Weddingに引っ越し
1/16(水)
この日記を書いていた。
1/17(木)
20日に明石さんが日本から戻ってくる。以前見に行ったWeddingの家に引っ越しをしなくてはならない。日本から荷物を送るのに使った段ボールをまた組み立てて、準備を始めた。それから、22日からはオーバーハウゼンに滞在して、振付家トーマス・レーメンのダンスプロジェクトの稽古に参加する。奈緒子さんから「稽古用の上履きを持ってきて」と言われていたので、この日は駅前のショッピングモールに出かけて行って、H&Mで安いスニーカーを買った。アジアマーケットに行って米と納豆とほうれん草も買った。
夜、Theaterhaus Mitteに行く。はじめにミュージシャンの足立智美さんのソロパフォーマンスを見て、次に足立さんと手塚夏子さんが、即興でボイスパフォーマンスしたり、身体を動かしたりするデュオのパフォーマンスを見た。二人は古くからの友人だそうで、非常に息が合っていた。帰りにケバブ屋に寄って五、六人で食事する。喋っていたら、足立さんは私の芝居に何度か出てくれた映画監督の古澤健さんとバンド「インセクト・タブー」を組んでいた仲間だということが分かって、話が弾んだ。
1/18(金)
家で原稿。久しぶりに晴れた瞬間があったので、日に当たりに駅前のカフェに行く。去年の夏、日に焼けるのに絶対に外のテラス席でお茶を飲もうとするドイツ人を見て笑っていたけれど、今は気持ちが分かる。太陽に少し当たるだけで幸せになれるのだ。
午後、Schaubühneへ。日本から、以前SWANNYの演出助手をやってもらった前田麻登さんが遊びに来ていたので、彼女とその友人と三人で芝居を見に行ったのだ。演目はイプセンの戯曲『ヘッダ・ガブラー』で、演出はSchaubühneの芸術監督、トーマス・オスターマイヤーだ。以前オスターマイヤーの『リチャード三世』を見たときは非常に感激したのに、今回はしっくり来なかった。モダンなガラス張りの家が自由自在に回転する舞台セットは、素晴らしかった。でも、19世紀末のイプセンの芝居が、携帯電話の出てくる現代劇にそのまま移し替えられているせいで、戯曲のダイナミズムが削がれていると思った。私は戯曲を読んでいないけれど、イプセンの描いた主人公の悪女「ヘッダ・ガブラー」は、『人形の家』のノラみたいに、生き生きした魅力的な女なんじゃないか。彼女は19世紀の、女性にとってとんでもなく抑圧的な社会状況に対して、銃を片手に挑んでいくも歯が立たず、最終的には自己破壊に至ってしまうのではないか。だがこの日観た芝居は、主人公が悪に傾倒していく動機を、現代人の生活に漂う虚無と結びつけてしまっていた。携帯とSNSだけで繋がっている人間関係の希薄なブルジョワジーたちは、隣の部屋で誰かが死んでいても気がつかない。確かに今はそんな時代かもしれないけれど、ガラス張りの家に住む裕福な白人たちが、ただただ日常を虚しがっている姿に同時代人だからといって共感はできない。40ユーロのチケット代も高価に感じる東アジアの移住者から言わせてもらうと、金や名誉にしか関心のないブルジョワの生活が虚しくてつまらないなんて自明なのである。音楽が特に退屈で、幕間にビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を誰かがカバーした曲がなんとなく、虚しげに流れるのだった。生温い共感を誘うぐらいだったら、たとえ失敗したって社会変革を目指そうとするほうがアートじゃないのか。
だが、満員の観客は拍手喝采。終演後、周囲に日本語が分からないのを良いことに、「こんなもんは退廃だ! 名作の矮小化だ!」と(戯曲読んでないのに)ロビーで年下の友人たちに訴えたが、彼女らもそれなりに楽しんだようで、大して賛同は得られなかったのがまた寂しいのだった。
1/19(土)
エレナとシェーネベルクでお茶の約束をする。待ち合わせの前に、ヴィンターフェルト広場の市場をぶらついて、ソーセージを食べた。待ち合わせの時間が来たので、駅に戻ってエレナとカフェに行く。2月末の朗読会の打ち合わせなどした。
1/20(日)
引っ越しの日。三箱の段ボールに衣料などを詰めてから、粛々と部屋を掃除する。友人が車を借りてきて荷物を運んでくれた。珍しくやたらと良い天気だった。高速道路を通ってWeddingの家に着くと、家主のSumiが荷物を運ぶのを手伝ってくれた。車を出してくれた友人も段ボールを二箱いっぺんに抱えて階段を上っている。人に助けてもらうことばかりだ。今度の家はベルリンの北の外れにあって、明石さんの家よりもだいぶ小さい、ワンルームの屋根裏部屋だけれど、一人暮らしには充分だと思った。
