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『シネマの大義 廣瀬純映画論集』発売記念対談
廣瀬純×菊地成孔
『君の名は。』と『シン・ゴジラ』は
『うんこ漢字ドリル』と同時代の作品である(後編)

イベントレポート / 廣瀬純, 菊地成孔

「シネマの大義の下で撮られたフィルムだけが、全人類に関わる」——現代日本における最も先鋭的かつ実践的な映画批評のひとり、廣瀬純さんによる初の映画論集『シネマの大義 廣瀬純映画論集』。本書の刊行に際して行われた、音楽家・批評家の菊地成孔さんとのトークショー後編をお送りします。

とき・場所:2017年8月10日 青山ブックセンター本店
編集・構成:フィルムアート社


シネマの大義 廣瀬純映画論集

 

◇『うんこ漢字ドリル』の時代に

廣瀬:「幸福な観客の時代」は「クソ」の問題と無関係ではありません。『君の名は。』(2016)と『シン・ゴジラ』(2016)は東日本大震災とも同時代の作品なのでしょうが、それ以上に、『うんこ漢字ドリル』(文響社)と同時代の作品です。ぼくが「批評再生塾」の受講生なら、うんこサンドを菊地さんと高橋(源一郎)さんに喰わせようとしていたかもしれません。いずれにせよ、『うんこ漢字ドリル』の革新性は、まさに、もはや抑圧がないという点にあります。従来の漢字ドリルは、「うんこ」という一語だけはけっして口にしてはならないという抑圧に貫かれたものでした。「うんこ」の一語が抑圧されることで、逆に、それに対する反発として、多種多様なクリエイティヴな例文がそのメタファーとして紙面上に溢れ返るということになっていたわけです。しかし、シン・漢字ドリルたる『うんこ漢字ドリル』は、いきなり開き直って、享楽対象としての「うんこ」への直接的かつ強迫的なアクセスを可能にしてしまったわけです。菊地さんのお話をうかがっていて、『シン・ゴジラ』も『君の名は。』もこれと同じなのではないかと思いました。今日の日本には、うんこに萌え狂う幸福な小学生の時代が到来しつつあるということです。

菊地:これまではいい年して怪獣が好きだとは言ってはいけなかったけれど、今はオッケーなんですね。つまり、もうフェティッシュについての後ろめたさというものはない。『シン・ゴジラ』は本当に1分おきにフェティッシュが映し出されるような映画です。石原さとみさんがこの作品で非常にいい仕事をしていると思うのは、彼女のキャラクターがつねにスベっているからですね。ああいう役回りがいなければ『シン・ゴジラ』はさらに神格化されてしまったでしょう、その意味で彼女は絶妙なストッパーになっていた。

一方で『君の名は。』だと、バスケでシュートすると女の子のおっぱいが揺れる、旅館に来ると女の人の浴衣の胸からブラジャーが見える。ひたすら萌えさせられるわけですが、しかし物語として自立するものは何にもない。何でこの作品がメガヒットやギガヒットを越えてテラヒットになったかといえば、すべてがフェティッシュだからです。ぼくがバカなだけかもしれないですけど、『君の名は。』はまったく物語が畳めていない、破綻してる。でも萌えさせられさえすれば観客は最後まで見てくれるし、破綻してる物語についても勝手に議論してくれる。そういう商法で成り立っているとしか思えない。まさに『うんこ漢字ドリル』と同じですよね。今の観客たちは萌える対象だったり、フェティッシュなものがあるだけでそこそこ満足して対価を払ってくれる。

たとえば『ラ・ラ・ランド』(2016)も同じで、あの映画もフレンチ・ミュージカル映画に免疫がない人たちが見たらうっとりするに決まってる。その隙にでたらめな物語を食わしてしまえ、フェティッシュがあれば物語が破綻してても大丈夫だっていうのが、この数年のひとつの潮流でしょう。以前、ぼくは『時事ネタ嫌い』(イースト・プレス)っていう本を書いたんですが、その中の「恋する国民」という文章で「もう日本国民は恋愛以外やることがなくなった、そういう意味で平安京の人と同じだ」ということを書きました、もちろん皮肉として。「恋ばかりしてるとしっぺ返しきますよ」っていう警告でしたが、もはや全く耳に届かないっていう現状ですよね。

