテアター)」と名付けられて新しい一つのジャンルとなり、現代舞踊の歴史を変えた。
途中休憩に入る前、舞台上に横並びに臙脂色の劇場の椅子が設えられたシーンがあった。ダンサーたちはその椅子に座り、ときどき横に一つずつ席を移動するが、真ん中あたりに必ず一つ二つの空席が生じる。
横並びの出演者たちの姿が、なぜだか、私が今まで日本で一緒に舞台をやった俳優たちにダブって見えた。特にファスビンダーの演劇を一緒に上演した人たち。その芝居の出演者の中にはすでに亡くなった人もいるのだが、空いた誰もいない席にはその人たちが座っているようで、無性に泣けてきた。人前に立つことへの覚悟という点では、世界的に有名なヴッパタール舞踊団のメンバーたちも、日本の俳優たちも変わらない。どういう演出意図だったのか知らないが、世界中の舞台人があの臙脂色の椅子に思いを共有して座って、どこか別の時空間で上演されている、もう一つの舞台を見つめているような感覚に陥った。
5/19(日)
ベルリンに帰る電車は夜に取っていたので、丸一日、観光する時間があった。文さんと話し合って、モノレールに乗れなかった代わりに、ヴッパタール動物園で象を見ることにした。
ヴッパタール動物園は、私たちの期待を軽く超えてくる超ハイクオリティの動物園だった。そもそも、動物園にクオリティの違いがあるなどと考えたこともなかったのだが、まず、めちゃくちゃに敷地が広くて、もちろん大自然には敵わないが、ある程度、動物たちの居住空間が確保されている。
入場券を買って敷地内に入るや否や、オランウータンに出くわしたのだが、何かがおかしい。暑いのか、茶色いムシロのような物を肩からかけて、円らな瞳でこちらを見つめてくるから、まるで服を着ている人間と相対しているみたいだ。他のオランウータンは、プラスチックのボトルを片手に持って、水を汲みに行く人みたいな風情で歩いていた。隣のスペースにはゴリラがいたが、彼らは藁を座布団のように持ち運び、座るときにお尻の下に敷いていた。日本の小さな動物園の檻に閉じ込められて大人しくしている所しか見たことがなかったが、類人猿って思った以上に人間に近いのだ。というか、オランウータンの所作を見ていると、まず自分たち人間が彼らを檻に入れていることが恥ずかしくなり、さらに彼らの円らな瞳にじっと見つめられると、「我々は、すべて分かった上で、彼らに許されているのではないか」という妙な妄想が湧いてくるのを止められなくなった。さすが森の哲学者と言われるだけのことはある。
長い長い坂道を行ったり来たりして、マントヒヒやトラやシロクマやインコやフクロウを見た。お目当ての象も見られた。一匹の小象はヴッパタールのアイコンにちなんで、タフィーと名付けられていた。ライオンの棲家は広大な草原の斜面になっていて、初めは遠くからしか姿を見ることができなかったが、上り坂の途中に掘られた洞窟の中に入ると、ガラス張りの天井を透かして、メスライオンが腹這いになっているのが見えてから仰天した。子ども達が天井を指差して歓声を上げている。ガラスに腹這いになった猫を下から見上げたことはあったが、まさかライオンのお腹を下から見上げることができるとは。
ペンギンの檻には、天井から氷が降ってくる仕掛けがあり、それだけでも見ていて楽しかったが、階段を下りた地下の通路からは水槽の中が観察できるようになっており、ペンギンたちが頭の上を物凄いスピードで群れになって泳いで行く所が見られた。氷の上ではじっとしてほとんど動かないのに、水中ではジェット機みたいに速い。そのギャップに心奪われた。
動物園を出てからホテルに荷物を取りに行った。夕方ごろの長距離列車に乗って4、5時間ぐらいでベルリンに到着。文さんは、私のアパートの近くにホテルを取っていたので、送り届けてから深夜にようやく帰宅した。
アパート詐欺に遭いかける
5/20(月)
文さんをアパートに招いて、一緒に朝食を食べた。こちらのスーパーでよく売っている鯖の燻製をフライパンで焼いて、味噌汁を作り、日本の定食風にして出した。ここに大豆でできたヨーグルト「ソヤグルト」も付ければ完璧である。私は、こちらの食事が合わなくて、いつもお腹を壊したり皮膚に湿疹を作ったりしていたのだが、大豆ヨーグルトを冷蔵庫に常備し始めてから、劇的に改善した。どうやら全部、腸内環境に原因があったらしい。REWEというスーパーで売っているソヤグルトは、豆腐に似た食感で、口に入れた瞬間に、腸が「これだ!」と歓喜の叫びをあげるようだ。豆腐よりも、台湾のお菓子の「豆花」から甘さを抜いた味といったほうが近いかもしれない。ソヤグルトには命を助けられている。私の深いソヤグルト愛に関しては、また追って書いていきたい。
