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2025.01.08

第7回 テレビの美学、あるいは編集の不在――アレクサンダー・クルーゲ『ハッピー・ラメント』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回更新の映画時評。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回は2024年末に下高井戸シネマで開催されたアレクサンダー・クルーゲ監督特集より、『ハッピー・ラメント』。1980年代以降、主たる活動の場をテレビにおいていたクルーゲ監督。彼はこの映画で無数のイメージをスクリーンに乱舞させています。ここには何を見出すことができるでしょうか。

 正直にいうと、以前に見たときはいまいち掴みがたいという印象だった。
 映画が始まるや日本語で歌われる《ブルー・ムーン》が流れ出して意表を突かれるのだが、その後に《ブルー・ムーン》はビリー・ホリデイやエルヴィス・プレスリーが歌ういくつものヴァージョンで繰り返され、この曲をさながら通奏低音のようにして「月」のモチーフが導入される。また、若い頃に書いた詩を思い出すハイナー・ミュラーやヘルゲ・シュタイナー扮する宇宙飛行士へのフェイク・インタビューによって月のモチーフが展開される一方で、「サーカス」「象」「電気」など他のモチーフが次から次へと登場し、なにもかもが縦横無尽に結びつけられていく。
 そればかりではない。『ハッピー・ラメント』はフィリピンの映画作家ケヴィン・デ・ラ・クルス(1973年生まれ)との共作であり、作中にはケヴィンの監督作『火花の束の間の生』(2016)が断片的なかたちながらふんだんに引用されている。マニラのスラム街で子どもたちを配下に従え、ギャング団を結成する10代の少年。銀行強盗に失敗して投獄された彼は、20年後、また故郷に戻ってくるが……、といったストーリーを辿ることができるほどに。一体、《ブルー・ムーン》を起点に、「月」と「サーカス」と「マニラのスラム街」にどういう関係が築かれているのか。私は完全に煙に巻かれてしまったのだった。

 

 

『ハッピー・ラメント』 

『ハッピー・ラメント』  Rapid Eye Movies, DIF, © Kairos Film, Rapid Eye Movies

 ところが、今回再見する機会を得てみると、そんなに摩訶不思議な映画でなかった。作中、わりとはじめの方で「未来派映画宣言」が引用されていて、それでピンと来た。「映画は自律した芸術である。(……)現実、写真、優美なもの、荘重なるものから遠ざからなければならない。優美さを捨て、現実を歪め、印象派的で、端的に世界の本質を摑み、躍動的で、自由になった言葉のようになる必要があるのだ」[1]。なるほど、クルーゲは自分の試みの源流の一つに未来派を据えている。そう考えれば、いろいろ腑に落ちるではないか。
 この引用文が記される3分割のスプリット・スクリーンにしても、「異なる時間と場所が映画によって同時化され、混じり合うこと」を目標に設定し、「同じ瞬間の画面に異なるシーンを2つ3つ並べていれる」とした、「未来派映画宣言」を文字通り実現したものに見える。『ハッピー・ラメント』にストップモーション・アニメーションがあるとすれば、それは「オブジェによる劇の映画化」を謳った未来派への応答であり、電飾やネオンサインが頻出するのは未来派が映画を「動く発光掲示板」になぞらえたからだろう。クルーゲ作品の特徴ともいえる独特のタイポグラフィ(フォントやサイズや色を単語ごとに変えたり、文字を縦や斜めに自由に配置したりする)は、考えてみれば、マリネッティが詩集やポスターで駆使した自由なタイポグラフィの末裔そのものだ。
 ことは『ハッピー・ラメント』1作のみではなく、クルーゲ作品全体に関わる。未来派は映画を書物にかわる媒体と認めた点で、いわゆる「エッセー映画」の発明者である。「未来派映画宣言」は次のような断言から始まる——「思考を保存、伝達するための、圧倒的に過去主義的な手段である本は(……)もうだいぶ前から消滅する運命にあった」。アレクサンドル・アストリュックが「カメラ゠万年筆論」を打ち出し、デカルトはいまなら『方法序説』を16ミリカメラを使ってフィルムで書いただろうと論じたのは1948年。エイゼンシュテインが『資本論』の映画化を構想し、「知的映画」なる概念を練り上げはじめたのは1927年。それらに先んじること1916年9月11日、マリネッティをはじめとしたブルーノ・コッラ、エミリオ・セッティメッリ、アルナルド・ジンナ、ジャコモ・バッラ、レモ・キーティの総勢6名は「未来派映画宣言」を起草し、来たるべき映画の理念を世に問うた。そのとき、映画とはまずもって「思考を保存、伝達するための(……)手段」として考えられていた。