廣瀬:ぼくは龍谷大学という京都にある大学に勤めてるのですが、東京以外の地域に暮らす人々にとって『シン・ゴジラ』は、東京に暮らす人々にとってのそれと全然違うものとしてあり、はっきり言えば「勝手にせいや」なんです。ぼく自身は大田区蒲田の出身なので、ゴジラの幼虫のようなものが呑川を這いずり上がるシーンなど、大いに楽しませてもらったのですが、『シン・ゴジラ』の問題は、どこまでも東京での話でしかないという点、あるいは、より精確に言えば、東京の出来事があたかも日本全体の出来事、世界全体の出来事であるかのように提示されているという点にあります。ジル・ドゥルーズは、右翼がつねに「自分を起点に知覚する」のに対し、左翼は「地平を知覚する」あるいは「地平において知覚する」と言っていましたが、この意味で、庵野監督自身の政治的傾向がいかなるものであろうとも、東京を地平において知覚しない『シン・ゴジラ』は右翼作品です。東京の中心にゴジラが上陸するから官邸機能を移動させようというときにも、その移動先が立川だというのはどうなのでしょう。「時事ネタ」問題という点で付言すれば、同じことは、今日の日本におけるマスコミ一般にも言えるように思います。たとえばこの前、上野でパンダが生まれ、それが日本全土を揺るがす大事件のように連日報道されていましたが、南紀白浜でこれまでにいったい何頭、パンダが生まれてきたのか。上野でのパンダの誕生は、まるきり、地平において知覚されていません。このような日常的な次元での知覚のオペレイションが人々の主観性の絶えざる右翼化、絶えざる「恋する国民」化を導いているのだと思います。所謂「ネトウヨ」の問題など、シャンシャン報道に比べたら、些末な事象に過ぎません。安倍晋三が首相の座におさまり続けているという現実は、ネトウヨやら、櫻井よしこやら、日本会議といった連中の存在だけでは、当たり前のことですが、まるで説明のつかないことなのです。

菊地:『シン・ゴジラ』が関西への官邸機能の移動を取り上げていたら、問題になっていたのは天皇が御所へ戻るという描写があるかどうかだったんじゃないでしょうか。実際、その問題は東日本大震災のときに話題になった。しかし『シン・ゴジラ』には皇室の問題はまったく出てこない。日本っていうのはいまや政府だけなんだっていう発想ですね、あれは。市民によるデモも映し出されるけど、ワーって言ってるだけで内容もよくわからない。もしそこに皇室の問題を入れていたら、あるいは宗教の問題を取り込んでいたとしたら、関西の描写は絶対に必要になったはずで、それを避けるために行政だけが扱われたのかもしれません。

ところで、これはぼくの本には入れられなかった話なんですが、『シン・ゴジラ』は明らかに松本人志監督の『大日本人』(2007)が序章になっていると思います。『大日本人』がなかったら『シン・ゴジラ』はなかったはず。『大日本人』では松本人志がフルCGを使って、実際の都市景観の中で大佐藤という人間を歩かせる。これは完全にウルトラマン・ノスタルジー、もう少し話を大きくすれば特撮ノスタルジーだと思うんですが、これとほとんど同じノスタルジーで『シン・ゴジラ』もつくられている。細かな説明は省きますが、この理由のひとつには松本人志さんと庵野秀明さんが同い年——ちなみにぼくも同じで1963年生まれ——だということは言えると思います。しかしより重要なのはこの2作の関係性というのが、たとえば庵野秀明さんが松本人志さんを尊敬していて『大日本人』の影響を『シン・ゴジラ』に活かした、といった歴史的な論調ではまったくもって説明され得ないものだということです。言い換えると『大日本人』と『シン・ゴジラ』の関係性というのは、今ならばTSUTAYAさんに行けば誰にでも見出されうるようなものとしてある。つまり、これは進化論的な時間感覚における歴史観として見出されるものではなく、むしろ博物学的・分類学的な歴史観として見出しうる関係だということです。

実はこれって『シネマの大義』におけるドゥルーズの『シネマ』的な歴史観に近いと思う。廣瀬さんのこの『シネマの大義』には、「シネマ」の重要性はもちろん書かれていますけれど、同時に映画というものを、いわゆるクロノロジックな歴史性だけでなく、そうではない見方で見てみようということも書かれていると思うんですよ。

 

◇「遅れる」ことに「間に合ってしまう」こと

菊地:もうひとつ『シネマの大義』について指摘したいのは、今風に形容するなら廣瀬さんが非常に「エモく」なる瞬間、激昂されたり、感情的になられる瞬間がこの本にはいくつかあるということです。それはどういう場面かと言うと、廣瀬さんが自分自身のことを「遅れた」のだと述べられるときです。たとえば「自分は映画に遅れた」、「自分はフランス現代思想に遅れた」、あるいは「そもそも批評とは映画に対してつねに遅れている」ということですね。フロイト的なカメラでそうした箇所を覗き込んでみると、そこにはひとつの分析対象があるのではないかと考えてしまうのですが、いかがでしょうか。