文さんの旅の衣服を洗濯してから、「ベルリンぶらり旅」に出かけた。私と文さんは、日本でもことあるごとに「ぶらり旅」を行ってきたので、ついに私たちのぶらりも海を越えたかと思うと、感激もひとしおだ。
まずは、U-BahnでBernauerstraßeまで行って、マウアーパークの近くの雑貨屋で東ドイツ時代の雑貨を見た。文さんは大きな皿を買おうか迷っていたが、まだこの先もデンマークに行ったりするなど、旅程が込んでいるので諦めた様子。アイスクリームを食べたり、洋服屋を覗いたりしながら、街を見て回る。
夕方ごろに、石橋英子さんのライブがあるノイケルンに移動するが、ベルリンでは珍しく大雨に見舞われた。近くのイエメン料理のレストランに行ったり、ビオワインが飲めるバーに寄ったりして開演時間を待つ。
ライブの会場Arkaodaは、友人のクリストフの家のちょうど目の前にあるのだが、良いライブをよくやっている場所らしい。ワインでひどく酔ったまま、地下の会場に下りて行ってライブを見た。その日は、石橋英子さんと音楽家Joe Taliaとの、パソコンを使ったデュオのライブだった。15年ぐらい前に出会って以来、石橋さんのライブをたくさん見てきたけれど、パソコンをメインに使った演奏を見るのは初めてだったかもしれない。最初に出た一音からどんどん予想もつかない方向に音楽が発展して行って、気がついたら聞いたこともない新しい音が鳴っている印象だった。「令和時代」だとか「AI」だとか「VR」なんていう、新しげなイメージを持つ言葉が皆んな、ちゃんちゃらおかしく思えた。本当に新しい物を生み出すのは、生きた人間による本当に新しい発想と、緻密な手作業なのだと思った。
ライブ会場には、友人知人がたくさん来ていた。クリストフやマヤや奈緒子さんなどのベルリンの友人と、文さんや石橋さんやドイツ映画研究者の渋谷哲也先生といった東京の友人が一同に会しているのは不思議な感じだった。約一年ぶりに会えた石橋さんと何を話していいかよく分からなくて挙動不審になってしまったけれど、石橋さんは数ヶ月後にもベルリンでライブがあるらしく、また会えるようだった。今回は、大変な過密スケジュールのヨーロッパツアーだったから、次回はもっとゆっくり来たいとのことだった。
5/21(火)
朝、文さんをベルリン中央駅に送って行く。
ドイツ語学校の宿題をして、夜は学校に行く。帰ってきたら、知らないアドレスからメールが一通届いていた。ずっと前にインターネットのアパート情報サイトで見た、ワンルームアパートの持ち主からで、良い場所にあるアパートを手頃な家賃で貸せるから、すぐに連絡を取りたいと言う。「自分はギリシャに住んでいて、ベルリンで大学に行く娘のためにアパートを買ったのだが、彼女が大学を卒業して仕事に就き、必要なくなったので貸したい」等々、細かに事情が書かれていた。ちょっと前に、クロイツベルクのシェアアパートを借りる約束をすでにしていたが、一人暮らしの部屋が借りられるならそのほうがいい。「一度見たい」と返事を出した。
5/22(水)
合気道に行く。
昨日のアパートの貸し主からメールの返事が来ていた。すぐに会いたいと言う。
「私はギリシャから飛行機のチケットを買ってベルリンに来るので、あなたが本当にアパートを借りる気があるのか確かめたい。Western Unionという海外送金サービスを使って、あなたの日本の家族からあなた宛にデポジット料金を振り込んでもらえないか。その領収書の写真を撮って送ってくれたら、私はベルリン行きのチケットを買う」と言う。ものすごくキナ臭いオファーだと思ったけれど、私の日本の家族から私宛にお金を振り込んでもらうだけなら、そこからお金を盗みようがない。振込ぐらい良いんじゃないのと軽く考えた。
シェア生活はなんだかんだ気兼ねがあるから、一人暮らしのアパートを長期契約できるならばそれに越したことはない。私は来年に一度日本に帰らなきゃいけないけれど、その時は友達に部屋を使ってもらえば良いんじゃないか。大学院生の明日香さんに、メールして「一人暮らしの部屋が借りられるかもしれない。私がいない間に使ってもらうことはできる? でも振込をしろとか言われている」等々、事情を説明したら「確かにその場所にアパートを持てたら素敵だし、私も助かりますが、怪しいですね。ちょっと調べてみます」と言ってくれた。
