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2024.08.07

第2回 I’ll Be Your Mirror——トッド・ヘインズ『メイ・ディセンバー ゆれる真実』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回更新の映画時評。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回取り上げるのは7月12日に公開されたトッド・ヘインズ監督最新作『メイ・ディセンバー ゆれる真実』。現実に起きた出来事を題材に、一組の夫婦と一人の女優が織りなす「演じること」をめぐる複雑な物語構造の中で、鏡は、カメラは、編集はいかなる働きを果たしているのでしょうか。

予告編『メイ・ディセンバー ゆれる真実』

 どうしても引っかかる場面が1つあり、少し間を置いてからもう一度劇場に向かった。たぶん印象に残っている人も多いと思う。メアリーが卒業式のドレスを何着か試着する場面のことである。複数の鏡が映されるために突如として空間がゆがんだような印象を受け、注意を引きつけられた。だが、それ以上に気になったのは、同じ場面をその後に鏡面が映らぬよう今度は真横から撮ることで、その空間設計(セノグラフィー)のいわば種明かしをすることである。複雑な構成に見えたが、そのからくりはしごく単純なものでしかなかったわけだ。そして、種明かしをされたところで別にすっきりするわけではないというのが、この画面内モンタージュとそれに続くショットの連関を思わず反芻してしまう所以である。
 それはこの映画全体にもいえることだ。トッド・ヘインズは今作で1960〜70年代のヨーロッパ映画の雰囲気を狙ったと語り、音楽は『恋』(ジョゼフ・ロージー、1970)のミシェル・ルグランから、女性2人の関係は『仮面/ペルソナ』(イングマール・ベルイマン、1966)から、手紙を読む場面は『冬の光』(イングマール・ベルイマン、1961)から着想を得たと随所で明かしているが、そう説明されてもどこか釈然としないものが残る。
 友人の別荘でひと夏を過ごす少年レオは上流階級の中に放り込まれたよそ者だったが(『恋』は映像に対してピアノを闖入させるかのように音楽を使い、レオが異物である印象を強める)、グレイシーの家族や周囲の人々に対してよそ者でしかないエリザベスにはどことなくレオの面影が重ねられているようだ。また、看護師アルマが舞台女優エリーサベットを観察し、徐々に2人の姿が重ねられていくという点においても、自分が彼女を観察していたつもりが観察されていたのは自分の方だと知ってアルマが愕然とするという点においても、エリザベスとグレイシーの関係性は『仮面/ペルソナ』の2人をなぞっている。トッド・ヘインズはそこに恋愛に伏在する支配関係の主題を導入しながら、さらに人生を物語にすることの暴力性を絡めることで、ベルイマン映画からの飛躍に挑んだ。グレイシーが年下の夫や子どもたちを精神的に支配するさまにたびたび焦点が当てられるのはそれゆえであり、他人の人生を利用することに抵抗がなく、自分が優位に立っているつもりのエリザベスもまたグレイシーの手のひらの上で踊らされているにすぎないのかもしれないと示唆される。しかし、こうした作品の仕組みはすぐに理解できるものの、それでこの作品をうまく捉えられたという感触は得られない。
 結局、私はみたび見に行くことになった。

May December. (L to R) Natalie Portman as Elizabeth Berry and Julianne Moore as Gracie Atherton-Yoo in May December. Cr. Francois Duhamel / courtesy of Netflix
©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved.

 『メイ・ディセンバー』は、造形的な面でも作劇的な面でも、「鏡」を主要なモチーフとして用いている。それは見易い、というより一目瞭然である。「演じること」を主題にする以上、自然な流れともいえるし、あまりに安易な選択ともいえる。
 いまは2015年。俳優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)がジョージア州サバンナにやって来るところから物語は始まる。その街ではグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)が子どもたちと幸せに暮らしており、エリザベスは2人のラヴストーリーをもとにした映画でグレイシーを演じることになっている。彼女は役作りのために取材に訪れたのだった。グレイシーとジョーはいまから23年前、1992年に出会い、恋に落ちた。しかし、当時グレイシーは36歳で、ジョーはまだ13歳。ジョーはグレイシーの息子ジョージーの同級生だった。2人はアルバイト先のペットショップで関係を持ち、グレイシーは未成年者との淫行罪で逮捕されるが、獄中でジョーの子を出産した。2人の物語はすぐさまタブロイド紙を賑わせた。エリザベスにとっては当時のゴシップ報道も資料の1つであり、彼女は写真が捉えたグレイシーのポーズを自分でも真似してみせる。
 エリザベスはグレイシーを近くから観察し、その言葉遣いや身振りや人柄をものにしようとする。かつてのグレイシーの振る舞いをなぞるかのように、ジョーを誘惑していく。エリザベスはいわば「鏡」になっていく、ということだ。あるとき、エリザベスはグレイシーが使っているメイク道具一式を聞き出し、化粧の手順を見せてもらう。鏡の前に2人が並び立つなか——いうまでもなく『仮面/ペルソナ』の直接的な引用である——、グレイシーはふと思い立ち、エリザベスに自分のメイクを施していく。「さあ、できた」と、2人が正面を向いた瞬間、エリザベスの姿は以前よりぐっとグレイシーに近づいている。
 終盤に据えられる卒業式の場面では、メアリーの白いドレスに合わせるかのように、グレイシーとエリザベスの2人も白いワンピースに身を包んでいる。エリザベスは前髪を下ろさず額を出すようになっており、そのブルネットの髪もいつしか少しずつ明るくなってグレイシーのブロンドに近づいている。ともに大ぶりのサングラスをかけ、同じピンクの口紅をつけた似たような身なりの2人の女が向かい合う。鏡の前でかりそめの同一化を果たした2人は、最後にこのようなかたちで対面することになる。それもまた、鏡の物語としての必然にちがいない。

May December, Natalie Portman as Elizabeth Berry. Cr. Courtesy of Netflix
©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved.