Sumiから家の説明を聞く。洗濯機や暖房の使い方など。彼女が出て行った後に15分ほど歩いてGesundbrunnenの駅まで行き、日曜でも開いている自然食品マーケットで少し買物をした。帰ってきてドアを開けようとしたら、開かない。古い建物なので鍵を開けるのにコツがあるのだ。以前部屋を見に来たときに教えてもらった気もするけど、忘れてしまった。パニックになってSumiに電話をする。15分ほどグルグル鍵を回していたら、やがて開いたが、Sumiも心配してまた戻ってきてくれた。そして「ソフトに回して、開きそうになったら少し前に押す」といった、とんでもなく難しいテクニックを伝授してくれた。去年の10月に住んだミッテのアパートも鍵を開けるのが難しかった。ほとんど熟練の職人みたいな気持ちで毎回ドアを開けねばならない。
「オーバーハウゼン失業者バレエ団」プロジェクト
1/21(月)
日本から旅行に来ている麻登さんとその友人を連れて、知人の働いている日本食レストランに行った。定食や寿司を三人で分け合って食べる。こちらで食べる日本食はとても美味しい。麻登さんがもう特に観光したい場所もないと言うので、ミッテ地区を散歩したり、カフェに入ったりする。夜、プレンツラウアーベルクの地ビールが飲める店に行った。ここは他の多くのドイツ料理店と違って、一皿の量が多くなく、居酒屋のおつまみ感覚で食べられるのだった。ワインも美味しくて飲み過ぎてしまった。
1/22(火)
オーバーハウゼンのダンスプロジェクトは、一週間に四日、水・木・金・土曜に稽古をする。この週の4日間、稽古に参加することになっていた。二日酔いで、ベルリン中央駅へ。ここからオーバーハウゼンまでは長距離列車で4時間半ぐらい。スマホにKindleをダウンロードして、電車の中で多和田葉子さんの『地球に散りばめられて』と『雪の練習生』を読んだ。窓の外にはひたすらに平坦な景色が広がっている。草原、森、畑、工場、ときどき川。
19時前にオーバーハウゼンの駅に着く。田中奈緒子さんが自転車で迎えに来てくれていた。外は雪が降っている。五分ほど歩いてグスタフ通りの家にたどり着くと、トーマスが鶏肉のグリルとサラダを作って待っていた。夕食の後、夜遅くまで喋る。トーマスとTHE WHOのアルバム『TOMMY』の中の曲を次々に歌っていたら、止まらなくなった。翌朝からは、とうとうダンスの稽古が始まるというのに、眠るのは深夜になった。
1/23(水)
朝早く起床し、パンの朝ご飯を食べて家を出る。稽古場はオーバーハウゼンの商店街の外れにあり、自転車で15分ぐらいかかる。自転車屋を経営しているトーマス宅の隣人から、私専用の自転車が一台、借りられていた。サドルが高くて運転するのが難しい。自転車に関する交通ルールも、日本とドイツではだいぶ違う。自転車専用レーンがあったり、時には車道に出て車と同じ信号に従って、走らねばならない。こわごわと、トーマスと奈緒子さんの後について走った。
たどり着いたのは市民集会所らしき建物で、その一室をいつも稽古場として使っているらしい。トーマスと奈緒子さんが、稽古場の端にテーブルを作ってお茶の用意をしていると、参加者が何人か集まりはじめた。中には先月のクリスマスパーティーに来ていた人もいる。ナイジェリア出身の女性・チョイスや、シリア出身のロザン、年配のパーキンソン病の女性・ルチアらが、私のことを覚えていて、「ユウコ」と名前を呼んでハグしてくれた。
稽古の前には必ず、参加者とお茶を飲んでお喋りをする時間が持たれるようだった。メンバーどうし、例えば仕事先でトラブルがあったとか、子どもが熱を出したとか、近況を報告し合う。これはプロジェクトの参加者たちが、何よりもまず「社会的存在」であることを認識するために必要な時間だ、とトーマスは考えているようだった。参加者たちがついお喋りに夢中になったり、本番前の切羽詰まった時期に稽古時間が足りなくなったり、といったデメリットが生じても、彼は最後までこの習慣を変えようとはしなかった。