5/23(木)
起きたら、明日香さんから連絡が入っていた。「まったく同じ手口の詐欺を紹介している、日本語のウェブサイトを発見しました!」とのこと。リンク先の記事を見たら、ギリシャ、娘のアパート、Western Unionなどなどのキーワードが全て同じである。記事を書いてくれた人、ありがとう。そして賢い明日香様、本当にありがとう。どういう手口でお金を取ろうとしたのかは結局分からなかったけれど、不要な好奇心もあって本気で会いに行こうとしていたので、危なかった。この詐欺の事件で、どっと疲れた。
そして一番マズいことには、借りる約束をしていたシェアアパートの貸し主のタニアに「他が見つかったかもしれないので約束を保留にしてほしい」と、メールしてしまっていたのだ。慌ててタニアに、「やはりあなたの家を借りたい」と連絡したが、「私は仕事で疲れている。今、ザルツブルクにいて、今週末にベルリンに帰るので、帰ったらあなたに一度会ってアパート契約の話を進めようと思っていたが、その余裕があるかどうか分からない。また連絡する」と、すげない返事が来た。
5/24(金)
ドイツ連合共和国憲法が制定されてから70周年めの日だそうだ。
人気子ども番組「Die Seite mit der Maus(だいすき!マウス)」で、憲法制定記念特集が組まれているのを目撃した。番組レギュラーのナレーターのお姉さんが、「Grundgesetz(憲法)は、一人一人を守ってくれる大切な防御シェルターなんだよ」と番組を見ている子どもたちに教えたり、「Grundgesetz(憲法)ガール」が、人々の人権を守るために、横暴な権力者や差別と戦う、小さなドラマが挿入されたりする。日ごろTwitterで日本のひどいニュースばかり見ているから、感動して涙まで流してしまった。ドイツの子どもが羨ましい。こういうことをちゃんと教えてもらいながら育ったら、どんなに安心して暮らせるか。日本の子ども番組でもこういうのやろうよ……。
Volkusbuhne劇場で、スイスの作家Katja Brunnerの「Die Hand ist ein einsamer Jäger」という演劇を見た。「その手は孤独なスナイパー」とでも訳したらいいのだろうか。何も前知識なしに行ったのに、感動した。
舞台上には男女混合の俳優が5人。可愛らしいスポーツウェアに身を包んで、「ジェンダーギャップには反吐が出る!」と叫んで口の中でぐちゃぐちゃに噛み砕いたハンバーガーを客席に吐き出したりする。ホットパンツの中に手を突っ込んで、朗々と詩を諳んじながら手淫の真似事をする女優もいる。男性の俳優もバカでかい体で可愛らしいドレスを着こなして、歌ったり踊ったりする。出演者全員で合唱もするが、異様に歌が上手い。みんなVolkusbuhneの専属俳優なんだろうか。恐るべし。
最後は、女優の一人が赤ん坊になり、別の女優の股から、血まみれ&ローションまみれで出産される、というシーンが演じられる。ものすごい迫力に驚嘆した。相変わらずドイツ語の台詞はよく分からないのだが、素晴らしくキュートでグロテスクで大胆不敵なフェミニズム演劇だった。これ、ぜひ日本の人たちに見てもらって感想を聞きたいと思った(どこかで紹介できないか、模索してみようと思っている)。こういうものが、日本でも普通に上演されるようになったら、どれだけ風通しが良くなることだろうか。
5/25(土)
ソフィエンゼーレでやっているダンスでも見ようと夕方にMitteに出かけて行ったけれど、チケットは売り切れとのこと。いかんともし難い気持ちになって、今住んでいるWeddingのアパートまでずっと歩いて帰った。
クロイツベルクのシェアアパートのタニアから、相変わらず連絡はないけれど、本当にあの家に住めるんだろうか。住めなかったら、私はどこに行ったらいいんだろう。悩みながら通りを北上し、団地の間の遊歩道を歩いた。寂しい通りで、店もなければ人もいない。心細くて気が滅入ってきたが、そのままどんどん歩き続けたら、不意に景色がワイドスクリーンになった。SバーンのGesundbrunnen駅の上に掛かっている、巨大な陸橋の所まで来たのだ。もう時間は20時近いというのに、少し赤みを帯びただけのまだ明るい空が頭上で無限に開けていた。さっきまでごちゃごちゃ悩んでいたのに、景色が変わったぐらいですぐ気分が変わってしまう自分の心の移ろいやすさに驚いたし、ベルリンに来て良かったと久しぶりに思った。そのぐらい雄大で迫力のある景色で、心を奪われた。