 

 

『ハッピー・ラメント』 

『ハッピー・ラメント』 Rapid Eye Movies, DIF, © Kairos Film, Rapid Eye Movies

「劇場用長篇」という言い方をするなら、『ハッピー・ラメント』は『盲目の映画監督』(1985)以来実に30年以上ぶりの映画ということになる。だが、クルーゲが1980年代半ばより活動の場をテレビに移してきたことを思えば、これは長期にわたるテレビ番組製作の実践を劇場用長篇のフォーマットに落とし込んだ作品のように映る。実際、『ハッピー・ラメント』の中には『象の処刑』(2000)をはじめ自身の番組が多く再利用されている。彼はテレビ製作会社DCTPを創設してノルトライン゠ヴェストファーレン州のテレビ放送認可権の取得に成功すると、1988年より文化情報番組を深夜枠で毎週放送してきた[2]
 クルーゲは知の伝達媒体としてテレビを選んだばかりではない。そもそも彼の作品自体がテレビ的な美学に従うものだった。私は『ハッピー・ラメント』を見ながら徐々にそう理解していった。セルジュ・ダネーが1980年代初頭に映画とテレビを比較検討し、テレビにはモンタージュとデクパージュという概念がないと指摘したことが思い出される。

 古典映画は連続した時空間を分解し、つなぎの助けを借りて、パズルのようにそれを再構成した。つなぎの技法と技術(くだらない法則すべても含む)、標準から外れるつなぎを発明するあらゆる手口(特に小津のような日本の映画作家)、「つなぎ間違い」という違反行為——映画が長いこと糧にしてきたのは以上のようなものだ。
 その後に何が起きたか。テレビはパズルを再構成しない。テレビはパズルそのものなのだ。テレビにおける映像の秩序は、モンタージュ〔編集=組み立てること〕にも、デクパージュ〔カット割り=切り分けること〕にも属さず、何か新しいものに属しており、それは「アンセラージュ〔挿入すること〕」とでも呼ぶべきものである。テレビには、映像の流れを断ち切り、別の映像を挿入する可能性がつねに確保されている——いついかなる時でも、つなげることにいっさい気を配ることもなく。[3]

「つなぎ(raccord)」とは切り返しやアクションつなぎのような編集技法を総称するものだが、テレビにはそんな配慮は不要である。マルチカメラが導入されたのは、まさにカット割りを考える労力から解放されるためでしかなかった。テレビでは時間の流れがまずあり、すべてがその止めどない流れに巻き込まれるため、映像によって連続性を作り出す必要がなく、無関係なものでもなんでも無条件につながってしまう。番組内においても(スタジオと中継を自由に行き来するばかりでなく、いつでもCMに移行できる)、番組編成においても(スポーツ中継はどんなに手に汗握る場面であっても、時間が来れば次のニュース番組に切り替わってしまう)。視聴者がチャンネルを次々に変えながら複数の番組を難なく見ていくことができるのも、そんなテレビの特性に由来しているだろう。
『ハッピー・ラメント』にはドラマがあるかと思えばインタビューや音楽の演奏があり、それに加えて字幕を用いた紙芝居的なくだりがあったりと、まったく異なる内容とスタイルの番組がひっきりなしに画面上を展開していくようだ。その点でまぎれもなくテレビ的だが、それははからずもダネーが論じた「アンセラージュ」の見事な実例となっている。クルーゲのショットはどれをとっても、空間をいかに切り取り、いかに再構成するかといった気配りとは無縁である。

 

 