またここでは一人一人の出欠が確認される。これは、参加者が「給料をもらって」ダンスをするという主旨のプロジェクトなのだ。後に紹介する、このプロジェクトの「マニュフェスト」では、すべての人が芸術家たり得ること、芸術家が報酬を受け取ることが社会にとっていかに重要であるか、が宣言される。ルール工業地帯の小さな都市の市民集会所で、五六人の女性がお茶しているだけの光景であるが、これは、社会変革を標榜するダンスプロジェクトの稽古なのだ。
この日は、トーマスに簡単なウォームアップのエクササイズを教えてもらった後、メンバーどうしで身体をこすりつけ合うワークを行ったり、初歩のコンタクト・インプロヴィゼーションに挑戦したりした。昼過ぎに稽古は終わったが、数時間動いただけでヘトヘトに疲れる。スーパーで買物をして帰った後に部屋で寝ていた。
夜、ルール地方の敏腕アート・キュレーターだという女性が家に訪れて、トーマスの作ってくれたサラダやサバ、ジャガイモなどの夕食を一緒に食べた。
1/24(木)
木曜日は教会前の広場にフィッシュマーケットの出る日。ちょっと早めに家を出て、稽古の前に、魚を買った。
午前中の稽古では、足や腰の関節を動かすウォームアップを時間をかけて行った。自分が普段の癖で動かしている身体と、実際の骨や筋肉のつき方を理解して動かす身体の間に、だいぶ齟齬があることに気がつく。
木曜日は、午後も稽古がある。昼過ぎ、稽古場を出て、近くの、アジア料理屋で焼きそばを食べた。その後、商店街に古くからある喫茶店、「カフェバウアー」へ。日本の昭和レトロな喫茶店によく似た雰囲気で、とても気に入った。
午後、トーマスが「二人一組になって、この世にない、空想上の生き物になって踊ってみる」という課題を出した。私は奈緒子さんとペアになり、手のひらに目がついている生き物になって踊った。景色などはぼんやりしか見えず、手のひらで光や音や温度を関知して動くという設定である。皆の前で床に這いつくばって動いた。その新種の生き物は、頭でごちゃごちゃ難しいことを考えず、もっと感性や感覚のみで生きていたいという私と奈緒子さんの願望の産物なのかもしれなかった。
帰宅後、夕食には市場で買った蟹を食べた。トーマスがハサミでバキバキと蟹の殻を割って食べやすいようにして出してくれるのを、酢醤油をつけて食べた。木曜日の「フィッシュ・フェスティバル」である。
1/25(金)
再び午前中は稽古。身体を少し動かしたが、この日は集まりが悪く、昼前に終了、帰宅となった。前日に買った魚はまだまだ残っていて、「フィッシュフェスティバル」は続行中。昼食はトーマスが、巨大なヨーロッパアナゴを切り分けてフライにしてくれた。三日間、少し動いただけですでに疲れが溜まっている。午後は部屋で昼寝した。夜は雨の中、自転車でちょっと遠くのカフェまで出かけて行って、映画上映イベントに参加した。トーマスの友人が主催していたのだが、ホラー映画好きの評論家が最近出版した『鳥肌終着駅』という映画評論本の出版記念イベントだった。日本映画の相当なマニアでもあるらしい、その評論家が、お気に入りのB級ホラー映画を少しずつ流しながら、延々トークをする、という超濃厚な数時間だった。大林宣彦の「ハウス」なども少し流れた。この評論家を、私が去年まで働いていた新宿ゴールデン街の映画マニアの常連客たちに会わせたら、相当喜ぶんだろうなと思うと、おかしかった。もしかしたら、すでに友達かもしれない。
1/26(土)
土曜日の稽古場は、昨日までとは違って、家の近くの「druckluft」という体育館のような場所である。
奥のスペースは音楽スタジオになっていて、ドラムセットやキーボードやアンプが揃っている。この日は、数日前と同じ関節のウォームアップをした後に、参加者全員で楽器演奏をした。ギターやベースやタンバリンやキーボード、ドラムを交替で、楽器を弾ける人も、弾けない人もとりあえず触ってみて、音を出す。演奏者以外は、音楽に合わせて踊る。
最初に関節のウォームアップをやっていたので、自分の関節の稼働域を意識しながら踊っていたら、毎秒ごとに自分の身体について新しい発見をしているような気分になった。さらに、同じ音楽で踊っている他のメンバーの動きに目をやると、それぞれが違う身体を持っていて、異なる動かし方をしていることが、非常に貴重なことに思えてきた。トーマスが、関節の運動を介して伝えたかったことが、なんとなく、理解されるようだった。骨や筋肉、関節といった自らの身体に意識を向け、新たな発見をしながら、それを動かしつづける。長時間、音楽に合わせていつまでも踊る、そのモチベーションを保つには、身体も頭脳も感性もクリエイティブでありつづけなければならない。新鮮な気持ちで、自分や他人の身体につねに出逢わねばならない。クリエイティビティを持続させることが、人間生活にとって、いかに重要であるか。楽器と楽器の間の狭いスペースで、参加者たちと下手な踊りを踊りながら、それを身体ごと学んでいるような時間を過ごした。
