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2024.11.05

第5回 映画は避難所のように——第29回釜山国際映画祭レポート

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回更新の映画時評。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
ようやく秋の深まりつつある日本ではいよいよ映画祭の季節ですが、今回はひと足早く開催された韓国の釜山国際映画祭レポートをお送りします。映画祭という映画体験が制約と偶然に大きく左右される場で、映画を思考する試みはどのような形を織りなしてくれるのでしょうか。

 

第29回釜山国際映画祭公式ポスター

第29回釜山国際映画祭公式ポスター

 

 10月初旬、思い立って釜山まで行き、映画祭に参加してきた。アジア最大といわれる釜山国際映画祭。前から気になってはいたけれど、映画祭というのはいけ好かない業界人たちの集まりという先入観があって、二の足を踏んでいた。プレスパスを取得して海外の映画祭に参加するのは、これが初めてのことだ。
 公式による最終報告によれば、10日間の会期中に、63か国から集まった合計224作品が上映されたという。全日程に参加してもその全貌を把握するのはとても不可能だが、私が参加できたのは実質的には4日間で、見ることができたのは長篇12作品、短篇5作品のみなので、本当にごくわずか。見たい作品があっても、スケジュールが合わなかったり、チケットが手に入らなかったりすることもあれば、パズルのように予定を埋めていくことになるので、そのおかげでまったく未知の新たな作品と出会うこともできる。映画祭の経験は偶然に左右されることがよくわかった。このレポートも、自分がたまたま見ることができた作品同士に本来はありもしない連関を見出しながら書いたものにすぎない。

 

イ・スンジェ『ハミング』

イ・スンジェ『ハミング』

 

男性性の扱い——韓国若手作品

 釜山については、あらかじめ主に2つの特徴があると聞いていた。カンヌやヴェネツィアやベルリンといったヨーロッパの主要な映画祭で評判になった作品がいち早く見られる「作家の祭典」であるということ。そして、韓国およびアジアの映画については、娯楽大作から若手の作品まで充実したプログラムが組まれるということ。今回は、韓国の若手作家を中心に見ようと予定を組み立てた。
 アルコール依存症の女性と重病に苦しむ男性の恋物語を描いたカン・ミジャ『Spring Night(春の夜)』は、タイトル通りに眠りを誘うもので、この単調な反復をどう受けとめるかに観客の反応はわかれると思ったが、その他の作品はむしろ勘所を押さえた脚本作りに精を出しているように映った。ファン・スルギ『Red Nails(赤いネイル)』が母娘の葛藤に焦点を当てたり、キム・ヒョウン『Tango at Dawn(夜明けのタンゴ)』では人間不信に陥った若い女性が人懐っこい素直な同僚と接して徐々に打ち解けていく過程が辿られるように、多くが人間関係の変化を基軸に安定した作劇を見せていた。そんななか頭を悩ませたのは、イ・スンジェ『Humming(ハミング)』である。
『ハミング』の主人公は30代とおぼしき録音技師の男。彼は撮影に参加していた作品に出演した女子高生が事故で亡くなってしまったため、いまはその吹き替え作業に従事している。モニター上に映る彼女の姿を見るうちに、思い出が蘇る。自分にだけは心を開き、天真爛漫な少女だった。しつこく嘆願され、この仕事場にも連れてきた。吹き替え作業は彼女の大事な台詞がわからず難航するが、彼が知りたいのはその実彼女の言葉ではなく、彼女に対する自分の感情である。しかも、劇中劇の映画自体が妹から好きだと告白される兄の物語であり、男がスタジオのモニターに見つめるのは自身のファンタスムの具現化にほかならないわけだ。いかによくできていようと、これではおじさんファンタジーの域を出ない。驚いたのは監督のプロフィール。2001年生まれで、まだ大学院に在学中だという。若いからこその中年化という不思議な現象がたまにある。

 

イ・ジェハン『ファンヒの顔』

イ・ジェハン『ファンヒの顔』

 

ホン・サンスの現在

 それと比べると、『The Face of Hwanhee(ファンヒの顔)』の監督イ・ジェハンは自分が男性であることに自覚的で、男性による男性映画にならないような配慮が作品から感じられた。まず登場人物が女性中心であり、ベクデル・テストの逆をやったら通らないような設定をあえてとったもののように見えた(男性がほぼ1人しか登場せず、しかもその男は誰かの恋人役でしかない)。
 4つのエピソードからなる構造といい、会話を中心にそれぞれのエピソードが組み立てられる点といい、劇中に出てくる小説家の作品内容とこの映画自体の入れ子のような関係といい、多くが思わずホン・サンスを想起するはずだが、『ファンヒの顔』はホン・サンス映画から別の可能性を引き出そうとした作品だろう。いわば真面目なホン・サンスというか、ちゃんとしたホン・サンスといった風情があり、会話場面でも切り返しが使われるなど、明確にカットの割られた映画なのだが、それでも面白く見られるのである。劇中の小説と映画本編との関係にしても、人を食ったようなものではなく、いたって真剣に取り組まれている。
 ところで、ホン・サンス自身、男の妄想と戯れる作風をすでに過去のものとして久しい。釜山で上映されたのは、イザベル・ユペールをみたび迎えた『A Traveler’s Needs(旅行者に必要なもの)』。今年のベルリン銀熊賞の受賞作である。ソウルに来たユペールがフランス語家庭教師のアルバイトをしているという設定で、自作がときに語学の教材ビデオのようだと揶揄されるのを逆手にとったものか。フランス語の授業だというのに生徒との会話はすべて英語なのだが、ユペールが繰り出す質問はいかにも語学教室でされそうなもの。彼女は授業の終わりに生徒とのやりとりから着想を得た文章をフランス語で書く。そして、それを生徒に渡し、繰り返し練習するよう伝える。とすると、これはさながら台詞作家についての映画のようにも見える。ともあれ、監督・脚本・撮影・音楽・編集・製作のすべてを1人でこなすホン・サンスにはやはり驚嘆してしまう。