『ハッピー・ラメント』 

『ハッピー・ラメント』 Rapid Eye Movies, DIF, © Kairos Film, Rapid Eye Movies

 サーカスのような見世物小屋の祝祭性をテレビの中に取り入れること。クルーゲは『サーカス小屋の芸人たち——処置なし』(1968)とその続篇『不屈のレニ・パイカート』(1970)で早くもそうした問題に取り組んでいた。父親からサーカス団を引き継いだレニ・パイカート。彼女は新しい独自のサーカスを構想して試行錯誤を繰り返すものの、最終的には一座を畳むことになる。そして、みなでテレビ番組製作へと舵を切るのだった。
 だから、「テレビ」とひと言呟いてみると、そこにはすぐさまサーカスが呼び出され、サーカスは象を、象は電気を、電気は暗闇を、暗闇は映画を呼び出していく。モチーフのつながりはときに形態の類似を通じ(トランプ大統領をマリーンワンに乗せ扉を閉める軍人の身振りがネジ巻き人形の動作と比較されるように、エジソンが発明した電球はあたかも夜空に輝く月である)、ときに意味論上の類似を通じる(ナチの党大会を荘厳に輝かせたアルベルト・シュペーアの「光の大聖堂」は、あたかも極刑に利用される電気椅子である)。『ハッピー・ラメント』は編集の自由を謳歌しながら、モチーフを連関させて展開していく手つきにおいては盤石であり、その理路は実に整然としている。
 最後にどうでもいいことをひとつ。『ハッピー・ラメント』について考えるなかでダネーの論考を読み返し、その最終行に思わず驚きの声が漏れた。ダネーはこう締めくくっていたのだ——「年老いたテレビとたいへんに年老いた映画とが落ち合うのは、はるかに昔ではるかに未来においてである。待ち合わせ場所の名前はメリエスである。月を呼び出さねばならない」[4]


[1] 「未来派的映画」多木陽介訳、多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』コトニ社、2021年、334頁、訳文一部変更。以下、引用は同書による。
[2] 竹峰義和『〈救済〉のメーディウム——ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』東京大学出版会、2016年、特に第7章「投壜通信からメディア公共圏へ——アドルノとクルーゲ」を参照。なお、DCTP製作の番組は現在はオンライン上で閲覧可能である。https://www.dctp.tv
[3] Serge Daney, « Comme tous les vieux couples, cinéma et télévision ont fini par se ressembler » (1982), in Ciné journal, Cahiers du cinéma, 1986, p. 72.「アンセラージュ(insérage)」は「挿入する、差し挟む」を意味する動詞「insérer」をもとに作られた造語。
[4] Ibid.

『ハッピー・ラメント 原題:Happy Lamento』
2018年|93分|デジタル|
監督・脚本:アレクサンダー・クルーゲ
共同脚本:ケヴィン・デ・ラ・クルス
撮影:トーマス・ヴィルケ、アルベルト・バンツオン、トーマス・マオホ
編集:カイェタン・フォルストナー、ローラント・フォルストナー、ステファン・ホル、アンドレアス・ケルン、トニ・ヴェルナー
出演:ハイナー・ミュラー、ペーター・ベーリング他


特集上映
アレクサンダー・クルーゲ特集——ニュージャーマンシネマの先駆者、そしてメディアアートの開拓者

 

 

《アレクサンダー・クルーゲ特集》フライヤー

《アレクサンダー・クルーゲ特集》フライヤー

 

上映作品
『オルフェア 原題:Orphea』
2020年|99分|デジタル|
監督・脚本:アレクサンダー・クルーゲ、カヴン
出演:リリト・シュタンゲンベルク

『昨日からの別れ 原題:Abschied von gestern』
1966年|87分|デジタル|
監督:アレクサンダー・クルーゲ
出演:アレクサンドラ・クルーゲ、アルフレート・エーデル、フリッツ・バウアー(本人)

『ハッピー・ラメント』

2024年12月21〜25日、下高井戸シネマにて開催
特集企画者:渋谷哲也

下高井戸シネマ https://www.shimotakaidocinema.com/

 

バナーイラスト:大本有希子  @ppppiyo (Instagram)