 「鏡はカメラなのだ」と、監督のトッド・ヘインズは語る(*1)。ナタリー・ポートマンやジュリアン・ムーアが鏡を見つめるとき、2人が見ているのは実際には「カメラ」である、と。撮影監督クリストファー・ブローヴェルトから鏡を画面に入れることを提案されたが、カメラを鏡に見立ててしまえば、撮影で鏡を使う必要もなく、より簡単に速く済ませられると最終的に判断したそうだ。鏡をことさらに用いた複雑な撮影に挑戦しているのははじめに言及した試着のシーンのみである(終盤にジョーが蝶を外に放つのをガラスに反映させる場面を除く)。
 グレイシーとエリザベスがベンチに座っており、2人の前には大きな三面鏡の姿見がある。そこに試着室からメアリーがやって来る。カメラを鏡と見立てられるなら、その逆に、フレーム内にある鏡はカメラとして機能している。たとえばここに三面鏡(3つの鏡)があるということは、3つのカメラで捉えた映像がワンショットの中に同居しているのと同じことである。しかし——最後に横90°からのショットを加えて場面を終えずにはおれないトッド・ヘインズの律儀さがこのあたりにも現れているが——、3つの映像は同時に展開するのではなく、それぞれの鏡が映す出来事はあくまで順番に起こる。メアリーが試着室で着替えているときは、中央の鏡でグレイシーとエリザベスのやりとりが映される。そして、着替え終わったメアリーが試着室から鏡の前まで向かってくるのを画面向かって左側の鏡が捉える。メアリーが鏡の前に来ると中央の鏡が塞がれるため、メアリーのドレスに対するグレイシーの反応は右側の鏡を通して見せられることになる。なお、中央の鏡の奥には小さな鏡が見える。まさしくこのショットを捉えるカメラの位置に相当する場所だろう。鏡はやはり文字通りカメラなのである。
 ワンショットでありながら、複数の映像を次々と編集でつないでいくように、あるいは複数のカメラをスイッチングして切り替えていくように進行していく。しかし、ここに連続性が必要だったのは、たんに技巧のためばかりではないはずだ。メアリーのドレス選びの背後で同時に別のことが起こっている、それを1つの連続した時空間の中で示すためである。グレイシーはここで——ごくさりげないかたちで——メアリーに対しては抑圧を行使し、エリザベスに対しては警告を発する。ドレス選びはあくまで表向きの目的でしかない。この場面はグレイシーがその裏で2人をいかにコントロールしているかを示すものである。それが鏡をフレーム内に入れ、実像と鏡像という二重の層を必要とした理由だろう。
 いま書いたようなことは、情景を真横から捉えるショットが最後に挿入されることではじめてわかるようになる。ところが、その反面、空間の実際が把握できるようになると、この三面鏡のショットに張りつめていた緊張感はすっとほどかれ、観客は肩透かしを食らったような感覚を覚えることになる。
 結局、みたび通して見直しても違和感が解消されることはなかった。ただ、3度目に見たとき、あることに気がついた。この試着の場面には「3」という数が取り憑いているのだ。この場面は店内に並ぶ3つのマネキンのショットから始まり、3つの鏡があり、3人の人物がいて、メアリーは計3着(長袖、袖なし、半袖)のドレスを試着する。こんな(ほとんどどうでもいい)ことに気づくのに3回の鑑賞が必要だった。そんな符合に軽く驚く。

May December. Todd Haynes (Director) on the set of May December. Cr. François Duhamel / Courtesy of Netflix
©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved.


(1)  Cf. « May December. Conversation entre Todd Haynes et Kelly Reichardt, 8 mars 2023 », in Amélie Galli, Judith Revault d’Allonnes (éd.), Todd Haynes. Chimères américaines, de l’incidence éditeur / Centre Pompidou, 2023, p. 359–367; Olivier Lamm, « Interview. Todd Haynes », Libération, 24 janvier 2024.

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』
監督:トッド・ヘインズ(『キャロル』)
脚本:サミー・バーチ
原案:サミー・バーチ、アレックス・メヒャニク
出演:ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトン
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2023年|アメリカ|カラー|アメリカンビスタ|5.1ch|英語|字幕翻訳:松浦美奈
原題:MAY DECEMBER|117分|R15+
©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved.
【公式サイト】https://happinet-phantom.com/maydecember/
【公式X】@maydecember_jp

TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中

バナーイラスト:大本有希子  @ppppiyo (Instagram)