夕方すぎまで稽古をした後、帰宅。この日はグスタフ通りのリーダー的存在、クラウスの誕生日パーティーがあった。トーマスの家の二軒ほど先の家を訪問すると、すでに大勢の客がいて食事を楽しんでいた。トーマスは、大晦日に余った巨大な花火をクラウスにプレゼントしていた。
このグスタフ通りの家々は、かつてオーバーハウゼンが炭坑街として栄えていた時代の労働者の住宅であった。文化財認定されていたものの、放置され荒れ果てていたこれらの歴史ある家を、トーマスたちは、10代のときにスクワット(占拠)して手入れし、住まいとした。クラウスはその頃からの仲間の一人なのだが、事業を興して子どもを育て上げ、今は夫人とともに、鶏や猫やモルモットを飼いながら、悠々自適の生活をしているようだ。家の内装も、そんな古い歴史ある家と思えないほど、立派にリノベーションされている。音楽を聴いたり、ワインを飲んだりして夜半過ぎに家に戻った。
1/27(日)
日曜日は稽古が休み。身体がへとへとに疲れていたので、昼近くまで寝る。午後、奈緒子さんとカフェバウアーでケーキを食べながらお茶を飲む。
夕食は、鮭の頭と平目のご馳走だった。食べ終わった後に、トーマスと奈緒子さんと喋っていたら、どういう流れだったか、トーマスが謎のスピリチュアル宗教の導師(グル)で私たちはその信者、という設定の小芝居が始まり、たぶん2時間ぐらいその遊びをやっていたと思う。トーマスは最後、二階にあった毛皮の敷物を頭から被って、イエティの姿になり、そのまま外に飛び出て、庭のモミの木の下に立ち尽くしていた。
1/28(月)
オーバーハウゼン駅から、また長距離電車でベルリンに帰る。途中、乗り換えの駅で来るべきはずの電車が時間通りに来ず、駅員に聞いたら、そのまま次の電車に乗れと言う。乗ってみたら全然違う電車で、パニックになった。奈緒子さんにメールをしたら、親切に時刻表を見て戻り方を教えてくれた。エッセンの駅まで戻って、そこからベルリン行きに乗る。本来なら、別の電車に乗れば新たに料金を取られるはずだったが、検札員に「電車が遅れていたせいで間違えた」と英語で伝えると、チケットを買い直さなくても良くなったので安堵した。Weddingの家に数日ぶりに帰る。
1/29(火)
起きてTwitterを眺めていたら、最も敬愛する作家、橋本治の訃報を知った。虚空に突き落とされたような衝撃で、しばらく涙が止まらなくなる。中学一年のときに『桃尻娘』に出会って以来、彼の作品が私の一番の道標だった。文学も歴史も芸術も哲学もすべて彼を通して学んだ。もっと幼い時分、大人の読む本は飲み下し難い薬のような、煩わしいものだと思っていた。どんな本も文章に気取りがあって、子どもの私などに理解されることを厭がっているように思われた。内容はフィルターの向こう側に隠れてボヤけて見えない。児童文学の噛み砕きやすさと、大人の本との違いに私は戸惑った。それでも本はいろいろ読んでいたし、国語の成績は良かったけれど、集英社の「コバルト文庫」シリーズの、少女の一人称で展開されるミステリーや青春小説、歴史小説、SF小説に浸っているときが一番楽でいられた。少女、少年のくだけた言葉使いを用いた、あらゆるジャンルの文学がそこにあった。私は文庫に比べるとマイナーな雑誌版「コバルト」を定期購入するほどハマっていて、小学生ながらに「この新人作家はなかなか筋がいい」などとまるで編集者気取りで投稿作を読んだりしていた。そして、一番好きだった久美沙織さんの本のあとがきから、『桃尻娘』にたどり着いた。
私の感じた「大人向けの」日本語の文章への違和感は、近代の日本語の成り立ちの問題と、深い関係があるのではないかと思っている。橋本治さんは、日本の近代と前近代の間のミッシングリンクを拾い上げながら創作をし続けたアーティストだ。『桃尻娘』の女子高生の話し言葉の発明は、近代以降は庶民の生活の中だけにあって文学史から忽然と姿を消した、前近代の日本語を、現代に直接繋ぎ直そうと試みた橋本さんによる勇気に満ちた言語実験だった。しかも、この全6巻の長編小説は、実験的なだけでなく、読んでいてとにかく楽しく、私の人生数十年を支えてくれたほどの豊かな物語性をも兼ね備えた、唯一無二の文学作品なのだ。