でも直後になぜか急に腹痛を起こして、アパートまで走って帰ってトイレに駆け込んだ。疲れているのかもしれない。
5/26(日)
昼頃、急にタニアから連絡が来て、今から会えるからクロイツベルクの家まで来いと言う。エレナとお茶をする約束を遅らせてもらい、急いで駆けつけると、アパートにはすでに部屋の内見に来ている人が二、三人いた。もう私が借りることになっているんじゃないのか?
タニアに聞くと、貸せる部屋が二つあって、時期によって人が入れ替わったりするので複数人面接に来ているとのことだった。数週間前にタニアの友達、アンドレアスに部屋を見せてもらった時の会話の流れで、「もう部屋は貸してもらえることに決まった」と思い込んでいたから、もう一つの部屋の住人、私のシェアルームのパートナーがまだ決まっていないんだなと勝手に納得した。
用意してあった、住民登録の申請用の書類をタニアに記入してもらった。住民登録には大家の許可が必要だが、それはこれから取ると言う。それでも、書類を書いてもらったことに安心してしまい、「賃貸契約は今するか?」と聞かれたときに「(今すぐじゃなくて)大丈夫」と答えてしまった。これがまたマズかった。二週間後に判明するのだが、結局この部屋には住めなかったのである。「契約を結ばないままで連絡もないから、もう部屋は不要なのだろう」とタニアが独り合点し、他の人に部屋を貸してしまったのだ。
後で聞いたら、「まだ賃貸契約も結んでいないのに、なぜあの日本人は住民登録の書類だけ書いてほしいと言ってたんだろう」と疑問に思ったという。彼女も相当天然な性格の人だったと思うのだが、私も彼女も両方英語が上手くないし、つまりは全くコミュニケーションが取れていなかったのだ。間に一人、アンドレアスという男性を挟んでいたのも良くなかった。ベルリンにいないタニアの仲介をするはずの彼だったが、連絡をスムーズに伝えてくれているようには思えなかった。
そんな顛末になるとは知らず、私は上機嫌でアパートを出て、お茶の約束をしていたエレナとGleisdreieckという大きな公園に行き、散歩をしたりアイスクリームを食べたりしていた。「部屋が決まったよ」なんて言いながら。一ヶ月後には宿無しになるとは知らずに哀れである。(でも、もしこのタニアの家を契約していたら。けっきょく夏以降はタニア自身がこのアパートに住むことになったらしいから、毎日がディスコミュニケーションで、相当大変だったかもしれない。)
夜は、Jungfernheideという町のだだっ広い倉庫で、現代音楽のコンサートを見た。先日石橋英子さんのライブで少し話をしたKonrad Sprengerという音楽家とEllen Fullmanのコラボレーションのライブだ。倉庫の中心に70メートルもあるという弦が何本も張られているからどう使うのかと思ったら、Ellen Fullmaが弦と弦との間を歩きながら、弦を指で触って演奏し始めたから、たまげてしまった。会場は超満員で、冷たい倉庫の床に座って見ることになったが本当に素晴らしいライブだった。
OKキューピッドで会った人/ベルリンの街角で踊る
5/27(月)
ようやく家が決まったと信じ切って、ホッと一安心していた。夜、田中奈緒子さんとプレンツラウアーベルクの中華料理屋に餃子を食べに行った後、近くのバーで少し飲んだ。
5/28(火)
じつはここの所、OKキューピッドという出会い系サイトで知り合ったドイツ人とよく会っていた。こちらで仲良くなった日本人の女性で、現在の彼氏とこのサイトで出会った人がいた。彼女いわく、「10人と会って彼に決めたけど、他の人も全員イケメンだった」そうで、アカウントを作るように強く勧められたので、興味本位で登録してみたのである。結果、大勢の知らない男性からメールがバンバン来るようになって、正直引いた。アプリ経由で知らない男性に会う勇気なんて私にはなかった。だが、せっかく登録したのに、このまま誰にも会わずに終えるのも悔しく、不甲斐なかった。そこへ一人の男性が「自分も本を書いている」とメッセージをくれた。ナボコフとボルヘスと太宰治が好きだとプロフィールに書いてあったし、ドイツ語も教えてくれると言うので、この人なら会話ができそうだと思い、会ってみることにした。