 

ホン・サンス『旅行者に必要なもの』

ホン・サンス『旅行者に必要なもの』

 

婚姻からの解放——マズイとカパーリヤー

 釜山で見たなかで最も釈然としないものを感じたのは、パトリシア・マズイ『Visiting Hours(面会時間)』だった。そもそも難しい主題に挑んだものだが、この主題の選択自体の是非を問うべきではないかと考えさせられた。
 イザベル・ユペール演じる裕福な白人女性がアフシア・エルジのマグレブ系移民と出会い、その交流が描かれる。2人はともに夫が刑務所に収容されており、犯罪者の妻という点では階級や年齢の差を超えて同じ境遇にある。なお原題は『La Prisonière de Bordeaux(ボルドーの女囚)』といい、収監される夫ではなく、その妻こそが囚人であることがタイトルで明示されている。
 マズイはもちろん単純な友情物語を語るのではないが、問題は彼女たちにとっての解放が異なるかたちで示される点にある。ユペールが夫の財産を奪って家から抜け出すとすれば、エルジは2人の子とともに夫との関係の修復を図る。私たちとは違って、あなたたちに必要なのはやはり家族なのだとでもいうのだろうか。両者の対比を維持することで安易な融合を避ける意義は理解できるが、そもそもこうした主題に関心を持つこと自体が恵まれた者の特権かもしれない。これではホワイト・フェミニズムの謗りを免れないのではないか。そんな疑問が頭をもたげたのだった。
 今年のカンヌでグランプリを獲ったパヤル・カパーリヤー『All We Imagine as Light(私たちが光として想像するものすべて)』もまた——インドとフランスという国の違いはあれど——同じく結婚制度という牢獄に囚われた女性たちを描く。中心になるのは世代の異なる3人の女性であり、1人は夫亡き後居住する住宅の権利を失い、1人は夫がベルリンで働き実質的な結びつきを失いながらも離婚できず、1人は宗教を異にする許されぬ恋をしている。3者が直面する困難のあり方は、単に世代によるものばかりではなく、それぞれ法、社会、宗教がいかに抑圧装置となるかを示す。
 カパーリヤーは世代を超えた3人の連帯へと映画を進めていくが、婚姻という因習からの解放はリアリズムからの脱却というかたちで実現される。それはドキュメンタリー出身の監督が劇映画を主軸にしていくにあたっての宣言であるはずだ。

 

パヤル・カパーリヤー『私たちが光として想像するものすべて』

パヤル・カパーリヤー『私たちが光として想像するものすべて』

 

避難所としての映画——『冬の庭』

 ほかにも、ジャ・ジャンクーが自作を再編集して20年来の歴史を語った『Caught by the Tides(潮流に飲まれて)』、ソ連崩壊後のカザフスタン南部の羊飼いを襲う悲劇を一種の西部劇として捉えようとしたエルザト・エスケルディルの初長篇『Abel(アベル)』、ドキュメンタリーではヨーラン・ヒューゴ・オルソン『Israel Palestine on Swedish TV 1958–1989(スウェーデン・テレビ放送に見るイスラエル・パレスチナ 1958–1989)』パク・ミンソ&アン・コンヒョン『Works and Days(仕事と日々)』を見ることができた。
 最後に、アジア短篇コンペティションに出品され、見事にソンジェ賞を受賞したエレオノール・マムディアン&松井宏『A Garden in Winter(冬の庭)』に触れておきたい。
「最初は1夜だけ過ごせればいいと思っていた」。他人の庭(といっても森のように見える)に寝床を作り、小屋を拵える1人の男。その地を所有する女は、日中、彼のいない間にその小屋作りを進めていく。2人は顔を合わせることはないが、小屋作りという同じ目的を共有し(一方は自分のため、他方は他人のため)、互いの作業の結果を通して何かを伝え合っていく。もしこの小屋作りが映画作りに比されるとすれば、映画とはここで作られるような仮初めの避難所であることをマムディアンと松井の2人は初監督作で示した。
 この映画には断片的なショットが多く挿入されているが、それは周囲に落ちている枝や葉といったあり合わせのものを組み合わせて小屋が作られていくことを踏まえたものだろうか。小屋作りはときに子どものごっこ遊びのようだが、そこは亡命者が身を寄せる場所にもなると『冬の庭』は示唆する。作り手の家族の物語を虚構の中に混ぜ合わせながら。文字通り毎秒ごとに表情を変える光に照らされながら。この映画で釜山を締めくくることができてよかった。

 

エレオノール・マムディアン&松井宏『冬の庭』

エレオノール・マムディアン&松井宏『冬の庭』

 

第29回釜山国際映画祭
会場:映画の殿堂(釜山シネマセンター)他
会期:2024年10月2日〜11日
公式サイト:https://www.biff.kr

バナーイラスト:大本有希子  @ppppiyo (Instagram)