私の人生は、未だに『桃尻娘』と共にある。ふとしたときに作中の言葉や情景が頭に浮かぶ。私の人生は、「桃尻娘」こと榊原玲奈たち、主要登場人物4人の生と混じり合った不思議なものとなった。切ないことだが、彼らの生に実体がなく、彼らは言葉でできているからこそ、私は自分の頭で「言葉で」物を考えることを覚え、そのことで自分の人生に意味を付与できるようになった。彼らの生き方は私の未来のお手本となり、過去を振り返る材料ともなった。文学が人生にそういう作用を及ぼすことを、私は13歳で初めて知った。
やがて橋本治が小説だけでなく、評論やセーターの編み方の本を書いていることを知り、次々と読み漁るうちに、いつのまにか大人の本が怖くなくなった。芸術が、哲学が、政治が、歴史が、世界中の先人が遺した文化の大海が目の前に開けている。どの扉を開けても、必ず何らかの興味のとっかかりを発見できるのは、橋本さんが本当にあらゆるジャンルをカバーしながら、異様な量の文章を書いていくのを追いかけてきたからだ。まったく分からない分野の話にぶち当たったとき、ゼロから物を考える方法さえ、彼は教えてくれた。
彼が難病を患っていると聞いた10年以上前から、どうやってこの日を迎えるのか私はずっと考えてきた。親兄弟や自分が死ぬことは想像が難しかったが、橋本さんが死んだらどうしよう、私は困るに違いない、とそのことは以前から随分心配していた。でも実際に訃報を耳にすると、ただ涙が流れるばかりで他にどうしようもない。
買物に出て、中東系の人ばかり通るWeddingの往来を歩いた。やたらと天気ばかり良く、橋本治を知っている人なんか勿論この辺には誰もいない。胸の奥がツーンと苦しくてひたすらに悲しい。悲しみの底が見えない。
夕方近く、知人に誘われていた「ベルリンで俳句を詠む会」に瞼を腫らした状態で顔を出した。日本人女性の主催する少人数の会で、この日が初日だったので、自己紹介だけして俳句は詠まなかった。ベルリンの壁崩壊前からこちらに住んでいたという年配の女性三人が、当時の話をしてくれた。
その後、クリストフと一緒に、彼の可愛いガールフレンド、マヤのバイト先のレストラン「ORA」へ行く。ベルリンのあるブランデンブルク州で採れた食材の料理を出すレストランで、何を食べても美味しかった。西洋料理を美味しいと思うことの少ないこのベルリン生活だが、ドイツというか、北ヨーロッパの人の感じる「美味しい」のツボが、「ORA」でちょっと分かった。こちらの人の味蕾は、森の風景を思い起こさせる植物や土の薫り、舌触りに鋭く反応するのではないか。
人生で最も影響を受けた、大切な人を失った日なのに、友達と美味しい物を食べて笑っているのが何だかちぐはぐだ。でも、テーブルの蝋燭の明かりのきらめきが妙に強くて、悲しみが深い夜は、喜びもその分深くなるように思った。
橋本治さんとのお別れ
1/30(水)
ふとしたときに涙が出る。まだ数日はこの調子かもしれない。日本にいる親しい編集者の方と、橋本さんについて長時間メッセージのやり取りをする。話を聞いてくださる相手がいるのが有り難い。
午後はTheaterhaus Mitteで、ダンサーの手塚夏子さんのワークショップを受けた。手塚さんのダンスというかムーブメントのメカニズムが、何度見ても全然分からないので、日を設けて、やり方を教えてくださいとお願いしたら、快諾してくださった。
手塚さんの動きは、なんとも説明し難い。ご自身では「内発性の発露」という不思議な言葉を使われているけれど、要は社会的な制約が取り払われた状態で自ずと動いてしまう身体を呼び寄せる、とでも言えばいいだろうか。ただ、社会的制約から逃れていると言っても、その動きは決して「自然」で「自由」なものではない。
「赤ん坊が股から産まれてくるように」、掛けられている力に対して拮抗することから、自ずと動きが生まれると言う。「拮抗は気持ちいいんです」と手塚さんは言う。手塚さんのガイドに従って、「目の前にある瓶を取ろうとするけど、取らない」などという相矛盾する動作に挑戦することから、ムーブメントを生じさせる訓練を始めた。
そのうち、本当にこれで手塚さんと同じメカニズムの運動ができているのか、半信半疑ながらも、ある程度何も考えずに身体を動かせるようになった。普段の自分なら出さない甲高い声を出したり、身体の赴くままに動いたり。手塚さんほど説得力のある、真に身体から生じた動きに近づけた気はしないが、なかなか楽しく、良いストレス解消になりそうである。