小説の本も出していて、ジャーナリストで編集の仕事もしている、間違いなくインテリの男性で、非常に親切だったのである。週一回ぐらいお茶をしたり、ご飯を食べたりしていたし、私の勉強のために少しドイツ語で会話してくれたり、私がヘタな英語で書いた書類を修正してくれたりした。二ヶ月ぐらいそんな感じで会っていたが、ビビリの私は、完全に信頼できる所まで後一歩、と思っていた。彼は猫を飼っていて、猫を見せてもらいに家にも行ったが、なんとなくリラックスしなくてすぐに帰ってきたりしていた。
この日、私のドイツ語学校が終わった後に食事しようと急に言われた。向こうから誘ってきたのに、会ったら彼は微かに苛々しているような様子だった。英語で話している途中、相手の声がよく聞き取れず、何と言ったのか聞き返したら、「学校はどうだったのかと聞いたんだ!」と急にものすごい剣幕で怒鳴りつけられた。「もう五回ぐらい同じことを言っているのになぜ分からない!」。私の英語力がお粗末なのは今に始まったことではないのに、なぜ急に怒るのか。動揺したが、とりあえず平静を保ち、その後インドカレー屋で食事もしたが、また同じことが起こった。その彼はそもそも寡黙で、小さな声で喋る人なのだが、急にぼそっと何か質問されたので聞き返したら「今週末は何をするのかと聞いただけだ! なぜ同じことを何度も言わせるんだ!」とまた怒鳴られた。「あなたの声は小さいし、私は英語も得意じゃないし」と言うと、「語学のせいじゃない、私の話を集中して聞いていないだろう!」と両腕を振り回し、頬を紅潮させて激昂する。文章にするとコントみたいだが、目の前で、体の大きい人が、大声を出しながら腕を振り回しているのは、なかなか怖い。殴られるかと一瞬思った。
「あなたがなぜ怒っているのか全然わからない。本気で怖いので帰っても良いか」と尋ねると、良いと言う。「今帰ったら多分もう二度と会いたくないけど本当に良いのか」と聞くと「好きにしろ。これ以上こんな話はしたくない」とのこと。相手の頑さに半分呆れながら、「分かってあげられなくてすみません」と言って、逃げるように帰った。
心開きかけていた所に脅かされたのでひどくショックだった。なぜ彼があれほど激怒していたのか今もって全然分からない。普段寡黙な人だったからギャップに驚いたけれど、あれぐらいの感情表現はこの国では普通なのだろうか。それともビビリの私が、思ったようなペースで靡かないから苛立ったのだろうか。その一週間前にバーで少しワインを飲んだときに、会話の流れで手を触られたのだけど、冗談みたいにして、かわしてしまっていた。私は、男女関係においては、石橋がぶっ壊れるまで叩いて結局渡らないほどのビビリなので、そもそもアプリで出会うとか無理なのだ。じゃあやめとけよという話もあるが、なんとなく簡単にこなせそうに見えるのがネットの恐さである。
大学で英文科を出たくせに英語がものすごくヘタなのはコンプレックスなので、そこがキッカケになったのも悲しかった。しかしながら、相手のほうも日本に長く住んだ経験があり、日本語がかなりできるので、英語で話して伝わらなければ、日本語で喋る選択肢があったのだ。やっぱり、何を怒っていたのか全然分からない。単に虫の居所が悪かったのか。
とにかく、怒鳴られたのがとにかく怖くて、アパートに帰り着いてからもぼうっとしていた。去年の秋の、語学学校教師の経験もあるし、しばらくは町ゆくドイツ人男性まで全員苦手に思えるほどショックだった。
5/29(水)
合気道に行く。午後、例のOKキューピッドで彼氏を作った友人と、ベルリンの中心部にある巨大な森・ティーアガルテンを散歩することになった。事の顛末を話して、アプリを使いこなすのは大変じゃなかったかと聞いたら、「もちろん大変だった。ほぼフルタイムの仕事でした」と即答。10人の中から選ばれた現在の彼は、ドイツ語講師もやっている人で、結果的に友人は短期間にドイツ語も堪能になってしまった。彼女の勇気と実行力を讃えざるを得ない。私は全然だめだ。
ティーアガルテンの中のCafe am Neuen Seeでコーヒーを飲んだ。落ち込む心とは裏腹に森の景色がこの上なく美しい。湖水が神秘的な青緑色に煌めいている。カフェを出ようとしたら、偶然、助成をくれたロバート・ボッシュ財団の担当者のユリアンさんに会うことができた。
5/30(木)
マヤが誕生日だったので、Moritzplatzで会ってプレゼントを渡す。マヤは近くの「Ora」というレストランで働いているのだが、少し店員割引のディスカウントをしてもらって、二人でカクテルを飲みながら軽く食事をした。苺のベリーニ。野菜のラディッシュを使った珍しいカクテル。初夏が旬の白いアスパラガスとパン。