廣瀬:僕は蓮實重彦主義者で、蓮實さんによってかつて語られた映画の「73年の世代」だとか「83年の世代」といった歴史的区分を信じています。「73年の世代」というのは、クリント・イーストウッドやダニエル・シュミット、ヴィム・ヴェンダース、ビクトル・エリセの世代のことで、50年代のハリウッドの崩壊に間に合わなかった監督たちです。彼らの言い分は「もし自分が50年代ハリウッドに間に合っていたら、崩壊をくい止めることができたのに」というものです。批評家としては、本人はそう明言されていませんが、ほかならぬ蓮實さんご自身がこの「73年の世代」に属しています。次いで、「83年の世代」が登場してくる。これに属しているのは侯孝賢、エドウォード・ヤン、レオス・カラックス、黒沢清などだとされます。「73年の世代」の監督たちは、50年代のハリウッドの崩壊を実際に生きたダグラス・サーク、サミュエル・フラー、ニコラス・レイといった監督たちの晩年には間に合った。しかし、「83年の世代」の監督たちは、そうした監督たちの余生にすら間に合いません。この世代に属している日本の映画批評家は、たとえば、ぼくが敬愛してやまない安井豊作さんや樋口泰人さんです。しかし、1971年生まれのぼく自身は、言うまでもなく、この「83年の世代」にすら間に合わなかった。ハリウッドからヨーロッパへ、ヨーロッパからアジアへと、間に合わないことの連鎖が地理的にも世界を一巡したわけですが、そのプロセスにも、ぼくは間に合わなかったわけです。「83年の世代」にすら間に合わなかったというこの歴史的意識をぼくに教えてくれたのは、1995年にVシネマ作品『教科書にないッ!』で商業作デビューされた青山真治監督です。

青山監督の最初の劇場公開長編作品は1996年の『Helpless』ですが、1989年の北九州を舞台としたこの作品では、光石研さんが右翼の側で、浅野忠信さんが左翼の側で、それぞれ、不可逆的な崩壊に間に合わなかった若者の役を演じています。光石さんは天皇の死に間に合わず、不在の天皇を探し求めて彷徨する。浅野さんは労働運動の解体に間に合わず、鼻歌としておのれのもとに回帰する「インタナショナル」が何の歌なのかわからない。タイトルにあるhelplessすなわち「寄る辺なきこと」 「救済のない状態」とは、崩壊に間に合わなかった、崩壊を記憶すらしていないということの謂いです。青山さん自身は、シネマ(映画)の最後の世代である「83年の世代」に間に合わず、映画史に間に合わなかった。しかし、青山さんにとって、映画あるいは映画史に間に合わなかったとは、「もし自分が映画に間に合っていたら、映画の崩壊を阻止できたのに」ということだけを意味するわけではありません。「もし自分が映画に間に合っていたら、世界を映画化することができたのに」ということこそを意味するのです。自分が今、安倍晋三のような愚か者たちによって牛耳られた世界、ゴダールなどまるで存在しなかったかのように展開される世界に居合わせてしまっているのは、映画に間に合わなかった自分自身のせいであると、青山さんは考えているわけです。青山映画におけるこの妄想をそっくりそのまま批評において継承しようする試みが『シネマの大義』です。厚かましいのを承知で、それでも敢えて言えば、拙著は20年遅れの映画批評版『Helpless』のなのです。

菊地:ナンシー関さんという偉大なエッセイストは、「テレビはなぜこんなダメな芸能人を重用させてしまっているのか、これを止められなかったのは自分を含めた全員の責任であり、その部分責任は自分にある。だから私はこのクソのような芸能人を止められなかったことに関して責任を取る」と言い続けていました。そういう意味で、ナンシーさんと廣瀬さんの態度には共鳴するものを感じます。もちろん自分が生まれてくる時代など誰にも選べない。だから、誰しもが必ず何かに遅れている。私だってそうです。僕はいま54歳のジャズ・ミュージシャンですが、いわゆるゴールデンエイジのビバップにも遅れているし、モードジャズの一番良かった頃にも遅れている。ぎりぎり間に合ったのはフュージョンでしかありませんから。

廣瀬:告白するのが少し恥ずかしいのですが、今日に至るまでぼくは80年代前半までのカシオペアや渡辺香津美が好きで、フュージョンの一語が出てしまった以上、黙ったままでいることができないので、少しだけ言わせて下さい。YMOも含めたフュージョンをウォークマンの同時代と位置付けることに、ぼくが同意していないのは次のような理由からのことです(YMOはフュージョンだということでみなさんよろしいですよね?)。フュージョンまででジャズの歴史は終わった。そのあと、ウィントン・マルサリスたちの歴史なきジャズが、ウォークマンで聴かれるための音楽として始まる(ウィントンたちはリュック・ベッソンと同時代人です)。幸福なジャズが始まるのと同時に、歴史はヒップホップへとその展開の場を移す。すでにウォークマンが登場していたのに、初期のヒップホップが敢えて巨大なラジカセの携行に拘ったのは、ヒップホップが歴史を生きる音楽として誕生したからでしょう。そして実際、80年代以降、とりわけ90年代に入ってから本格化しますが、ジャズが歴史性をもう一度、取り戻そうと試みるとき、ヒップホップへの接近は不可欠と言っていい条件になる。