稽古後、一緒に参加していたダンサーの富松悠さんと、ノイケルンのベトナム料理屋でフォーを食べた。「あのワークショップは楽しくて、ストレス解消になりそうだった」と言うと「『辛い』と言う人もいますから、楽しいなら性に合ってるんじゃないですか」と言われる。
夜、クリストフと待ち合わせて、ノイケルンの小さなイベントスペースで、Els Vandeweyerという女性のビブラフォン奏者のライブを見た。これが素晴らしかった。ビブラフォンの上に金属片を散らせて叩いたり、腰に空き缶をくっつけて鍵盤にぶつけながら叩いたりするのだ。演奏の仕方が風変わりなだけでなくて、音楽も勿論とても良い。この日のライブは録音されていて、アルバムになるらしかった。「アルバムが出たら買いたい!」とクリストフも喜んでいた。
1/31(木)
2月末の朗読会に備えて、多和田葉子さんの本を読もうと思って、友人と一緒に日独センターとベルリン自由大学に行くが、多和田葉子さんの本は貸し出し中だったり、図書カードを作るのに住民票が必要だと断られたりして、結局手に入れることができなかった。友人は文学関係の仕事をしていた人で、私が橋本さんの訃報に打ちのめされていることを話すと、何か美味しいものを食べにいこうと決まった。ベルリン動物園駅の近くのステーキハウスで大きなステーキを食べながら、ワインを飲んだ。その後、15分ほど離れた居酒屋まで行って、こちらの生活では珍しく、何杯もお酒を飲んだ。酒で悲しみが紛れたのか分からないけど、随分飲み過ぎてしまった。
<編集Tの気になる狩場>
【映画】
*特集上映
映画/批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~
2019年3月9日(土)〜4月21日(日)
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/1903090421/
会場:アンスティチュ・フランセ東京
没後50年 名匠・成瀬巳喜男 戦後名作選
2019年3月12日(火)~22日(金)
http://www.shin-bungeiza.com/pdf/20190312.pdf
会場:新文芸坐
*封切作品
2019年3月15日公開
『キャプテン・マーベル』アンナ・ボーデン監督 https://marvel.disney.co.jp/movie/captain-marvel.html
『サンセット』ネメシュ・ラースロー監督 http://www.finefilms.co.jp/sunset/
『小さな声で囁いて』山本英監督 https://akira-yamamoto.com/
公開中
『グリーンブック』ピーター・ファレリー監督 https://gaga.ne.jp/greenbook/
『運び屋』クリント・イーストウッド監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/
『月夜釜合戦』佐藤零郎監督 http://tukikama.com/
『半世界』阪本順治監督 http://hansekai.jp/
【美術等展示】
奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド
2019年2月9日(土)~4月7日(日)
https://kisou2019.jp/
会場:東京都美術館
国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
2019年2月19日(火)~5月19日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:国立西洋美術館
【書籍】
橋本倫史『ドライブイン探訪』(筑摩書房)http://www.chikumashobo.co.jp/special/drivein/
池田剛介『失われたモノを求めて 不確かさの時代と芸術』(夕書房) https://yukatakamatsu001.stores.jp/items/5c47aeb3c49cf35182603b6a
筧菜奈子『ジャクソン・ポロック研究』(月曜社) https://urag.exblog.jp/239137081/