5/31(金)
昼頃、ノイケルンの劇場に、ダンサーのカセキユウコさんのパフォーマンスを見に行ったら、開演前に会場の中庭で、別の友人のTeo Vladが10人ぐらいのダンサーと共にいた。これはPerforming Arts Festival Berlinというフェスの一環で、Teoの主催するコレクティブ・グループ「amalgam SoloFest」のメンバーがベルリンの街の至る所に、数日間に渡って出没し、踊るというパフォーマンスなのだった。Teoに挨拶すると「ハロー」とハグされて、「興味があったら参加しないか」と言う。「劇場でカセキユウコさんのダンスを見る予定なので、その後で考える」と言ったら、「ウェブサイトに私たちの今日の行き先が書かれているので、それを見て、好きな時間に来たら良い」と言われた。
やがて中庭で踊りが始まり、それぞれのダンサーが金色に輝くアルミホイルのような紙を持って振り回しながら走ったり、一カ所に佇んだりしていた。日本の「舞踏」にも関心があるリーダーのTeoが、目に力を込めて見開き、アスファルトの上で微かに震えながらダンスしているのを見て、心動かされた。
カセキユウコさんの出演した「Queens」というダンスを見終わった後に、Teoたちの予定をネットで調べると、次はアレクサンダー広場の近くの劇場の前で踊るという。電車を乗り継いで行って待っていたら、テオと10人余りのダンサーがやって来て早速踊り出した。
金色の大きなシートは、ドイツの薬局で売っているもので、事故に遭った人などを包んで温める救護用グッズなのだと前に聞いたけれど、確かな話か知らない。一枚渡されたので、手に持って高く掲げると、風に吹かれてカサカサと音を立てた。踊りというほどのものではないけれど、その音に合わせて体を揺らしたり、回転したり、少し歩いたり、勢いづいて走ったりすると気持ちよかった。通行人が集まって来て見ている。
10分ぐらいのパフォーマンスを終えた後、他のダンサーと連れ立って、次のパフォーマンス場所まで歩いた。ダンサーは男性も女性もトランスもいて年齢もバラバラだ。スケボーで移動する子もいた。
アレクサンダー広場付近の大きな街道沿いの廃墟ビルの横、小さな劇場の前でテオたちが立ち止まった。今度はここで踊るようだったが、道路に一人の男性が寝転がっている。倒れているのかと近づいたが、彼の横には「食べ物か水をくれ」と書かかれた紙が置かれてあるので、自らの意思で横たわっているのだと分かった。テオは大胆にも、彼のすぐ近くに同じ格好で寝転がった。それを合図に、私も他のダンサーも踊りを始めた。気配に気づき、男性は起き上がって辺りを見回した。どうやら機嫌を損ねたようだ。「あっちに行け」と喚いているようだが、テオは気にせず踊っている。私たちも金色の紙を手に、互いにコンタクトを取りながら踊りを続けた。そのうち男性は怒る気が失せたようで、しばらく地面に胡座をかいて、私たちのダンスをぼんやり見ていたが、見物人が集まってくるとどこかへ行ってしまった。
道端で踊ることを楽しいと思った。シートがハタハタ風に吹かれる音を聞きながら体を動かしていると、日常生活とは違うベクトルの時間が流れ始める。初めてこの町と真っ当な関係を結べた気がした。
「次の場所はアレクサンダー広場だが、それぞれバナナを手に持って動いてほしい」とテオが言い、バナナを一人ずつに配った。テオ曰く、かつてベルリンで、警察が、何かの事件の折りに、その場にいた外国移民らに対して、バナナを手に持ち「(猿のような、お前たち外国人は)ベルリンから出て行け」と暴言を吐いた出来事があったらしい。「その事件を再現することで、意味を反転させたい」というのが、テオの意図だった。
観光客がぎっしりと集う、アレクサンダー広場の噴水の周りを、バナナを持って走り回った。観光客たちはわけが分からぬままに「バナナだ」と言って私たちの写真を撮っていた。
そのあと、ベルリン大聖堂前に移動をし、芝生の上で風に吹かれながらゆっくりと時間をかけて踊った。次の場所、劇場ソフィエンゼーレに向かう途中で、雨が強く降って来た。雨を避けてハッケシャー・ヘーフェの中庭を通るときに、誰ともなしにハミングで歌が始まり、アーケードの壁に私たちの歌が反響した。ソフィエンゼーレの前庭で雨の中、少し踊った所で、先約があったので、一人、踊りの輪を抜けた。