さて、「遅れる」ということについてですが、今日話題になっていることにまずは引き付けて言えば、東日本大震災が『君の名は。』や『シン・ゴジラ』とともにパンドイッチを構成し得る事象となっているのは、この出来事がまさに「遅れる」という問題に関わっているからでしょう。『君の名は。』においても『シン・ゴジラ』においても、語られているのは、現代人が、自分はそれに決定的に遅れてしまったと思われていた出来事(隕石落下による町の消滅、ゴジラの到来)に、しかし突然として、間に合うことを許されるという物語です。「遅れること」と「間に合うこと」というこの共通の問題設定こそ、両作品が東日本大震災から引き出してきたものです。

『君の名は。』と『シン・ゴジラ』とでは、間に合わなかったはずの出来事に、シャブや東宝何十周年記念といったもののおかげで、どういうわけか間に合ってしまうという幸福が問題になっていますが、東日本大震災後に福島などに駆けつけてフィクションやドキュメンタリーを撮った人々の多くにおいて問題になっている幸福は、これとは異なり、間に合わないということに間に合ったという幸福です。間に合うことを使命とするテレビとは異なり、映画は間に合わないことをその本性としています。テレビの人々が日々一生懸命取り組んでいるのは、台風報道などを想起していただければわかり易いと思いますが、出来事が到来するその場に駆けつけて何が何でも「顔出し」中継をしてみせるということです。荒波が打ち寄せる暴風雨下の岬などに立ってずぶぬれになりながらリポーターが「台風が上陸しています!風が強いです!」みたいなことを言う。これがテレビの仕事です。それに対して、映画が現場に赴くのは、出来事が起きている最中ではなく、その後でのことです。出来事に「遅れる」ということが、テレビとの関係において、映画を規定するもの、映画の存在理由になっているわけです。この意味でこそ、東日本大震災、とりわけ大津波は、映画の恰好の題材だった。震災後に東北に駆けつけて映画を撮った人々は、それ以前、映画を撮ることの不可能性のようなものに悩まされていたに違いありません。この世界への自分たちの到来は遅過ぎた、自分たちは、間に合わないということに間に合わなかった。そんなときに、間に合わないということに間に合うことを彼らに許す恰好の出来事が到来し、彼らはそこに喜び勇んで駆けつけたわけです。大津波に間に合わなかったということに間に合ったその悦び、大津波がすべてを押し流してしまった後の砂漠の大地にカメラを据えるその悦びのなかで、彼らの多くは、映画の今日的な不可能性からついに解放されたのです。「よかったね」としか言いようがありません。

菊地:「間に合った」という感覚は快楽なんですよね。それが一番厄介なのだとぼくも思います。たとえばマスメディアにとっての震災という物語の扱い方にもそうした事例はありふれていました。震災っていうのは、逃げることに間に合わなかった人たちの物語で、間に合って逃げることができた人たちはほとんど出てこない。現場ですごい勢いで走って逃げ延びましたっていう人はあんまり出て来ないですよね。間に合わなかったことの残骸です。そこで描かれていたものの多くは、逃げることに遅れてしまって逃げ延びられなかった人たちの物語だったからです。間に合わなかったことの残骸であるそうした物語に、「間に合った」ことの喜びというものが見えてきてしまう。

廣瀬:先日、堀禎一という名のぼくと同世代の映画監督が亡くなったのですが、堀監督は他の人々がこぞって震災後の東北を撮りに向かっているときに、ダンス公演をめぐるドキュメンタリーや、静岡の山奥での暮らしをめぐるドキュメンタリーなどを撮っていました。堀監督は、遅れることに間に合うということをおのれに容易に許したりけっしてせず、遅れることに間に合わないという問題のなかにあくまでも踏みとどまろうとした。映画の不可能性にこそ、真に新たな映画の到来のその可能性があることを知っていたからにほかなりません。これこそが「シネマの大義」の下で生きるということなのです。堀禎一にとっても重要な監督だったに違いないジャン=マリ・ストローブとダニエル・ユイレには『早すぎる、遅すぎる』(1981)というタイトルの作品がありますが、堀禎一の映画が今後も「早すぎる」ものであり続けるのは、それがまさしく「遅すぎる」ことにとどまるものだったからです。「遅すぎる」という不可能性に身をおくことなしに、「早すぎる」という絶対的創造へと突き抜けるチャンスはないのです。

シネマの大義
廣瀬純映画論集

廣瀬純=著

発売日:2017年07月25日

四六判・並製|560頁|定価:3,000円+税|ISBN 978-4-8459-1639-9