すごく楽しかったなと思いながら、電車の駅まで走った。Acudというミッテにある劇場で、友人と演劇を見る約束をしていた。Acudはまた、かつてスクワットだったという面白い場所だったが、演劇は普通のスタンダードコメディだった。それも丁寧に作られていて面白かったのだが、さっきまで言葉のないコミュニケーションを町や人と交わしていたその体で、友人と話したり、台詞の多い芝居を見たりしているそのギャップをとても不思議に感じた。
夜中にWeddingまで帰宅する頃に、テオからメールをもらった。「ユウコの存在はPreciousだった。明日も多くの場所でキャラバンをするので空いている時間で興味があれば参加してほしい」。翌日も予定が入っていたけれど、またちょっと顔を出してみようと思った。
<編集Tの気になる狩場>
【映画】
伝説の監督 ヤスミン・アフマド特集
2019年07月20日(土)〜08月23日(金)
http://moviola.jp/yasmin10years/
会場:シアター・イメージフォーラム
マルグリット・デュラス特集
2019年7月25日(木)〜27日(土)(3日間)
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/du/duras.html
会場:アテネ・フランセ文化センター
*封切作品
2019年07月26日公開
『よこがお』深田晃司監督 https://yokogao-movie.jp/
2019年08月02日公開
『世界の涯ての鼓動』ヴィム・ヴェンダース監督 http://kodou-movie.jp/
*公開中
『マーウェン』ロバート・ゼメキス監督 https://www.marwen-movie.jp/
『ワイルドライフ』ポール・ダノ監督 http://wildlife-movie.jp/
『さらば愛しきアウトロー』デヴィッド・ロウリー監督 https://longride.jp/saraba/
『トイ・ストーリー4』ジョシュ・クーリー監督 https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html
『ホットギミック ガールミーツボーイ』山戸結希監督 http://www.hotgimmick-movie.com/
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督 http://moviola.jp/nypl/
【美術等展示】
WALKMAN IN THE PARK
2019年07月01日〜09月01日
https://www.ginzasonypark.jp/program/015/
会場:Ginza Sony Park
モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち
2019年06月18日~2019年09月23日
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019modernwoman.html
会場:国立西洋美術館
伊庭靖子展 まなざしのあわい Yasuko Iba, A Way of Seeing
2019年7月20日(土)~10月9日(水)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_yasukoiba.html
会場:東京都美術館
クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime
2019年06月12日~2019年09月02日
https://boltanski2019.exhibit.jp/
会場:国立新美術館
【書籍】
『文藝 2019年秋季号 特集「韓国・フェミニズム・日本」』(河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309979779/
『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(講談社) http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000311486
ギュスターヴ・フローベール『ブヴァールとペキュシェ』(菅谷憲興訳/作品社) http://www.sakuhinsha.com/nextrelease.html